『あの庭の扉を開けたとき』 佐野洋子:著 (偕成社)

あの庭の扉をあけたとき
あの庭の扉をあけたとき

「庭」は人間が自分たちの住空間に取り込んだ、自然という異界の一部。「扉」はある空間とある空間を隔て、同時につなげる存在。どちらもファンタジーやSFの格好の題材であり、これらを扱った秀作は数多い。そんなふたつの題材を佐野洋子という個性的な書き手がファンタジーに仕上げたら、どんな話になるのだろうか。そんな興味から本書を手に取ってみた。
五歳の「わたし」が父との散歩中に見つけた廃虚のような洋館。そこに越してきた偏屈者のおばあさんは、あっという間に館を花屋敷に変える。やがてジフテリアで入院した「わたし」は病院で謎めいた女の子に出会う。女の子は「わたし」を連れて不思議な美しい庭を抜け、扉を通り、とある部屋に出る。そこで「わたし」は、一人の人物の記憶の中にある情景を垣間見ることになる。それは人一倍強情っぱりな少女と少年との、愛の物語の断片でもあった。
強情である、ということがこの話の主要人物たちの共通項である。「わたし」も「おばあさん」も、少女と少年も。融通の利かない世渡り下手ではあるかもしれないが、強情者の強みは、一度守ると決めたものは徹底的に守り通すことだ。そのすがすがしさが、「おばあさん」の咲かせるバラの香りのように物語を包む。謎の女の子の正体はすぐにわかるし、庭を媒介として一人の人間の現在と過去の姿に邂逅する、という設定も新しくはない。味わうべきは強情賛歌とでもいうべき文章の詩的なリズム、そして肩肘張った登場人物たちの、それゆえに愛おしい生き方だろう。一人の人間の中に記憶という形で生き続ける様々な時間。他人の目には見えないその時間の積み重ねが自我を作る。その自我が周囲の環境を作る。強情っぱりの作った庭は意地が通ってさぞ見事だろう。我が家の庭のバラはきっと彼らに「貧相」とくさされるだろうなあ、と想像逞しくして苦笑いしてしまった。そんな現実味が、佐野洋子作品の魅力でもある。
併録の『金色の赤ちゃん』は、奇異な外見をし、知的障害もある「とも子ちゃん」と「わたし」がふとしたことから魂を触れ合わせる物語。二人が見た「金色」は幻想なのか、存在の本質の色なのか。印象に残る短篇だった。


(ウィークリー出版情報’09年6月3週号掲載)