『古城ホテル』 ジェニファー・イーガン:著 子安亜弥:訳 (ランダムハウス講談社)

古城ホテル (RHブックス・プラス)
古城ホテル (RHブックス・プラス)

一人の男が、とある古城の城壁の周りを入り口を捜してうろつくところから、この小説は始まる。
男の名はダニー。彼を城に呼び寄せたのは長年音信不通だったいとこだ。いとこは古城をホテルに改装する計画を温めており、ダニーの助力が必要だという。うだつのあがらないダニーは渡りに船とこの話にとびついたのだが、内心は複雑だった。少年の頃、彼はいとこに残酷な仕打ちをしたのだ。いとこはあの事件を忘れてしまったのか、それとも?
外界から隔絶された城の中、ネット中毒者のダニーは頼みの綱のパラボラアンテナまで失ってしまう。パニックと不安に苛まれるダニー。そんな彼を襲う、更なる精神と生命の危機。双子が溺れ死んだという伝説の残るプールで、ダニーが見た二つの影とは。ミステリアスな展開に、半ば廃墟と化した古城の描写がよく馴染む。三人称の文体にぐんぐん引き込まれて読んでいくと突然、地の文に「俺」という一人称が登場する。ダニーの物語には語り手が存在したのだ。
「俺」の名前はレイ。刑務所で服役中の囚人だ。ダニーの物語は、レイが参加している創作クラスで、女性講師の関心を得たいがために書き綴ったもの。しかしその物語は囚人仲間から様々な反応を引き出し始める。登場人物の誰か一人が作者自身に違いないと決めつける者、続きを知りたくて「むかつく」者。それぞれに「読み手」となった彼らの中から、レイを凌駕する「書き手」が誕生する。レイは彼への嫉妬を無視という形で表すが、そのことが思わぬ災厄を呼ぶ。レイと囚人たちの挿話は、物語を生み出すことの華と業とを浮き彫りにする。
小説の最後に、レイの憧れた女性講師が語り始め、レイの物語の外堀を埋める。彼女が架空の創作と思い込んでいたレイによるダニーの物語の一部を生きたとき、小説は静かに完結する。
三人称小説の所謂「神の視点」を文章のある箇所から突然「俺」にすり替える技法は二度使われているが、二度目が非常に心憎い。彼と我の融合は、この小説では水を媒介とし、水は同時に「想像力」を示唆しているようだ。
登場人物たちの運命はそれぞれに過酷で、誰もが幽霊より厄介な何かに取り憑かれている。だからこそ物語を通して人と人がつながっていくことの不思議が、胸に清々しい波紋を広げる。


(ウィークリー出版情報’08年6月3週号掲載)