『解明される宗教』 ダニエル・C・デネット:著 阿部文彦:訳 (土社)

解明される宗教 進化論的アプローチ
解明される宗教 進化論的アプローチ

私事だが昨秋、生まれて間もない子を亡くした。その後、約一年の間に「自分の前世を見てみないか」という誘いが一件、霊視による因縁話を交えた供養についての意見が一件、寄せられた。相手はいずれも友人だった。私の気持ちや魂を救う手助けを、と考えた上での提言だと思いたかったが、全体として私個人への思いやりより各々の「信じるもの」への傾倒の方が強く感じられ、謝意を抱くわけにいかなかった。
そもそも、信仰や宗教とは何だろう。人生や人格の一部にもなるし、生活背景にとけこんで意識されないこともある。強いネットワークの基盤たり得、それゆえに敬遠や嫌悪の対象にもなる。
私と友人との間を隔てたこの川は、どこへ流れてゆくのだろうか。考えの糸口を掴みたく、本書を手に取った。
『進化論的アプローチ』という副題にある通り、科学的・論理的観点から宗教の謎と矛盾に迫る内容だ。元々アメリカの読者対象の本のため、宗教事例はキリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教が中心。しかし展開される理論はそれら以外の宗教にも応用可能だ。
信仰を持たない哲学者である著者は、宗教を強力な自然現象の一つと見做す。遺伝子のレベルではなく、文化を基盤とした自己複製子「ミーム」があるとする考え方についても紹介。
信仰や宗教もこの考え方でいけば、人間の文化や社会の変遷に伴って進化の道を進んできた、生きものめいた観念である。
しかしこのミーム、人間に益するものなのか、寄生虫的なものなのか。ケースバイケース、結論はそう容易には出ない。だが、人がひとつの観念にとらわれると自分を思考停止状態にさせ、物事の選択の幅を狭くするのは確かだ。傍目には良いことと思えないが、本人が満足しているなら……しかし、「コレカラ利益ヲ得ルノハ誰カ?」。何かに利用されているとしても満足だろうか。
著者は「信じることに意義がある」とする信仰者の態度に警鐘を鳴らす。宗教が崇拝に値するものなら、盲信や神秘主義のヴェールの蔭に隠れず科学的研究の対象となるべき、と説くのだ(山岸凉子の漫画『甕のぞきの色』も同じテーマを扱った秀作だ。ラストは「信じること」に少し身を寄せる形)。読後、「宗教」がスッキリ解明されたかというと、浅学のせいもありそうはならなかった。ただ、流れゆく先を知りたかった川の水の性質が冷静に分析されていて、心が鎮まった。


(ウィークリー出版情報2010年10月3週号掲載)