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『顔を持つまで』 C.Sルイス:著 中村妙子:訳(平凡社ライブラリー)

顔を持つまで 王女プシケーと姉オリュアルの愛の神話 (平凡社ライブラリー)

クーピドー(キューピッド)とプシケーの物語は有名だ。美しい人間の娘プシケーがエロスの神クーピドーの妻となる。彼の訪れは夜のみで、彼女は彼の顔を見てはならない。ある日プシケーは遊びに来た二人の姉達にそそのかされ、禁を破って夫の顔を見てしまう。罰として過酷な試練が課されるが、達成した後プシケーは女神となり、再び夫と結ばれる。人の魂の成熟過程を示唆するとも言われるこの神話が『顔を持つまで』の構想の元となった。
語り手は小国グロームの女王オリュアル。賢く、情深く、そして醜く生まれついた彼女は、美と人徳の化身のような腹違いの妹・ プシケーを同腹の妹より可愛がる。だがプシケーは山の神に犠牲として捧げられてしまう。遺骨を集めようと山に登ったオリュアルは、生きているプシケーを見出だす。今は神の妻となり、豪奢な宮殿に住んでいると語る妹。だが彼女が「そこにある」と言い張るものがオリュアルには見えない。姉妹の絆は断たれ、その後は各々苦難の道を歩む。
神話では、姉達は自分達より良い暮らしをする妹に嫉妬し、神の顔を見るための灯を渡すのだが、同じ場面でオリュアルが抱く感情はもっと複雑だ。愛する妹が自分の理解不能な世界に没入していることへの怒りと寂しさ、目に見えない世界は存在するのか、それは美しい者にしか開かれないのか、という疑念。時が過ぎ、それらの感情が単なる妹への嫉妬として神話に語られ始めたのを知り、彼女は神の理不尽を糾弾しようと決意する。その姿は聖書の『ヨブ記』におけるヨブにも重なって興味深い。オリュアルは構造の枠から逃れようともがく一つの個性だ。剣を振るい、政治に辣腕を示し、常に顔を隠して、女という性の枠も超えようとする。
そうすればするほど彼女は自分が憎む「惜しみなく奪う」顔のない神に似てゆく。やがて邂逅した姉妹が二人ながら「想像を絶する美しさ」であるという件に、「個人がなまで出る様な時は却て真の美しさは遠い」という民俗学者・柳宗悦の言葉を思った。
オリュアルに示された神からの「答え」に納得できるかどうかは、読者が神というものをどう考えるかによるだろう。神話の再構築としてでなく、ルイス独自のファンタジー世界の話として読みたかったようにも思う。


(ウィークリー出版情報’06年11月3週号掲載)