きん太は1998年6月5日(金)に肝臓ガンのため、6歳と
いう若さで虹の橋を渡って行きました。
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とても賢く、辛抱強く、社交的な性格。そして、金色に輝く
綺麗なコートが自慢の子でした。
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我が家で初めて迎えたゴールデンであり、彼を失った喪失感
は言葉では言い表せない、とても辛いものでした。
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幸い理解ある友人や知人達に励まされ、時間はかかりました
が悲しみから立ち直ることが出来ました。
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ここはそんな「きん太」との想い出を綴ったページです。


                              


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◆Profile(プロフィール)◆

C  N: 伊東 きん太
血 統 名: BRED OF WESTRING JP
生年月日: 1992年3月3日
性  別: 男の子
出 身 地: 長野県伊那市
お父さん: CHRLIE BRONSON OF MORES JP
お母さん: CRISP OF DOG FRIEND TOWANI JP
出身犬舎: WEST−RING KENNEL
登録番号: RG−04903/92(JKC)
兄  弟: 9人兄弟の5男(6男3女)
兄弟情報:BELL OF WESTRING JP   (RG-04899/92)
     BERTH OF WESTRING JP  (RG-04900/92)♂
     BLEND OF WESTRING JP  (RG-04901/92)♂
     BOVA OF WESTRING JP   (RG-04902/92)♂
※きん太→BRED OF WESTRING JP   (RG-04903/92)♂
     BUCKEYE OF WESTRING JP(RG-04904/92)♂
     BARBARA OF WESTRING JP(RG-04905/92)♀
     BARB OF WESTRING JP   (RG-04906/92)♀
     BONNY OF WESTRING JP  (RG-04907/95)♀

 
※犬舎名等はブリーダーさんの許可を得て公表しています


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◆Prologue(プロローグ)◆

4ヶ月の頃

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家族の1人1人の気持ちが離れ、食事をしても会話がなく
ただ同じ屋根の下に暮らしている。そんな家庭状態の中、
きん太は我が家にやってきました。
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愛くるしい表情と、愛嬌タップリのしぐさで、私達家族の
荒んだ心を少しづつ和ませてくれました。きん太の1日の
行動を巡って、家族の会話も増え、離れかけた家族の心と
絆を1つにしてくれました。
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気がつけば、彼はちゃっかり家族の中心的な存在になって
いました。控えめで、賢く、家族の諍いにも 割って入り
双方の気持ちを慰めてくれる。そんな心優しい子でした。

6年の間、きん太は伊東家の外交官として本当に頑張って
くれました。持ち前のフレンドリーさで、多くの友人達と
巡り会うこともできました。彼がいなければ、この友人達
とも出会えなかったと思います。本当に素晴らしい財産を
私達に残してくれました。感謝の気持ちでいっぱいです。
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◆Episode(エピソード)1◆
−きん太、中毒症になるの巻−

1歳半頃

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1歳になって間もなくのこと。庭で遊んでいる時に馬酔木
(あせび)の樹液を舐めてしまい、急性中毒症にかかって
しまった事件がありました。短時間のうちに歯茎が白く、
舌は紫色に変色し、息が荒くなり、典型的な中毒の症状が
現れました。幸い処置が早かったため大事には至らず、約
1週間ほどで元気に回復してくれました。
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「馬酔木」はツツジ科の低木で、スズランに似た綺麗な花
を咲かせます。観賞用として庭に植えていました。当時は
犬に対する知識がほとんどなく、そんな危険な植物を植え
ていたと知り、強いショックを受けました。
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この事件以来、きん太が快適に過ごせる様に、犬に対する
知識を身につけるため、勉強する様になりました。現在は
ガーデニングがブームとなり、様々な種類の植物が身近に
あります。でも、人間には無害な植物でも、犬達にとって
は有害となる植物も少なくありません。みなさんも、ぜひ
お庭や鉢植えの植物をチェックすることをお勧めします!
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◆Episode(エピソード)2◆
−きん太、大脱走の巻−

3歳頃

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1993年の大晦日の夜。ちょっとしたアクシデントから
きん太が脱走する事件が起きました。年末であったために
保健所などの公共機関はお休み。ひとまず、警察に届けを
出して家族総出で捜索をすることにしました。散歩コース
を中心に聞き込みを行い、ポスターやビラを作成して配布
して歩きました。しかし、有力な手がかりは得られず時間
だけが過ぎて行きました。
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捜索も4日が過ぎた頃、1つの疑問が生じました。体重が
30キロもある大型犬が、日中一人で歩いていれば誰かに
目に付くはず。それにも関わらず、見かけたという情報が
まったくありません。当初は遠くには行かないだろうなど
と考え、家の近くを中心に探していました。もしかしたら
大晦日の晩のうちに、予想以上の距離を移動したのでは?
そう考え、捜索範囲を大きくしたところ、少しずつ見たと
言う情報が集まり出しました。情報を整理し、移動経路を
見極めました。そして、捜索開始から5日目に自宅から約
8キロも離れた公園で「GR保護してます」のポスターを
発見!!すぐに連絡先に電話を入れ、きん太であることが
確認出来ました。この時の感動は今も良く覚えています。

保護して下さった方は運良くトリマーさん。元旦の早朝に
自宅横の雑木林の落葉の山に、潜り込む様にして寝ている
きん太を発見したそうです。トリミングの跡が新しかった
ため、迷い犬と判断され、ポスターを5枚だけ作って近く
の公園に貼ったそうです。幸運にもそのうちの1枚を発見
出来た訳です。トリマーさんのお宅に伺い、私達家族の姿
を認めたきん太は千切れんばかりにシッポを振り、猛然と
ダッシュして来ました。お礼をしてから自宅に戻り、遅い
お正月を家族で迎えました。
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◆Episode(エピソード)3◆
−きん太、お漏らしするの巻−

4歳頃

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2歳の初夏、その日は散歩の時間を2時間近くも寝坊して
しまいました。この頃のきん太は家の中では用足しをせず
必ず外に連れ出していました。慌てて、きん太が寝ている
玄関(コンクリートが冷たくて気持ちが良かったらしい)
に行ってみると、まだ横になっていました。いつもなら、
散歩の催促(玄関ドアの前でシッポをフリフリ)をするの
ですが、寝たまま起きようとしません。体調が悪いのかな
と思い、近づいた時にわずかな臭気を感じました。周りを
見回しましたが、お漏らしした形跡はありません。それは
さておき、散歩に行こうとドアを開けてもきん太は起き上
がろうとしません。寝坊したので怒っているのかなと思い
抱き上げたところ、原因がようやく分かりました。
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お漏らしをしていたのです。そして、それを隠す様に上に
寝そべっていたのです。私が寝坊したばかりに我慢が出来
なかったのでしょう・・・。それが悪いことだと理解して
隠していたんだと思います。「ごめんね・・・。」思わず
目頭が熱くなり、きん太を思いっきり、抱きしめました。
散歩を済ませた後、シャンプーをしてあげました。お詫び
に朝ごはんは普段より多めにあげ、そして、目覚まし時計
を1つ増やしました。
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◆Episode(エピソード)4◆
−きん太はカナヅチ?の巻−

5歳頃

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4歳の夏、散歩仲間と西湖にデイキャンプに行きました。
現地に6時頃に到着したものの、雲一つ無い快晴で気温も
グングンと上昇。早朝にもかかわらず、犬達はすでにバテ
気味。何はともあれ泳がせようと言うことになりました。

湖畔に連れて行くと、きん太以外のラブラドール軍団達は
勢いよく、一斉にドボン!!水しぶきを上げながら豪快に
飛び込んで行きました。一方、きん太は何を思ったのか、
水深50cmほどの岸辺にチョコンとお座り状態・・・。
「遠慮しないで泳ぎな!」と背中を押すのですがテコでも
動きません(笑)。これまで川には何度も連れて行ったこと
がありましたが、浅瀬で遊ぶばかりで泳ぐ姿は見たことが
ありませんでした。
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もしかして「カナヅチ?」水鳥の回収犬であるゴールデン
が?・・・。そう、きん太はカナヅチだったのです(笑)。
これには仲間もみんな苦笑い。そんな私の気持ちを知って
か知らずか、きん太は仲間達が楽しそうに泳いでいる姿を
眺めながら気持ち良さそうに岸辺でお座りしていました。

余談になりますが、きん太はその後も川や海に連れて行き
ましたが、泳ぐことはありませんでした(爆)。どうして彼
が泳がなかったかは今もってナゾです・・・。
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◆Episode(エピソード)5◆
−きん太は雪が好き!の巻−

6歳頃

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「雪やコンコン、霰やコンコン・・・」の歌にもある様に
なぜか犬達は雪が好きな子が多いですよね。きん太も例外
ではなく、「超」が付くほど大好きな子でした。特にまだ
誰の足跡もない新雪の上を走り回ったり、ゴロゴロしたり
雪をパクつくのが大好きでした。雪玉を投げると追いかけ
るのですが、地面の雪と同化して見失い、あっちを掘った
り、こっちを掘ったり・・・(笑)。そんな嬉しそうに遊ぶ
姿を見るのが私にとっても楽しい一時でした。
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この写真はきん太が亡くなる4ヶ月前の大雪が降った日に
撮影した写真です。当時は大型犬用のレインコートなどは
入手が困難だったため、Tシャツを着せて雪除けの対策を
していました。しかし、この日の大雪は半端でない積雪で
ほとんど意味がありませんでした(笑)。Tシャツからはみ
出た胸のコートや、足の飾り毛に雪玉が鈴なりに付き歩行
が困難になるほどでした(笑)。その度に、立ち止まっては
ブルブルしたり、付いた雪玉をカジカジしたりと、散歩が
なかなか進まず、2時間半近くもかかりました(爆)。
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この時はあんなに元気だったのに・・・。もう一度、一面
の銀世界で思いっきり遊ばせてあげたかった。思う存分、
走らせてあげたかった。時間など忘れて・・・。
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◆Epilogue(エピローグ)◆

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きん太の場合、体調の異変に気付いてから亡くなるまでが、わずか1ヶ月と
極めて急性なものでした。まず、最初の異変は血尿でした。後の検査で判明
しましたが、これは血尿ではなく肝臓組織が破壊され
流れ出たものでした。
その後は次第に食欲がなくなり、嘔吐を繰り返す様になりました。水も飲む
ことが出来なくなって行きました。脱水症状の回避と体力を維持するために
毎日、点滴を受けましたが、やはり口から食物をとらないせいか急激に体力
が衰えて行きました。かかりつけの獣医の判断で、大学病院で検査を受ける
ことになり、検査入院することになりました。事前の精密検査で肝臓の広い
範囲に影が発見され、最悪の場合は開胸しても摘出できない可能性があると
説明を受けましたが、わずかな望みを託して手術を受けることにしました。

開胸手術の結果、肝臓の80%がガン細胞に冒されており、摘出することが
出来ませんでした。肝臓ガンは人間と同様に、自覚症状がが出にくい病気で
痛みを伴う頃には手遅れの状態になっているケースが非常に多いそうです。
きん太の場合も、ここまでガン細胞に冒されるには、少なくとも2年以上が
経過している可能性があると言われました。担当獣医の話ではどんなに健康
でも最低年に1回は血液検診を受け、5歳を過ぎたら半年に1回は血液検査
を受けた方が、早期発見につながるとおっしゃっていました。定期的に検査
を受けていれば・・・。悔しさと後悔の念に苛まれました。
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きん太が虹の橋を渡ってからの数ヶ月間、私達家族は深い悲しみの中にあり
ました。「ペットロス」などと言う簡単な言葉だけでは表現出来ないとても
辛い日々でした。愛犬と楽しそうに散歩をしている人を見かけただけで涙が
あふれ、
家の中にはきん太と暮らした足跡があちらこらちに感じられ、また
残されていて、いたたまれない気持ちになりました。特に私が後悔したこと
は開胸手術後に「延命治療しか手だてがない」と言われ、私以外は自宅にて
通院と治療を続け様と主張しました。しかし、私は何かあった時の事を考え
れば、入院して治療を受けた方が対応も早いし、ベストな治療も受けられる
と判断して入院させる結論を行いました。心のどこかに奇跡を期待していた
のかも知れません・・・。
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その後、家族で色々と話し合い、精神的なことを考えれば、家で治療をした
方がきん太にとって良いとの結論となり、術後5日目に退院させることにし
病院に連絡を入れました。そして、迎えに行く当日の早朝に病院から悲しい
知らせが入ったのです・・・。もっと早く、私が決断していれば、大好きな
我が家で大好きな家族に見守られて最期を迎えることが出来たのに・・・。
こうした後悔の念が私の心に深く、そして重くのしかかりました。そうな私
や家族を暖かく励まし続けてくれたのは、きん太を通じて知り合った友人達
でした。この友人達の励ましが、どれだけ私達家族を元気づけてくれたのか
は計り知れません。こうした理解ある友人達の助けによって私達家族も少し
ずつ立ち直ることが出来ました。そして、ある友人がかけてくれた言葉。


「きん太ちゃんが一番好きだったものを知ってる?」

「それはね、あなたの笑顔なのよ!」

嬉しいことや、楽しいことがあった時、きん太も我がことの様にシッポを
ブンブンと振り、喜んでくれたことを思い出しました。落ち込んでいる時
には「大丈夫?」と言う様な顔をして、すり寄って慰めてもくれました。
何だか私達ばかりが、きん太に癒されていた様で、情けなくなりました。
「いつまでも落ち込んでいたら、きん太も天国に行けないよね・・・・」
「きっと立ち直るから、安心して天国でお友達と遊んでおいで・・・。」
そう思うことが、きん太に対する何よりの供養だと考え、辛い思いを断ち
切ることが出来ました。
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今では、きん太と暮らした6年間を大切な想い出として、振り返ることが
出来る様になりました。もちろん、未だに想い出しては涙することもあり
ますが、辛い気持ちより、この経験を活かさなければ、きん太に申し訳が
ないとの気持ちが勝る様になりました。そして、その教訓を新たに迎えた
「きんぐ」との生活に活かしています。もし、同じ境遇から、深い悲しみ
の中にいる方がいたら、友人の言葉を借りて私は伝えたい・・・。
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「あなたのワンちゃんが大好きだったものを知っていますか?」

「それは、あなたの笑顔なのですよ!」

最後に私の大好きなきん太の写真をご紹介します。居間の一角に置いた
このソファーが
きん太の大のお気に入りでした。家の中にいる時は何時
もここに寝そべって、私達家族を暖かく優しい目で見守ってくれていま
した。きん太、
6年間の素敵な想い出をありがとう、そしてお休み!!
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