2001−12−8

12月7日から8日まで原田覚一郎総監督の「風天雑記・遺稿集」の編集会議で相島さんとホテルで合宿。色々とお世話になってしまいました。
相島さんの子供たちは競技コースで毎日6000メートルはおよぐそう。「足がつかないので海は怖い」というのが可愛かった。特大デザートにびっくり。
 8日はグライダーのセミナーに行く。途中列車事故でタクシーを乗り継いで会場着。立派な建物が並び、田舎ものにはすべてが新鮮。
セミナーはなごやかで、皆さん話足りないことはたくさんあったようですが、その分2次会が盛況でした。万場さんは終列車に乗れたのかな。
島田夫妻の新婚住まいにおじゃました後、パジェロで板倉へ送ってもらう。翌日の機内食の手配までしてもらい、感謝感謝。

12月9日 冬型の様子。西の雲道を試すか、東のコンバージェンスへいくか。の選択。北アルプスから仙台へ行きたい私はとりあえずこの風での赤城付近の様子を調査したかったのでエンジンを回して赤城からの雲にとりつく。しかし半年ぶりのエンジンはわずか40mの失高でかかった。いいエンジンだ。 しばらくさび止めに回す。

しかし全くプラスに引っかからない。みるみる雲が薄れていく。妻沼の雲道を狙ったニンバス4DMも帰ってきたそうだ。東へ戻ると皆15KM5000FT曳航でコンバージェンスラインまで行きウハウハらしい。私も混ぜてもらいやっとプラス帯にはいる。


染中さんのプラスを拝借中。

 日光へ行って来た丸山さんらと上がるが上がりきったところで小山へのびるラインを伝っていく。上の写真左側。丸山さん、田上さんは北上してすんなりウェーブインしたそうだ。
 宇都宮飛行場横から日光からのびる雲道までしばらく直線飛行し、徐々に高度を上げ中禅寺湖を拝む。しかしこの荒れ方はローター以外ではない。
しばらくリハビリに励むが意地の悪い手合いでとんでもなく荒れているだけでなかなか整流域に入れない。中年パイロットの頭の中には地上での平穏な日常生活の楽しみ方がわき出てくる。しかし上空には若い2機がウェーブに入っている。意地を出して何とかウェーブに入れた。いい練習でした。

もがきながらローターの中で耐えているところ。


10000以上まで耐えて上げた後やっと整流域に入れた。コンバージェンスが発達して整流域を押し上げ、接する面が波立っていたような感じだ。


今日は電車で来たので酸素は積んでいない。1.2を越えないよう努力するが全く衰えが無く、速度に変えようと北上する。
全くのオントップコンディションだが山頂の盛り上がっている雲と第1波のローターが飛び出ていたので他の雲と識別できる。
 

200-230k/h出しても上昇していく。黒磯を過ぎ1.5近くになっていた。呼吸を整え恐怖心をのぞいて脳の酸素消費量を減らしながら飛ぶ。ヨガの心得が役立つ。野崎さんのことを想いながら「俺はこのまま北上したら酸欠で意識不明になり速度もオーバーし、正に天国行きだ。まだ野崎さんに再会したくない。今あの世への階段を昇り始めているのだ」と本当に生命の危険を感じた。意識のある内に戻ることが今やるただ一つのことだ。(後日談だが、喫煙の習慣のある人は酸素の減少に鈍感で自覚が少ないそうだ。私はいつもハイポキシアの前に酸欠を意識しているのはたばこを吸わないせいかなと思う。板倉の嶋田さんより。)
那須の強いウェーブのなかで反転して人間界へ速度を落とさずめがけていく。男体山風下の10000近くでローターが待っていたがあの世よりはまだマシと思った。
 ほっとしながら板倉へ戻り着陸。ウェーブコンディションで苦労した機体もあったそうだ。皆さんお疲れさまでした。