2001−5 関東特別編

5月4日から6日まで板倉へキャンプしに行って来ました。
この時期の板倉はオールグリーンでふかふかした絨毯状態です。虫もいないし、最高のオートキャンプ場です。
 4日はアウトランディングした機体をリトリブしたり、充実した一日となりました。
野次馬根性で持っていったデジカメが事故調査に役立ちました。これからはリトリブ隊は事故調査委員会に即画像を送るためにデジカメとパソコンと携帯電話が必携です。(笑)

5月5日 視程悪く雲も低く、ゲロゲロのコンディション。久しぶりのガグルだ。みんなとってもセンターがずれている。サーマルが弱いせいか。
いつも飛んでいる山では対地高度はとっても低いのだが、着陸可能地までは届く高度でいつも飛んでいる。平地の怖さを身に染みこませながらリハビリに励んだ。
 後日、長野の総会で聞いたのだが、この日の中央アルプスは4000mバリバリのグッドデイだったそうな。最低。

5月6日 この日も視程悪そう。エマの状態からは昇温すれば4000−5000ftには上がるそうなので、機体を組んで、競技機のじゃまにならないうちにすごく早く離陸した。今日は門限が3時。3000ftの雲底だが、全くだめ。山へ行ってもだめでエンジンを使用して空にとどまった。
 1時間ほどたつと+も元気を出してきた。スニッファーも浮き出した。どんどん条件がよくなり、2−3のを使って飛ぶが、関東平野の面白みがだんだんわかってきた、というより低くても前にでていくことを思い出して来る。途中、ディスカス2やDG800、W20と飛べてちょっと嬉しい。今日は他の競技機に少しはサーマルをお裾分けできたかと思う。
 3時間で180kmを飛んで門限に遅れないように足利の山から帰るが、途中沈下がきつくて0.5m/sでちょっと回ってストレートイン。おまけにかみさんの方に寄せようとしてグランドループをしてしまった。実にかっこわるい。
ばたばたと片付けて4時前に板倉を後にした。みなさん飛び逃げですみませんでした。

5月13日 レリーズを交換しに板倉へ行った。電話もコクピットに忘れてきたのでリトリブもかねて。
 前日は仕事の総会やら立ち会いやらその他諸々で好条件とはわかっていたが来れなかった。でもしっかり秩父の下久保ダムをデータ登録しておいた。今日は秩父からアルプスへ行こうと思う。午前中に交換が終わったので紺碧レーシングの鈴木氏と(同年)続けてぼんやりした空へ舞い上がる。鈴木氏は学生時代から抜群のセンスを持ち、学生選手権で他のが浮いているのがやっとという状況でさっさと周回しちゃう人でした。お互い中年になっても滑空場で会えるのは大変励みになっています。
 こちらセンスのかけらもない人は当然背中のバラストに働いてもらって秩父へ向かう。途中は全くの静穏。まだサーマルは上がってきていない。30分もうるさいコクピットにいると5000ft、下久保ダムが見えてきてエンジンカット。積雲はあるが、しけている。
  
雲底は7000くらい。丁寧に弱いのを拾いながら西へ向かう。  八ヶ岳は遙か先。+の間隔が短いのが救いだ。相変わらず己の腕の下手さ加減に愛想を尽かせ、悔しい気持ちを噛みしめながら飛ぶ。

  
ようやく八ヶ岳が見えてきた。今回は八ヶ岳からの雲道がつながっていたので甲武信ヶ岳には寄らなかった。内陸に入って雲底も9000から1万に上がった。1.1で八ヶ岳に着いた。八ヶ岳まで来れば後は勝手知ったる何とやらで南アルプスへ南下する。
小山からDG500が、山梨からLS7が、霧ヶ峰からPW5.LS4.リベレが、デュオディスカスがとにぎやかなこと。
残席の残る山々は1年ぶりである。たっぷり堪能しながら南下する。東側には低い雲が見えるが当然西斜面をなめて飛ぶ。
昨日よりは条件が悪いそうだが2−3であるべきところには必ずあるのでただ純粋に飛ぶのを楽しむ。
  
午後3時になるので反転して八ヶ岳のリッジでガスアップして帰る。東に延びる雲道を伝って楽々帰れるはず、、、
  
120キロを1.1の高度で東進するが、機体の雲はパワーがなくどんどん雲底が低くなり、逆転層の上を飛んでいる状態。
L/Dは42ほどでていて嬉しいのは嬉しいが、平野部は全く瀕死の状態。 ただひたすら静穏な中を飛んだ。
     
もう2時間早く出かけていれば500K位はできたかもしれない1日でした。妻沼から下久保ダムは15分くらいなので妻沼発の500Kコースも楽しみです。