2人の距離と関係とコミュニケーション方法論


街で見かけた悟浄は、一人では無かった。
誰だろう? 見たこと無い人だ。結構歳が離れてる様に見えるけど、親しげな様子で話してる。

それは、まだ僕が悟浄の同居人兼友人見習いだった頃のことだ。(ちなみに現在は旅の同行者兼友人である)
その日悟浄は昼過ぎに家を出かけていった。普段賭場に行くのは夜だが、遊ぶ予定なんかが入っていると午後から出掛けることも偶にあるため、特にこれと言って珍しい光景ではなかった。
そして僕が夕方アルバイトに行くために家を出たのも普段通り。
いつもの道を歩き、商店街を通り学習塾へ向かう道すがら、僕は悟浄を見かけた。あの赤は鮮やかでやっぱり目立つなと思いつつ見れば、隣にツレらしき人が居た。
特に近い距離でも無かったから、声をかける程の事もなくそのまま目で追うだけに留めていると、たまたま行く方向が同じだった。だからなのか同じ方向へ僕の前を歩いている悟浄は僕に気付かない。それで、つい2人を目で追いつつ観察してしまった。
隣の人は僕の見知らぬ男性だった。歳の頃は40くらいの悟浄よりやや身長が低いそれでもガッチリした体躯の人間。鷭里さんのときにも思ったが、僕は悟浄の交友関係を知らないなぁ。だからどうということも無いが。お互い違う人間関係があるのは当然だし、それについてどうこう言う義理も無い。
きっと酒場の知人なのだろう。この先には酒場や賭場がある。そろそろ賭場に行くにも良い時間だ。そう言えばもう直ぐバイト先の学習塾で抜き打ちミニテストがあるんだった。さり気なくテスト対策をしないと……なんて考えていると、僕の数メートル先の二人は案の定酒場の方へと道を折れた。
ああ、やっぱりなと思いながら二人が曲がった道をなんとはなしに見つつ通り過ぎようとした目に、二人が派手な建物に消えたのが映る。
「あれ?」
二人が消えたのは酒場では無い。かといって賭場でも無い。
思わず見間違いかと思って通り過ぎかけた交差点まで戻りその建物を目を凝らして見つめてしまった。
二人が消えた建物の入り口には料金表が掲げてあり、上の看板には『HOTEL』のロゴ。
この建物に入ったように見えたのだけど見間違いだろうか……。または僕が見間違えただけで一緒に居たのは女性だったんだろうか。
「事実関係の確認は重要事項ですよね」
アッサリと思考を放棄して道を曲がりホテルの外から中を覗けば、そこにはちょうど階段を上がろうとしている二人の姿。
見間違えることの無い赤い髪と。
「やっぱり男性ですよね」
ふむ……と、腕組みをして少し考えたところで、そういえば学習塾へ行く途中だった事を思い出した。
こんな場所に二人で入るのだから、恋人かどうかはさておき何をしにきたかは明白で、けれどそれについて自分がどうこう言う義理も無い。所謂、個人の自由である。それに何故か、嫌悪も湧かなかった。単にそうなのかと理解しただけで、ただそれだけだった。
「おっと、こんなことをしていたら遅刻してしまいますね」
こんなところにいるのを生徒さんやその親御さんに見られたら後が面倒そうだなぁと思いつつ、僕はすぐに元の道に戻り学習塾へと歩きだした。



学習塾から戻り、遅い夕食を食べ、本を読んで、風呂に入り、更に続きの読書をしていると、今日は帰ってこないと思っていた家主が午前2時前に帰ってきた。珍しく早い。
「おかえりなさい」
「おー」
普段通りの挨拶、普段通りの動きで悟浄は椅子に腰掛ける。ふわりと立ち上る煙草と酒と香水の臭い。なんだかひどくいつも通り。つまり、実は今まで僕が気付かなかっただけで同じような事が何度もあったんだろうな。全然気付かなかった。と言うかそれはいいんだけど。
「コーヒーいります?」
「頼むわ」
ヤカンに水を入れコンロにかけ、ついでに自分の分もと思い棚からサーバーとドリッパーを出してペーパーフィルターの端を折っていると、悟浄が上着を脱いで椅子に座った。いつものラフな白いタンクトップ姿で煙草をくわえた悟浄の身体に残る赤い痕。
……どうしてだろう。今まで感じたことはなかったのに、鷭里さんの一件以来時々感じるこの衝動。
―――からかいたい。
だって悟浄って意外と真面目で、感情表現豊かだから。仕方ないですよね。面白い反応してくれるこの人がいけないんですなんて責任転嫁してみたり。
「ナニ笑ってんの? 機嫌イイじゃん」
普段と変わらない笑みのつもりだったのだけど、どうやら悟浄には微妙な違いが解ってしまったようで、そう声をかけてきた。だから敢えて普段通りにフィルターをドリッパーにセットしてヤカンに視線を向け、口を開く。わざとらしくならないように。
「今日のお相手は積極的な方だったんですか?」
その言葉に悟浄はキョトンと目を丸くした。ただ純粋に驚いている顔。それから自分の身体に残るキスマークのことだと解ったようで、口端を吊り上げてニヤリと笑った。
「そーなのよ。ホラ俺様モテモテだから? つか、お前がそーゆーの気にすると思わなかったわ」
「それだけ激しかったら目に入りますよ」
「イヤそーじゃなくて。気にしなそうっつーか……違うな。目に入っても言わなそうっつーか? 今までそーゆーの言ったこと無いじゃん?」
「野暮ですしね。馬に蹴られたくも無いですし」
「ハハ。そーゆーんじゃねぇって。恋だの愛だのは俺にはよくわかんねーし」
苦笑した悟浄は灰皿に灰を落とすと、すぐに悪戯っ子供のような笑みを浮かべた。
「急にンなコト言いだしたって事は、ひょっとしてお前好きな娘でもできた? お前も男だしなー。あてられちゃったりしたか?」
そうきたか……。これは本当に男性相手も珍しく無いって事なんだろうなぁ。ポーカーフェイスって可能性も無くはないが、今そんな必要があると思えない。ていうか、なんだか物凄く嬉しそうで微妙に腹がたつんですが……。よし、ちょっとからかってみよう。
淹れたてのコーヒーをテーブルに置き、僕も座る。
「好きな人……と言える程かどうかまだ解らないんですが」
「お!? 気になる相手は居るってコトか! ダレダレ? 俺の知ってる娘?」
「娘って……そんな感じの方じゃないですよ」
「もしかして年上か? そーいや姉ちゃんと付き合ってたっつってたっけ。お前年上好きかぁ。なるほどなー」
「いえ、年上では無いです」
「年上じゃねぇのに娘って感じじゃねぇとか、ンなコト言ってたらお相手の娘に怒られんぞ」
何というか、凄いな。健全な思考すぎて男性と色々してるようには全く思えない。現場を見た僕ですらうっかり見間違いかと思ってしまいそうだ。これだから今まで気付きもしなかったんだろうなぁ。
「逆に女の子扱いする方が怒られそうな気がしますが」
「へぇ?」
真剣にどんな人なのか考え込んでるし。このままじゃからかうどころか冗談だとすら通じなそうだ。少しヒントをあげた方が良さそう。
「その人ね、一人暮らししてた自立した方なんです」
「してた? 今は?」
「今は2人暮らししてますよ」
その言葉に悟浄は眉をひそめた。誰のことか解ったかな?
「それって…………まさか人妻じゃねーだろうな?」
……そう取りましたか。
「人妻でも同棲でもないです。そもそもその人が一緒に住んでる相手は同性です」
「そっか。ちょいビビったわ」
ハハハと悟浄が笑ったので、僕も笑う。誤解は解けたようでなにより。でもヒントにはならなかったみたいだ。ヒント、ヒントねぇ。
「ずっと1人で生きてきたみたいで、酒場とか賭場で稼いでるんです」
これならいくら悟浄でも解るでしょう。なんか顔しかめてるし。
「お前それさ……」
何か言いにくそうにしてるなあ。それもそうか。同居してる同性のツレがまさか自分の事をって感じだろうし。
「それ………………騙されてんじゃねぇよな?」
「は?」
「イヤだって、酒場にいる女なんだろ? お前が惚れた相手を疑うのはアレだケド、騙されたり貢がされたりしてねぇか?」
そうなっちゃうのかー……。ホンットこの人、思考回路がマトモなんだな。これ、正解に辿り着けないんじゃなかろうか……。もうからかうの止めようかな。あ、だめだ。そうしたら悟浄は僕に意中の相手が居るって誤解したままになってしまう。仕方ない。盛大なヒントを出そう。
「騙されてはいませんよ」
「なーんで言い切れンのよ?」
「その人、僕にそんな事望んだ事無いですし。そもそも、その人ね、女性ではないんです」
「……ハ?」
間抜けにポカンと開いた悟浄の口から火のついたままの煙草が落ちてテーブルに新しい焦げ目を作った。
悟浄が固まったまま動き出す気配が無いので、仕方なく煙草を拾って一口吸って差し出してやると、ようやく悟浄が動き出して煙草をくわえなおした。というか、同性が好きかもってここまで衝撃を受けるものかな? 完全なストレートの方ならいざ知らず。あ、もしかして相手が自分かもって気付いたのかな?
どうするのかなと取り敢えず観察していると、ようやく悟浄が煙草を咥えたまま煙を吐いた。
「まー、そーゆーのもアリか」
「そうですね」
割り切った。複雑そうな表情をしてはいるけど。
「あー……じゃあさ」
「はい?」
もしかして俺?とか続くかと思って身構えたのに。
「結局好きなヤツ誰よ? 男ってだけじゃわかんねーって!」
マジですか……。
「だから酒場と賭場に良く居る方です」
「俺も毎日どっちにも居るけどわかんねーから聞いてんだよ! 大体お前どっちもあんま来ねぇじゃん。来てもねーちゃんと話してるくらいだしよ!?」
「そうですねぇ」
「お前が好きなのに話しかけられないワなんてガラじゃねーし」
「その通りですねぇ」
そこまで行ってなぜ自分だと思わないのか。
「いっそ三蔵とか言われた方が納得できんのに」
「それは断固拒否します」
もうこのネタ止めようかな。僕にまでダメージが来始めた。
「俺の知ってるヤツ?」
「ええ。とても」
「とても〜!? 酒場や賭場にいて俺が良く知っててお前も知ってるっつーと…………まさか鷭里か!?」
「…………貴方も良く知ってる僕の目の前の人です」
「目の前?」
「目の前」
「今?」
「今」
「俺?」
「他に誰が居るってんです」
「お前俺のこと好きなの?」
「という冗談を言おうとしたんですが、予想外に伝わらなくて驚きました」
「は?」
なんだかとても疲れたな。今日はもう寝よう。
ポカンと口を開けて間抜け面を晒している悟浄は放置して、読んでいた本を持って立ち上がり部屋へ行こうとしたら手を掴まれた。
「何ですか? 僕もう寝たいんですけど」
「え、あ、悪ィ。……じゃなくて! どういうことだよ!?」
「何がですか?」
「さっきの! 俺のこと好きとかってヤツ!」
「だから冗談ですって。同居人兼良い友人になれたらと思ってますよ」
「そりゃ良かった。つか、冗談ってなんだよ? 突然好きとか……随分悪趣味じゃね?」
「スミマセン。もっと軽い感じで解って貰えるかと思ったので」
「イヤイヤ。男が男好きとか、簡単にはわかんねーだろ普通。なんでンな冗談言おうと思ったのよ? お前ゲイだったの? ああいや、姉ちゃんとデキてたんだからバイか」
「色々とご想像のところ大変申し訳ないんですが、僕はストレートです」
「じゃ、なんであんな冗談言ったのよ?」
「今日バイトに行く途中、偶然貴方を見かけまして」
「バイトに行く途中?」
「ええ。6時前くらいかな」
「6時前ってーと…………あ。ひょっとして見られてた?」
「ええ。それはもうしっかりと」
「あー…ナルホドね」
そう言うと悟浄は手を離してテーブルに肘をついた。どうやら僕が目撃した場面は解ったらしい。
「ホテルでナニしてたと思う?」
「アダルトビデオを2人で鑑賞してただけなら、同情を禁じ得ませんが」
「嫌な想像すんなって……」
「じゃ、何してたんです?」
「ンー? そりゃホテルでする事なんざ一つしかねーべ。お前の想像通りのコトだよ」
ニヤリと笑って悟浄は煙草を灰皿に押しつけながら立ち上がり、僕の顎を取り顔を近付けた。煙草の香りが濃度を増す。
「逃げねーの? 襲われるかもよ?」
そんな試すような事を今更言われても、ねぇ。
「相手が誰でも良いなら、貴方ならとっくに襲ってるでしょう?」
じっと悟浄を見ていると少しだけ視線を合わせた後、悟浄は手を離してまた椅子に座り頬杖をついて明後日の方向へぽつりと呟いた。
「平気なんだな」
「何がです?」
「俺が男とヤってんの」
「そうですねぇ……近親相姦とどっちがアウトでしょうね?」
しれっとそう言ってやると、悟浄は目を丸くした後盛大に笑い出した。
「ハハハハッ! 確かにな! 悪かった!」
「本当に。何でもそんなに深く考え込まれたらおちおちからかえもしないじゃないですか」
「だから悪かったって。俺も言うタイミング逃してたからよー…………て、あ?」
大笑いして悟浄かふと何かに気付いたように動きを止め、僕をジロッと睨んだ。
「からかうってナニ?」
「そのままの意味です。面白い現場を見たので貴方をからかって遊ぼうと思ったんですが」
「ハァ!?」
「モテ男とは思えない鈍さでしたねぇ」
「モテんの関係ねーだろ!」
「意外と自信無いんですね」
「イヤイヤ問題そこじゃねーだろ!? つか、お前そんなキャラだったの!?」
「そうみたいです。今まではそんな風に感じた事無かったんですが、新しい自分を発見した気分です」
「発見すんな……」
悟浄はがっくりとテーブルに突っ伏してしまった。やっぱりリアクションが大きくて楽しいな、この人。
「じゃ、僕は寝ますね。おやすみなさい」
「ちょっと待て!」
「なんです?」
「結局俺をからかうための冗談ってコトで良いんだよな?」
「勿論。あ、実は貴方の方が僕を好きだったりしました?」
「しねぇよボケ!!!」
「それは良かったです。良き友人として同居生活していきましょうね」
ニッコリ笑ってそう告げ部屋へ戻ると、ダイニングから悟浄の言葉にならない叫び声が聞こえた。本当に楽しい人だなぁ。面白いからってからかい過ぎないように気をつけないとな。



なんて出来事から早数年。悟空とジープを連れて買い出しに出たらまたそんな現場に遭遇してしまった。と言うか、悟浄に気付いた悟空が僕に報告されてしまった。さて、どうしよう。
「あ、あっち行っちゃう! おーい悟浄ー!」
大きな声で手を振る悟空になぜ気付かないのか。普段は空気を読みまくるクセに。いえ、やましいことをしていると全く思ってないからなのは解ってますけどね。せめて女性と歩いているなら悟空も気を使って声掛けないでしょうに。
仕方ないなぁ。貸しといてあげます。
「悟空、何か軽く食べていきますか?」
「え、いいの?」
「ええ。ジープがお腹空いたみたいなんで」
そう言うと空気を読んでくれたジープが頷きながらピーと鳴いた。
「そっか! ジープが腹減ったんじゃ仕方ねぇよな! 何食べよっか?」
「さっきの屋台で良いんじゃないですか? 悟空も気にしてたでしょう?」
「やったー! スゲェイイニオイでメッチャ食いたかったんだよ! ジープサンキュな!」
言うが早いか悟空は今来た通りを戻り始めた。肩をすくめてジープと苦笑しつつチラリと視線を流すと、ちょうど悟浄は見知らぬ男性といかがわしそうな建物へ入って行くところだった。
「本当に世話の焼ける人ですねぇ」
苦笑しつつのぼやきにジープが同意するように一鳴きする。その頭を撫でてやりながら僕も来た道を戻るように足を踏み出す。大きく手を振っている悟空の方へと。
「八戒ー! 早くー!」
「今行きます!」
さて、後でこの貸し分また悟浄をからかって気晴らししましょうね。


花吹雪 二次創作 最遊記