≪報われない小悪魔の誘惑シリーズ≫

風呂


今日はツイてたな〜。
なんて思いながら本を閉じてソファーから窓を見ると、帰宅時にはパラパラしてた雨はスゲェ土砂降りになっていた。
今日は帰宅してのんびりしてたにもかかわらず、普段の帰宅時間より全然早い。取引先を出たのが微妙な時間で直帰していいと言われたからってのもあるが、更に乗り換えが非常にスムーズだった。おかげで就業時間よりも早く家に着けて平日としては珍しくのんびりしてたってワケだ。
「そろそろ飯作るか」
本を仕舞いながらキッチンへ向かう前に風呂を汲み始めておくことにして、まずはバスルームへ。掃除は湯を捨てるときにしてるから軽く湯をかけて栓して、後はパネルの自動お湯はりを押せば完了だ。
さて、飯何にすっかな。冷蔵庫を開けて危ないヤツが無いかチェック。ヤバそうなのはねぇな。最近帰りそこまで遅くねぇしな。んじゃ、冷凍庫の肉でも回転させるか。あ、鮭が古めだ。ここんとこ生鮭使ってたから使う機会無かったしな。んじゃ、メインは鮭と……。
なんて思ってたら玄関の方から物音がした。
「……?」
冷凍庫を閉じて玄関の方を見る。けど、もう音はしていない。なんだろ。隣の部屋のヤツとかかな。何か落としたとか?
首を傾げてもう一度冷凍庫に向き直ったら、また玄関から音がした。今度はさっきより大きな音で、ドアに何かぶつかった後ずるずるとずり落ちる音がする。
ドアの前に誰かいる?
不思議に思ってドアスコープを覗いて見るが誰も居ない。あ、でもしゃがんでんなら写らねぇか?よく見りゃ下に誰か居るような?廊下の色とは違う濃いエンジ色の何か……てか、何かっつーか誰かってゆーか、そんなの1人しかいねぇじゃん。
深くため息を吐いてチェーンを外すとその音に気付いたのかドアの向こうからまた物音がした。のでドアを開いたら、移動が間に合わなかったらしいソイツにドアが当たって鈍い音を立てた。
「来たんならチャイムくらい鳴らせよ、悟浄」
そう言うとドアになぜか額をぶつけたらしい悟浄は、立ち上がりかけたまま額を押さえて唇を尖らせた。
「こんな早く帰ってきてるなんて思わなかったんだよ」
確かに。普段はこんな時間には絶対いねぇわな。つか、コイツ普段からこーやってたんだろうか。連絡くらい入れろっつーに。
それはともかく。
「傘は?」
「雨降るなんて聞いてねーよ」
つまり傘も持たずに学校へ行ってずぶ濡れになったワケね。
「とりあえず入れ。風邪引くぞ」
「へーい」
6月だといっても今日は肌寒い。濡れたまま外にいさせんのはちょっとな。身体を引いてドアを開いてやると、悟浄は大人しく中に入ってきた。
「あったけー」
ホッとした調子で言うと、悟浄は濡れた髪をかきあげた。その髪から雫がポタポタと落ちる。
「ちょっとそこで待ってろ。タオル持ってくる」
「あーい」
部屋に戻ってデカめのタオルを三枚持ってきて、一枚は床に、一枚は悟浄に渡して残りの一枚を頭に乗せる。
「捲簾?」
「お前は身体拭いてろ」
同時にやった方が早い。悟浄の頭に乗せたタオルで濡れた赤い髪をガシガシ拭いてやる。多少力が強かったのか拭くのに合わせて頭が揺れる。それても文句は言わないまま、悟浄は自分の身体を拭きはじめた。
「あーもー、靴の中までぐしょぐしょ……」
「脱いでタオルの上に上がれよ」
「ん。あ、靴下脱ぎたい」
「あいよ」
頭にタオルを乗せたまま手を離してやると、悟浄は立ったまま靴下を脱ぎ始めた。濡れた靴をなんとかしねぇとな。取り敢えず持ち上げてみただけで水がしたたる。こりゃ新聞紙でも積めておいた方が良さそうだなぁ。ひとまず壁に立てかけて……。なんてしてる視界の端で、短いスカートが揺れた。
「靴下脱ぐならしゃがめよ……」
「えー?メンドイじゃん」
立ったまま前屈の要領で靴下を脱いでるから、後ろからはパンツが丸見えだ。いつものことながらため息がでるわ。
「靴下よこせ。洗っとくから」
「サンキュ」
悟浄がタオルを頭と肩に掛けて俺に靴下を渡す。ホントにスゲェ濡れてんなー。水が滴り落ちそうだ。仕方ないので玄関のタタキの上で軽く絞る。
「ホンットサイアク。パンツまで濡れたし」
パンツまでって……。呆れて悟浄を見たら、ちょうどスカートのファスナーを下ろしたとこだった。
「お前……」
なにしてんの?って聞くより早く、悟浄がスカートをずりおろした。
「完全に張り付いてるし!」
ああ。スカートが足に張り付いて気持ち悪いのね。その気持ちは分かる。俺だってスーツが足に張り付いたら脱ぎたくなるだろう。それは解るが……。
「ここで脱ぐな!」
「なんで!?」
思わず頭を叩いたら悟浄の頭からタオルが落ちた。
「だって張り付いて気持ち悪ィし服絞らねぇと部屋の中まで濡れるじゃん!」
そりゃそうだけど!お前ホンット俺のこと男だと思ってねぇな!あーもー、無防備すぎんだろ。
溜め息を吐いて落ちたタオルを拾おうとして、ふと気付いた。ずぶ濡れの悟浄は当然ブラウスまでびしょ濡れだ。現在は6月なワケで、衣替え済みなのかコイツは上は白のブラウスしか着てない。で、更にコイツは普段ブラなんぞしちゃいない。
濡れて張り付くブラウスが透けまくって肌が透けてるどころか胸の膨らみと寒さで勃っているピンク色の……。
「!!!」
「うわっ!?」
拾ったタオルを悟浄に投げつけるように押し付け、そのまま手を引いてなんか喚いてる悟浄をバスルームに放り込んだ。コケちゃいねぇから大丈夫だ!多分!
「ちょ、なんなんだよ捲簾!?」
「いいから大人しく風呂はいってきやがれ!」
「俺、服着たままなんだけど!?」
「脱いだら寄越せ!乾燥機かけるからっ!」
叫んだ瞬間空気を読んでくれたのか、風呂からお湯張り完了のメロディが流れた。
「あれ、もしかして今風呂沸いたトコ?」
「そう!だから温まってこい!」
風呂汲んでて良かったー!コイツ何気に風呂好きだからこれで大人しく入ってくれるだろう!
俺の予想は当たったようで、ようやく大人しくなった悟浄は服を脱ぎ始めたようだ。あー…、アブネー…。なんかコレだけで残業以上に疲れた気がする。
「けんれーん。入浴剤入れたいー」
「ん。何がいいんだ?」
「ミルクのやつ!」
「ハイハイ」
普段から夜遅くまでウチにいることが多いコイツは、夏場なんかは来てすぐに風呂に入ることもある。その時に友達に貰ったとかで家じゃ使えないからと持ち込んでいた入浴剤のセットからご希望のミルクを探す。つか、床濡れちまってんな。洗濯回したら拭かねーと。
「入浴剤持ってきたぞ」
磨り硝子風になってるドアを軽く叩くと、向こうの人影も動いて、ドアが開いた。
「サンキュ」
「脱いだ服寄越せ」
隙間から生えた手に入浴剤を渡して、言ってから服が濡れてるのを思い出した。普通に受け取ったら俺が濡れる。
「桶にでも入れて渡してくんね?」
「わかったー」
良いお返事をした悟浄のシルエットがドアから離れる。それはいいんだが、オイ何で大笑いしてんだ。
「何笑ってんだよ」
湯船の蓋が開いてるせいでドアから湯気が溢れ出てきてる。火災報知器鳴りそうだな。脱衣場のドア一旦閉めるか。風呂から離れて脱衣場のドアを閉めてると、悟浄の風呂場特有の反響した声が後ろからした。
「だって桶って。今時ンな呼び方しなくね?」
「んじゃなんて言うんだよ?」
「洗面器とか?つか、コレ洗面器だろ?何で桶なの?」
「何でって……」
あー、そっか。最近一般家庭で風呂場に置いてあるのって洗面器が多いのかもな。風呂桶があったとしてもプラスチックだから見分けもつかねーかもだし。銭湯とか温泉なんてそうそう行く機会もねぇか。
……にしても。
「お前笑いすぎっ!」
「だ、だって!」
大笑いしてる悟浄の声が脱衣場まで響いてる。
「捲簾、若く見えるけどやっぱオヤジくせぇなーって」
「テメェ…」
オヤジとか言うな。まだそこまで歳くってねぇよ。そりゃJKのお前と比べたらオヤジだろうが、まだオニーサンで通してんだ!
て、怒鳴ろうと振り向いたら悟浄に桶に入った濡れた服を差し出されて言葉が途切れた。
「ヨロシク」
「お、おう」
笑顔で差し出された桶を受け取ると、悟浄は不思議そうに首を傾げた。
「どした?」
濡れた髪は首筋に張り付いていて普段みたいにサラサラとは揺れない。が、その下の膨らみはぽよんと揺れた。雨に濡れて風呂上がりみたいな髪、少し骨が目立つ肩、豊かな二つの膨らみ、両手で掴めそうな細い腰、そして桶を渡したせいで隠されてもいない腰から下の……。
思わず両手を伸ばして悟浄の裸の肩を掴む。ボトッと音をたてて床に桶と服が落ちた。
「床濡れるぜ?」
俺は落ちた服を視線で追う悟浄の身体をクルリと反転させると、そのまま無造作にバスルームへと叩き込んだ。
「ちょっ、なにすんだよ!?」
「いいからお前はとっとと風呂に入れ!!!」
信じらんねー!何全裸でしれっと立ってんだよ!?隠せよ!つか、普通に出てくるなよ!お前の羞恥心はどこ行ったの!?解ってねぇかもだけど俺、男だぞ!服だけ出せばいいんだよ!お前まで出てこなくていいよ!せめて恥ずかしがれよ!その方がエロくてそそる……じゃなくて、あーもー!
「何なんだよもー!」
「それはコッチのセリフだっ!」
力一杯バスルームのドアを閉めると、ドアの向こうで肌色の物体がしばらくブーブー言っていたが、少ししたら静かになって、入浴剤でも入れたのかはしゃぐ声が聞こえてきた。
疲れた。物凄く疲れた……。
まったくコイツは、いくつになっても子供でホント困る。身体は成長してるのに、中身が全く変わりゃしねぇ。せめて危機感……は無理だとしても、羞恥心くらいは持って欲しい。
ドアを閉めた体勢のまま大きく溜め息をついてたら、また肌色の物体が寄ってきてドアを押した。が、俺が押さえてるので当然開かない。良かった。
「けんれーん」
「今度はナニ?」
「お湯汲めない」
「は?ああ」
桶ここに転がってるわ。そりゃ汲めねぇ。……けど。
「……シャワー使え」
「へ?何でシャワー?桶取ってくれりゃいいだけ…」
「シャワーでいいの!」
俺はもうこのドアを開けたくねぇ!
悟浄は不思議そうに首を傾げていたが、やがて諦めたのかドアから離れてシャワーを使い始めたようだった。もう勘弁してくれ。
俺は大きくため息をつくと、ようやくノロノロと動き出した。まずは洗濯だな。濡れた服と使ったタオルを洗濯機に入れて回す。それから雑巾で床を拭いて、塗れた靴に新聞紙をクシャクシャに丸めて詰めて吊して……と。あ、タオルと着替えも出しといてやらねぇと。着替えっつっても、悟浄は良く家に来てるにもかかわらず、自分の私物を持ち込んだりはしない。だから、悟浄の服なんざこの家には無い。ま、着られりゃ何でもいいだろ。制服もすぐ乾くだろうし。
「悟浄。着替えここ置いておくぞ」
「サンキュ。もう乾いたの?早くね?」
「まだだよ。代わり。乾くまで裸ってワケにもいかねーだろ」
「俺の色気に悩殺されちゃう!?」
「アホか」
「ヒデェ!」
風呂場でまた悟浄が大笑いしてる。
「なぁ、それ捲簾の服?」
「当たり前だろ」
「パンツも?」
「俺のパンツはお前にゃデカすきるだろ」
「じゃ、裸彼シャツだな」
ホントコイツは何言ってんの……。
「けんれーん」
「んー?今度はナニ」
「一緒に入ろうぜ?」
「ぜってぇイヤ」
「ヒドッ!」
「酷くて結構。飯作ってくるわ」
これ以上悟浄にかまってると、どんどん疲れそうだ。割と良い時間にもなってきたしな。
夕飯を作るべく脱衣場を出て、ドアを閉めようとした瞬間、またも悟浄の謎な呟きが聞こえてきた。


「あーあ、外は濡れてんのになぁ……」


……そりゃ、雨降ってるからな。
なんて思いながら、俺は静かに脱衣場のドアを閉めた。





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