彼に初めて逢ったのは、SMまがいのプレイを散々楽しんだ帰り道だった。 その日の相手は軍人では無く少しだけ地位の高め……所謂中間管理職で、これからの天界人の生活についての分析を仕事としているお役所勤めのような人だった為、少々足を伸ばして遊びに行った帰りで、早く帰りたかった天蓬は、普段は余り訪ねる事の無い観世音菩薩の敷地へと足を踏み入れていた。 花の名前 −前編− はらはらと桜の花びらが舞う庭にその人を見つけたのは偶然だった。 偶々フワリと舞った風が天蓬の髪と花びらを巻き上げ、髪を乱した。邪魔になった顔にかかる髪を風の吹く方角へ顔を向けつつかきあげると、そこに一人の子供が居たのだ。 白い衣に身を包み、その金色の髪を風に遊ばせながら無言でただ静かに子供はそこに佇んでいた。 いつから居たのか、そこで何をしているのかも解らない。軍人で人の気配には敏感な天蓬が気付かなかった程に存在感が無い。まるでそのまま消えてしまいそうな程に。 興味を引かれて、天蓬は足を踏み出した。 白い陶磁器の様な肌、キラキラと光る長い金色の髪、まだ10を過ぎた頃であろう幼さを残した顔立ちは非常に整っていて、額には深紅のチャクラがある。おそらく高い身分の子供なのだろう。 かさりと天蓬の踏む草が音を立てると、その子供は閉じていた目をそっと開けた。 鮮やかな紫水晶が表れ、その瞳が天蓬を捉えた瞬間、天蓬の鼓動が奇妙に跳ねた。 ひたりと二人の視線が合う。 ふわりと、天蓬は良く人好きされると言われている微笑みを浮かべてみせた。この子供の興味を惹く為に。 けれど、子供は興味無さそうに、まるで目が合った事実さえなかったかのようにもう一度目を伏せめしまった。それも心底つまらなそうに。 「……」 今までの人生において、天蓬は他人にそんな反応をされたことは無かった。昔も今も、天才だからという以前に、天蓬の顔を見ただけで大抵の人間は天蓬に興味を持った。微笑みを浮かべてやれば快く思っていない相手さえも頬を赤らめた。稀に一目で反感を抱く人間もいたことはいたが、それでも無関心な態度は示さない。 その天蓬相手に、しかも目が合って微笑んでやったにもかかわらずその態度だ。すっと、天蓬の瞳が冷ややかな光を帯びる。 わざとサクサクと音をたてて子供に歩み寄ると、その正面に天蓬は立った。子供の身長は天蓬の胸ほどしか無く、間近に立てば子供の姿は桜と天蓬とに隠されて誰からも見えなくなる。目を閉じていても光が遮られた事には気付くだろうに、子供はピクリとも動かない。 「こんにちは。こんなところで何をしてるんですか?」 天蓬は優しげな声で、子供に話しかけてみた。すると、ようやく子供の目蓋が持ち上がる。 「……お前には俺が何かしているように見えるのか?」 可愛くない。 思わず笑顔がひきつるのを気合いで押し止め、天蓬はめげずに更に話し掛けた。 「この時間は天帝城内で講義が有りませんでしたか?」 家柄が一定以上の10歳前後の子供を対象とした、くだらない刷り込み講義だ。けれどこんな所に居るくらいのだからその対象者である可能性が高い。でなくば、それ以上の家柄か、もしくは見た目と年齢がかけ離れているか。 「あんなモンは不要だとババアが言ったんだ」 責められてると取ったのか、嫌そうに子供が答えた。 「ババア?」 「観世音菩薩だ」 あの観世音菩薩をババア呼ばわりとは。観世音菩薩は天界でもかなりの高位の神だ。天帝城のすぐ側に観世音菩薩の所有する区画がある程の力の持ち主。とするとこの子供は観世音菩薩の関係者だろう。 「貴方名前は?」 ポロリと思わず単刀直入に出た天蓬の問いに、子供は眉間に深い皺を刻んた。 「人に名前を聞く前にまずテメェが名乗るのが筋ってモンだろうが」 言っている事はもっともなのだが、それにしてもなんと偉そうな態度なのだろうか。 それでも、上級神のそういう態度には慣れている天蓬は何事も無かったかのような微笑みを浮かべ直すと、囁くように子供へ名を告げた。 「これは失礼しました。僕は天蓬と言います。西方軍所属の……端的に言うなら軍人ですね」 天蓬の顔立ちで軍人と言うと、大抵の人間は驚く。それを見越して付け足した一言だったのだが、子供は相変わらず興味無さそうな顔でどうでもよさそうに口を開いた。 「金蝉だ。位は特に無い」 興味無さそうにしている割には天蓬が位を名乗ったのに合わせて自らの身分も告げてくれるところをみると、律儀な性格らしい。または温室育ちか。 「観世音菩薩とはどういう御関係で?」 観世音菩薩の所有する区画に一人で、しかも天帝城の講義に出もせずに居るのだから、かなり濃い関係なのではないだろうか。 「甥だ」 観世音菩薩がこの子供の甥だと言うことはないだろうから、この子供が観世音菩薩の甥だと言うことだろう。子供なのに、自分から見た観世音菩薩の続柄ではなく観世音菩薩から見た続柄を告げるあたり、幾度と無くこの問いかけをされているに違いない。 それにしても、観世音菩薩の甥とは。 天蓬は直接観世音菩薩と会った事は無いが、その噂は聞き及んでいる。美しく尊大な両性具有の上級神。面白いことが大好きで粗野な言動とは真逆の手腕を持つキレモノだとか。 というか、今何か聞き流してはいけない言葉があったような。 天蓬は改めてまじまじとその子供を見つめた。整った顔立ち、大きな垂れ目の紫色の瞳、白い肌に桜色の頬と唇、眩い金色の長い髪。 「甥……」 「それがどうした?」 確認のために繰り返してみれば逆に何を聞いているのかと言わんばかりの態度に、その言葉が言い間違いなどでは無いことが解る。と言うことはつまり、この美少女と言っても過言ではない子供は男の子だと言うことだ。 自意識過剰と言うわけでは無く、そして人の顔の美醜には興味も無かったが、それでも自分の顔が整っている事は自覚していた天蓬の顔に興味を示さないのも当然である。自分が大物だと思っていたわけでは無いが、考えていたよりもずっと小物だったことに気付き愕然とした瞬間だった。 特に他意のない子供の怪訝そうな視線に、天蓬は溜め息を吐くと、改めて子供に笑顔を向けた。 「良かったら、僕と友達になっていただけませんか?」 その言葉に子供は驚いた顔をした。 天蓬はそんな子供の事をもっと知りたいと思ったのだ。 調べてみると、あの子供―――金蝉はあの言葉通り、観世音菩薩の甥だった。観世音菩薩が金蝉の余りの可愛さに外に出さずに育てているのかと一瞬疑いもしたが、そうではなく単に本人の性格に寄るものらしかった。と言っても人嫌いだとか(決して好きでは無さそうだが)他人を見下していたりといった事ではなく、単に何にも興味がなく他人との距離を計りかねている末の事のように天蓬には思えた。天界には死というものが存在しない。それは、人が増え続ける事と同義で、その為か出生率は果てしなく低い。子供が同じくらいの年齢の子供と出会う確率も低く、更に彼の身分を考えれば友達など無理難題である。 そんな事情は知らないまま友達に立候補した天蓬であったが、あの日は結局侍女が彼を迎えに来てしまい、返事を貰えなかった。しかし、そんな事で諦めるような性格はしていない天蓬は、3日経った今日、改めて彼の部屋へと足を向けた。断られはしなかったのだから、満更でもないのだろうと予測しながら。 観世音菩薩の棟は広い。その何処に彼の部屋があるのかは解らない天蓬は、取り敢えず先日彼と会った桜の下へ行ってみた。 はらはらと舞い散る桜の下。しかし、今日はそこには誰も居なかった。 「ですよねー」 そう簡単に会えるとも思っていないし、そう簡単に会えてはつまらない。天蓬は少し首をかしげながら白衣のポケットから煙草を取り出すと火をつけた。甘い香りの苦い煙を肺へと送り込めば、頭がスッキリする。 「とりあえず、誰かに聞いてみましょうかね」 のんびりと廊下へ戻りあてどもなく歩き始めると、直ぐにここに務めていると思われる女性を発見した。 女性が運ぶには少々多そうな書簡を持って歩いている彼女が正面から歩いて来た天蓬に気付いたのを見て、天蓬はふわりと人好きのする微笑みを浮かべて口を開いた。 「重そうですね。持ちましょうか?」 その微笑みと優しい言葉に、女性が頬を赤らめる。 「いえ、仕事ですから」 「でも重いでしょう? お手伝いくらいさせてください。ね?」 微笑みながら手を差し出せば、女性ははにかみながら承知してくれた。上の方の書簡を纏めて持つと、天蓬は彼女の進行方向に合わせてくるりと踵を返した。それに気付き彼女は伺うように聞いた。 「どこかに行かれるところだったのではありませんか?」 「ええ。そうなんですが、部屋が解らなくて」 肩を竦めて苦笑して見せれば、彼女はお礼が出来ると思ったのか、微笑みながら天蓬に聞いた。 「私はここに仕えておりますので、多少はお役に立てるかもしれません。どちらをお探しでしょうか?」 「有り難うございます。実は金蝉童子のお部屋を探していたんです」 「金蝉様の……。失礼ですがどんな御用件で?」 明らかに見慣れない上に不案内である天蓬は、いかに彼女に好感を持たれようともただの外部の者だ。不審者である可能性もある。当然の警戒に流石観世音菩薩に支える侍女だと感心しつつ、諦める気の無い天蓬は彼女に優しく微笑んだ。 「友人なんです。と言っても成り立てですが」 「友人……?」 「ええ。この間知り合いましてね。失礼ながら余り子供らしくない方だという印象を受けまして、それで友人に立候補したんですよ。ここでは同じ年頃の友人を作るのは難しいでしょうから。金蝉様は身分も高いので尚更」 「……そうなんですよね。もっと子供らしく笑ったり我が儘を言ったりしてくださると良いのですが」 「僕が、そのお手伝いをしますよ」 「え?」 「此処にお務めされる方では仕事と思われてしまい、難しいでしょう? その点僕なら彼と何の関わりも無いので心を開きやすいかもしれません」 「……」 「まだ成り立ての友人で、僕の一方通行かもしれませんが、ちゃんと心を開かせてみせますよ」 「…………あの、お名前をお伺いしても?」 「ええ。僕は天蓬と言います」 「では、念のため金蝉様にお伺いしてみますね」 「有り難うございます」 取って置きの笑みを浮かべ彼女を見詰めると、彼女は頬を赤らめてはにかんだ。 それから書簡を届けると、二人は金蝉の部屋の前までやって来た。侍女が扉をノックすると中から子供の声がした。 「開いている」 「失礼します。金蝉様のご友人とおっしゃる方をお連れしました」 扉を開けた彼女はまだ一応天蓬を警戒しているらしく、天蓬を室内に入れようとはしない。 「友人なんかいないが……」 「ですが、お客様は友人だと……」 「名は何と言う者だ?」 「天蓬でーす! 金蝉、部屋を教えてくれなかったから探しちゃいましたよ」 侍女の後ろから身を乗り出して顔を見せると、彼は目を丸くして天蓬を見た。 「お前、この間の……」 「先日はどうも。あと、僕は貴方の友人第一号なんですから忘れちゃ嫌ですよ?」 「ふざけんな! 友人になんかした覚えは無い!」 「えー、嫌なんですか?」 勢いで怒鳴った金蝉に天蓬はわざと悲しそうな顔をつくって見せると、金蝉はあからさまにうろたえた。 「い……、嫌ってワケじゃ」 頬を僅かに赤く染め、拗ねたように言う可愛らしい様子に、天蓬だけでなく侍女も思わず微笑む。 「では、私は失礼いたしますね。天蓬様、金蝉様をどうぞよろしくお願い致します」 「ええ」 天蓬の答えに、満足そうに微笑むと侍女はそのまま退室していった。すると、部屋に沈黙が落ちた。 何とか金蝉に再会するのには成功したものの、さてこれからどうしようかと天蓬が思案していると、あまり話さなそうな金蝉が先に口を開いた。 「何が目的だ」 その言葉から、これまでにも彼の身分や彼に取り入る為に彼に近付いたものが居たことが解り、これは一筋縄では行かなそうだと天蓬は思った。 まぁ、その方が面白いですけど。 そう考えつつも、少しだけこの子供に同情もしてしまう。観世音菩薩に取り入るための道具として近付いてくる者は、決して彼自身を見たりはしないだろう。そんな大人たちの中で子供らしくなんていうのは、無理な話なのかもしれない。そして、天蓬だけは信用しろと言うのも。それでもそのまま放置などする筈も無いが。天蓬に取ってはこの子供の信頼を勝ち取るのもゲーム感覚で楽しそうな出来事としか認識されなかった。 「目的ですか。そりゃ当然、貴方に取り入って観世音菩薩に近付こうかと……ね」 「……正直なヤツだな」 金蝉が思っているであろう言葉を言ってみた天蓬に、金蝉は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。そして、拗ねたように目をそらした。 「お前の正直さに免じて教えてやる。あの方は俺のお気に入りになったからといって近付けるようなヤツじゃないぞ」 「おや、それは安心しました」 「は?」 「だって今の嘘ですもん」 「はぁ?」 「そんな誤解されたくないですからね、僕も」 アハハと笑う天蓬に金蝉は一気に不機嫌になり、眉間に皺を寄せた。それに気付いた天蓬は金蝉のところまで歩いていき、眉間の皺をつついた。 「皺出来てますよ〜。ほら、笑って笑って」 「……誰のせいだと」 「僕のせいなら責任取らないとですね」 そう言うと天蓬は真剣な顔で金蝉の眉間の皺を伸ばし始めた。 「よせ!」 「責任取れって言ったの、貴方じゃないですか」 「そんな責任の取り方はいらん!」 「もー、我が儘だなぁ」 天蓬がからかい半分おふざけ半分でそう言った時、金蝉の動きが止まった。地雷でも踏んだかと天蓬が金蝉を見ていると、俯いた彼は小さな声で言った。 「我が儘だなんて言われたのは初めてだ……」 その言葉に今度は天蓬が目を目を見開いた。 「俺は今我が儘を言っていたのか?」 我が儘の言い方も、どんなものなのかも解らないかわいそうな子供。天蓬の胸に興味意外の感情が初めて湧いた。この子供に普通の、当たり前な人間関係と感情を教えてあげたいと。 「これから覚えていけばいいんじゃないですか? 貴方ならできるでしょう?」 「しかし、一人じゃ……」 「もう一人なんかじゃないでしょう? 僕がいるじゃないですか」 驚いて顔を上げた金蝉に天蓬はふわりと微笑んだ。 「僕らもう友達ですよ」 「友達……?」 「ええ」 「……そうか」 呆けたようにそう呟くと、金蝉は顔を上げて天蓬に微笑見返す。 「よろしく頼む」 おずおずと付け加えられた言葉に、天蓬は撃沈したのだった。 |
花吹雪 二次創作 最遊記