無くしたくない場所


「だーかーら、あれほど無理すんなって言っただろぉが…」
あきれた顔で悟浄がぼやいた。
「40度2分…か」
三蔵が神妙な顔つきで体温計の目盛りを読む。
「なぁ、大丈夫か?」
心配そうに悟空に覗き込まれて、八戒は思わず笑ってしまった。
「大丈夫ですよ、悟空。無理したつもりはなかったんですけど。すみません、明日には治しますから」
その言葉に悟浄はあんぐりと口を開けてしまった。
「ざけんなよ…、その熱が一晩で下がるかっての」
「万一下がったとしても、安静だ」
三蔵がすぱっと言い切った。
「出発はしばらく見合わせだ。俺がいいと言うまでお前は絶対安静だ」
半ば強制的に八戒の休暇を決めた三蔵に、悟浄が心の中で感謝する。所詮彼らはお付きの身であった。
「すみません…三蔵」
八戒がすまなそうに謝る。すると三蔵は嫌そうに顔をしかめた。
「これに懲りたら次は悪化する前にどうにかしろ」
目を見開いた八戒の視線の先で悟浄もそうだと言いたげにこちらを見ていた。
どうやら数日前から調子を崩しているのはお見通しだったらしい。
心配してくれてたんですね。
それがわかって、自然と笑みがこぼれでる。
「ありがとうございます。それじゃ、お言葉に甘えさせていただきますね」
「そうしとけ」
悟浄が八戒の髪をくしゃっと混ぜる。
その感触に、ふと、出会った頃を思い出す。
寝込むのなんて、あれ以来ですよ。
すっと、八戒が目を閉じたのを見て彼らは部屋を出た。

「で、どうするよ?」
廊下の壁に背を預けた悟浄が、煙草の煙を吐きつつ問う。
今日の部屋割りのことである。一応、誰かが八戒の看病をするよう二人部屋を二つ取ってある。
「お前でいいんじゃないのか? 八戒も気兼ねがなくていいだろ」
長いつき合いだしな、と三蔵が言う。
「そ? じゃ、それで……」
「俺がする」
「あ?」
悟浄と三蔵の声が重なった。
「俺が八戒の看病する。だめ?」
はっきりと悟空が言い切った。
「駄目ってコトはねぇケド…」
「できんのか?」
「できる」
「騒ぐなよ、寝るなよ、我が儘もいうなよ?」
「わかってる」
「悟浄、いいか?」
三蔵が、聞いた。
悟浄に特に否定するべき理由はない。ただ少し心配なだけで。
戦闘面や、その人間性は別として、病気や…この場合風邪だが…家事などの面では三蔵ほど、悟空を信じ切れないだけで。
でも。
「ま、あのくらいの熱なら死にゃあしないだろうし?」
と、結論を出して。
「なんかあったら呼べよ」
「うん」
悟空に全て任せることにした。
「悟空」
三蔵が、部屋に戻ろうとした悟空を呼び止める。
「うつるんじゃねえぞ」
「わかってる」
少し、嬉しそうに笑って悟空は部屋に戻っていった。
廊下に残された二人は、黙って煙草を吹かしている。
「心配してんだ、一応」
悟浄がそう冷やかすように言うと、三蔵は少し沈黙してからぼそりといった。
「うるせーからな」

ぱたん。
部屋の扉をできるだけ静かに締めて、悟空は八戒を見た。
呼吸は意外と落ち着いている。
そろそろと八戒のベッドに近づくと、その顔を覗き込んだ。
少し、いつもよりも赤みが増している頬。
規則的に上下する胸。
疲れがでたんだろうな。
苦しそうではない寝姿に、ちょっとホッとして、悟空は隣のベッドに腰掛けた。
いつもは、悟空よりも八戒の方が早く起きる。
だから、こんな風に八戒の寝顔を見るのは初めてかもしれない。
静かだな…。
その上下する胸を見なければ、まるで死んでいるような。
むしろ人形のような?
時折、不安になって彼の唇の辺りに手をかざすと、かすかに呼吸しているのがわかる。
それに安心して、また、彼を見る。
ずっとずっと見ていた。

「ん……」
どれくらい時間がたっただろう。
ふと、八戒の目が開いた。
その、翡翠の瞳に捉えられて悟空はすこし笑った。
「調子、どう?」
「あつい…です」
「でも駄目だよ、布団取っちゃ」
聞き分けのない子供に言うような彼の言葉に、八戒は笑った。
「わかってます」
「だよな」
つられて悟空も笑った。
「ね、苦しくない? 辛くない? なんかして欲しいことある?」
矢継ぎ早に言う悟空に、八戒はなんだか嬉しそうに笑う。
「大丈夫です。そんなに気を遣わないでください」
「でも、八戒病気だし」
悟空が一生懸命気を遣ってくれるのはありがたいが、八戒としてみれば子供に心配をかけているような気がしてしまう。
枕元で心配そうに覗き込む悟空の頭を撫でて、八戒は言った。
「本当に僕は大丈夫ですから。悟空もゆっくり休んでください」
「でも……」
言いかけて、悟空は唇を噛んだ。
「八戒、俺に気を遣ってる? やっぱり悟浄とかのがイイ?」
「え?」
「八戒、俺のこと子供だと思ってるだろ。だから、そうして心配かけないようにしてるんじゃない? 別に、それが悪いって言うんじゃないんだ。そりゃ、やだけど…。でもさ、だから、八戒が悟浄とか三蔵と一緒の部屋のが気を遣わなくていいっていうなら、俺、部屋変わるよ?」
悟空の言葉に、今度は八戒が詰まる番だった。
「無理してる方が良くないもん。はっきり言ってくれてかまわないよ」
そう、きっぱりと言い切った悟空の手が震えていた。
それに気が付いて、八戒はふわりと笑った。
「そんなことありませんよ」
手を、そっと握ってやる。
「悟空に気を遣って大丈夫って言っているわけではないです」
「……ホント?」
「はい」
ぱあっと、悟空の顔が明るくなる。
つられて八戒も笑った。
「ね、ホントにして欲しいこととかないの?」
もう一度悟空が聞いた。
「ええと、…そうですね。あ、汗が気持ち悪いのでタオルが欲しいです」
「着替えはいい?」
「お願いできますか?」
「うん」
そう言うと八戒の荷物をごそごそとあさる。
「これでいい?」
「はい」
悟空の手渡しくれた服を受け取る。
「身体、拭いてあげる」
濡れタオルを手に、悟空が言った。
「いいですよ、そんな。自分でできますから」
「いいの、やらせて」
すでにやる気になっている悟空を無下に断るのもと躊躇していると、悟空が八戒の洋服に手をかけた。
「ホントにいいんですか?」
「まかせてよ」
「じゃあ、お願いします」
八戒がそう言うと、悟空は嬉しそうに笑った。
まるで子供がお手伝いを許されたときのように。

「そういえばさ…」
八戒の背中を拭きながら、悟空がふと思い出したように言った。
「風邪って、汗をかけば治るっていうよな」
「え?」
八戒が、問うより早く悟空の舌が背を舐めた。
「…っ」
びくっと、身体が跳ねる。
その反応に気をよくしたのか、悟空の手が八戒の腹を滑って傷跡をたどる。
「悟空…!」
「ナニ?」
あまりにもいつも通りの返事に、一瞬問う言葉を忘れてしまう。
と、その手が八戒の下肢に伸びた。
「や、やめてください!」
慌てて悟空の腕を掴むが、力でかなうわけはなく、あっさりと押さえ込まれてしまう。
ただでさえ熱があるのに、さらに熱をくわえられ頭がくらくらする。
倒れ込んだ八戒の胸にキスして、悟空は跪いた。
「大丈夫」
「なにが……」
言葉は最後まで発す事ができずに不自然に途切れた。
悟空の口に、八戒自身が含まれたからである。
「悟空っ……やめっ…」
「汗かけば治るって言うじゃん」
「でも、安静にとも……」
「八戒は安静にしてればいいよ」
「うつります…!」
悲鳴のような声に、悟空は少し笑った。
「俺、バカだから平気だよ」
そして、八戒から口を離すと問う。
「八戒は、俺のこと嫌い?」
驚いて、悟空を見ると、彼は悲しそうに笑っていた。
「俺、八戒が好きだ」
「え…?」
「気が付いてなかっただろ。ずっと、初めて会ったときから好きだったんだ」
そんなこと、考えたこともなかった。
「言うつもりなんて、なかったんだけどさ。ホントは」
少し寂しそうに、悟空は言う。
「八戒は」
不意に問われて八戒は戸惑った。
「八戒は、俺のこと嫌い?」
好きか嫌いかと問われれば、それは嫌いではない。
けれど、どちらかといえば好きだけれど、でもそれは悟空の言う意味とは違うだろう。
そもそも、悟空が自分をそう言う意味で好きだなんて考えたこともなければ、男同士で恋愛云々なんて考えたこともなかった。
「こういうこと、俺にされんのは死んでも嫌?」
卑怯だ。
答えられない問いを敢えて問う。
死んでも嫌なんて、そこまでは思えなかった。
躊躇する八戒の頬を撫でて、悟空は彼にキスをした。
「嫌なら嫌だって言って。そしたら、そしたらやめるから。八戒の前から、消えるから……」
「……っ! 卑怯ですっ!」
そんな二者択一できるわけがない。
決して悟空のことが嫌いではないのだ。
それが彼の望むモノと形が違うとは言え、彼のことが好きなのだ。
けれど、悟空はどちらかを選べと言う。
果てしなく卑怯な問い。
悟空が笑った。
「わかってるんだ。でもさ、そのくらい俺、八戒のことが好きなんだ」
頬に触れる指の震え。
らしくない、笑顔。
熱のせいだろうか。
それでもいいなんて思ってしまった。
悟空と別れるくらいなら、二度と会えないくらいなら、この身体くらい。
そんなもので、人がつなげるならば、いいかなんて思ってしまった。
その程度には悟空のことが好きで、そしてなにより4人でいるあの場所が好きだった。
あの場所を、こんなちっぽけなモノで守れるなら、それでもいい。
身体になんか価値はない。
身体を繋ぐ事なんて簡単。
悟空がそれを望むなら、それでもいい。
そう思って、八戒は目を閉じた。

花吹雪 二次創作 最遊記