午後4時を過ぎた頃、仕事をしていたの携帯にメールが届いた。 ちょうど手が空いた時間で、まわりを見渡してもとても忙しい人は見あたらなかったから、トイレに行きながらメールを開く。 『今夜、お暇ですか? 良かったら一緒に食事に行きませんか? 花喃』 携帯アドレスを教えたのはずっと前なのに、花喃からのメールは初めてではちょっとだけ驚いた。 悟浄なんかは暇さえあればどうでも良いような内容のメールを送ってくるし、八戒もまめに生活情報なんかを送ってくれるけれど、花喃とは良くあうわりにメールのやりとりはほとんど無かった。 それにいきなり食事のお誘いなんて、珍しい。 はバッグから手帳を取り出して今日の日付をチェックしてみたけれど、今日は特別用事は無い。今の時間の仕事具合からみても、今日はきっと残業も無く、定時であがれるハズだ。 「いいよ……と」 余り長くトイレにこもっている訳にもいかないので、用件だけ返信して はトイレを出た。 さっさと仕事を終わらせるぞ…と意気込みながら。 待ち合わせの時間の5分前に待ち合わせ場所に着くと、花喃はもうそこにいて、が声を掛けるよりも先にに向かって微笑んだ。 「ゴメンね、いきなり誘っちゃって」 「ううん、大丈夫」 そう、用事は全くなかったし、友達と出かけるのは楽しいからそれは全くかまわなかった。 ただ。 「このホテルの最上階なの」 花喃は微笑んでエレベーターへと歩き出す。 その後を歩きながらは辺りを見回した。 花喃がメールで「正装してきてね」と言ったのがと言った理由が一目で解る。 「ねぇ、先に聞いて置くけど、高いよね……?」 エレベーターに乗り込んだのが二人だけなのを良いことに、が声を潜めて聞くと、花喃が一瞬驚いた顔をしてから楽しそうに笑った。 「高いよv でもいいの。今日は私の奢り」 「え? でも…」 「ホントはね、悟能と来るつもりで予約もしちゃってあったの。でも悟能が3時頃になって急に行けないって言ってきたものだから、困ってたのよ。その時間じゃキャンセルも出来ないし、どうせ同じお金を払うなら、誰かに来てもらいたかったの」 「でも……、払うよ、半分」 「いいってば。が来てくれて、私本当に助かったんだもの。一人じゃ来れないし、こんなとこ。それに、私の好きなコースで頼んじゃったから、お願い、奢らせて? 感謝の気持ち。ね?」 花喃が可愛く小首を傾げてお願いしたところで、エレベーターが最上階に到着した。 ゆっくりと扉が開くとそこは最上階ワンフロアに入っている、どのグルメ雑誌を見ても乗っているようなフランス料理店だった。 「いらっしゃいませ」 上品そうな店員が微笑みながら頭を下げる。 「2名で予約させていただいた猪です」 「承っております。こちらへどうぞ」 店員に案内されたテーブルは、窓際の、夜景がとても綺麗に見える席だった。 椅子を引かれ、は椅子に腰掛ける。 「電車で来た?」 「ん」 「良かった。ワインのボトル、一人じゃ開けられないから」 花喃が微笑んで、を見た。 「ふふ」 店員がワインを一本持ってきて、コルクを抜く。 ゆっくりと注がれる赤い液体を何の気になしに見つめていると、花喃が少し目を細めた。 そしてグラスを持ち上げ、が同じようにして持ち上げたそれとふれ合わせた。 「乾杯」 なんだか寂しそうなその様子に、はワインを口に含むと問いかけた。 「彼氏とかじゃなくて良かったの?」 「ん。今日はそういう気分じゃなくて」 ワイングラスを見て笑った花喃に掛ける言葉が見つかるよりも早く、オードブルがテーブルに運ばれてきた。 「わあ、おいしそう!」 嬉しそうに笑って食べ始めた花喃にもフォークとナイフを取った。 「おいしかったね」 満足そうな笑みを浮かべた花喃に、も笑う。 「ん。最高」 食後のコーヒーを飲みながら二人でぼんやり窓の外の夜景を眺めていると、ウエイターがやってきて、テーブルに小さなキャンドルを置いた。 押し花が付いている綺麗なキャンドル。 「火を灯させていただいてもよろしいでしょうか?」 静かにそう問うと、不思議そうな顔をしているの前で、花喃が静かに頷いた。 「お願いします」 かちっという音と共に灯された小さな炎。 見ればどのテーブルにも小さなキャンドルが灯り、静かに店内の照明が落とされた。 どうしてだろうと、がただ単純に疑問に思ったそのとき、キャンドルを見つめていた花喃がぽつりと言葉を発した。 「私の両親も、飛行機事故だったの」 そこで初めて今日が何日で何の日だったかは思いだした。 9月11日、NYテロの、貿易センタービルのあの事件の、日。 「あの事件とは、何の関係も無いのに」 花喃が、ひどく悲しそうに笑んだ。 「思い出しちゃう」 静かに、涙をこらえるように彼女は瞳を閉じると静かに指を祈りの形に組んだ。 「もう、何も奪われないことを……」 静寂が、広い店内を充たしていた。 祈ることが、何かになるなんて思っていないけど、それでも、私に出来るたったひとつのことはそれだけで。 も、静かに指を組みキャンドルの炎を見つめてから静かに瞳を閉じた。 もう何も奪わないで。 |