【娘の成長 5 】

娘が、三原の病院に通っている間、
お兄ちゃんが、広大に検査に通い、「高機能自閉症」の診断がおりた。
高校に進み、私は一安心をした。
この事が、娘の中に引っかかっていたのだろう。
3年生の始めに、また、ビックリする事があった。

朝、いつもの様に主人・息子・下の娘を送り出し、
一休みして、リビングに下りていったら、
娘が横になっていた。
普通に横になっているのかと思って声をかけるが、反応がない。
覗き込んでみると、顔色が悪い。
何回も声をかけ、身体を揺さぶってみるが
声を出す事はできるが、身体を動かす事がほとんど出来ない!
「激うつ状態」になっていた。

私は、すぐに広大病院に電話をし、
とにかく、診察だけでもとお願いをし、広島に車を走らせた。
病院に着き、娘は初診だったので、
とにかく、診察と、次の診察までのうつの薬を出してもらった。
身体が震え上がった一日だった。

私が広大病院にこだわったのは、
息子の件があったからだ。
広大病院の精神科には、「思春期外来」が設けられており
この辺りでは有名な先生がいる。
ただ、簡単には診察を受けられないのが実情だ。
先生が忙しいので、週に1日、午前中のみというものだからだ。
それでも、やはり、息子の診断をきちんとしていただいた事が
やはり、一番の理由だろう。
娘自身も、「自分の診断」をはっきりとして欲しかったのだろう。

病院の方が、手配をしてくれて、
お兄ちゃんと同じ先生の予約をとってくれた。
これを期に、しばらくの間通う事となる。
2週間に1回の通院。その為の交通費。
その上に、薬が専門薬の為かめっぽう高い!
涙が出そうに、お金が出て行った。

通院しだしても、「これ!」という薬にはなかなか出会えず、
不眠の薬も、なかなか効き目を発揮せず、
娘にとっても悶々とする日が続いた。

そんなある日、恐れていた事が起こった。

仕事に出ていた私は、学校から緊急連絡をもらう。
「すぐに学校に迎えに来てください」と言うものだった。
ちょうど、その日は講義が午前中で終わった日だったので、
すぐに学校に向かった。

学校に迎えに行き、話を聞き、愕然とした。
まず、朝、学校に行く為に家を出たようだが、
貧血状態で、家のすぐ側で座り込んでいたそうだ。
そこを、通りかかった人が、家に誰もいないからと
とりあえず、学校に連れてきてくれたそうだ。
その、原因は・・・
そうだ。リストカットだったのである。
リストバンドを除けて、もっとビックリした。
以前は、引っかいたような傷だったのが、
今回はそんなものじゃなかった。
深い切り傷が何本もあった。
すぐに、病院に連れて行った。

外科の先生も、ビックリしていた。
救急の処置室に入り、縫ってもらった。
全部で、21針。
縫っている間、娘の側を離れる事ができなかった。
これを期に、リストカットの事を考えるようになったのか、
この後も、少しの間、小さいカットは続いたが、
その後、ピタリとしなくなった。
現在は、リストカットは全くしていない。

この年はいろいろな事があった。
体育祭は不参加。
12年続けたモダンバレエも辞めてしまった。
そして、かねてから希望していた「東京」にも行った。
チャット仲間との「オフ会」に出たい・・というものだった。
全国各地の、中・高校生が、バイトをしたりして夏休みに集まると言うのだ。
「どうしても、行きたい!!」という娘に拝み倒され、
秋に主人と行く予定だった北京旅行の私の分を当てて、
東京に連れて行った。
一人で行かすわけにもいかないので、一緒に行った。
朝、飛行機に乗り、新宿のアルタ前に集合だったので連れて行った。
宿泊は品川駅のすぐ前だったので、
帰りは遅くならないうちに、品川駅まで帰ってくるようにと伝えて
私は、娘と別れた。
夕方6時くらいまで、楽しく過ごしたみたいだ。
ホテルに帰ってからは、疲れたのか爆睡した。
まだまだ、睡眠のリズムは出来ていないのに
少し無理をして起きていたのだ。
次の日は、朝をゆっくり食べて、原宿に行った。
そして、寄り道をしながら、帰宅した。
この日は、娘にとっても、楽しい1日だったようだ。