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「イスラエル・パレスチナ合同アクション・グループ」
(イスラエル反戦団体「グッシュ・シャローム」からの2003.6.29付E-mail/ 翻訳:脇浜義明)

 2003年6月28日、ラマラで平和のためのイスラエル・パレスチナ合同アクション・グループ結成のための創立会議が開かれた。以下はその報告。

「我々はフドナ(休戦)への動きと、暴力・流血・双方の市民殺傷のサイクルを断ち切る契機が近づいてくる気配を歓迎する。しかし休戦は正常化への一歩にすぎない。恒常的な安定した平和は、憎悪と流血の根本原因である占領が完全になくならない限り、達成されない。それの達成は、指導者や政治家や外交官だけに任せておいて実現できるものではない。草の根レベルにおける日々の平和への闘い、双方の意識的な市民による共同行動が必要である」。
 上記は、2003年6月28日午前、ラマラに集まった200名強のイスラエル人・パレスチナ人反戦活動家のムードを代弁する発言であった。「平和のためのイスラエル人・パレスチナ人合同アクション・グループ」結成会議である。
 イスラエル側参加者は、この会議へ出席するためには、ラマラ入口にあるイスラエル軍検問所カランディア・チェックポイントを通過しなければならなかった。パレスチナ人の行列に混じって検問を待っていた数十人のイスラエル人は、結局軍から通過を拒否された。チェックポイントを避け、困難で危険な抜け道へ迂回した者たちだけが、ラマラの集会場所へ着くことができた。しかし集会後の帰路、カランディア・チェックポイントを経由したため、兵士は彼らの名前や身分証明書の番号等を念入りに記録し、「お前たちは軍令に違反したかどで告訴される」と脅迫した。軍令というのは3年前に出た布告で、一般イスラエル人のパレスチナの町や村(A地区)への出入を禁止したもの。
 「平和を求めるイスラエル人が平和を求めるパレスチナ人に会うためにここへやってきて、いっしょになって一つの共同組織を作った ― この事実こそが、もっとも重要な我々の宣言である。イスラエル政府は平和を求めるイスラエル人がラマラに入ることを禁じている。それは軍隊と入植者だけの特権である。しかし我々はやってきた。そしてパレスチナの友人たちに、我々は敵ではない、共通の敵は占領である、と表明する。我々の目的はあなた方の目的と同じで、いっしょになってイスラエル国とパレスチナ国の間に平和を作り上げることだ」とベン・グリオン大学のレヴ・グリンベルグ博士が演説した。
 これに対し、パレスチナ側オルガナイザーの一人であるハナン・アシュラウィは次のように語った。「こんなに多くの平和を求める人々が集まってくれたことを心から喜び、心から歓迎します。私たちみんなにとって、パレスチナ人・イスラエル人双方にとって共通する運動のやり方は、安全保障という概念に立脚しています。軍事的な意味での安全保障ではありません。相互信頼を構築し、相手が人間であることを認識・尊重するという人間的な意味での安全保障です。両民族の間に突出してある最も困難な問題、入植地・難民・エルサレムなどの課題を、先送りしたり、見ないですむように棚上げしたりしないで、正面から取り組んで正しく解決すべきです」。
 この会議実現に中心的な役割を担ったウリ・アヴネリは、新組織の行動計画を次のように説明した。
1) 3ヵ月以内に、すべての困難な問題の解決方法案を含んだ詳細な和平協定草案のモデルを作成する専門委員会を立ち上げる。
2) 南アフリカのデスモンド・ツツ司教が座長を務めた「真理と和解委員会」をモデルに、同様の委員会を設立、そこで過去一世紀の歴史を、苦しくても正しく直視し、両民族が妥当と認めるような歴史記述を用意する。
3) イスラエル、パレスチナ、インターナショナルの各報道機関と対処する共同の部局を設立する。
4) パレスチナ人から根こそぎ土地を奪う分離壁や、パレスチナ人の日々の生活を破壊する道路封鎖や、その他の問題に対して、デモやキャンペーンや闘いの具体的取り組みを計画する作戦委員会の設立。
 この集会の発起人の一人であるイェフディチ・ハレェルは次のように発言した。「私たちは、両民族それぞれの間にある絶望感、今とは異なった未来があるという展望をもてないで絶望に支配されている人々に、正面から語りかけましょう。平和へのパートナーが存在すること、話し合えるパートナーがいることを、彼らに語りかけましょう。ここラマラから、そういうメッセージを、イスラエル・パレスチナの人々に発信しましょう。占領と流血に代わる道があることを発信しましょう。相手の権利を認めることに立脚した道、入植者の撤退と、軍隊を1967年以前の国境線まで後退させることで占領を終結させる道があることを発信しましょう。難民問題は、国際社会の協力と国連決議に基づいて、両者が合意して解決できる道があることを発信しましょう」。
 ハレェルが挙げた原則は、このアクション・グループのマニフェスト(1000人以上の署名入りで公表されている)に述べられている。マニフェスト作成に参加したナイム・エル・アシャブは、このマニフェストは、最初小さな核から始まり、それがパレスチナ・イスラエル両側からの参加者で膨れ上がり、2年間数々の合同会議を経て完成したものであると語った。「この組織はロードマップの実際の進行実態を監視しなければなりません。公式に発表された目的 ― 占領終結とパレスチナ国家樹立、それこそが唯一の平和への道ですが ― に向かって実行されるように監視し、働きかけなければなりません。ロードマップはもともと4つの国際団体が共同で作成したビジョンですが、最近そのうちの一国が独占し、利用する傾向にあります。しかも過去において非常に偏った考えや行動をとってきた国です。これは、ロードマップ全体がいつ脱線するかもしれない不安材料です」。そしてエル・アシャブは発言の締めくくりに、これまで流血を繰り返してきた両者の間に国際治安部隊を配置すべきだと要求した。
 元イスラエル国会議員のタマル・ゴザンスキーは、イスラエル軍の道路封鎖のため一時間遅れて会場へ着いた。彼は次ぎのように発言した。「シャロンとブッシュは旧い商品を新しく包装して売りに出そうとしているのだ。彼らは、イスラエル人ですらその大多数が戦争と占領と流血にはもうすっかり嫌気がさしていることを知っている。もはやパレスチナ国家樹立に触れずに問題解決は不可能であることを知っている。そこで彼らは、ロードマップを、その本来の中身を捻じ曲げて使おうとしているのだ。シャロンはかつての南アフリカのバンツースタンを作って、それにパレスチナ国という名称を与えようと目論んでいる。我々は彼らのとは異なる新しい言葉を使い、言葉の意味を厳密にしなければならない。例えば1967年以前の国境線を決してあいまいにしてはならない」。
 元ビルゼイト大学長のガビ・バラムキ博士は、ラマラとビルゼイトの間にあるスルダ地区にイスラエル軍が設けた道路封鎖について語った。この道路封鎖のため、学生と教員は毎日2キロの区間を徒歩通学・通勤しなければならない。「これはサディズム以外の何者でもない。イスラエルの安全保障と何の関係もない処置で、単に私たちの日常生活、大学の通常の営みを困難にすることを目的とする悪質な妨害です」。 参加者していたビルゼイト大学の学生からも同じ発言。これに対して、イスラエル側から参加していた学生や教員が即座に反応して、スルダ地区で抗議活動を行なう話がまとまった。学生たちはお互いの電話番号やEメイル・アドレスを交換しあった。
 参加者はイスラエルに捕らえられ、ハンガー・ストライキで抗議しているパレスチナ人入牢者への支援と連帯を表明した。とりわけマルワン・バルグーチへの激励と連帯が叫ばれた。「牢獄にいなければ、彼は真っ先にこの集会に駆けつけたでしょう」と、ハナン・アシュラウィが言った。また、同じように牢獄で抗議しているパレスチナ人議員フサム・ハデルへの連帯も語られた。
 イスラエル人兵役拒否者 ― 先週劇的な軍事法廷闘争を行なった兵役拒否者への支援と称賛も語られた。「彼らは占領業務の兵役を拒否したので裁判にかけられているのですが、今や彼らの方が占領を裁判にかけているのです」と、兵役拒否者を孫に持ち、自身も永年平和運動に関わってきた退役軍人であるリューヴェン・カメネール老人が誇らしげに語った。
 国際平和ボランティアで、イスラエル軍によって殺されたレイチェル・コーリーへの黙祷が捧げられた。(ほんの数日前、軍の法務部は、コーリー事件の審議終了、起訴該当者なし、と発表した)
 集会の後、代表団がアラファト議長と面会した。議長は、この合同平和団体発足を歓迎すると言ったそうである。

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