論文 「資本主義と刑務所再考」

◆スーパーマックス刑務所

 「スーパーマックス」というのは「スーパー・マキシマム・セキュリティ」(超極大保安体制)の略語である。米司法省の半公的スポークスマンであるチェイス・ライブランドはそれを次のように説明している。

 高度に制限的で、高度監視能力を備えた収容ユニットで、しかも厳戒管理体制施設の中におかれている。そこには、重大犯囚人、攻撃的性癖もつ囚人、暴力行為を繰り返す囚人、逃亡の恐れまたは実際に逃亡経験のある囚人、矯正施設内で暴動を行なったり、または暴動を扇動する恐れのある囚人が、一般社会および他の囚人から隔離して収容される。

 スーパーマックス収監が一般化したのは最近のことである。問題囚人を隔離するのは昔からあったことだが、1970年代、80年代にそういう「刑務所内刑務所」的やり方に法律からの異議申し立てが頻発したので、当局はそれをあまり使えなくなった。スーパーマックス収監は、新たなものか昔からのやり方を改造したものかはともかく、「特定の囚人を、刑務所内各種行事や、運動や、看守や、他の囚人とできるだけ切り離し、高度に隔離した状態に置くことを目的として」考案されたものである。それは、独房監禁などの非人道的扱いを制限する法律を巧みにかわし、犠牲となる囚人が基本的に他者と接触できないため、具体的内容が外に漏れないから、刑務当局に最大限の自由裁量を与える。
 このやり方は、1960年代、70年代に学んだ教訓から生まれた。おかげで、政治犯囚人による刑務システムへの反抗脅威が大幅に減少した。60年代、70年代に用いた手法は「分散法」であった。つまり、問題囚人を発見すると彼らを他州の刑務所や連邦刑務所などに移して分散させ、彼らの団結やオルグ活動を防止しようとしたのだった。ところが、政治意識を高めた囚人は新しい場所でまた人々を組織するので、あまり効果がなかった。
 スーパーマックス収監では、アジテーターやトラブルメーカーをいっしょにして高度管理体制化の隔離状態におくので、その脅威がなくなったのだ。しかも付随効果として、外部の好ましくない影響―例えば60年代、70年代のジョージ・ジャクソンが発揮したような影響―との接触をも防ぐことができた。さらにスーパーマックス収監は、あの激動時代の政治的反乱の弾圧から学んだ第二の教訓―つまり、反乱囚人に対し殺人兵器を使用して政治問題化した経験―に答えるものでもあった。おかげでここ25年間武器使用も政治問題化もなかった。
 スーパーマックス刑務所の生活は苛酷である。囚人はふつう1日のうち23時間も独房内で独り過ごさなければならない。他者との接触はない。独房も独房がある獄舎全体の扉の開閉は、すべてコントロール・センターからの遠隔操作である。獄舎によっては、事前にプログラム設定されたシャワーが独房内にあって、囚人はシャワー室へ行くために独房を出る気晴らしすらも与えられていない。病気診察や礼拝やカウンセリングなども、独房の外から扉越しに行なわれるか、または有線テレビを通して行なわれる。囚人が直接医師、牧師、カウンセラーと対面することは許されない。食事や洗濯物は監視窓を通して渡される。看守が囚人に拘束具を着けたり外したり、あるいは反抗的になった囚人をガス弾や火器を使って鎮めるのも、この監視窓を通してである。しかも、スーパーマックスで隔離状態にあるからといって、囚人にプライバシーがあるわけではない。絶えずカメラや盗聴器やインターホーンで監視され、指示、命令されるのだ。 
 独房内への持込物は厳しく制限される。中で自由な活動もできない。独房の外で体を動かす運動も非常に制限されている。せいぜい週に3時間から7時間くらい、看守の監視下で、狭い場所で体操ができる程度だ。独房を出るときはいつも拘束具を装着され、看守2人の監視つきである。運がよければ月に一度か二度、当局が許可した人物に限って、外部の人間と面会できるが、直接の相対は許されない。手紙など外部とのコミュニケーションは、刑務所によって扱いがことなるが、いずれも厳しい制限と検閲がある。

 スーパーマックス囚人には更生のためのプログラムはほとんどない。職業訓練もないし、教育機会も限られ、かろうじてテレビの教育番組か通信教育が利用できる程度である。信仰活動についても、刑務所職員のチヤプレンか、または当局が許可した牧師だけが、独房の扉越しに信仰活動を施すことができるが、印刷物の配布は禁じられている。
 スーパーマックス獄舎では制度的暴力行使が日常的である。囚人に拘束器具を装着したり、独房から出し入れするときの暴力行使は「日課」と見なされている。その他、抜き打ち的独房点検や、囚人の自己破壊行為を止めるときや、反抗的囚人を鎮めるときも暴力が行使される。
 スーパーマックス収監で最も苛酷な特徴は、囚人を隔離状態で監禁するのがまったく当局の恣意で行なわれることだ。通常の刑務所では、それは正当な理由に基づき、正式な手続きに則って行なわなければならないが、スーパーマックス刑務所では、囚人をスーパーマックス状態に置いたり、それから解除する決定は、どこか誰にも分からないところで、恣意的に行なわれるのである。
 スーパーマックス収監が囚人に与える短期的及び長期的影響については、何らの検討も配慮もなされていない。前述のライヴランドもこの点については曖昧で逃げ腰である、「囚人を1日平均23時間隔離独房に閉じ込め、ほかの人間と一切接触させず、建設的作業や労働もさせず、人間に加えられる制約のうちでも最大の極限的制約でがんじがらめにしておくことが、当該囚人にどういう影響を与えるかについては、あまり分かっていない」。しかし、孤独監禁の精神病理的な影響については、もう1世紀半にもわたる学問的研究があるし、米合衆国最高裁が1896年に、精神医学的見地から、孤独監禁を違法と裁定した事実などに照らして見ると、ライヴランドの言説は、単に曖昧で逃げ腰であるばかりでなく、故意に問題を隠すものと断じてよいだろう。
 隔離が人間にどういう影響を与えるかを本当に知りたければ、その体験をした囚人自身の声を聞けばよい。前述ジョージ・ジャクソンは11年の刑のうち8年半を、ソウルダッド刑務所の悪名高き0ウィング、マックス・ローで、孤独監禁状態で過ごした。彼は書いている。

 それは精神の論理的働きを破壊する。思考が解体され、バラバラになる。ただ音のみが彼を捉える。喉の奥が突き出てくる狂気の音。鉄格子がたてる欲求不満の音。壁、ブリキ食器、壁に取り付けられた寝台の音。鋳鉄製の洗面台や便器のうつろな音。
 そして悪臭。体臭。看守が彼に投げつける糞尿の臭い。長期間風呂に入っていない身体が発散する臭い。白人がこういう懲罰刑を終えて独房を出るとき、もうすっかり廃人となって出る。黒人は歩いてマックス・ローを出ることはない。死体運搬車に乗って出るか、お上にへつらう奴隷になりさがって出るかである。

 後にスチャート・グレイシャン博士が、孤独監禁に関する精神病理学的研究報告を発表したが、ジョージ・ジャクソンの描写はその研究結果を見事に先取りしたものといえよう。博士の発見した結果の一つは、知覚の病理的変化である。彼は孤独監禁状態にあった囚人の音と臭いに関する知覚を例にあげている。

 音に敏感になるんだ。配管系統を伝わって響いてくる音がきになってしょうがない。ぼくの上の階で誰かが水飲み器のボタンを押す音、そしたら水がパイプの中を轟音をたてて流れる。凄い音で、神経に障る。耐えられなくなって、いつの間にかぼくは悲鳴をあげている。連中はぼくを苦しめるためにわざと音を響かせているのだ。もう我慢ができない。食事もそうだ。はじめぼくは出されたものはみんな食べていた。でも、その悪臭のひどさときたら。耐えられない。特に肉の臭いがひどくて、とても食べられない。ただ一つ食べれるのはパンだけだった。・・・(中略)・・・息ができないほど臭うのだ。便所から腐ったような悪臭。独房中悪臭だらけで、もう何もかもが耐えられなくなる。

 博士の発見によれば、囚人が音と臭いに過敏なのは独りきりでいるときだけである。その他博士が発見した病理症候は、情緒障害、思考・集中・記憶困難、思考内容の混乱、一時感情の抑制不能など。注意すべきことは、博士の研究は短期的孤独監禁囚人を対象としていることだ―対象となった囚人の隔離期間は2ヵ月から10ヵ月で、しかも法律によって15日おきに最低24時間の隔離解除が施されていたのだ。これに対し、スーパーマックスでは、孤独監禁の期間は不定で、囚人によっては刑期全部を孤独監禁状態で過ごす者もいる。
 では、いったいスーパーマックスの長期にわたる孤独監禁はどんな影響を与えるのだろう。出獄するとき彼らはどんな人間になっているのだろう。この点でもライヴランドは回避姿勢である、「5ヵ月、1年、3年、5年、あるいはもっと長くそのような施設(スーパーマックス刑務所)に入ったら、予測されるネガティヴな影響は大きいだろうか?長期的隔離、通常の日常的刺激から遮断され、人為的に完全管理統制された状態に長期間置かれた場合、囚人の精神に損傷をきたすだろうか?この分野の研究は非常に少ないのである」。
 残念ながらグレイシャン博士にも解答がない。博士の研究は収監中の囚人を対象としていて、出獄者は含まれていないからだ。しかしここでもジョージ・ジャクソンが0ウィング、マックス・ロー独房の生き残りのその後を描いてくれている。彼によれば、マックス・ロー出獄者は政治活動家になるか、廃人になるかのどちらかだという。

 廃人同然になった男たちの心の傷は深刻で、出所しても、もうどんな社会や集団の構成員にもなれない。入所する前健在だった彼の精神、あの苛酷な黒人差別・抑圧にも潰れずに残っていた人間性、まだ立ち直りの可能性を充分残していたものすべてが、マックス・ローで破壊され、出所したときには、本当にすっかりダメ人間になってしまっているのである。
この獄舎は、最良の闘士を創り出すか、完全に破壊された廃人を排出するかのどちらかだ。変化しない人間なんて一人もいなかった。

 看守は孤独監禁が囚人の人間性を破壊することをよく知っている。ライヴランドはスーパーマックスに対する反対運動についても書いている、「(前略)矯正職員、囚人、囚人の代理人からなるグループがスーパーマックス収監への危惧を表明、それを非難すらした。彼らによれば、スーパーマックスは『残酷で非人間的』で、虐待の温床となり、収容されている囚人の人格破壊を招く」。しかしライヴランドは結論部分で、スーパーマックスを「有益」であると弁護する職員は多くいると書いている。スーパーマックス収監は囚人の管理統制という自分たちの仕事に大いに役立つから、囚人への長期的、短期的ダメージがどうであれ、利用し続ける方が得策と考える職員が多いというのだ。
 囚人に対する精神病理的ダメージが大きく、憲法上からも問題があり、ひょっとすると違法性を追求される恐れもあるという問題を抱えながらも、スーパーマックス刑務所は増え続けている。1997年現在で、少なくとも57のスーパーマックス刑務所が存在し(そのうち16 がテキサス州に集中)、さらに少なくとも10刑務所がスーパーマックス方法を取り入れるために施設の改築をやっている。
 国家も刑務当局も経験から学んだ教訓をちゃんと活かしたのである。現在の高水準の抑圧機構のおかげで、1960年代、70年代のような大規模刑務所反乱が起きないですんでいるのである。

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