『地域・アソシエーション』 2005年10月30日号

田畑稔さん講演・学習会報告

グラムシ陣地戦とアソシエーション
―田畑稔さん講演・学習会「いまグラムシはどう生きるか」 報告(3)―

●グラムシ陣地戦と関連する概念群

 もちろん、グラムシの陣地戦論は、それだけ切り離して存在するわけではありません。『獄中ノート』にはグラムシの思想を特徴づける様々な概念が含まれています。たとえば、「政治国家と市民社会」「強制とヘゲモニー」「知的モラル的改革」「指導性と有機的知識人」「受動革命」「東方と西方」等々です。「機動戦と陣地戦」もまた、こうした一連の概念群とパッケージで存在しています。
 「東方と西方」について言えば、西方とは西ヨーロッパ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリアと言った諸国を指します。東方は具体的にはロシア、概念的には資本主義の周辺部を指している。ただし、地理的な区別ではなく、近代国家の成熟度に関わる区分です。近代資本主義国家としての成熟度によって、未成熟の東方と成熟した西方では戦い方が異なるという意味です。
 「受動革命」については、先ほど触れたように、たとえばフランス革命のような機動戦型の戦いが起こる。下からの人民革命が起きて周辺部に波及していく。すると、周辺部の国家では人民が立ち上がる前に上から先手を打って、換骨奪胎するわけですね。これが受動革命。明治以降の日本などは典型的な受動革命です。だから、実質的には権力温存なんですが、新しい変革の内実を一定受け入れないと温存はできない。むしろ、再編によって温存する。フランス革命でもロシア革命でも、周辺部諸国はそういう形で既成権力が生き残っていく。そうした複合体として歴史を見るのがグラムシの立場です。
 それから、「政治国家と市民社会」。たとえば、「東方と西方」の西方では、「国家」はいわゆる国家機構、つまり政治国家だけではなく、市民社会も含めて分厚く構築されているということです。治安機関などあからさまな権力による強制だけではなく、学校や教会、民間諸団体(アソシエーション)、そういうものがいわば「同意の体系」を構築して、広い意味での「国家」に人々を統合している。この「同意の体系」が「ヘゲモニー」です。要するに、国家の強制と市民社会のヘゲモニーという二つの政治統合によって、先進的な近代国家は成立しているわけです。これに対し、東方における近代国家の未成熟というのは、ヘゲモニー、「同意の体系」が充分構築されていない、あるいは機能していない、そういうことなんですね。だから、国家は強制だけで成立しており、権力機構を奪取すれば革命が成就する。実際、ロシア革命はそうだった。
 ところが、それをモデルにしたヨーロッパ革命は負けてしまった。なぜか。それは「国家」を強制の面だけで見て同意の面を見くびったからですね。同意を調達する民間団体、それらからなる市民社会、その力を見くびったが故に負けた、ということになるわけです。
 以上の概念群を踏まえると、「機動戦と陣地戦」の意味合いも鮮明になります。グラムシは、近代の成熟した「国家」では、機動戦はますます困難になると見ていますが、それは市民社会の同意、ヘゲモニー装置が非常に分厚く張り巡らされているからです。機動戦だけでは絶対に足元を掬われるし、実際に掬われた。とすれば、基本的には戦いは陣地戦で、という認識になるわけです。その意味では、機動戦と陣地戦というのはむしろ、その内部で支配者と被支配者が熾烈に戦う、闘争の場としての国家のあり方を指している。
 もちろん、時には機動戦的な側面も出てきます。たとえば、ムッソリーニやナチス、日本の右翼も民間の暴力集団を作り、非合法の暴力によって支配権力の強制を代行したわけですね。そうしたときには、対応する戦いが必要になる場合もある。だから、機動戦的なものがまったくなくなるわけではないけれども、それは例外的な状況でしょう。やはり成熟した近代国家では、陣地戦的な戦い方が基本的になっていくのは間違いない。
 「知的モラル的改革」「指導性と有機的知識人」というのは、陣地戦の内容を表したものと見ることができます。というのも、陣地戦ではヘゲモニーを争うわけですから、その際にいわゆる対抗ヘゲモニーの側が力を発揮できるような、新しいタイプの人間をどう作り上げるか、そこが戦いの焦点になってくる。これは、いわゆる「注入型」というか、伝統的な啓蒙活動ではできません。「知的モラル的改革」ですね。知識人の役割というものが非常に重要視される所以です。
 ただし、知識人と言っても、職業的知識人ではありません。「有機的知識人」というのは、現在で言えば、いわゆる活動家集団でしょうかね。グラムシにとっては、やはり共産党員ということになりますが、要するに、対抗ヘゲモニーの観点から組織的に動くことのできる人々のことです。
 いずれにせよ、こうした概念の絡まりの中で、グラムシの陣地戦論を見ていく必要があると思っています。

●『獄中ノート』Q1の§134

 では、テキストの注目すべき点をいくつか紹介していきます。まずはQ1の§134ですね。

 「政治闘争と軍事戦争。軍事戦争では、敵の軍隊の破壊とその領土の占領という戦略目的が達成されると、講和が結ばれる。さらに、注目すべきことには、戦争が終わるためには、戦略目的がただ潜在的にしか達成されなくても、それで十分なのである。……政治闘争ははるかにより複雑である。それはある意味で植民地戦争もしくは昔の征服戦争とくらべることができる。……そこで戦敗軍は武装解除され解散させられるが、闘争は政治と軍事的『準備』との領域でつづけられる。こうして、インドのイギリス人にたいする政治闘争は(またある程度まではドイツのフランスにたいする政治闘争とかハンガリーの小協商にたいする政治闘争とかも)、運動戦と陣地戦と地下戦の三つの戦争形態を経験する。ガンディーの受動的抵抗は、あるときは運動戦となりまたあるときは地下戦となる陣地戦である。すなわち、ボイコットは陣地戦であり、ストライキは運動戦であり、武器と襲撃戦闘部隊との秘密の準備は地下戦である。」(テキスト集成、4ページ。以下同じ)

 ここでは、ガンジーの反英闘争が、機動戦と陣地戦と地下戦の結合として描かれています。これは、我々がいま問題にしている陣地戦とは少々違って、機動戦と陣地戦が、情勢の推移に基づいて次々サイクル型で展開していくという、もともとの概念です。

●『獄中ノート』Q6の§138

 ところが、Q6の§138を見てください。ここで決定的にグラムシの特色が出てきます。

 「政治分野での機動戦(および正面攻撃)から陣地戦への移行。これは政治理論の、戦後に提起された最も重要な問題であり、また正しく解くことが最も難しい問題だと、私は思う。」(6ページ)

 この認識が、最晩年のレーニンに依拠したグラムシの陣地戦論の第一歩です。ここからグラムシ固有の問題圏に入っていく。とはいえ、軍事的な概念としての陣地戦が無効になったかといえば、もちろんそうではない。軍事的な概念を構造的な認識に再編したということです。
 グラムシの陣地戦の前提として、ここでは三点が挙げられると思います。第一に「ブロンステインが持ち込んだ諸問題」。ブロンステインというのはトロツキーのことで、彼が持ち込んだ問題というのは要するに、ヨーロッパ革命との結合によって屈辱講和と言われた「ブレスト・リトフスク講和」(1918年)を避けるという主張のことです。レーニンはブレスト・リトフスク講和を決断する。ところが、トロツキーをはじめ周辺から「裏切り」と総反発を食らった。しかし、最終的には説得して決断を押し通した。グラムシはこの背後に、機動戦に固執するトロツキーと陣地戦への転換を図るレーニンの対比を見ているのです。
 第二に「ネップ転換」(1921年))です。ソヴィエト権力樹立後は戦時共産主義で、いわば高揚期ですね。一挙に共産主義まで進めると、レーニンを含めて思っていたわけです。しかし、やがて限界に突き当たり、レーニンは自己批判する。戦時共産主義というのは一種の主観主義な思い込みで、機動戦でどんどん突破できると思っていたら、そうではなかったと自己批判します。その上で、市場を導入するわけですね。ケ小平ほどではありませんが、かなり大胆な資本主義経済が導入され、国家セクターも市場で競争する。「ネップマン」も登場する。言い換えれば、疲弊した一国経済を再活性化しないと、革命的な意気込みだけで、次は世界革命とか言ってもダメだ、肝心の農民の支持も得られない、という判断ですね。そうして導入された新経済政策が「ネップ」ということです。
 第三に、こうした転換を国際路線で発揮したのが、いわゆるコミンテルンの統一戦線方式です。要するに「左翼小児病」批判ですね。いわゆる先進国の左翼共産主義に対する批判です。機動戦型のイメージで革命を考え続けている人たちに対して、そうじゃないですよ、と。ちゃんと足元見て、自分たちの現実から出発して、それぞれの国の現状分析から始めないといけない。そういうことをできないのは左翼小児病だと、厳しく批判したんですね。レーニンは自らコミンテルンに乗り込んでやるわけですね。この頃のレーニンというのは、いろいろと非常にオリジナリティを発揮しております。これは広い意味で「レーニン最後の闘争」と言えるでしょう。
 グラムシは、それらは要するにレーニンが機動戦から陣地戦への移行を、孤立しながら進めた、そういうリーダーシップをとったと、そう読みとっている。そうした広い意味での「レーニン最後の闘争」とグラムシの陣地戦論との連関を示すものとして、Q6の§138を見ることができます。
 ここで注目されるべき内容としてもう一つ、次の文章があります。

 「陣地戦は、多数の住民大衆に莫大な犠牲を要求する。だから、ヘゲモニーのかつてない集中が必要となり、したがってまた、敵にたいしてもっと堂々と攻撃をかけ、内部分裂の『不可能性』を組織するための、より『干渉主義的な』国家が必要となる。内部分裂の『不可能性』とは、各種の政治的・行政的な統制、支配階級のヘゲモニー的『陣地』の強化等々である。」(6ページ)

 言い換えると、陣地戦への移行というものは、同時に内部統制を強める形になる。これはある意味でスターリンの一国社会主義論につながっていくような部分ですね。たとえば、レーニンでは分派の禁止。これはアソシエーション革命の視点から言えば、致命的な問題でしょう。分派の禁止で一枚岩の党になってしまい、意見調整などは中央の指導部を通してしかできなかった。それがこの時期に出てきますね。
 それから反宗教闘争の強化。陣地戦である以上、国内で熾烈なヘゲモニー闘争をしないといけません。ロシアにはギリシャ正教という強大な宗教組織があって、地主などとブロックを組んでいるため、反宗教闘争が重要になる。
 要するに、ロシアの現実を条件として陣地戦へ移行した場合、イデオロギー的な締め付け、干渉主義的な国家というものが非常に大きくなったわけです。言い換えれば、陣地戦といっても、非常に具体的なケースで考えた場合、いろんな問題を抱えているわけですね。その辺りが非常に興味深いところです。
 Q6の§138では、また次のような個所があります。

 「つまり、政治においては、決定的でない陣地の獲得が問題であるとき、したがってまた、国家のヘゲモニーの手段がぜんぶ動員できるのではないとき、こういうときにはまだ機動戦もおこなわれつづけるが、なんらかの理由でこれらの決定的でない陣地がその価値をうしない、決定的な陣地だけが重要になるとき、戦局は切迫した、困難な包囲戦に移行し、ひじょうな忍耐力と創造精神が要求されるにいたる。」(6ページ)

 ここでグラムシは「決定的でない陣地」と「決定的な陣地」という区分を持ち出している。たとえば皆さんは今、決定的な陣地は持ってないですよね。決定的でない陣地はいくつか持っていても、国家権力そのものにとって決定的な陣地は、もちろん相手が守ろうとする。その意味では、決定的でない陣地については、対抗ヘゲモニーの余地が残るわけで、したがって、それが獲得できれば、例えばエンゲルスが言ったように、「一陣地から一陣地へ」の戦いができる。いわば陣地戦の上昇局面とでも言えますね。
 しかし、決定的な陣地については困難な包囲戦になってくる。もちろん、どちら側にとってもそうです。「戦局は切迫した、困難な包囲戦に移行し、ひじょうな忍耐力と創造精神が要求される」ということですね。
 日本の現状で言えば、決定的でない陣地に、独自な、システムに対抗する価値を担う陣地を構築するという段階だと思いますが、現実のプロセスは必ずしも段階的に進むわけではない。たとえば、経営権力に対する様々なモラル・コントロールは、実質化されればかなりのパワーになります。もちろん、経営権力そのものは、決定的な陣地ですが、現在はよくも悪くもグローバリゼーションの力が働いていますから、国内の特殊性だけでは運用できない。社会的な貢献とか情報公開とかに目を配らないと、トップメーカーでも壊滅的な打撃を受けます。
 こういう意味で、プロセスはいろいろ複雑に進行すると考えなければならないと思いますが、ともあれ、私としてはQ6の§138は、グラムシ独自の陣地戦論が決定的に現れたという点で記念すべき、画期的な文章だと思います。

●『獄中ノート』Q6の§155

 さらに、Q6の§155です。

 「政治においては、国家とはなにか(総合的意味、つまり独裁・プラス・ヘゲモニーという意味での国家)ということを正確に理解していないために、あやまりが生じる。」(7ページ)

 ここでは、「総合的意味」と訳されていますが、英語では「インテグラル」ですので、むしろ「統合的意味」とした方がいいと思います。要するに、グラムシは国家というものを、独裁ないし強制の面とヘゲモニーないし同意の面の双方を含むものとして、その支配力の総体において捉えている。そして、そうした国家を見誤って、強制ないし独裁の面だけで捉えた誤りの結果、ヨーロッパ革命は負けたんだという総括があるわけです。ここで初めてそういう指摘が出てくる。

●『獄中ノート』Q13の§24

 それから、Q13の§24ですね(15ページ)。ここではローザ・ルクセンブルクもトロツキーと同じように、結局レーニンの陣地戦への移行を見抜けなかったと言っています。ご存じのように、ローザはレーニン批判をしており、的を射た部分ももちろんあります。ただ、グラムシはそう見るということですね。

 「同じことが、すくなくとも高度に発達した諸国にかんしては、いえるはずだ。そうした諸国では、『市民社会』はひじょうに複雑な、また直接に経済的要素(恐慌、不景気等)の破局的な『侵入』にたいしてねばりづよく抵抗する構造になっている。この市民社会の上部構造は、近代戦における塹壕体制のようなものだ。塹壕体制のもとでは、一斉砲火によって敵の防禦体制を完全に破壊したようにみえても、ただそうみえるだけで、じつはその外観を破壊したにすぎず、いざ攻撃、前進というときになると、攻撃側はなおも強力な防禦線に直面することになる。」(16ページ)

 ここでは、塹壕体制としての近代市民社会という見方が出ています。支配がヘゲモニーとして貫かれる領域は、軍事的比喩では、いわば頑強な塹壕体制である、と。「一斉砲火」で簡単に崩れるものではない、その点を表現しています。(つづく)