『地域・アソシエーション』 第9号(2004年9月1日)

国の不当解雇と闘うことと地域の再生を対の課題に

―国労音威子府闘争団「労働者協同組合おといねっぷ」(2)―

【写真】パンフ「北国『おといねっぷ』からの報告」表紙より

◆村の協力下 闘い続けてきた18年

 音威子府村は人口約1200人の村である。音威子府村は国鉄宗谷線と天北線(1988年5月廃止)の分岐点で、もともと「国鉄の村」であったところである。50年前には人口4284人を数えていたというから、まさに村の命運を国鉄とともにしてきたと言ってもよく、国鉄の合理化と分割民営化とともに人口は減少し続けている。その中で、音威子府闘争団は村とのさまざまな関わりを築いてきて、地域の中で重要な位置を占めている。
 まず人口的に言っても、家族も含めて120〜130人になる闘争団は、村の人口の約1割を占めており、村にとって無視できない存在である。例えば、学校一つとっても、闘争団の子どもたちの存在は学校の存続にも影響しかねない問題である。
 政治的にも、闘争団は重要な役割を担っている。村の有権者約830人のうち地区労組合員が約100人、家族有権者も含めると200人になる。9人の村会議員のうち3人が地区労推薦の議員で、その3人はいずれも旧国鉄出身だそうである。そのうちの一人は村会議長を務めている。かつては選挙になると、旧社会党が6割くらい占めていたという。今でも、広い意味で5割以上は革新系ではないかという。このように「国鉄の村」として栄えた歴史と政治風土が、闘争団と地域との協力的な関係を築く上で助けになっているのであろう。
 実態としても、村の中で重要な役割を果たしている。例えば、村の第3期総合基本計画を作るのに労働者協同組合から2名、委員として入っているという。その他にも、いろんな委員会に労働者代表として入っていたりする。
 最初は、解雇されてとにかく食べていかないといけないというところから始まったものだが、18年間、音威子府という地域で生活し闘争してくる中で、地域に深く関わってきたし、地域ぐるみのサポートを受けてきた。それがなかったらやっていけない、と金児さんは言う。労働者協同組合の事業を始めるに当たっても、村のサポートがベースになっている。JRの宿舎から追い出されそうになったときも、村がJRからアパートを買い上げてくれて、村営住宅としてそのまま住み続けることができたというようなこともあった。争議についても、村議会は何度も議会決議を上げて支援してきた。
 金児さんは次のように言う。「闘争団の側としては、村に何を還元できるのかという問題意識がある。そういう問題意識から、地域そのもののあり方を考えさせられる。単に事業ということだけでいうと、もう少し人の多いところでやるとか別の選択肢もあるが、音威子府という地域にこだわってそこで何をしていくのか、ということがある。政府・JR側の不当な『切り捨てご免』の流れに流されるのかどうかというこだわりと同時に、この地域で生きていくことにもこだわっていきたい。僻地で大変なところなんだけど、それを逆にセールスポイントにし、意味を見出していく状況はある。同じような思いをもった人をつないでいくということを通して、別の切り口からできることがあるのではないか」。

◆問われる今後の地域とのかかわり

 当然ながら、音威子府村も日本の周縁部の地域、過疎地域がかかえている共通の課題をかかえている。村そのものがこれから先どうしていくのかということが問われている。地場産業というともともとは酪農だが、それも衰退してきている。他に地場産業がない中で、労働者というと官公労が中心という状態である。
 他の地域と同じように、合併問題も起こっている。3町村での合併という話だが、3町村合わせても9000人にしかならず、一方、端から端まで100キロを超えてしまうような町ができてしまって、行政サービスが成り立たない。予算のことなど考えると合併するしかないという意見もあるが、話をすればするほど無理さ加減が見えてくる。合併協議会も、先が見えない状態だという。地域としても、「進むも地獄、戻るも地獄」という状況をかかえているわけである。
 そのような中で、闘争団としては大詰めを迎える国鉄闘争の方針と同時に、地域の再生にどう関わっていくのかという決意と覚悟が問われてくるという。同時に、闘争団のメンバー一人一人が、これからどこでどう生きていくのかということが問われてくるという。闘争団の中で、音威子府の地元の人は数人しかいない。北海道の場合は鉄道管理局が4つあって、音威子府あたりに勤務していた国鉄労働者はすべて旭川鉄道管理局で採用された人たちだ。というわけで、旭川出身者が比較的多く、たまたま音威子府で働いていたときに解雇されたという人たちである。一人一人が選択をしていく時期がくるのだろう。
 金児さんは、村の側は協力を惜しまないが、一方で、今後も闘争団が地域に根付いて一緒に地域の再生を担っていってくれるのかどうか、様子を伺っていると言う。

【写真】木工製品の製作場を案内してくれる小西さん(右)

◆大詰めを迎える国鉄闘争

 音威子府闘争団としても、18年目という長期にわたる国鉄闘争もいよいよ大詰めを迎えているという認識である。昨年12月、最高裁は1047人の解雇について不当労働行為を認めつつも、「国鉄改革法の解釈として、JRは使用者責任を負わない」とし、中労委命令を取り消すという不当判決を出した。非常に厳しい状況である。基本的には1047人の当事者が納得する形での政治決着をどう勝ち取っていくかということが、今のテーマだということである。具体的には、「4党合意」問題で混乱した闘争団間の共通の認識をどう作り直していくかということと、東京地裁段階で終盤を迎えている鉄建公団訴訟の勝利をめざすことである。
 2000年5月30日に、「政治決着」を目指すということで、当時の与党3党(自民・公明・保守)と社民党によって4党合意が提案された。4党合意の中身は、(1)JR不採用問題について「人道的観点から」すみやかな解決に努力する、(2)国労が「JRに法的責任がないこと」を認め、そのことを全国大会で決定する、(3)全国大会決定を受けて、「雇用」については与党がJR各社にその確保を「検討してほしい旨の要請」を行う。JR発足時における国鉄改革関連「訴訟取り下げ」については、社民党が国労に要請する。「和解金」については、与党と社民党との間で検討を行う、(4)与党と社民党は本問題の解決に向けてお互いに協力していく―というものである。
 多くの当事者、組合員の反対を押し切って、国労は大会で4党合意の受け入れを承認した。国労本部の方針に対して、本音では納得いかないと思っていても、大会で決まった限りはその方針でいくという闘争団と、4党合意反対に大きく分かれるが、36の闘争団でそれぞれ温度差があるという。また、4党合意そのものは国労を対象とした合意であって、全動労、千葉動労は直接の相手とはなっていない。社民党の影響力がなくなった今、自民党は、国労が大会で4党合意受け入れの決議を上げるだけでは国労の総意ではないと高飛車に出てきており、国労がいくら4党合意に乗ろうとしても、進展しない状況になっている。事実上棚上げ状態になっているわけである。
 金児さんは次のように言う。「今の課題は、各闘争団の共通認識を再構築することだ。それは可能だと思う。6月末には36の闘争団の代表が東京に一堂に会し、基本要求を再度確認しあった。表現の仕方は異なるにしても、雇用、未払い賃金、年金、慰謝料という4つの問題で要求していこうということで、団結は高まった。全動労、千葉動労もこの線でまとまることができる。解決の中身として、1047人の当事者が納得するということが大前提だ」。
 ILO理事会も6月18日に、結社の自由委員会報告を採択した。6度目のILO勧告である。4党合意を前提にしているという限界をもちつつも、以下のように勧告した―「最高裁が『国鉄が採用候補者名簿の作成にあたり不当労働行為を行った場合には、国鉄若しくは国鉄の法的地位を引き継いだ清算事業団(現在の鉄道建設・運輸施設整備支援機構)は使用者責任を免れない』との判断を下したことに留意し、また本件の申し立ての深刻さと共に多くの労働者が被っている深刻な社会的・経済的な影響を考慮し、結社の自由委員会は、日本政府に対し、この問題解決のために一度は優勢となった政治的・人道的見地の精神に立った話し話し合いを、すべての関係当事者との間で推進するよう勧める」。
 相手を政治決着のテーブルにつかせるためにも、白旗を揚げるのではなく、闘う姿勢が必要である。闘争団員と遺族283人は2002年1月28日に、清算事業団を引き継いだ鉄道建設公団(以下、鉄建公団)を相手取って東京地裁に訴訟を起こした。直接、国(鉄建公団)の責任を問う裁判である。「JRに使用者責任はない」とした最高裁判決も、不当労働行為そのものは認めて「旧国鉄が責任を負わなければならない」としているわけである。この地裁段階での審理が来年早々にも終了し、年度内に判決が出る見込みである。音威子府闘争団は、裁判所に対して「現地検証」を行うよう、音威子府村内で署名を開始したところであった。有権者830人のうち600人の署名は集めたい、と小西さんは言っていた。
 地域に支えられ、家族ぐるみで闘ってきた国労闘争団の18年間の闘い。これだけ多くの人が解雇撤回を求めて長期にわたり粘り強く闘ってきた運動は、日本の労働運動史上でも稀なのではないだろうか。それだけに多くの人の共感を集めてきた。今回、直接話を聞くことができていっそう、頑張ってほしいとの思いを募らせた。(終・片岡明宜)