去る7月24日(土)、兵庫県・川西市総合センターで、山形県長井市の菅野芳秀さん(レインボープラン推進協議会・企画開発委員会委員長)を講師に、講演会「“レインボープラン”に見る地域作り」(主催:川西共同購入会・能勢共同購入会・地域に生きる川西市民の会)が行われた。この間、紙上で継続している「地域・陣地問題」への問題提起の一つとして、菅野さん、主催者の了解のうえ、講演要旨を連載で紹介する。(なお、講演冒頭の自己紹介、運動紹介は、菅野さんのお話を極く簡略にまとめさせていただいた。文責:事務局)
◇自己紹介:山形県長井市で百姓してます。水田2haと、自然養鶏、放し飼いの鶏を飼っています。
◇山形県長井市:山形県南部に位置し、3000haの農地に囲まれた小さな田舎町。人口32000人。世帯数全体で9000世帯、町の中に5000世帯、周辺に4000世帯。工業は、東芝の下請け城下町みたいに言われたときはありましたが、ここ十数年来、生産をアジアに輸出したことによって、閉鎖した工場がたくさんあります。農業も、本当に惨憺たる状況です。おのずと商業も不調で、商店街の半分ぐらいはシャッターを下ろしているという町並みが続いています。
◇レインボープラン:町の中の5000世帯が、台所の生ゴミを堆肥の原料として他のゴミから分ける。それを堆肥に育て、同じ町の田圃や畑に施す。町の生ゴミが、田畑を豊かにする資源として活用されているわけです。もう一つ、農家が「レインボープラン」の栽培基準―化学肥料と農薬を減らす―に沿って作物を作って、できた作物を認証してもらう。認証された作物はシールを貼って、市内に戻されて行く。去年の場合、手を挙げた農家が70軒ほど。で、学校給食にそれがまず優先的に使われます。その次に使われるのが、やっぱり一般家庭、学校給食よりも量が多いかな。三つ目が加工食品。豆腐、味噌、納豆、お酒、ビスケット、パンとか。そこでまた生ゴミになるものは生ゴミとして分別され、また堆肥センターに回されて行く。このように、健康な野菜と農作物が同じ地域の中でグルグルと回るというシステムです。
【写真】菅野芳秀さん
◆地域が誇りだと思える市民が増えた
稼動して8年、いくつかの成果が上がりました。一つは、それまで3000町歩の中に環境保全型農業というのはほとんどなかったんです。それが「レインボープラン」をきっかけに少しずつ拡大して、環境保全型を進めている農家の延べ戸数は、200戸くらいになってるんじゃないかと思います。「レインボープラン」を通して環境保全型農業が生まれ広がったと言えるかと思います。
二つ目は、学校給食に地場の農産物がどんどん流れる傾向が生まれてきたということ。それから、地場の加工業が、地場の農産物を加工しようというふうになってきたこと。そんなこと当たり前じゃないかと思わないで下さい。今までの加工業はアメリカの大豆とか、中国の何だとかいうものを加工して提供するっていうふうになってまして、周りに豆が植えられていても加工業とは何の関係もなかった、そういう関係があった中でのことです。
それから、市民の方々が農業というものを非常に身近に考えるようになりました。今までは、地場の農業は風景以上の意味を持たなかった。というのは、地場の農産物は、地域社会の頭を超えて都会に流れていくだけで、町の生活とは一切関係がなかった。そういう農業だった。それが地場に回ることになった。それから、自分たちの生ゴミを地場の農業に提供できるようになった。町と村の、農業と台所の関係が非常に近くなったことによって、認識が大きく変わりました。
それと、子供たちが環境教育の活きた教材として「レインボープラン」を学ぶ、研究するってのが増えました。ほとんどの学校でやってるんじゃないでしょうか。じいさん、ばあさんや、お父さん、お母さんが毎日毎日やっていること、自分もそれを手伝っていること、それが全国の皆さんから評価されているということ、そういうものが励みにもなり、誇りにもなり、勉強にもなってるという意味で、とても良い環境教材として「レインボープラン」があると思っています。
でも一番大きな成果は、地域が誇りだと思える市民が増えたということです。それまでは、農業がたくさんある地域は、遅れた地域だとか貧乏な地域だとか、そういう認識があって、農業がたくさんあることの誇りに全然つながってなかった。俺はこの町が好きだっていうふうに、なかなかつながっていかなかった。それがこの事業を通して、この町が誇りです、という方々が増えてきた。これがやっぱり一番大きな成果でしょうか。
◆「循環」「共に」「土は命の源」
「レインボープラン」で大切にしている三つの理念があります。一つは「循環」ということです。「レインボープラン」には、二つの循環があります。一つは、土から生まれたものを土へ戻すという循環。もう一つは、町と村の人たちが織りなす循環。この二つの循環があって初めて、生ゴミが堆肥になり土に戻され、そこから作物が生まれ町に戻るということが可能になってくるわけです。
この循環のシステムというのは面白くて、人と人とを新しくつなぎ直すんです。今までは、生産者はあくまでも生産者、消費者はあくまでも消費者だったんですが、この循環の事業によって、消費者は生産者であり、生産者は消費者であるという関係が成立するようになりました。つまり、食べ物の消費者は堆肥の生産者であり、堆肥の消費者は作物の生産者という、皆が農業と土に対する当事者になってくる関係が生まれたんです。だから、農家の側に「お百姓さん、良いもの作って下さいね」というような、食べる側の立場から一方的に生産地に要求するってことじゃなくて、皆が本当に食と農を分かち合うっていうか、そういう関係が成立したということでしょう。
それから以前は、町と村がある意味で全然関係なかった。農産物は町の頭を超えて都会とつながるし、村の人は町に買いに来るんじゃなくて、仙台に行ったり山形市行ったりで、町にあんまり寄り付かない。同じ地域の中で小さな都市と田舎があるにもかかわらず、背中合わせの関係になってバラバラだった。それがきちっとくっ付いた。町が村の土の健康を守り、村が町の台所の健康を守るという、非常に良い感じでつながりが生まれてきた。これが循環の成果ですね。少しずつ外国農産物に対する距離を置こうとする人も増えてきた、ということも言えるかと思います。
二つ目は「共に」ということです。「レインボープラン」は、住民の側から立ち上がって行政を巻き込んできた。当時は住民の行政参加ということが言われてたんですが、私たちは住民運動、市民運動への行政参加、あるいは市役所を事務局とする市民運動と言ってました。そういう言葉が生まれるほどに住民の力がドンドン進み、行政を巻き込んでこの事業を作り、進め、完成させてきたという過程があったんです。その時の私たちの合い言葉は「地域百年の前の平等」だとか、小難しいですが「命の資源の前の平等」という言葉でした。命の資源の前では皆、同じ地域の同じ生活者として同じじゃないかと。その同じって立場で地域に何を重ねていくのかということが今、求められているんであって、職業上の違いなんかそこにはないと。そんなふうなことを一生懸命繰り返していました。その中から作り出されたのが「共に」という言葉だったんです。
公共事業依存型の地域経済システムというのがあります。住民から市町村、都道府県、国と至る縦軸の関係の中で、下から上に請願や陳情が上がって行って、上の方から下にはお金と仕事が降りてくる。だから、常に市町村選挙の場合は県政とのパイプが問題にされ、県の選挙では国とのパイプと言われて、国では仕事を持って来たのは私ですと。そういう縦軸の関係の中では、官尊民卑、お役所が主導の軸を成すという関係があったと思います。つまり、公共事業依存型の地域経済システム、社会システムと縦軸の関係というのは、対の関係だったと思うんですね。
一方、循環型社会は、一人一人がみんな地域の当事者として、自分の身体を使って回さなければ、その地域の循環は回らないことになってるわけです。例えば、俺の田畑では俺自身が主人公になって循環を回さなければ、俺の田畑は少なくとも回らない。商店街では商店街が主人公となって、学校では学校現場の方々が、工場では工場現場の方々が、みんなそのポジション、ポジションの主人公となって循環の事業を回さなければ、その場では回らない。そのモザイク的集合体が循環社会ということでもあろうかと思うんです。行政から言われたからするということじゃ、絶対長続きしない。自発性というのがいかに大事か、本当に良く私たちは気付かされました。循環型社会というのは高度な住民自治と言うか、それと対の関係にあるんだと思うんです。まさに横軸の関係であると。横軸のイコールの関係を地域社会の中にきちっと作らなければ、循環型社会は定着しないと思います。ところが、縦軸の関係のまんまに行政主導の循環型社会のシステムをCDを入れるみたいに入れちゃうと、循環型社会が稼動すると勘違いする方々がいらっしゃいます。もう、絶対違うと思います。循環型社会を形成するということは、新しい住民自治の社会を築いていくということと、まさに一つのことだと思います。
三つ目は「土は命の源」ということです。これがあるかないかによって、雲泥の差ですね。生ゴミを堆肥にして田畑に施すということは、誰しもが発想することです。だけど一歩間違うと、大量生産大量廃棄社会の延命策として、頭痛の種のゴミを田畑に捨てるというものになりかねません。同じ生ごみを堆肥にして田畑に入れても、そこに「土は命の源」を理念とするかしないかによって、大量生産大量廃棄社会の延命策となるか、土を基礎として循環型社会への事業とするか、分かれて行くんです。そういう意味で、長井に視察にお出でになる方は、三分の二までゴミ捨て先の妙案を求めて長井に来る方々ですね。もう全然違うなって思いながらも、言ってもダメだろうと…。
これが「レインボープラン」の三つの理念です。
◆色んな面白い教訓が含まれている
私たちは、農業を基礎にした一級の社会を作りたい、そして作る主導軸は地域の生活者であると思ってるんです。「レインボープラン」というのは、誰かから与えられたものじゃない。市民の中から生まれて、多くの市民の賛同となって広がり、そこに町を構成する主要な団体がつながり、そして行政を囲む広い大きなネットワークになり、市長はその段階では参加しないと言ったら政治的に危なくなるという、そういうネットワークが結成され、行政が参加し、その後に農協に行き、行政と市民の力で農協を説き伏せ、大きな推進軸を作って行った。そういう過程で「レインボープラン」への道が作られて行ったわけです。
そこでもうちょっと言うと、私は三里塚の成田闘争で、21才の頃に逮捕された。間違ったことしたつもりは全然ないからごめんなさいと言う気がなくて、35才くらいまで裁判だったんです。その過程で、もう百姓してるのに、東京で大きな集会があるとパトカーがズーッと家の前にいるわけです。農村社会の中で、朝から晩までパトカーが止まる家って、どういうふうに皆さん思います? 子供を遊びにやるな、あんな男と友達になるな、お茶を飲みになど行くなとか、もうめちゃくちゃです。そういう中からのスタートでした。
で、私はやがて「レインボープラン」のリーダーになって、それを組み立てて来るわけですが、長井は小さいからできるのだろうとか、初めからそういうグループがあったんだろうとか、だから私たちのところはできないよ、というような話がいっぱいありました。でも私は、自分ではマイナスから始まったと思ってるから、それはないだろうって思っています。そういう意味でも、色んな面白い教訓が含まれていると思ってるんです。(つづく)