『地域・アソシエーション』 第6号(2004年7月1日)

自らアジアとの関係を捉え返し 世界に独自の発信を

―板垣雄三さん講演会「中東情勢と私たち」(2)―

宗派主義押し付けで中東の枠組み崩壊

 イラク人の中には、人口の半分をちょっと上回るシーア派のイスラム教徒、サダーム・フセインの政権を支えていたスンニ派のイスラム教徒、イラク北方のクルド人と、大きな3要素があります。そしてアメリカは、イラクの将来を、シーア派とスンニ派とクルド人の連邦国家のようなものでまとめようと考えています。今の暫定政権も、シーア派に何人、スンニ派に何人割り振る、というふうな式で大臣のポストやら大統領やらを決めていこうとしています。宗派主義、これで中東のことを全部取り仕切ろうというのが、欧米の人々の考え方です。19世紀からずっとやってきました。
 この最初の実験場はレバノンでした。1860年代に、フランスのナポレオン3世がレバノンに軍隊を送り込み、それに利害・関心をもつイギリスやロシアやオーストリアなども寄ってたかって、レバノンに自分たちの息のかかった体制を作ろうと、宗派主義でレバノン人の政府なるものを作らせたわけです。その名残が今日まで及んでいて、レバノンでは大統領はマロン派のカトリックのキリスト教徒、首相はスンニ派のイスラム教徒、国会議長はシーア派のイスラム教徒というふうに割り振られています。ですからレバノン人は、どの宗派に属するかということを登録して、選挙も自分の属しているその宗派の中でやるわけです。
 これと似たようなことを今、アメリカはイラクでやろうとしているのです。しかし、それではイラクという国は分解することになります。レバノンのようにはうまくいきません。だいたい、中東の国々というのは、第一次世界大戦後、1920年代に、イギリスとフランスが中心になって作ったわけです。今ある中東の国々は全部人工国家で、みんな大国のマネージメントで作られた。これが今、イラクから崩れ始めようとしています。
 サウジアラビアという国も、サウド家という王族の支配がこれからどういうふうになっていくのかということが非常に問題です。サウジアラビアという国がこれからなくなってしまう日、そういうことを視野に入れておく必要があります。世界の推定埋蔵量の半分を超える石油が眠っているということになっているサウジアラビアという国が、もし、なくなるか大変化を遂げるというようなことになった場合、中東は、もうグジャグジャということになりかねません。第一次大戦後に欧米が支えてきた中東の仕組みが今、崩れ始めようとしていることの予感の表れが、ガソリンの異常な値上がりということになっているわけです。

中東情勢が即、足下の情勢ということ

 2番目の話と3番目の話をパパッとやってしまいます。さっきお話したように、パレスチナ問題というのは国際政治の全体に関っています。今や、イスラム教徒は世界中に存在しています。例えば、アメリカ合衆国でイスラム教徒は800万人と言われています。
 イスラエルを守るためにアメリカがどう世界の中で動くかということが、ネオコンと言われている人々の主張です。ネオコンの理論家と言われている人々は、「もう革命運動なんてどこにもない。我々が代わって革命をやってあげましょう」というようなことを言っています。サウジアラビアを民主化するとか、イラクを民主化するとか。中東を民主化するために、今まで応援したり育成したりしてきた政府をどんどん変えてしまおうというのが、この間のサミットでアメリカの言っていた「拡大中東民主化構想」というやつです。
 アメリカもイスラエルもどちらも、入植した人たちが原住民を追っ払って作った植民国家です。そして、自分たちが神から選ばれた民だという意識が強い国です。そういう意味で非常に似通った国です。しかも、他の人たちの苦しみには無頓着で、イスラエルの場合は、ホロコーストで「我々の国があるべきなんだ」と言う。アメリカも、「9.11を境に世界は変化したんだ」というのを正当化する。他の人たちにとってのホロコーストも、他の人たちにとっての9.11も、大したことではない、イスラエルにとってのホロコースト、アメリカにとっての9.11、それだけを独占的に普遍化するというところでも共通しているわけです。
 アメリカは、既に9.11を境に中央アジアにアメリカ軍を展開しました。ここで、ロシアとか中国との摩擦もこれから起きていくでしょう。中央アジア問題というのが、これから中東問題とリンクした格好で厳しいことになっていくでしょう。
 そこに止まらなくて、東アジア問題、東南アジア問題も全部、中東とつながりあった格好になっていきます。中華人民共和国は、パレスチナ人を支持するというようなことを言いながら、実際にはイスラエルとかなり密接な関係を持ってきました。新疆ウイグル自治区に行きますと、タクラマカン砂漠でイスラエルの科学者、技術者が砂漠緑化を一生懸命やっています。その脇にウイグル人のイスラム教徒の生活があるという、こういう不思議なことが新疆でもう起こっているわけです。中国の方を向いていたイスラエルに、ブッシュ政権は、むしろ台湾の方と付き合えということを一生懸命言っています。台湾海峡にパレスチナ問題があるということです。
 北朝鮮の問題は、何か中東とは別の問題というふうに立てて、イラクの戦争に自衛隊を出さなければいけないのは、北朝鮮の核の脅威があるからで、アメリカとの関係が大事なので、イラクではアメリカにくっついていくしかないんだと、日本政府は説明してきました。二つの問題が別々にあって、それをどう組み合わせてうまくやっていくかという話の立て方をしていたら、大間違いです。北朝鮮問題というのは文字通り、そのまんま中東問題です。どうしてかと言えば、それは北朝鮮とパキスタンとの関係、北朝鮮とシリアとの関係、北朝鮮とリビアとの関係、あるいは北朝鮮とイランとの関係、こういうふうなつながりの中で、北朝鮮がアメリカによって問題にされてきたわけです。ですから、朝鮮半島の問題というのは、パレスチナ問題と別立てのものではなく、もっとしっかりと結び合った一体のものです。
 こういうふうに考えると、我々のいる場所そのものが中東問題です。ようやく日本でも、そのことが少しずつ分かってきたようですが、日本以外のところでは、どこの国でも、中東の問題と自分たちの密接な関りを非常に意識していて、中東の毎日の状況についてのニュースが溢れています。

21世紀は本当にアメリカの世紀か?

 既に3番目の、私たちはどうするべきなのか、どう考えるのかということについて、かなり踏み込んだことを言ってきたと思いますが、もうちょっと、アメリカという国がこれからどうなっていくのかという問題についてお話します。非常に重要な問題です。イラク戦争に向かっていく過程や、去年の5月にブッシュ氏がイラクの戦争はこれで終わったというようなことを宣言した段階で、日本の評論家たちの多くは、「21世紀はやっぱりアメリカの世紀で、日本はそれについていくより仕方がないんだ」というようなことを言っていました。ところがアメリカは、21世紀に間違いなくものすごい大きな変化を起こすと思います。人口学的にもそうです。さっき、アメリカの中でイスラム教徒の数がどんどん増えているということを言いましたが、それはヨーロッパでもそうですし、世界中でそうなんです。
 アメリカ合衆国はしばしば、白人でプロテスタントでアングロサクソンという人たちが牛耳っていると言われます。そういう国として考えられてきましたが、今日、ヒスパニックとかアジア系とか、いろんな米国の市民がアメリカを支えているわけです。アフリカ系アメリカ人、アジア系アメリカ人、ヒスパニック系アメリカ人、そういう人たちが、むしろ比重をどんどん増しています。そういう中でイスラム教徒という存在も大きなものになってきています。
 むしろ我々はこれから、アメリカ=米州と言いますか、ラテンアメリカなんかを含めた、南北アメリカという枠でアメリカを考えていく必要があるのではないかと思います。そこにグローバリズムがあるわけです。世界中の人がそこに集まっているわけです。英語ではジ・アメリカズと言いますが、アメリカのアメリカ化というのをむしろ促進するという方向で我々はアメリカというものを見ていく、また、そういうアメリカになってもらうように働きかけていくということが必要です。
 もう一つ、ヨーロッパに対しての評価についてお話します。イラク戦争を通じて、アメリカはどうしようもないけども、ヨーロッパはまあまともじゃないかと思った人も結構いたようです。しかし、今日の世界の一番の核になるパレスチナ問題を作り出したのはヨーロッパです。ヨーロッパの反ユダヤ主義が中東に跳ね返って今日の問題を生んでいるわけです。ヨーロッパの立場を応援しなくてはいけないというスタンスではなしに、ヨーロッパにこそ責任があるんではないかというスタンスが必要ではないかと思います。そういうことをはっきり言えるのは、むしろ日本の社会です。
 でも、日本の社会も本当に偉そうに言えるかというと、そんなことはありません。ヨーロッパに反省を求めるのであれば、日本はアジア周辺の諸国に対して何をやってきたのか、捉え返す必要があります。日本人は昔から、中国とどう違うか、インドとどう違うか、アジアとどう違うかということばかり考えてきました。根本枝葉果実説なんてお聞きになったことがあるでしょうか。平安あたりからは本地垂迹という考えが広まります。本地インドの仏様が日本で現れたのが日本の神々、八百万の神々だという考えです。ところが、鎌倉、室町あたりになると、根本は日本で、中国は枝や葉で、インドは花や実だという考えに変わっていきます。これが、根本枝葉果実説です。日本のアジア蔑視は明治以降というようなことではないんです。ずっと前から日本はアジア離れを目指して、アジアと違う日本人というものをどうやって見つけるかと考えてきたのです。もうすっかり我々の身体化してしまった、そういう日本ナショナリズムについての反省と結びつけて、今日の世界の不公正な現状を考えていく必要があります。
 その上で、ヨーロッパに対しても、イスラエルという国はあることにしておこう、48年までは遡らなくて67年からの話にして、何とか手打ち式をやってしまおうという考え方をきっちりと批判していくことが大事です。今、ヨーロッパではイスラエル批判がまた起こってきています。それはパレスチナ問題で余りにひどいイスラエルを批判するという一面もありますが、一方、ヨーロッパ内部でユダヤ人排斥・イスラム教徒排斥の延長にイスラエル批判があるという面もあります。このおかしな結合を批判していくことが大事です。我々の世界の中でのあり方、アジアとの関り方を捉え返し、日本独自のメッセージというものをしっかりと世界の中で言い表していくことが非常に大事なのではないかと思います。

多様性を内包するイスラム

 イスラム世界に対して、目には目を式の対決主義というイメージをもたれる方も多いと思います。イスラム教徒の圧倒的多数の人は、そういうふうには考えていないわけですが、何かイスラム教徒といったら、みんなテロリズムだとか、原理主義だとか、アルカイーダだとかというふうに誤解しています。
 世界の中で多様性ということをこれまで一番問題にしてきたのは、イスラム教です。イスラム教は一神教だと思っている人が多いんですが、単純な一神教ではありません。天も地も山も川も、野に咲いている花も、風も、果実の実りも、家畜のお産も、男女の情愛も、皮膚の色がいろいろあることも、太陽も、何もかも宇宙全体が神の印だということが、コーランの中に一生懸命書いてあります。日本の八百万の神というか、神が宇宙万物の中にたち現れているという日本人の感覚に通じるものがコーランの中に書いてあるわけです。神が創り出した世界、宇宙の多様性をしっかりと眺め、研究していけば、その多様性を創り出した究極の一と出会えるというか、多と一というのがそこで火花を散らして合体するといいますか、多即一、多であって一であるという、こういうのがイスラムの教えなんです。
 これからは、世界の多様性ということが大切です。人間の多様性ばかりではなくて、環境でも生態でも多様性ということを考えなければいけない。イスラム教にはそれを裏付ける面があるんです。日本がイスラムと付き合うとき、そういう考え方と協力することが大事な点です。我々の八百万とこのコーランに書いてある神の印―アーヤトッラーというんですけれども―という考え方と、実は同じではないかと、こういうところで世界のイスラム教徒との接点というか、話し合いの場というか、そういうものを見つけていくということが大事だと思います。(おわり 文責・事務局)