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アソシ研リレーエッセイ
被災者の「利用」は許せない

前号で、尼崎で間かれた唐木英明氏の講演会「放射能と食品の安全性」のことが書かれていた。食品安全委員会委員の彼は、放射能汚染について「恐れるほどのことはない」と安企神話を振りまいていたようだ。今回は、その唐木氏の「お仲間」と紹介されていた山下俊一氏の話から始めたい。原発事故後、福島県放射線アドバイザーにして福島医大学学長に抜擢された、あの「ミスター100ミリシーベルト」山下氏である。
 国や東電とつるんだ東大教授が「大丈夫」と言うなら、とりたてて取り上げる気もしない。だが、この被曝二世の元長崎大学医学部教授は「浦上の隠れキリシタンの子孫であり、カトリック信者で長崎カトリック医師会支部長」(ウィキペディアより)であって、「放射線と甲状腺」を研究テーマのひとつとし、チェルノブイリで子どもの甲状腺がんの治療にも関わってきた医学の専門家である。
 その彼の発言が、例えば「放射能の影響は実はニコニコ笑っている人には来ません。クヨクヨしている人に来ます」(『インパクション』181号・平井玄の論考より)なのだ。そして福島の人たちに精力的に「安全」を説いて回っている。私にはその動機がわからない。けれども、被災者を前にポジティブ・シンキングなおっさんが説教している場面を想像するとゾッとする。経歴からして低線量被曝の影響については承知のはず。ならばその行動は専門家としての知見からではなく、宗教的使命感によるものなのか? もしそうなら、地上で苦しむものに根拠のない救済を脱くなと、言いたい。己の信念のために被災者を利用するなと言いたい。
 この人も含めて、この間、多くの専門家や専門的機関から原発事故と放射能汚染について極端に異なる見解をいろいろと聞かされた。そして私は、結局確かなことは何も分かっていやしないのだと思うになった。そうなのであれば、対立する専門家の見解のいずれに与するかを考えるよりも、自分の感性に素直な対立線を引きたい。ニコニコかクヨクヨか。100ミリシーベルトは受動喫
煙より発がんリスクが少ないか否か、岩手からの松明を拒否するのは被災地差別かどうか、食品汚染の暫定基準値500ベクレルを許容するのかしないのか……。さまざまな対立はあっても、それらが結局のところ「がんばれ日本!」に回収されていくことに抵抗したい。
 リーマン・ショックがあった3年前の年の瀬には日比谷公園に年越し派遣村が開設され、貧困問題が注目された。ところが今では貧困問題は後景化し、原発やTPPをめぐって「国益」論議がかまびすしい。一方、ニューヨークでは「1 %の金持ちと99%のわれわれ」と叫ばれ、貧者と富者の間に対立線が引かれた。私は原発やTPPを考えるときにも後者の対立線を手放してはならないと考える。何かできるのか覚束ないけれど、被災者を「利用」して何かを言うこと、被災に便乗して「安全」を売るようなことだけはしてはならないと思う。
(下村俊彦:関西よつ葉連絡会事務局)


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