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市民環境研究所から
汚染されたフクシマの農地を想う

 ますます日本の気候も夏と冬しかないかのようである。昼間気温が25度の日の2日後には、12度の日がやって来た。環境問題を考える中心課題に地球環境問題とか温暖化を置いていないが、ゆるやかに季節が移り変わる日本の気候が遠い昔のことのようになってくると、気候変動問題を考えなければと思う。
 この酷署の夏を乗り越えて14才の誕生日を迎えてくれた、我が愛する老犬は、夏の疲れから抜けきれずに、10月下旬に他界した。人間の年齢に換算すれば90才以上になるから、大往生だった。最期の最期まで飼い主のことを気遣ってくれた立ち居振る舞いと穏やかな瞳に感謝である。周囲の者がペットロス症候群に罹らないかと心配してくれている。
 もちろん、もっとも心配していたのは筆者本人だから、老犬を看取ったあとの11月は、高齢者としては過酷なスケジュールを組んだ。まず、和歌山の省農薬栽培ミカン園の定期調査を2泊3日でこなし、帰洛した翌朝からカザフスタン共和国のアラル海調査に出立し、12日間で帰国するという過密なスケジュールをこなし、帰国後は大学関係のシンポを開催し、終わればふたたびミカン園の収穫に出かけた。
 かくして、原稿を書いている今週は疲労困惑であるが、来週にはミカン山から届く10トンのミカンの配達が待っているから、疲れたなどとは言ってはいられない。省農薬ミカン園との付き合いは35年になり、収穫物全量(約20トン)を京大農薬ゼミという運動体で販売しはじめてから20年近くになる。
 関西地万だけでなく、全国へ宅配便も含めて、10キロ入りミカン箱を1500から2000箱販売している。注文案内状の作成、印刷から郵送は10月中旬に、11月は注文受付と宅配ラベルの印刷、12月は収穫と配達と、素人集団の商いは年末まで続く。市民環境研究所が一番にぎわい、乱雑になる季節である。
 その上に、今年は、東北大震災への支援を春の義援金募集だけにとどめないで、自分たちの省農薬運動を支援活動に繋げようと考えた。自分たちが一番得意な分野で支援するのがよいのではという雑談の中で、それなら省農薬ミカンを被災地に送ろうということになった。
 生産者も一緒にやりましょうと言ってくれたので、無理のない程度の箱数として200箱とした。それでも数十万円になるから、弱小運動体としては結構な負担である。省農薬ミカンを携えて若者が仙台市のボランティアグループと連携して、被災地の仮設住宅や被災小学校に届けるべく出発して行った。
 農薬は基本的には毒物であり、食料生産の現場では省くべき存在と位置づけ、省農薬栽培という表現で農薬問題を考えてきた。毒物である農薬といえども放射能よりはマシである。農薬も放射能も環境中に放出されれば回収できないのは同じだが、農薬は微生物や紫外線で分解される。しかし、放射能の毒性がなくなるには、ただ時間が経過するしかない。それも何十年、何千年である。
 省農薬農業をめざしてきた者として、放射能で汚染されたフクシマの農地を想うと、脱力感しか残らない。省農薬ミカンを持って東北に行った若者はまだ帰って来ていないが、どんな人と風景の中で、自分たちの日常活動と大震災やフクシマ原発崩壊を考えて帰洛するか楽しみである。
 (石田紀郎)


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