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連載 ネパール・タライ平原の村から(17)
政治状況をめぐって(その2)

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井君の定期報告。今回は、その17回目である。

王制が廃止:されたネパールでは、新憲法制定に向けた制憲議会が闘かれています。当初は2年だった議会の任期は、各政党間の議論が対立し、今年9月には3ヵ月の「再々延長」となりました。こうした政治情勢を、僕の周りの人たちは、どう捉えているのでしょうか。
 王制がなくなってよかったのか? マオイスト(共産党毛沢東主義派)は、貧困層の味方なのか? 首都カトマンドゥの政治家について、どう思っているのか? 雑貨屋の店主、その辺のおじさんたち、地域の少数民族グループの代表、マオイスト党員に意見を聞いてみました。

●プンマガル協会のSukbahadur氏
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 王様や首相がどれだけ替わっても、何ら暮らしに変化はない」「マオイストは正しいことを言って、金・人をかき集めた。でも議会政党に転身した後は、私腹を肥やし派閥抗争するこれまでの政治家と同じになってしまった」と言うのが雑貨店の店主の意見です。今の政党は「鶏がエサを見つけるとつつき奪い合い、他に取られまいと走り同る姿と同じだ」と厳しい発言が聞かれました。マオイストは王制廃止とともに武装闘争路線から転身し、2007年の制憲議会選挙でネパール第一党に躍進しました。
 近くのチョウタラの木の下で休憩していたある年配者は、「デモクラシー? 意味ないね」と同じく失望の声。これまで賄賂にアクセスできたのは「王族だけだったのが、601人(国会議員)に膨れ上がっただけ」とのこと。そのほか「王制があった昔は社会の秩序が守られていた。ただし一方的に政権を掌握したギャネンドラ国王には嫌気がさした」と言っていました。
 また「支配階層バフン(ブラーマン)が、バフンの暮らしをよくしたに過ぎない」「王制であろうと、マオイストであろうと、いつも利益を得るのは、バフンたち上位カーストだ」との意見もあります。これは、地城に住む少数民族グループの一つ、プンマガルの協会代表Sukbahadur氏の意見です。
 実は、マオイストの支持基盤の中心となったのは、少数民族マガルでした。しかし、マオイストを結成した党首プラチャンダも、現首相バッタライもバフンです。そして、各党幹部のほとんどを上位カーストが占めているのが事実です。

●少数民族プンマガルの集会の様子


●マオイストとして武装闘争にも関わったRajan氏

 マオイスト党員であるRajan氏にも話しを伺いました。彼は、農村から都市を包囲するという戦略を持つ毛沢東主義について語ります。「ネパールのマオイストは、中国共産党の毛沢東主義と同じではない。ネパール独自の毛沢東主義である」と。彼は1990年代後半から2006年までの武装闘争の間、夜中にナラヤニ河に運搬される食糧をジャングルに潜むマオイスト兵に配給することに携わったとのこと。警官に家宅捜査されたり、連行されたこともあったと言っていました。
 「王制時代は、政党活動が禁止され、5名以上集まって集会を開くことも許されず、発言の自由がない時代が続いた」とのこと。その当時を思うと、マオイストの台頭で時代が大きく変動したことは間違いない、と主張します。マオイストは「少数民族・女性・アウトカースト(被差別階層)」といったマイノリティーの政治参加を強く訴えました。そして、実際に彼らの支持を得ることに成功しました。
 しかし、国会議員となった党の幹部たちがカトマンドゥに豪邸を建て、自らの子どもを海外留学させ、高級車を乗り回す姿を目のあたりにして、Raj an氏はこう言います。「自分が支持した仲間も、地方のことを忘れてしまった」と。
 インタビューをした人のいずれにも共通した意見は、王制にも既成政党にもマオイストにも不信感をいだいているということです。
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 議会では現在、共産主義思想のマオイスト兵士約3万人を国軍にどう統合するかが最大の焦点となっています。ネパールは中国(正確にはチベットですが)とインド(その背後には米・英がいます)という2つの大国と国境を接しており、その狭間で政権を安定させることは難しいとも言われています。いずれにしても、「延長」を繰り返す制憲議会は、一握りの国会議員の要望に答えるものではなく、大多数の農村で暮らす庶民の要望に応えるものでなければいけないと思います。
(藤井牧人)


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