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アソシ研リレーエッセイ
成熟と衰えを感じながら

◇なおつづく八堂農民たちの闘い

東日本大震災から半年が過ぎ、最近脱力感を覚えて仕方がありません。震災直後は東電や国に怒りを向けることが出来たのですが最近はどんどん自分に向かってきます。きっとそんな心持ちの人も多いのではないかと思います。
 被災地の人たちは住む場所を失い、我々もまた、心の置き場所を失った。そんな感じをうけています。神戸の時も同じ様なことを感じましたが、あの時は、まだ余裕と希望がありました。時間的な猶予を残しての警告と受け止めることができました。そして喉元すぎて16年。この間、反省のない生活を続けた結果、今回は逃げ場も時間の余裕もない中での最後通告を感じます。
 女たちは自分の生活のあり様も省みず被害者になり切り、抵抗もなく運動に走っておりますが、男は後ろめたさと今だ決心のつかぬ思いを残し具体的な行動に移れないでいるようです。社会のあり方、あるべき姿を自分の私生活は棚に上げて主張してきましたが、いざ責任と直結する立場となると、菅直人よろしく取って付けた言動と行動しか出来ないのが現代の我々の情けない姿ではないでしょうか。
 地震、津波だけなら立ち直れるが、原発事故(事件?)が現実のものとなり、これは効きました。原発に反対してきた我々はいったいどんな一日を過ごしてきたのか? こまめに電源を切る程度はしてきたものの、原発廃止を訴える程の毎日を過ごしてきたのか? 今現在はどうなのか? 原発推進派とあまり変わらず浪費して脱原発を訴えているのが現実のようにも思えます。
 日本人は広島、長崎で被爆を経験し三度目は自分で自分の国を被爆させました。我々は何と愚かで反省のない存在でしょう。今、未来に向け私たちに何ができるのか? 与えられた僅かな生命の時間を次世代のためどう生きるのか? そんな問いが過ぎっていきます。
 業に心を支配され他律に動かされることも多いのですが、それでも人には理性があると思いたい、内在すると信じたい。私たちの純粋な理性は脱原発という具体的な形を取って今までの浪費生活を見直す運動に発展しているのだと感じたい。節度ある生活、空腹の中にある充実感が我々の理性を目覚めさせる手段の様にも感じています。
 年齢と共に食は細くなり、酒は弱くなり、体力は落ち、頭脳は低下し、老化と共に業に支配される割合は少なくなり、真理が正しく視られるようになりました。しかし同時に、頑張る力も落ち込んでしまい、気の重い毎日です。(村上忠政:よつ葉ホームデリバリー京滋)


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