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連載 ネパール・タライ平原の村から(15)
米づくりの昔と今

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井君の定期報告。今回は、その15回目である。

7月末。ネパールへ来て二度目の田植えは、あまりに強い日差しのため、傘をさしながらの田植えとなりました。今年もご近所同士、各世帯から人手を出し合い、すべて手植えによる田植えが続きました。日々、田植え作業が続くこの季節、米作りの過去と今について紹介したいと思います。
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 タライ平原の中でも、私たちが暮らす地域の水田には、大きく分けて3つの種類があります。1つは、他所の田から田へと水が流れる水田地帯。もう1つは、国有地でありながら水回りが良いため、農地を持たない人たちが違法に耕作した水田。そして近年、流行のように増えてきた、地下水をモーターで汲み上げる管井戸を設置した水田です。
 相方の家族の場合、30年以上前に山岳部から平地へ移住した当初、水田は一切所有していませんでした。グルカ兵(傭兵)として働いた相方の父親は、平地に移住後、退役年金をこつこつ貯め、収穫の半分を地主に納める小作農を約10年続けたそうです。そして念願だった水田を購入し、約半年分の米が自給できるようになりました。さらに、4年前に管井戸を設置したことで、ようやく1年分以上の米が確保できるようになったとのことです。

●傘を差して行う田植え=手植え

●田植えを手伝う近所のおばあさん

 私たちが今年蒔いた種モミには、水田に移植する品種、そして管井戸を利用した水量が少ない水田でも生育する品種があります。いずれも改良品種です。昨年は、ハイブリット(高収量品種)を試験的に少量植えてみたところ、「濃い緑色」の茎がいかにも肥料喰い(多肥多収)だったので、今年は作付けしないことにしました。また、貯蔵してある米が過剰になったため、水まわりが不十分な一区画に昔からあるモチ米の在来種を植えることにしました。
 このモチ米、収量は非常に低いのですが、少ない水量・肥料でも生長します。また、茎の背丈が高く、長いワラが獲れるそうです。モチ米は、主に祭事にミルクと一緒に煮炊きして食されます。長いワラは乾草として利用する以外に、農閉期につくる大型のムシロ(敷物)の原材料になります。義父が移住した当初の1980年頃は、このようなモチ性の在来品種の稲が蒔かれていましたが、今ではまったく見かけなくなったそうです。在来の稲は、茎が細長く、水害や旱魃、雑草との競合に耐える形質があるとされる一方で、低収量で倒伏もしやすく、食味も今とは比べものにならないとのことです。
 こうして在来品種の稲が消え、米の品種改良が進み、品質も向上しました。地下水を汲み上げる灌漑化で、水のコントロールが可能となり、土地の生産性が飛躍的に向上しました。私たちの畑でも、小麦もしくは豆類→トウモロコシ→水稲という三毛作が可能となっています。化学肥料も普及し、私たちの水田にも尿素肥料を使って追肥がされるようになりました。周辺の農家では、2年前から除草剤の利用も見られます。私たちの米作りもまた、食糧増産という農業近代化の影響を受けた農家の典型と言えるのかもしれません。
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 田植えなどの際、互いに労力を融通し合う「結い」を、ネパール語では「パルマ」と言います。昔からある言葉です。この季節、村の人たちから「今日はパルマに出かけた」「今からパルマに行かなければならない」といった会話が聞かれます。農業が近代化する中で変わる部分、それでも変らない部分を残しつつ、今年も村の田植えが続きます。(藤井牧人)


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