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連載 ネパール・タライ平原の村から(13)
「食べること」をめぐって

 ネパールの農村で暮らす、元よつぱ農産職員の藤井君の定期報告。今回は、その13回目である。

 ある日、相方の家族との食事中のこと。日本人である僕は「スズメやネズミの肉は食べたことないけど、豚・鶏・牛とどんな肉でも食べるのだよ」とさらりと話しました。すると、いつも笑顔絶えない相方の弟嫁が、「ゲエッ、最低!」というような顰蹙の眼差しで僕を見ている! あわてて相方が「日本人が食べるのは、牛肉じゃなくて水牛の肉でしょ、ガハハハ」と言いかわして、ことなきを得ました……。
 そもそも日本では、沖縄くらいまで行かなければ水牛がいないので、水牛肉を食べることなどあり得ません。しかし、敬虔なヒンドウー教徒の家庭で育った相方の弟嫁の前で、こともあろうに女神ラクシュミの化身である「聖牛」を「食べた」などという発言は、問答無用で受け入れられないものなのです。今回は、カルチャーショックを強く感じることが多々ある「食べること」について述べたいと思います。
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 ネパールでの食生活の中では、牛肉を食べてはいけないというタブーが大半の人に当てはまります。しかし、それ以外にも、いくつもの規律があり、それはおおむねヒンドゥー教に特有の身分制度である「カースト」に関わるものです。

●薪を使って料理する相方


●祭事のために水牛を捌いているところ

 たとえば、台所に「アウトカースト(いわゆる「不可触賤民」)」の人を招いてはいけません。高位カーストの人は、乳を加工した精製バターで炒めたご飯でないと、自分より下位カーストと食事はできません。彼らは肉類を食べる時も、服装に関する規律があります。
 また、生理中の女性は台所に入ることも許されず、大皿ではなく別の皿に盛られた食べものを台所の外で食べなければなりません。食べものや食器を介して間接的に触れることが許されないのです。下位カーストや女性の生理に対する規制は、ものを食べる手を通して「不浄」「ケガレ」が移り、自分自身も清浄でなくなるというヒンドゥー的な考え方に起因しているようです。
 こうした意識は、日本でもかつては広く存在し、今も一部に残存していますが、ネパールでは、近代化の著しい今でも根強く残っています。
 食事は1日 2回、右手を使って食べます。いずれも大盛りのご飯にダル豆を主とした豆類のスープ、その季節にとれる野菜をスパイスで煮込んだおかずが一品という「一汁一菜」です。
 たまに肉類を食べる時は、それ一品と大盛りのご飯のみ。ご飯が残れば、お茶漬けのように水牛の乳をかけて食べますが、これは僕にはマネできません。さらに、客人の前ではしませんが、鍋や皿の食べ残りも舌で舐めて食べ尽くします。
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 ほんの少し腹が減ったといってはコンビニに飛込み、陳列棚に大量に並んだ安い食べものを自由に選んで喰ってきた僕から見れば、非常に質素な食生活なのです。今でさえこうですから、一昔前に山岳部から平地へ移住してきた相方や相力の両親は、どのような食生活だったのでしょうか。
 彼らは、トウモロコシやシコクビエの粉を熱湯で煉った「ディロ」と呼ばれる、目本の「そぱがき」のようなものを主食としていました。当時は水が引けないので、満足に稲作もできませんでした。そのため米は常食にできず、特別な祭事の時だけ食べる高価なものでした、食糧が不足した時は、ディロを水で薄めたスープと呼ぶにも程遠いものを食べて、空腹を満たしたとのことです。
 空腹で困ったことがない僕とは異なり、必死になって生きてきたようです。
(藤井牧人)


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