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市民環境研究所から
ツナミとフクシマを想いながら

天候不順は5月一杯続き、夏野菜の苗の生長も1ヶ月間はほぼ止まったようだ。さらに曇天が続く。それでも、冬を越した作物は、わずかな日光を求めて懸命に生き延びようとしている。こんな植物・作物の強さを見習はなければと思うが、心は晴れない毎日である。筆者ひとりのことではなく、日本中の人々がきっとそんな気分で毎日の仕事と時間を過ごしているのだろう。大事な課題はいっぱいあるが、手が付けられない気分である。
 当研究所の大きな事業である「環境塾」は昨年から、「語り継ぐ」をキーワードにして、20世紀後半から現在まで、市民運動の中心として活躍された方々の半生記と今後の課題を語っていただく企画を続けている。5月は「市民型福祉」を模索してこられ、多くの福祉施設を作られた長田侃士さんの話を聞いた。その内容は割愛するが、聴衆の集まりが極めて悪く、講師には失礼をした。
 なぜかと言えば、福祉や老人医療や障害者問題や水汚染や農薬汚染や農業問題などなど、課題山積であるが、今はそこまで気が回らない状態に人々が置かれているように思う。目を閉じても開いても、「ツナミ」と「フクシマ」が心に重くのしかかり、その余のことは、申し訳ないがちょっと待って、という気分なのだろう。未だ被災地に入れてない自分が嘆かわしいと思いながら事務所に居ると、ツナミやフクシマに関する問い合わせがあり、わずかながらも自分も役に立っているのかと思うこともある。
 先日は、農水省の中堅官僚と技術者が訪ねてくれた。フクシマの放射能汚染農地の修復に向け、実態究明のために何をしたらよいのか模索中である。まずはチェルノブイリを訪問してきたが、次はカザフスタンのセミパラチンスク核実験場に行きたいので、その情報とカザフの協力者がほしいとの要望だった。
 旧ソ連邦の核実験場だったセミパラでは460回以上の核実験が行われ、うち260回は地上実験だった。1990年代に筆者も数度訪れたが、広大な被爆地が存在する。もちろん、すべての情報を提供し、通訳も運転手も研究者も紹介して、連絡も取った。フクシマの復旧に役立つことを願うが、同地は年間降水量が300ミリ程度で、1400ミリのフクシマとは気象条件も風土も違う。フクシマの農地復興にとって直接役に立たずとも、フクシマが旧ソ連邦以上の暴虐の結果であることを農水省の官僚たちが知ってくれればよいと思う。
 それ以外でも、友人を通して民間企業から、ツナミ被災地に大量にある瓦礫の木材を加工して土壌改良材、有機肥料に変える企画を始めるので、協力してほしいとの依頼があった。すでに実績のある地方企業で、被災地の雇用も考えているという。役に立つかどうかは判らないが、協力することにした。
 いろんな思惑を持ちながら、いろんな人々がツナミとフクシマに立ち向かって行くならば、何十年かかるか判らないが、復旧と復興はあると信じていたい。日照不足の中でも生き延びようとする野菜達に教えられながら、ツナミとフクシマについて想いをめぐらす毎日を送ろうと思う。当面の課題は6月26日、京都駅近くの梅小路公園で行われる脱原発京都集会の成功である。
(石田紀郎)


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