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連 載 ネパール・タライ平原の村から(12)
どうやって現金収入を得ているか?

ネパールの農村で暮らす、元よつば農産職員の藤井君の定期報告。今回は、その12回目である。

 先日、アフガニスタンのカンダハールにある米軍基地で働いていた、向かいの家の出稼ぎ者が一時休暇で戻って来ました。半年前、エージェンシーから急に連絡が入り、飛行機代等の資金集めに奔走していました。実は僕も数万円、村では良心的らしい年利15%の条件でお金を貸しました。「そんな危険なところへ行くものじゃない!」と苦言することもなく…。
 1年以上にわたって村の中で暮らしていると、いろんな事情で「お金を貸してもらえないか?」と尋ねて来る人の多さに驚きます。僕が日本人だからというわけではなく、お金の貸し借りは日常茶飯らしく、誰もが何らかの借金を抱えて暮らしているのです。とはいえ、産業や仕事が乏しいネパールで、僕や村の人はどのように収入を得ているのか、おそらく気になっておられるだろうあたりについて、今回は述べてみたいと思います。
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 僕と相方と2人合わせた1ヶ月の生活費は、日本で1日働けば稼げるような金額でしょう。現金収入については、相方が作った手工芸品を日本の小さな雑貨屋で販売してもらったり、こうした原稿を書いて得る部分が大きな比重を占めています。家畜や作物で得る稼ぎは少額です。
 先ほどのように、「金融」もしています。金額・利率・期限はこちらの慣習を参考に、借り手との関係で決まります。信頼できる人か、返済確実な人か、親族か、ご近所か……など。必ずしも、生活に窮している人に貸しているわけではありません(ちなみに高利貸しの場合は年利35%です)。
 金融に関しては、さらにいくつもの小規模融資組合(日本で言う頼母子講)にも加入しています。また、こちらの銀行預金は定期1年で11%と非常に高利率なので、その利息も重要な収入となっています。こうしてあれこれ、どうにかやっていけるのは、実はネパールの物価高騰に比例するかのように、高い水準が保たれている「外貨」、日本円によるところが大きいのです。

●一見のどかな山村も、出稼ぎによる過疎化が悩み


●出稼ぎで過疎化する山村では、女・子どもが働き手

 一方、一般の村人たちが、どのように現金収入を得ているのかといえば、やはり大半が「外貨」だと思います。とくに「グルカ兵」と総称されるイギリス軍やインド軍の傭兵として働く事例が目につきます。PKO(国連平和維持軍)で働く人もいます。相方の父親も、かつてインド軍に雇われ、パキスタンとの領土紛争の地カシミールに配置されました。幸い無事退役し、今は年金受給者です。
 グルカ兵の雇用は、古くは第一次世界大戦時から行われていますが、現在は戦争のハイテク化や高学歴化に伴い、雇用者の数は減少傾向にあるようです。それに代わって、アフガニスタンやイラク、コンゴなどアフリカ諸国といった、背後に大国の思惑がうごめき、きな臭さがプンプンするような国々へ。もちろん、ドバイやサウジアラビアなど湾岸諸国、隣国インド、ヨーロッパやオーストラリア、日本と、世界中に出稼ぎに出ています。その多くが低賃金で働く肉体労働者だったり、報酬が高い代わりに非常に危険な仕事です。
 労働人口が村から、農業から離れ、出稼ぎ者が後を絶たない背景には、先進国が先進国であり続けるために途上国が途上国であり続けなければいけない、そんな構造があるのように思います。もちろん、日本から来た僕自身もまた、いくら庶民を装っても、そんな構造の上に乗っかっているのです。


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