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インタビュー:雇用と労働の現在
就労支援事業と仕事づくりをめぐって

高齢者はもちろん若者にとっても、雇用や労働をめぐる状況は依然として厳しい。今春の大卒就職率は統計開始以降で最低とされる。職に就けたとしても、劣悪な労働条件の中、いわゆる「ワーキング・プア」を強いられることも珍しくない。ホームレスや家庭崩壊、貧困や障害など、さまざまな理由で困難な状況にあり、社会的な排除に曝されがちな人々にとってはなおさらだ。なるほど、行政側としても各種支援策を策定してはいるが、如何せん、現場で対応する力はない。そんな中、行政側の支援策を受ける形で、若者の就労支援に取り組む数多くの非営利団体がある。今回は、そうした団体で働く田山一洋さん(仮名、35)から、業務の概要や問題意識、今後の展望などについてお話を聞いた。なお、行政からの委託事業に携わる立場を鑑みて、仮名とさせていただいた。

「就労支援事業」とは?

 【研究所】これまで田山さんが携わった就労支援事業について、簡単に説明してもらえますか。
 【田山一洋】この3月まで僕は大阪府の就労支援事業で働いていました。厚労省からの交付金を財源とした事業で、2009年10月からの実施です。いわゆるニート(注1)層をはじめさまざまな要因で就労が困難な人に対してコミュニケーション・トレーニング、ボランティア体験や職場体験など、各種の段階に応じたさまざまな支援を行っています。若者たちが気軽に集まれるように、大阪市内に3ヶ所の「居場所」を設け、僕は主にその一つで事業の軸となる「夢船場」で働いていました。現在は「居場所」は夢船場一ヶ所に集約して、就労支援のための機能を充実させたインキュベーション(後述)として運営しています。スタッフは10人、うち7人はサポステ(注2)をはじめとした支援機関の利用者だった人で、かつてニートだったり、発達障害を持っていたり、引きこもり経験があったり、という経験を持っています。それ以外が僕を含めて3人。雇用形態は全員が1年間更新の単年度契約です。
 事業の内容は、基本的には「居場所」を利用したインキュベーション機能による就労支援と、最終的にはグループ就労による支援モデルを構築することです。インキュベーションというのは、もともと卵を孵化させて育てることです。つまり、居場所の中でさまざまな人と仕事に関する交流を持って、就労に向けた意識づけから実際のコミュニケーション能力、さらに労働現場での振る舞い方を育てていくことですね。
 それから、グループ就労は文字どおり、単独ではなく何人かで一緒に働くことです。就労が困難な人の場合、いきなり一人でどこかの企業へ行って働くのは、正直言って難しいことが多い。自信がないとか、生産効率的にもう一つといった問題がある。そこで、似たような状況の人たちが組んで働けるような条件があれば、就労へのハードルは低くなるだろう。そう考えてグループ就労を位置付け、事業として取り組んだわけです。
 【研究所】事業に関わるようになった経緯についてお願いします。
 【田山】僕は事業開始から関わっています。きっかけは知人がサポステのコーディネーターだったことです。いま一緒にフリースペースを運営している仲間のMさんです。
 かつて僕は大阪市東住吉区の長居公園で野宿者支援の運動をやっていました。当初、野宿の労働者は比較的高齢者が多かったけれども、2000年代以降は20代や30代の若者を目にするようになりました。彼らに話を聞く中で、いわゆる非正規労働やワーキング・プアの問題に直面し、フリーターの労働運動にも関わったりしてきました。
 ところが、そうした中でさまざまな事例を知れば知るほど、いわゆる労働問題の範疇に収まらない現状も見えてきました。とくに、ニートや引きこもりと言われる人の場合は顕著ですが、親や家族との関係をはじめとした社会的孤立の問題を含め、生活全体の問題としての捉える必要があることに気がついたんです。
 野宿者の問題も単なる労働問題ではなく、社会的孤立とか社会的排除に関わる問題です。だから、どうやら両者は非常に似通っていると感じるようになりました。そんなとき、たまたまMさんに誘ってもらい、やってみようと思ったんです。

就労支援の実際

【研究所】具体的な日常業務としては、どんなことをしていましたか。
 【田山】基本的には、図のような流れで取り組んでいました(下図参照)。



 ます、サポステなどの機関から紹介をされたり、ハローワークでチラシを見たり、ブログを見たりして相談にきた人に対して「インテーク(初回)」の面談を行います。これまでの経過とか本人の考えを聞いて、生活の現状や大まかな特性などを掴みます。その上で、全部で5段階のステップを設けているので、本人の状況に合わせて、どの段階から始めていくのか設定していきます。
 「コミュニケーション・トレーニング」「ソーシャル・スキル・トレーニング」と大層なことが書いてありますが、第1段階では、たとえばお客さんに「いらっしゃいませ」と挨拶したり、チケットの受け渡しをするような簡単なボランティア。第2段階になると、図書館の本の整理など作業っぽい仕事をこなすボランティアですね。第3段階まではボランティアで交通費も出ません。労賃をもらう仕事になるのは第4段階からです。
 この中で僕らの仕事はというと、ボランティアや就労体験の現場で、その人の様子を把握して、本人の特徴とか、得意なところや苦手なところを見立てて、どう支援するのか方針を立てていくことです。本人の得意なところが生かせるような仕事の分野を見つけたり、苦手なところでも工夫次第で克服できたり。
 さらに、必要であれば医療機関につなげたり、他の就労支援機関につなげたり。あるいは、生活保護や療育手帳(注3)の申請が必要な場合には専門の機関に紹介する。それが一連の流れです。
 【研究所】相談に訪れる方は、総じてどんな傾向がありますか。
 【田山】「総じて」しまうと語弊がありますが、語弊を覚悟で言えば、働くことや他人とのコミュニケーションに不安があったり、自信がないというのが全般的な傾向ですね。社会人としての基礎力がないとか、社会生活の能力が身に着いていないという面も、たしかにその通りだと思います。これまで何回も面接に行ったのに、ことごとく通らない。挨拶もできない、聞かれたことにちゃんと答えられてない、という事情が見えてきます。
 それから、一旦は就職しながら、3日や1週間で辞めてしまう早期離職のリピーターもいます。面接は通るけれども、いざ働き出すと現場でトラブルが起きて辞めさせられる。こういう場合は発達障害が隠れていることが多いと思いますね。
 【研究所】個人的な問題は昔からあったはずだし、仕事になじめない人の割合も最近急に多くなったわけではないはずです。以前ならさほど問題にならなかったし、こういう支援の枠組みもなかった。ここ10年ぐらいで焦点化されてきたのはどんな背景がありますか。

支援が必要な社会的背景

【田山】それは明らかだと思いますね。10年前〜15年前であれば、多少コミュニケーションに困難な点があったり、こだわりの強い傾向があったりという障害のボーダーライン(境界線)の人でも働ける場があったけれども、いま事業所の側はそうした層を受け入れる余力がなくなっている。それに尽きると思います。
 実際に経験した事例では、30代後半で中卒後15年間も鉄工所で働いていたのに、ある時期にリストラにあってから再就職が難しい、仕事に就いた場合でも早期離職の繰り返し、そういう人がいました。就労支援を通じて本人とも繰り返し話をして、最終的には療育手帳を申請し、知的障害者として支援を受けながら働くことにしました。
 企業側としては中途はもちろん新規採用でも、即戦力というか、要するに「打てば響く」人を求めています。だから、発達障害というか、障害のボーダーラインにある人の場合は、仮に面接に通っても、必ず早期に離職を余儀なくされてしまします。企業の余力がなくなり、そのあたりがあからさまになってきたということでしょう。
 【研究所】とはいえ、企業側の状況はここ数年で好転しているわけではない。とすると、どうすれば就労が可能になるんですか。
 【田山】大阪府による各種の調査を通じて、企業側の余力の問題だけでなく、人材が必ずしも適材適所になっていない「ミスマッチ」の面があることが見えてきました。それこそ、東大阪の町工場などでは人手が足らないところもたくさんある。そうしたところで働ける人が他の仕事に流れていたり、そうしたところで働くための窓口や社会的な経験の機会がない場合も少なくない。いずれにせよ、そうしたミスマッチを埋めていくことが就労支援の不可欠な課題であるというのが基本的な考え方です。これは、いわばマクロな視点、労働力移動に関する視点だと思います。
 その上で、ミスマッチ状況の中で仕事につけないでいる人を少しずつ仕事に近づけていくための段階的な支援が必要だろうということですね。いきなり就職というのはハードルが高いですから、個々人の状況に合わせて一回ずつ階段を上がっていくのを支えていく。これがミクロな視点ですね。個々人の状況に合わせた支援というのは、後でお話しする「パーソナルサポート」事業で、さらに明確になります。
 段階的な支援を行う際には、多様な職場があった方がいい。そこで、貧困問題の専門家の福原宏幸さん(大阪市立大学教授)は「中間労働市場」という概念を入れています。もともとイギリスやヨーロッパ諸国で生まれたものですが、長期失業者などに一定期間、職業訓練と就業の場を提供し、労働市場につなげる役割を果たしている非営利・営利の事業体です。最近よく耳にする「社会的企業」の中でも労働市場への包摂を目的としたものです。
 わりと幅広い概念で、障害者の就労移行支援事業では、かつての小規模授産所、つまり作業所も中間労働市場の一つとして捉えられているし、いわゆるコミュニティ・ビジネスとか、ワーカーズ・コープ(労働者協同組合)、ワーカーズ・コレクティブも含まれる場合があります。それらを積極的に取り入れていこうということですね。
 【研究所】大阪の場合、そうした中間労働市場の事情はどうですか。社会的企業としては矢野紙器が有名だけれども、他にもあるんでしょうか。
 【田山】障害者の作業所や通所授産施設で言えば、大阪府下でかなりの数があります。ただ、それらが自ら社会的企業であるとか、中間労働市場としての位置付けを持っているか、あるいは障害のない人を含めてやっていくという位置付けかといえば、極めて限られると思います。矢野紙器の場合は、自ら就労支援を含めて就労移行支援と就労継続支援A型の事業所(注4)を作り、就労体験を通じて意識的に障害のある人とない人との間を埋めていこうとしているという意味では、モデルにしていきたいと思います。
 【研究所】日本では法律や制度がないこともあり、社会的企業や社会的協同組合を作るような動きは、なかなか進みにくいのが実際のようです。
 【田山】僕は障害について、もっと柔軟に捉えたいと思っています。実際、就労支援事業の利用者で療育手帳を申請して、取得した人がいました。仕事につくために移行支援の事業所で支援を受けながら仕事を探すことになったわけですが、希望としては、最低賃金の規定もあり、社会保険もついた就職を目指しているわけです。また、矢野紙器の事業所では手帳を持つ人と持たない人が制度の枠組みは違いますが同じように就職を目指した訓練や実習に取り組んでいます。だから、ある場面では手帳を使い、ある場面では使わないで生きるような柔軟さが必要だと思っています。
 実際、療育手帳の申請で、市の職員から「手帳の申請をするからには知的障害者として生きる覚悟を持ってもらわないと」といったことを言われる場合があります。市民の税金でサービスを受ける以上、そういう自覚を持ってほしいという面と同時に、必要な行政サービスである以上、積極的に使ってほしいという想いがあるんでしょう。でも、必要なときに使えば十分ではないでしょうか。手帳の有無で障害のあるなしを完全に分けるのは、乗り越えないといけない壁だと思います。

就労支援と企業の関係

【研究所】人工透析の人でも障害者手帳を持っていますからね。ところで、就労支援の活動は、もちろん就労する側の条件整備を行うものですが、同時に就労を受け入れる側の条件整備を切り拓く面もあると思います。それは言い方を変えれば、企業のあり方を変えていくという意味合いになりますが、その点についてはどうですか。
 【田山】僕にはまだそこは見えないですね。事業所への働きかけについては、何年も前から府や市はもちろん、パソナやリクルートといった民間の人材派遣業者も行っています。もちろん、中間労働市場という考え方はまだまだこれからですが、そうした自治体なり業者と結びついて、つながりをつくっている事業所は、少なからずあるんです。たとえば、就労体験だったら受け入れられますよ、とか、こういう人材を求めています、とか。ハローワークと連携した地域就労支援事業が各自治体にありますから。地域就労支援センターが営業開拓して、地域に根ざした関わりを作っているところはあります。たとえば、豊中市は結構がんばっていると思います。
 【研究所】実際に自治体側と事業所側との協議に同席する機会があったということですが、企業に対してはどのような説明をしているのですか。
 【田山】自治体としては基本的に、労働市場におけるミスマッチの問題について説明するのが一つです。その上で、就労困難者や障害者が職場に入ることでイノベーティブ(革新的)な職場環境が実現されるという形で企業側のメリットを提案するもの一つですね。障害者が働きやすい職場は誰でも働きやすい職場で、それは生産効率の上昇にもつながりますよ、という形です。
 障害者を受け入れることで、職場環境のいろんな工夫を迫られるわけですから。それを好機として、効率化、イノベーションを生み出していきましょう、ということですね。
 【研究所】障害者の雇用促進については助成制度がいくつかありますね。いずれにせよ、企業側に働きかけて就労支援につなげるわけですが、それによって企業として何か変わったというような話を直接聞いたことありますか。
 【田山】僕が実際に携わった現場について一つ紹介します。食品加工工場ですが、受け入れてもらって1年半ぐらいになりますが、いまも続いています。療育手帳を持つ利用者が実習に入った時には、僕もサポートで入りました。
 食品加工工場なので、いろんな食品がカゴに乗って運ばれてきます。赤いカゴ、緑のカゴ。赤いカゴにテープが貼ってマークが付いているもの。それぞれ置き場所が違ったり、床に降ろしたらダメだったり、いろいろルールがあるけれども、僕も含めてなかなか覚えられない。だから、壁に「この色のカゴはこういうふうに使いましょう」とか、見てすぐ分かるような状態にしたりして、結果的に職場が非常に整理整頓されるようになった。そういう目に見える変化がありました。

労働への包摂と「その先」

【研究所】就労してミスマッチが解消したり、結果として企業の生産効率が上がったり、それは非常に重要なことだけれども、そこで終わりかという問題があると思う。
 たとえば、野宿者問題では、いわゆる一般的な社会意識から見て、野宿者は不幸にして社会から逸脱してしまったけれども、本人の努力や公的な条件整備で元の社会に復帰すべきだ、と思われがちですね。しかし、元の社会のあり方そのものが不可避的に野宿者を産み出しているとすれば、そこに戻っても解決にならない、むしろ野宿も含めた多様な生き方こそ必要だとの見方もあります。
 【田山】そうですね。就職した先での働き方はどうなのか、さらに言えば現在の企業のあり方はそのままでいいのか、ということでしょうね。実際に、就職はしたけれども、続けられなくて戻ってくる人も少なくありません。ただ、この事業をやっていく中で、僕としては、その部分はあえて脇に置いています。
 というのも、相談にくる人の傾向からすれば、とりあえず働かないとまずい人が多いからです。経済的な逼迫もあれば、親や周囲との軋轢で厳しい環境になっている場合もある。いずれにせよ、生きていくための方法として、このプログラムに乗ることを選ばざるを得なかったと思います。だから、まずはその部分に集中したい。
 もちろん、就労支援にとどまらず、生活支援が必要な場合もあります。家族から切り離す必要があったり、障害基礎年金を受け取るための手続きをする場合もあります。なまじバリバリ働くより、ペースを落とした方が、その人にとって適している場合もあります。
 【研究所】それぞれの条件に応じたところを紹介する形で対応しているわけですか。
 【田山】大阪府の就労支援事業としては、そうです。ただそれとは別に、長居公園の近くに僕が関わっている「オシテルヤ」というフリースペースがあります。そこを拠点にして、生活保護受給者や野宿の労働者の居場所づくり、仕事づくりをやろうとしています。これは、いわゆる一般の労働市場に入るのとは別の方向性ですね。
 だから、ここはみんなで力を合わせて仕事をするところ、チラシを配ったりして稼いだ分はみんなで折半して、いわゆる一般の社会とは違う働き方をやろうとしてるところだよ、という側面を強調していきたいと思います。生活保護受給者や一人暮らしのおっちゃんが仲間だから言える世界かもしれませんが。そういうオルタナティブな場所は確保しておきたい。「就労実現、ミスマッチ解消」だけではない局面も作っていきたいですね。
 ただ、就労支援事業の支援者や利用者にそういう話をすると、混乱させてしまう面もある。「そんなんでええんか、そんな甘いことで働いていけるんか」と言う人もいます。
 【研究所】むしろ産業社会的なモラルを内面化していて、だからこそ「働かなくては!」と思い詰めるのかもしれませんね。
 【田山】ほぼそうですね。周りからのさまざまなプレッシャーを受け入れ、「働かなきゃ、働かなきゃ」という圧力を抱えている人がほとんどと言っていいと思います。

就労支援で変わったもの

【研究所】相談にきた人で、本人が思い描いたような形での就労、ないしは就労体験ができている割合は、ざっとどれぐらいですか。
 【田山】かなりになると思います。感覚的で申し訳ありませんが、50%〜60%でしょうね。サポステでは登録者数が3000人くらいでしたが、その中で就労体験なりボランティアなりにまでたどりつく人の割合は約10%だったそうです。
 その点では、大きく寄与していると思います。
 【研究所】元は就労支援機関の利用者7人が現在はスタッフになった。それは、就労体験で自信がついた結果なんでしょうね。
 【田山】そういっていいと思います。ただ、就労という目標にたどりつくことは、それほど希少な事例ではありません。これまで僕が携わった就労支援の事業所の登録者数はおよそ100人ですが、その半分ぐらいはアルバイトや雇用対策事業などで収入を得ています。得ていない状態から得るようになったわけです。
 【研究所】そうなると、まさに機会に恵まれたか恵まれなかったか、ということですね。
 【田山】機会は非常に大事ですね。ただ問題は、収入を得ているといっても、継続的とは言えないところですね。就労と失業状態を繰り返す場合も多いし、就労形態も期間雇用や派遣だったり。そこから継続的な就労、とりわけ内部労働市場に至るには大きな壁があると思います。
 僕らの事業は有期の基金事業ですから、僕を含むスタッフ10人についても、事業が終了すればどうなるかわかりません。つまり、100人の半分が収入を得ていると言っても、内部労働市場ではなく外部労働市場の割合が極めて多い。もちろん、世の中全体がそうなんですが……。
 この辺りについて、先述の福原さんは興味深い図を示しています(下図参照)。図の第4象限に「ジョブ型継続雇用、専門職雇用」とありますが、僕らはここで生き延びるしかないだろうと思います。専門職と言っても高度なそれではなく、この人はこれが得意というマッチングの部分ですね。


 【研究所】ところで、田山さんとしては、就労支援事業に関わる以前と以後とでは、何か変化した部分がありますか。
 【田山】それは自分でもすごく変わったと思いますし、周りからもそう言われます。広がりや幅、柔らかさが増したということでしょうね。実際、自分が行政がらみの事業に携わる機会があるとは、夢にも思いませんでした。
 さまざまな法律や仕組みについて知識として知ったこともありますが、これまでなら受け入れ難かった発想も受け入れてきたという自覚があります。当初は野宿者支援運動の現場から離れたこともあって、府の事業に雇用されている間は妥協できることはしようと、いわば「毒を食らえば皿まで」と思った部分もありましたが、それによって勉強できたことも間違いなくあります。企業や行政の仕組みや、就労が困難な人の困難性についての理解でも、これまでの考え方の枠を外したからこそ、いろんなことに気づけるようになったと思います。
 カウンセリングの勉強をしてキャリア・コンサルタントの資格も取りました。かつては形式的な権威や専門性なんて唾棄すべきものだと思っていましたが、課題に直面した学習によって、これまで野宿者支援運動で我流や勘でやってきた対応も、こんな聞き方が大事だったのか、こちらの角度から入って行くべきだったのか、と気づかされるところがありましたね。専門的に勉強したことで、現場で生きることが多いと実感しています。

「期限」後の展望

【研究所】就労支援の事業は期限がありますよね。その後の展開についてはどうですか。
 【田山】最初でも触れましたが、僕らの就労支援事業は大阪府の基金事業を受託しており、その財源は厚労省から出ています。麻生政権時代に始まった失業対策で、期限は3年間。だから、来年3月末で基金事業としては終了します。ただ、これは受託条件の中に、基金終了後も独自の収入源を確保して継続し、事業として自立させなさいよ、という項目があるんですね。要するに自前で雇用を創出するわけです。
 それに向けた方向性として、一つは培ってきたプログラムの質を高めて、民間の就労支援機関がやっているように、利用者や利用者の親から会費を徴収する形で運営していくこと。もう一つは、グループ就労の仕組みをつくって4〜5人くらいで仕事を請け負い、稼ぎながら就労支援をしていくこと。いずれも、事業としての自立は簡単ではないでしょうが、7人のうち1人でも2人でも雇用できるようにしたいと思っています。
 【研究所】受託事業としての今の形はなくなってしまうということですね。
 【田山】少なくとも、これまでと同じ規模や形態ではなくなると思います。ただし、その場合でも、また違う形で僕らの支援の内容やこれまでの人間関係は維持していければと思っています。僕も何らかの形でそこに関わる可能性はあります。

「パーソナルサポート」について

【研究所】そういえば、田山さん自身はこの3月までこの事業で働いていたと言われましたが、4月以降はどうしているのですか。
 【田山】いま僕が関わっているのは「パーソナルサポート」関連の事業です。パーソナルサポートというのは、もともと湯浅誠さんが内閣府の参与になったときに内閣府から厚労省を通じて下りてきた事業です。内容は就労支援だけではありません。行政組織では縦割りになって相互につながらない施策を横断し、対象者個人を全体として支援していくという趣旨です。大阪府の場合、豊中市・吹田市・箕面市という自治体がモデル事業を実施する部分と、それ以外に自治体を限定しない二つの委託事業があって、僕はその一つ、ネクストステージ大阪LLP(以下、ネクストステージ)が受託している事業に関わっています(注5)。
 ここも、やはり矢野紙器をはじめとする5団体(個人)によって設立されました。事業内容は、障害者、ニート、発達障害などの若者に就労や教育、訓練機会を提供することです。就労支援という軸に生活支援という面が加わります。
 たとえばこれまでの就労支援事業に相談にくる利用者の中で、就労体験以前に生活保護の申請とか療育手帳の取得とか、家族問題とか、いろいろと片付けなければならない問題があった場合にはパーソナルサポート事業に紹介してもらって対処の手伝いをし、就労支援に取り組める環境をつくる、ということですね。
 それから、やはり中間労働市場を作ることが目標ですね。いまネクストステージでは、野田の商店街で八百屋を1軒経営しており、中央市場から仕入れてきた野菜の仕分けや値つけ、もちろんお客さんへの接客・販売といった仕事の経験や訓練をする機会をつくっています。専従スタッフとしては3人、職場体験や就労体験として計15人が参加しています。専従の人件費は、いまはまだネクストステージから補填していますが、すでにオープンして半年以上経っているので、この秋には自前でやっていけるメドがついています。ただ、八百屋ですから、朝5時に起きて夕方6時、7時に店を閉めるまで働き詰めという状態です。
 それと、この八百屋を拠点にして、大阪市内のさまざまな地域で野菜の移動販売をしています。軒先マーケットのような形で、毎日およそ12ヶ所で朝市を開いています。ネクストステージでは就労体験と仕事のマッチングという点から、就農のための体験セミナーを開催しています。大阪の南部や和歌山の農家さんを中心に、話を聞いたり受け入れをお願いしたりしているので、移動販売の野菜はそのつながりで仕入れています。農業体験と販売体験とをセットにした形ですね。さらに4月には、同じ商店街に定食屋を開きました。
 【研究所】そうした一連のつながりの中で雇用が作れれば、期限付きの就労支援事業のプログラムを継承していく受け皿にもなると思います。
 【田山】ただ、ネクストステージの場合も、就労支援事業と同じくパーソナルサポートの受託事業としては来年3月が期限です。それまでにどれほど基礎が固められるかが課題だと思います。

「オシテルヤ」を中心に

【研究所】ところで、先ほど話にあった「オシテルヤ」について、田山さんが関わることになった経緯と今後の展望をお話しいただけますか。
 【田山】僕が直接関わるようになったのは、2009年前後でしょうか。もともとは、先に触れたMさんという人が、僕が野宿者支援運動をしていた長居公園の近所で車椅子の障害者がふらっと立ち寄れるような、ゆるい居場所を作っていました。何かのきっかけで知り合い、長居公園の野宿者テント村とも交流が生まれました。その後、テント村が行政代執行で取り潰しになり、長居公園から追われた人や生活保護の受給に移った人たちが交流場所としても使うようになって、いまでは多様な人たちが集うフリースペースになっています。
 こうした経緯なので、オシテルヤ関連の動きは、大阪府の事業やネクストステージとは違って、基本的に民間の任意団体やNPOを主体としています。ただし、公的な助成については可能な限り利用できればと考えているので、それに相応しい受け皿を作るのはやぶさかではありません。その上で、いま二つの構想があります。
 一つは、オシテルヤを運営している仲間を中心に、協同労働に近い形で内装の会社を設立することを考えています。仲間自身が内装の仕事を覚えて親方になって仕事を請け負い、そこに就労を目指す人々を受け入れて、請け負いの代金から協同で分配していこうという計画です。若者だけではなく生活保護を受給している元野宿のおっちゃんたちも一緒に働けるような枠組み、協同組合的なものができれば、と思っています。
 この点では、もう一つ、介護保険のヘルパーステーション設立に関わる人材育成事業と実際のヘルパー派遣事業ですね。というのも、オシテルヤに関わる人々の中に、野宿から生活保護に移った介護が必要な高齢の労働者が少なからずいるからです。だいたいが釜ヶ崎で日雇労働者を30年も40年もやって、その後に野宿というパターンですから、何かの拍子に身体を壊して車椅子という場合も多いです。そうした人々の生活支援の一つとして必要でもあり、またそうした支援を続けていく経済的な基盤にもなり得るので、訪問介護の仕組みを取り入れようと考えました。もちろん、ヘルパーが担えるのは生活支援の一部ですが、そこから始めようと思っています。この7月1日に事業認証が下りてオープンの予定です。僕もヘルパーの資格を取って一緒に働くつもりです。
 これに関連して、ヘルパー派遣に配食サービスを組み合わせる形で、オシテルヤに集うさまざまな人々が一緒に仕事をできる居場所作りの取り組みをやりたいと考えています。それが軌道に乗れば、やがては貧困者の協同組合運動や居住組合運動につなげていきたいと思っています。ただ、現段階ではあくまで願望に過ぎませんが。
 【研究所】事業主体はどういう形態ですか。
 【田山】ヘルパーステーション立ち上げに関わる人材育成事業は、NPO法人長居公園元気ネットと(財)大阪労働協会による合弁企業「オシテルヤ共同企業体」です。大阪府の緊急雇用創出事業を受託して、介護事業所立ち上げに係る人材育成事業として、自ら介護の事業を立ち上げたいと思っている人を半年間雇用する形になります。
 事業所の設立に向けた書類の作り方やマネジメント手法、社会福祉協議会や地域包括支援センターなど地域の社会資源との関係作り、利用者の集め方といったノウハウを半年かけて学び、人材育成して各々の実際の現場で実施するものです。
 【研究所】自分たち自身でオン・ザ・ジョブ・トレーニングをしながら、ということですか。
 【田山】そうですね。釜ヶ崎で介護の仕事をやっている事業所からも教えにきてもらい、様々なことを学びながら取り組んでいます。
 そのほか、フリースペースとしてのオシテルヤも、またオシテルヤに集うさまざまな団体も、それぞれ多様な活動をしています。詳しくはホームページ(注6)を見ていただきたいのですが、子どもたちとニートとじいさんと三世代で交流するような取り組みもあります。これは独立行政法人福祉医療機構の社会福祉振興助成事業の助成を受けて、「貧困者の〈出会いと協同体験〉を創造する〜社会的居場所とパーソナルサポート」として実施しました。
 あるいは、長居公園で野宿者支援をしていたときの「長居公園仲間の会」も、現在はオシテルヤを拠点にして毎週月曜日の相談(サロン)、月二回の夜回り活動を継続しています。夜回りで出会った野宿の労働者がサロンに来て、生活保護を受けにいったということもあります。
 オシテルヤは、将来的には介護の事業所や配食サービスの事業、それと先ほどお話しした請け負いの事業などで収入を得て、自分たちでやっていく分は自分たちでまわせるようにしたい、活動の基盤は自分たちで確保したいと思っています。

「事業」としての自立を目指して

【研究所】事業活動と言うと、運動と対立する形で捉えられたり、迫られて行う部分もあるけれども、逆に事業を通じて、運動とは別の広がりとか、人との関わりを生み出す面もあるでしょう。
 【田山】そうですね。以前の仕事を辞める際に1ヶ月休みをもらって、いろいろ考える機会がありました。もともと野宿や生活保護の労働者と関わる中で、一緒に生活を維持していけるような枠組みとか基盤を作っていきたいと思っていたので、ともに仕事を生み出すということには非常に関心がありました。そこで、NPO関西仕事づくりセンターにも参加したりしていたわけです。
 ところが、同時期に一方で、野宿や生活保護の労働者の世界には、いわゆる「貧困ビジネス」の連中が大量に現れてきました。やっていることは介護とか配食で、その意味では僕らがやろうとしていることと重なります。しかし、連中は粗悪なサービスを提供して利ザヤを稼いでいるだけで、野宿や生活保護の労働者と一緒に何かをするという発想はまったくありません。連中を駆逐するためにも、まともなサービスが必要ではないかと思っていたんです。
 そこで、仕事づくりの面と貧困ビジネス対策の面を合わせて何かできないか、と考えるようになり、休んでいる間に、そうした事業を始めるにはどうしたらいいのか、あれこれ調べてみました。しかし、いかんせん知識も経験も足らず、分からないことだらけだったんですね。だから、その勉強のために今の就労支援の事業に関わるようになったという側面も、結果としてありますよね。
 【研究所】では、田山さんとしては、将来はオシテルヤ関連の事業が中心になるわけですね。
 【田山】そうですね。ただ、僕自身は中心軸を置けなくても、就労支援事業やネクストステージの内容については何らかの形で継続してもらい、相互の関連ができればと望んでいます。
 【研究所】就労支援事業やネクストステージにきた人で、オシテルヤに興味を持つ人はいますか。
 【田山】はい。夜回りに参加してくれたり、月曜日のサロンにきてくれたり。そういえば、ネクストステージで商店街に常設店をあと1ヶ所つくる計画があって、そこで八百屋や移動販売で余った野菜を使って惣菜づくりをしようと話し合っています。それをオシテルヤの配食サービスと合体させることも可能ではないか、と……。
 【研究所】それぞれ単独で継続していくのはもちろん、仕組みは違っても複合することでさまざまな事業が構想できるということですね。今後もいろいろお話を伺えればと思います。

【注】
 (1)大阪府地域若者サポートステーション。厚労省の委託事業として、06年度から全国で開始。就労が困難な16歳〜39歳を対象に個別相談を行い、利用者のニーズや状態に合わせて支援プランを考え、他機関との連携、紹介や情報提供を実施。
 (2)各種の学校に通学しておらず、独身で、収入になる仕事のない、15歳以上35歳未満の個人。
 (3)知的障害(児)者が福祉サービスを利用する時に必要な手帳。
 (4)障害者自立支援法に定めるサービスの一つ。就労移行支援は一般企業での就職を目指す人を対象とし、就職に向けた訓練を実施する。A型は65歳未満で、雇用契約に基づく就労が可能な人、B型は授産施設や作業所など非雇用型の施設で就労可能な人を利用対象にしている。
 (5)LLPとは「有限責任事業組合」の略称で、有限責任性、内部自治、構成員課税という特徴を持つ組合型の組織を意味する。
 (6)http://oshiteruya.com/


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