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緊急座談会―東日本大震災と福島第1原発事故
震災と原発事故から見えてきたもの

 今回の震災−原発事故は、経済成長至上主義やシステム依存など、従来の日本社会の「常識」に深刻な反省を迫るものであった。もちろん、反省は今に始まったことではなく、よつ葉グループとしても、これまでその変革に向けた実践を重ねてきたつもりである。ただし、今回の事態を契機に、これまでの社会のあり方を深刻に懐疑する動きが、かつてなく広く深くなっている。当研究所では、こうした状況に対して何を訴え、どう働きかけるのか、目指すべき将来社会のイメージはいかなるものか、この機会に改めて議論し、何らかの取り組みにつなげていきたいと考え、緊急座談会を企画した。参加者は、鈴木伸明(関西よつ葉連絡会事務局)、橋本昭(アグロス胡麻郷)、大石光伸(常総生活協同組合副理事長)、中野佳裕(国際基督教大学助手・研究員)の各氏。司会は当研究所代表の津田道夫が担当した。

戦後日本社会の問題として

【司会】まずは、東日本大震災と福島第1原発事故という未曾有の出来事が、これからの社会、我々の将来展望にとってどんなインパクトを与えているのか。それぞれ、ご自分なりの捉え方をお話しいただきたいと思います。
 【鈴木】まとまった話にはなりませんが、正直言って、非日常的な世界に突如としてたたき込まれ、それが未だに続いているという状況です。地震や津波にせよ原発事故にせよ、それ自体は僕らが起こしたものではなく、その意味で僕らは現在、状況に対して受動的な対応関係にあると思います。それに対して、徐々にではあれ能動的・主体的な関わり方にどう転換していけるか、そのあたりであれこれ考えているところです。
 全国的には、これから「復興」とか「再建」という話が出てくるでしょう。もちろん、まだ原発事故に終息のめどはついていないので、どうなるか分かりませんが、流れとしてはそうなっていくはずです。それに対して、僕らの立場は、震災や原発事故によって露呈した従来の日本社会のあり方に疑問を持ち、それとは違った社会を求めてきたという意味で、震災以前と基本的には変わらないと思っています。
 その上で、地域社会が根こそぎ破壊されるほどの壊滅的な被害を踏まえ、戦後の日本の社会形成のありようといったものがどれほど問い直されるか、という点に関心を持っています。もちろん、それをただ見ているだけではなくて、僕らもそこにどのように関わることができるのか、ということでもあるわけです。いわゆる「支援」という点でもそうです。
 「復興」や「再建」と言うとき、どんな考え方を基本にして行われるか。おそらく、今まで通りの考え方が主流だろうと思いますが、それではダメだと考える人も少なくないと思います。そういう人たちと、どうつながっていけるのか。
 三陸地方では明治以降、これまで四回ほど大きな津波に襲われ、すさまじい被害を受けました。そのたびに「復興」や「再建」に取り組み、これまできたわけです。もちろん、その大半は巨大な堤防を作ったり、水門を作ったりという土木技術中心の発想だったと思いますが、必ずしもそれだけではなかったんですね。
 この前、被災された生産者を訪ねて、宮古から三陸海岸沿いに陸前高田まで南下する機会がありました。道中はほとんどの町が破壊されていましたが、それほど被害がひどくないところもありました。後で聞いてみると、それは岩手県大船渡市三陸町吉浜地区というところで、明治、昭和の大津波で被害を受けた後、当時の村長が高台への集団移転を進めたそうです。その結果、今回の津波でも住民およそ1400人のうち行方不明者は1人。住宅440戸のうち、倒壊したのは3戸、4棟に留まったそうです。そういう例もあります。
 いずれにせよ、防災対策一つ取っても、そこには戦後の日本を形づくってきた考え方が色濃く反映されている。そうした旧来の価値観と、それに対する反省や疑問とが、おそらく今後は何らかの形でせめぎ合いになっていくと思うし、そうなっていかなければならないと思います。

●鈴木伸明さん

 もう一つ、陸前高田には河野和義さんというよつ葉と取り引きのある醸造元(八木澤商店)がいて、以前からまちづくり活動を積極的にやっておられました。地元の名望家です。かつて先代(父親)が、広田湾に工業コンビナートの建設計画が持ち上がったときに中心になって反対運動を行い、撤回させたという経過があります。そうした中で育ってきた人ですから、これから陸前高田をどう再建していくのかという話になったときに、やはり戦後の日本が行ってきたような発想とは違った形でやっていきたいということを言われていました。
 ただ、そうした旧来の価値観とは違ったものが形になっていくためには、被災地域の住民たちが考える地域づくりが尊重されなければどうしようもありません。それを、上から「復興プラン」なるものをつくってカネと一緒に押しつけていくようなことになってはダメだと思います。おそらく、政府としてはそうしたやり方でやろうとしているのでしょうが。
 これは、まさに「民主主義」の問題なのではないか。つまり、日本には制度としての民主主義はあるかもしれないが、自分たちの暮らしを自分たちで決めるという意味での民主主義があるのかどうか、それが問われるだろうと思います。実際には、カネもない、決定権もない。河野さんも「国はカネを出しても口は出すな」と言っていましたが、そんな動きが起きてくれば、たとえば一方で従来通りの工業中心の再建を目指すところもあれば、農業や漁業を中心にした地域再建に取り組むところも出てくるでしょう。そうした多様な再建のあり方が可能になるように、僕らとしても仕事を通じて関わりが作れたらいいと思っています。

今後の人類の文明の問題として

【橋本】大地震から津波、そして原発事故という一連の流れの中で、テレビに釘付けの状態が続きました。映像を通してではあれ、かつてない衝撃を受けました。原発事故を目にして「そやから言うてたやないか」という言葉が喉元まで来ながら、口に出すのがはばかられるような、そんな衝撃でした。なぜそんな気持ちになったのか、実は今でもよく分かりません。
 その後は、とりあえず義捐金を集めたり、農業会議を通じて、被災者の受け入れを申し出たりといったことをしてきました。それから日が経って、ようやく事態の「意味」を考え出したというところでしょうか。
 私はそもそも農家出身ではなく、30歳あたりから農業に携わって30年以上経つわけですが、農業に関わろうとして、あるいは関わる中で、何らかの形で「自然と人間の関係」というものを考えてきたように思います。その関連で想い出したのが、以前聞いた話です。それは、自然は英語でnatureと訳されますが、その反対語はartつまり、技術とか人工という意味らしい。
 私も含めて、新たに農業に飛び込もうと考える人たちというのは、やはり「人工」のものから「自然」へという感性を持っていると思います。というより、基本的に人間は誰しも「自然」と「人工」との間でバランスをとろうとしているように感じています。それを踏まえると、今回の大震災で津波や原発の問題が語られるとき、とくに政府や東京電力の場合は顕著ですが、やはりどうしても技術レベルで論議されることが多いわけだけれども、その根底にある「自然」と「人工」との間のバランスというところまで行かなければまずいのではないか、と思うんです。
 言い換えれば、大それた話かもしれませんが、人類の文明として、今後どのようなバランスの方向へ進んでいこうとするのか、あるいは自分としてはどのような方向で暮らしを考えていくのか、そういう問題を突きつける事態だったのではないかと思っています。
 少なくとも、そうした議論が始まるきっかけが出されてきたことは間違いないでしょう。つまり、これまでさまざまな形で行われていた農業をめぐる話や地域をめぐる話、さらに広げれば将来の社会展望に関する話、どんな話であっても、今後は今回の事態を軸として語らなければならなくなったということです。私としては、むしろそれをチャンスとして捉えたいと思っています。
 これまで、ともすれば農業は農業の中だけ、社会思想は社会思想の中だけで話をしてきたように思うけれども、その枠が外れ、それぞれが自分の持ち場から全体を語らざるを得ない状況が生まれている。もちろん、本当に全体を語り得るかどうかは、また別問題ですが。

「自然災害」と「格差構造」について

【大石】私の勤める常総生協は茨城県守谷市にあります。ご存知のように、茨城県は福島の隣で被災地でありながら、守谷市の被害は非常に少なかったんです。だから、いわば中間的な位置で状況を見ているようなところがあって、岩手・宮城・福島に対しては距離感を持ちながら、できるだけ現場に入り、当事者に寄り添い、その上で自分たちが問われているもの、考えるべきことを考える、という形で活動を展開してきました。
 こうして一ヶ月が過ぎる中で、最近では、自分たちがこれまでやってきたこと、あるいは「協同の社会」を作ろうという理念について本質的に問われている事態だと改めて思っています。それについて、私は現時点では、正直言って絶望的かな、という感覚を覚えています。
 何を問われたのか。一つは「自然災害」をどう捉えるかということです。この前、石巻市に入って瓦礫やヘドロの撤去をしてきました。石巻に行く途中の涌谷町には、付き合いのある米農家がいて、そこでは例年、早場米を植える時に地鎮祭をしています。巫女さんが来て、生産者たちが田圃の前でお祈りをするんですね。幸い今年も開催できましたが、その情景を見ながら、私たちは自然に対する畏怖のようなものをすっかり忘れていたことに気がつきました。今のように、近代科学、近代的知性によってあたかも自然を征服できるというような見方ではなく、かつては災害も含めて自然そのものを受け入れる、人間の都合に合わせて自然があるわけではない、という見方があったわけですね。

●橋本昭さん

 生・死そのものが自然の循環の中にあるということを忘れて、堤防だとか原発だとかで自然を征服できるという驕りがあったんでしょう。これは、死というものを遠ざけている私たちの生活とも関わってきます。自然界の中では生と死とは表裏一体であるという感覚を持って自然とともに生きること、これは被災地の情景や、先ほどの地鎮祭を目にする中で感じたことです。
 もう一つが、二重三重の格差構造の存在です。たとえば都会の消費者が「福島の野菜は食べたくない」と勝手なことを言う。冗談ではない。むしろ、今回の原発事故を許した我々は、放射能で汚染された自らの身体によって事態の本質を後世に示すべきだと思います。少なくとも福島の人たちが苦しみを背負う理由はありません。むしろ、苦しみは東京が背負うべきなのです。
 日本の近代史の中で、東北は都会にとって、一貫して食糧の供給地であり、労働力の供給地であり、労働力を吸い取られて過疎地になった末に、安い地代と労働力を当て込んで工場が誘致されたり、挙げ句の果てに原発まで押しつけられてきました。こうした格差構造が問題にされない限り、いわゆる復興の過程で東北は見捨てられるかもしれません。
 いずれにせよ、私たちの暮らす社会の構造や人間の本性が露呈し、それを見ることができたというのが、この一ヶ月だったように思います。
 「復興」の問題で言えば、やはりできるだけ地域自給や地域自治を、つまり東京の方ばかり見るのではなく、自分たちにとって本当に必要なものは何かというところに基づいた新たな地域づくりが必要になってくるのでしょう。そうした転換がなければ、これまでと同じ東北の位置づけが繰り返されてしまうのではないか。そこにどう楔を打ち込むか、というところが関心です。

●大石光伸(おおいし・みつのぶ)さん
1957年生まれ。筑波大学で宇野派の重鎮・降旗節雄に学ぶ。1983年常総生協に入協。常総生協については本誌第72号参照。一昨年の北大阪商工協同組合による茨城県訪問を契機に、よつ葉グループと常総生協との交流が始まる。関西よつ葉連絡会は今回、常総生協による被災地支援活動のルートを通じても物資や人員の支援を行っている。

事態を捉えるためのいくつかの視点

【中野】皆さんの考えは根本的にはだいたい同じように思います。私としては、学者の立場から交通整理ができればと思います。
 まず、これまで私がしてきた研究とその問題意識について触れたいと思います。昨年ラトゥーシュの本を訳し、解説の最後に、日本社会の現状に対する僕なりのメッセージを書きました。現在の日本のあり方で最も深刻な問題は、「未来に対する投資」がない、ということです。国のあり方はもちろん、世界の中での日本の倫理的責務という点でも、政策論議の中に明確な将来展望とそこに向けた具体策が欠落している。

●中野佳裕(なかの・よしひろ)さん
1977年生まれ。英サセックス大学社会科学とカルチュラル・スタディーズ研究科開発学博士課程修了。開発学博士。専攻:国際開発論、平和学、社会政治哲学。「脱成長」を掲げるフランスの経済哲学者セルジュ・ラトゥーシュの著書『経済成長なき社会発展は可能か?』(作品社、2010年)を翻訳。「肖像写真は勘弁してほしい」とのことで、訳書の写真に代えています。

 ラトゥーシュの翻訳を出した後、上関原発の問題を調査し始めました。山口県出身なので以前から知ってはいましたが、はっきりと関心を持ったのは最近です。「脱成長」という問題意識からすれば、やはりぶつかるわけです。
 ただ、調査してわかったことは、これまでの原発研究は、原発の安全性に関する技術的な議論が大半を占めていることです。私としてはむしろ、原発が文化・政治・地方自治といった広い社会的文脈に与える影響や、それに伴う社会正義や民主主義の在り方めぐる問題など、政治哲学の枠組みの中で議論する必要を感じており、上関原発問題を通じて、そうした議論の物差しを形成したいと考えていました。この試みを具体化したのが、5月中旬に刊行される共著『脱成長の道』(コモンズ)に収録の論文「脱成長の正義論」です。奇しくもこの本の完成間際に、今回の震災に遭遇しました。
 その後雑誌『世界』5月号に震災に関する論文を寄稿しました。この論文で私が強調したのは、今回の震災を省察する際に、戦後日本の社会発展の歴史を哲学的に見直す必要があるということです。中でも原爆投下と水俣公害の問題です。たとえば、核/原子力が科学技術の範疇を超えて政治問題化したこと。肥大化する科学技術を市民によって制御する必要が出てきたこと。日本の社会発展が中央集権的な地域経済開発と差別の構造の上に成り立っており、地方の都市や企業への従属を生み出してきたこと。これら一連の歴史的教訓を踏まえて今回の震災にも取り組まなければなりません。
 この点で、鈴木さんが指摘された「民主主義」の問題ですが、民主主義を制度としてではなく、自分たちの暮らしを自分たちで作り上げる文化的実践として成熟させていく視点が、戦後65年の間に十分確立してこなかったのではないかと思われます。
 次に大石さんの指摘した農業や地方に対する格差の問題について。私生活で同世代以下の人々と話してみると、戦後日本の社会発展の過程で第一次産業が周辺化されてきた歴史的事実を知らない人が意外に多いことに気づかされます。大学で教えていてもそう思います。農業や漁業が歴史的に置かれてきた立場を世代を超えてどのように共有していくかも、今回の震災から見えてきた問題だと思います。
 それから、橋本さんが言われた「人類文明へのメッセージ」という点は、非常に重要だと思います。今回の原発事故のように、とくに環境問題では、特定の地域で生じた問題が容易に地球規模の問題へと波及してしまいます。住民運動も地球規模での普遍性を持つし、そのような意識に基づいて意思表明や情報発信が必要になってくるように思います。

近代科学技術への批判

【司会】橋本さんの言われた、「自然」と「人工」との間のバランスという点について、もう少し説明してもらえませんか。
 【橋本】以前、私のところにアメリカ先住民の人が来たことがあります。私がいるのは人里離れた谷地ですが、彼から「おまえはなぜこんなところで暮らしているのか」と尋ねられました。私が「自然の中で暮らしたいから」と答えると、彼は「いったいこれのどこが自然なんだ」と言うわけです。おかしなことを言うな、と思いましたが、よく考えてみれば周りの山々は原生林ではありません。杉ばかり植林されていたり、必ず人の手が入っていたりする。それを鋭く見抜いたんです。
 確かに、彼の感性からすれば、日本の自然は自然ではないかもしれない。しかし、それでも人間が一方的に利益を得るための対象というようなものではなかった。明治以降の自然の捉え方とは、やはり根本的に異なっているような気がします。その違いは量の問題ではないと思いますね。
 【中野】最近、福島第1原発事故に関わる識者のコメントを目にする中で、「現時点で脱原発を唱えるのは非現実的だ」といった意見を述べ、その根拠として「人間社会はもともと自然に負荷をかけながら発展してきた」という話を持ち出す人がいました。しかし、玉野井芳郎によれば、工業化社会における自然と人間を結ぶ技術のあり方と、前工業化社会におけるそれとは、自然の捉え方が根本的に違います。後者は自然を生きた系として捉え、生命系の循環の中で行使される技術です。他方で前者は自然を単なる素材として捉え、一方的に搾取する技術です。原発や科学技術の問題を論議する場合にも、こうした質的な区別を抜きにしてはならないと思います。
 【司会】科学技術そのものに政治性、社会性を認めるのか否かという問題があります。
 【大石】70年代にさまざまな形で論争がありましたが、いつの間にか消えてしまいましたね。ここへ来て、再び問い直されるべきしょうね。
 【中野】世界的に見ても、日本ほど科学技術のあり方に対して批判的観点が弱い社会も珍しいと思います。日本以外では60年代〜70年代における近代科学技術批判の思想が、文化人類学、科学哲学、批判系開発学の各分野で引き継がれています。ところが日本では、学問でも政策でも、近代科学批判の潮流が過去30年の間に周辺化されている。(注:この論点を導入したのは、日本において批判的な学問が制度的な支持を得てこなかったことを問題にするためです。)

歪んだ構造を作り変えるために

【司会】皆さんのお話で共通しているのは、今回の震災と原発事故が日本の戦後史の中で作られてきた歪な構造を明らかにした、という点ですね。つまり、東北をはじめとする「地方」や「田舎」は過疎化に見舞われる一方で農業や漁業、労働力や電力の供給源を担い、それを都会が一方的に消費するという構造です。本来なら、それぞれの地域が固有の自然なり伝統なりを生かした社会を形成していくべきだったのに、そうはならず、都会と地方に経済的格差をはじめ大きな格差を生んだわけです。だから、「復興」と言ったときに、そうした歪んだ構造がそのままでは、元の木阿弥に戻ってしまう。今回の事態をきっかけに、そうした構造を捉え直し、どのように新しいものに作りかえていけるのか、ということでしょう。
 その背景として、一つは近代科学技術と自然との関係をどう考えるのか、もう一つは近代・現代の日本社会の形成過程をどう考えるのか、という問題が出されました。
 【橋本】私が印象に残っているのは、下村治と東畑精一という二人の人物です。下村は、エコノミストとして池田内閣の高度経済成長を計画しました。そして東畑は、農業分野での高度経済成長政策ともいうべき農業基本法の策定に尽力しました。いずれも、いわば近代化路線の主導者です。ところが、東畑は3年も経たないうちに日本ペンクラブでの講演で自己批判しています。彼は、農基法が経済を重視するあまり暮らしや文化を軽視してしまったと反省し、自分には今後、農政について語る資格はない、とまで言いました。
 一方、下村は、石油ショックによって、もはや安価な資源を無尽蔵に使うような成長はあり得ないと考え、「ゼロ成長論者」になりました。
 こうした自己批判が教訓化されずに、アメリカがどうの、ヨーロッパがどうの、という議論がまかり通っている。僕らはもっと自分たちの足下を見つめ直さなければいけないのではないですか。
 【中野】ところで、地方の問題、社会形成の問題、それらの中に企業はどう位置づけられるとお考えですか。
 【司会】企業は経済活動を通じて地方のあり方に影響を与えうるし、国家・行政主導の社会形成に対しても別の物差しを提示しうると思います。ただ、実際の経済活動の中では、やはり資本蓄積の論理に引きずられ、何かを実現するための経済活動から、単に利潤を追求するための経済活動になってしまう例は非常に多い。僕たちもそうならないとは言えないし、現実には資本の論理に絶えず引きずり込まれそうになりながら、試行錯誤しているわけです。
 【橋本】これまで社会変革を志したりする人たちは、たとえば資本家と労働者の階級闘争という形で、社会の中での企業の位置づけを考えてこなかったのではないですか。昔のロシアや中国ならともかく、現在の社会では企業や会社の持っている力は非常に大きいわけだから、むしろ社会的な目的を持った企業のつながりを拡大していくという方向性が必要なのではないでしょうか。
 【鈴木】その通りですが、やはりカネとモノのやりとりを続けていく中で、社会的な目的を見失ったり、掲げてはいるけれどもお題目に過ぎなかったりということは、嫌と言うほど見てきましたから。
 【司会】現状のよつ葉の規模くらいなら会員さんも含めてあーだこーだ言いながらやっていけますが、拡大しながらそれをどう持続していけるのか、想像もつきません。
 【中野】いわゆる「復興」、さらに「脱原発」の実現という点では、どうしても「産業をどうするのか」という問題が出てくるはずです。現に原発があって、それを軸に地域社会が編成されているようなところでは、都会の人間が「脱原発」を主張するのとは異なる問題に直面します。

被災者と「共にある」こと

【大石】確かに、補助金や交付金、雇用などでがんじがらめにされてしまったところでは、「脱原発」は出てこない。仮にそうした声が主流となり、現実の力となった場合、地域経済は崩壊してしまう。あえて言うなら、原発を続けても崩壊、原発を止めても崩壊、そんな厳しい状況がある。だから、戦後の日本社会全体を捉え返すことなしに、個別原発の問題を語ることはできないと思います。
 しかし、都会にいる人々も、ちょっと離れた私にしても、そうした捉え返しの言葉を持っているかと言えば、持っていない。それはやはり、途方もない苦しみを背負った岩手・宮城・福島の人たちから発信されることによって、戦後の、そして現在の日本社会を撃つものとなるはずです。
 逆説的に言えば、東北は東京から見捨てられることによって自立の契機を持つことができるのではないでしょうか。そして、私たちはそれに寄り添うことしかできないのではないでしょうか。「日本がんばれ」とか、知ったこっちゃないですよね。
 【司会】常総生協では、今回の事態に対して、組合員さんからどんな反応が寄せられていますか。
 【大石】初めての事態ですから、組合員さんたちも自分で考えざるを得なません。理事会の立場は、出荷制限や風評被害に抗して生産者を支えるのが前提であり、あとは調理の工夫や家庭での対策で放射性物質の摂取を調整すべきだ、というものです。生産者からくるものは基本的に供給をストップしません。それでも、とくに組合員をやめる人はいないですね。ただ最近、初めてきちんとした反論がありました。大意は、生産者を支えることと何でもかんでも受け取って食べることは違う、というものです。
 もちろん、私たちも、現在の野菜はもちろん、今後の肉や米に含まれるであろう放射性物質の年間総量をある程度想定して、公衆被曝の年間線量限度を超えないように考えてはいます。しかし、これは福島の人たちの苦しみをどう分かち合うかという問題として捉えるべきだと思います。できるかぎり安全を守りつつも、生協運動として問われているのは、まさにその点でしょう。だからキャッチコピーなどで「この汚染された身体をもって現代文明を考えないといけないのではないか」と書いています。実際、葉物野菜は一週間で平均の77%くらいに落ちましたが、理事会としての考え方を伝える中で、やがて通常に戻りました。
 配送の組合員さんは5000人くらい。店舗利用の組合員さんが2000人くらいいますが、物資支援のために店舗の食品を根こそぎ持って行っても、とくに文句は出ませんでした。むしろ、「ありがとう」と言われたほどです。
 いずれにしても、震災の被災者や原発事故の被害を受けた生産者と「共にある」ということがどういうことか、今回の事態を通じて知ることができなかったら、生協の実現しようとしているものは単なるお題目になってしまうと思います。それに、後の世代へ教訓を残すこともできないでしょう。私としては、水俣と賀川豊彦という自らの原点に照らして今回の事態に取り組みたいと思っています。

「自立」に抗する地域の“自立”

【鈴木】中野さんが先ほど言われた上関原発ですが、僕は一度、建設反対運動が盛んな祝島を訪問しています。よつ葉でも取り引きがあるので。祝島の人たちが建設に反対する理由は、もちろん原発の危険性の問題もありますが、それ以上に「この島で暮らしたい」という気持ちが強い。経済優先の価値観からすれば低く見られがちな島の生活ですが、にもかかわらずそこにこだわっている。僕は非常に新鮮に感じました。そうした人々とつながり、何かお手伝いをする中で、島の人々の価値観を共有していきたいと思っています。
 【大石】私はコミュニタリアン(共同体の価値を重視する考え方)ですから、やはりそういう都市とは違った共同体の中で育まれる価値観に期待するんです。それこそ、商品交換・貨幣経済といった近代的な価値観に楔を打ち込むようなものは、そうしたところからしか出てこないのではないか。この点では、都市と農村とを結ぶアソシエーションを形成しようとするよつ葉とは異なるでしょうが。
 【中野】この間、いろいろなところで「自立」がキーワードになっていますが、政府などが言う「自立」というのは、何でも自己責任で対応できる市場のプレーヤーというイメージでしょう。しかし、皆さんは「協同」「連帯」「アソシエーション」の中にこそ“自立”の根拠を見出そうとしています。今回の震災では世間で言われるところの「自立」の脆さが明らかになったわけですから、今後は皆さんの言う“自立”が対抗的な価値して重みを増してくるのではないかと思います。
 【鈴木】僕は最近つくづく思うんですが、いわゆる高度成長以前の時代、そしてそれ以後の急激な変化を体験している自分としては、今日の社会を批判し、その先を展望していく上で、高度成長以前の経験が一種の原点になっていると感じています。もちろん、単に「昔は良かった」とか「昔に戻れ」では仕方ありませんが、かつての社会のあり方、人と自然との関係、人と人との関係の「質」について、当事者として次の世代へ伝えていかなければならないと思っています。
 【大石】私はどうしてもこだわってしまうんですが、私たちが言う“自立”であっても、自然発生的に得られるものではなく、それこそ苦闘の中で民衆が自ら掴み取っていくことでしか得られないと思うんです。それこそ水俣でも、二重三重に貶められた当事者たちが絞り出すようにして「怨」を吐き出し、そこから「生命」の価値を新たに紡ぎ出していった。賀川豊彦も新川スラムの人々と境遇を共にし、関東大震災が起きれば翌日には駆けつけるという活動の中で協同組合運動の内実を作り上げていったわけですよね。
 その意味では、繰り返しになりますが、地震と津波ですべてをなくした人々、見えない放射能の恐怖におびえる人々、そうした情景を目にして自分自身のこれまでのあり方を問い直す人々、そうした人々に依拠して行く以外に“自立”もないだろうと思います。
 で、そこから反転して、私の場合は直接語りかけることのできる組合員5000名に対してどうするか。やはりそれぞれの人々が状況に直面して苦悩してほしい。たとえば「ほうれん草を食べるべきか否か、何でそんなことで悩まないといけないのか」と。私たちも一緒に苦悩する、という姿勢を示すことしかないと思います。
 【橋本】世間で言われる「自立」というのは、ヨーロッパの都市社会をモデルに、その内実を形骸化させたものだと思うんです。それに対して日本の田舎には「自立」がない、と揶揄されてきました。
 僕自身、30歳あたりで農村に入りましたが、外からは見えなくても、あるいは都市のような形とは違っても、やはり田舎は田舎なりの“自立”の形があるんですね。都会のような、いわば孤立した個人の「自立」ではなくて、地域の諸関係の中での“自立”と言うんですかね。いわゆる有機農業運動も、この点を充分伝えることができなかったように思います。
 【大石】同感ですね。孤立した個人の「自立」というのは、それこそ各人が一人の商品所有者として市場の中で商品を交換し合うこと、その隠された前提として資本の自己増殖過程が各商品所有者を束ねていること、を意味しているわけです。だから、私はそこからどう離脱できるかという意味での“自立”を考えたい。そのためには、資本の媒介を経ない直接的な連帯・協同を対置する以外にないと思っています。「個人があって、それが関係し合う」ということではなく、いわば、すでにある諸関係の中で、そうした諸関係を苦悩しながら再編成する中で自らの有り様を自覚するような“自立”です。
 もっとも、現在の田舎にそれがそのままあるわけではありません。むしろ実際には、田舎こそ資本の自己増殖過程に絡め取られ、右往左往しているわけです。まさに現在の状況が示しているとおりです。そうした田舎と都会をつなぐアソシエーションというのは、相当な覚悟でなければ作れないのじゃないですか。

●座談会のもよう

今後の取り組みに向けて

【司会】時間も残り少なくなりました。今回の座談会は事前に準備したわけではなく、大震災と原発事故という事態に直面し、これまでの我々の考え方や活動が問われる中で、自分たちなりに言うべきことを言っておく必要があると考えて緊急に企画したものです。だから、そもそも結論めいたものを出すことは想定しておらず、実際にそれほどまとまりのある話になったとも思いません。
 でも、当然と言えば当然ですが、皆さんのお話には基本的なところで共通性があるし、私たちとしては、そこを立脚点として、今後も活動していきたいと思います。
 では、最後に皆さんから、今後の取り組みや構想について、一言ずつお願いします。
 【鈴木】やはり第一次産業をもう一度取り戻せるような「復興」や「再建」がどこまで可能なのか、そうした視点がどこまで広がっていくのかというのが最大の関心事ですから、それに少しでも資するようなことをしていきたい。具体的にモノのやりとりとか情報発信とかですね。これは東北地方だけではなくて、祝島をはじめ各地の地域社会のありようなども含めてです。そんなことを考えています。
 【橋本】これまでも、一言でまとめれば農業が大切だということを考えたり言ったりしてきましたが、その中には「産業としての農業」という意味合いもあれば、いわば「農的暮らし(価値観)」という意味合いもありました。暮らしの見直しということですね。もちろん、産業の部分なしには農的暮らしも成り立たないわけですが、今回の事態をきっかけに、これまでよりも暮らしの見直しというところに重点を置いてさまざまな活動をしていきたいと思っています。
 【大石】石巻で一週間ほど瓦礫の撤去をしていたときに、隣の家のお母さんが津波で瓦礫の山になった家の跡を一日中ひっくり返している姿を目にしました。テレビで見る福島で原発事故から避難している人たちも、できるだけ近いところに居たいと願っているようです。こうした情景を目にして、私は「人間の土着性」というものを改めて感じました。生まれ育ったところで営まれた野山や海川との関係、家族や友人・近隣の人々との関係。今回のような恐ろしい出来事があっても、そこから容易に離れることはできないほど、人間は極めてローカルな存在だということを痛感させられました。
 これまでも生協活動を通じて「食はグローバル化とは馴染まない」と言ってきましたが、ますます確信をもって活動に取り組みたいと思います。その上で、ローカルな諸関係の中での自立や自治というものを目指していこうと思います。
 【中野】今回も含め、震災と原発事故をめぐっていくつかの場所でお話をする機会がありましたが、その中で自分が開発問題に取り組むにいたった原点を再確認させられます。なぜ僕が開発や経済成長について批判的に考えるようになったかと言えば、自分自身が自然豊かな地方で生まれ育ったからだと思います。子供の頃から近代以前の手工業文化に親しみ、そこから近代産業社会を意識したり、人間と自然との関係について考える機会があったからだと思います。
 子供ながらに気にしていたことは、所得の不平等や地方経済の停滞といったことではなく、社会の中に根付いているさまざまな差別の構造でした。それは生き物と人間の間にもあれば、都市と地方の間、農林漁業と工業の間にもある。もちろん、部落や水俣も。そうした差別の構造を克服したいという意識からラトゥーシュの著作を読み始め、あるいは民主主義や社会正義について考えてきました。
 その上で今後自分にできることがあるとすれば、震災と原発事故の後という時代状況の中で、民主主義や社会正義について考える際の議論の物差しを専門家の立場から提供することだと思っています。たとえば、全く異なる価値観の人々がぶつかったときにもフェアな議論ができるような物差しです。そうしたところで貢献したいと考えています。
 【司会】皆さんお忙しい中、長時間お話しいただきありがとうございました。提出された論点をさまざまな場所で具体化しきたいと思います。


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