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アソシ研リレーエッセイ
東日本大震災に思う

東日本大震災による被害の全容は、発生から三日が過ぎた今も不明のままです。被害状況が深刻な場所ほど状況把握が遅れるという、冷徹な経験法則が今回も貫かれていて、心が深く痛みます。
 この大地震による被害の中心は、「津波」と「原発」です。前者はまさに自然災害ですが、後者は現代社会が生み出した人災と言えます。東電に踊らされて、民主党政権は、深く激しくわき上がるであろう原発不要論の高まりを見越したかのように、関東地方一円に及ぶ時間停電を実施しようとしました。しかし、そのずさんなやり方に、厳しい批判の声がわき起こっています。まず止めるべきは、電力の大口使用者である企業・工場で、人々の生活、生命を支えている活動の現場を無差別に巻き込むやり方が、許されるはずはありません。
 福島第一原発1号機建屋の爆発に続いて、3号機の建屋も爆発でふっ飛びました。建屋の鉄骨が1号機建屋以上に大きく破壊されていて、原子炉の格納容器の破損につながる恐れは深刻です。原発推進者が断言を繰り返して来た「炉心溶融(メルト・ダウン)は起こり得ない」が1号機に続いて2、3号機でも否定されたわけで、全世界の、原発に頼った電力確保政策が見直しを迫られることは必至でしょう。
 原発事故が引き起こす放射性物質の拡散は、世代を超えて人と自然を汚染し続けるものです。目に映らず、何年、何十年と蓄積されていく汚染被害の実態を、私たち日本人は、不幸にして被爆国に生まれた人間として、身近に思い知らされて来ました。今回の巨大地震による福島原発の事故は、風化しがちな日本人の被爆経験に警鐘を鳴らすものでもあるのではないでしょうか。
 原爆と原発は違うという理屈は、自然を前にして、人間の力の小さいことを忘れた、思い上がりではなかったのか、と考えさせられます。そして、現代社会が当然のこととして、いや、むしろ誇らしげに語る都市機能は、こうした思い上がりの上に築かれてきたように思わざるを得ないのです。電気が止まり、交通手段が全て奪われ、何時間もかけて自宅へと歩き始めた時、人は多くの人に支えられ、存在していることに気付きます。
 今回の大震災が日本社会に及ぼす影響は多岐にわたり、かつ重大なものになるでしょう。多くの人々との別れ。家族とすごしてきた風景の喪失。長く続くであろう避難生活。そして、根本的な見直しを迫られるであろう原発依存体制。エネルギー浪費の都市機能。戦後日本の社会のあり様を問い直す、人々の苦闘の始まりを予感しています。その重い現実を前にすると、「維新」だ「開国」だ「減税日本」だ、と浮ついた言葉だけで騒いでいる政治家の言動の軽さが一層鮮明に見えてきました。
 福島原発の事故の行方は、まだ不明です。深刻な事態に至らぬことを願いながら、周辺住民の不安の大きさに思いをつのらせています。
(津田道夫:研究所代表)


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