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市民環境研究所から
改めて自然と人間との関係を

未だ冬が続いていた3月11日、京都から名神高速を北上して琵琶湖北岸の漁港へと急いでいた。こんな時期に琵琶湖に船を出し、環境調査をすること自体がめずらしいが、若い学生たちとのフィールド・ワークである。拠点に到着すると先着組から、東北で地震があり、関西でもゆっくりした揺れがあったと聞く。高速走行中だったからまったく気がつかなかった。参加者が揃ったところで夕食に出かけ、テレビの前で全員が声も出せず、津波に流される家々の映像に見入った。
 それから今日まで、地震と津波の大災害に国中が揺れ続けている。その上に、福島原発の大事故が重なり、日本沈没のようだ。津波の脅威を初めて知ったのは、スマトラ沖地震の際の映像だが、今回の津波の破壊力はそれ以上だ。リアス式海岸が連なる三陸の街々は消滅し、死者・行方不明者は2万人以上に達している。自然災害だけでもこれほどなのに、先の見えない原発災害は、被災地の復興に向けた気持ちを萎えさせているようだ。
 ニュース番組に登場する、東大を中心にした原発学者やコメンテーターの無責任ぶりには、怒りを感じる。原発を推進したことへの反省を片鱗も見せず、事態を軽く見積もる発言を繰り返し、行き詰まると「想定外」で逃げる。それがおかしいと突っ込む司会者もいない。東京電力の会見も当事者性を欠落したものだ。通り一遍のお詫びは述べるが、やはり「想定外」の繰り返しへと逃げ込んでいく。想定外だろうと何だろうと、原発から半径20キロ〜20キロの人々は、天災の上に人災の苦労を背負わされているのだ。
 毎朝、目覚めるたびに、自分が寝ている間、原発はどうなったか、大爆発してないだろうかと、恐る恐るテレビを観る。阪神大震災の時には、最初の7日間は知人の安否確認で、10日目から現地に生協関係の救援本部を立ち上げ、その責任者として2ヶ月間を過ごした。今回の大災害では、身を動かして働くすべが見つけ出せない。関西の地から、申し訳ないと涙する以外にない。
 それでも、当研究所に集う若者が義援金のカンパ活動を始めてくれたので、それを大いに支援したいと思っている。そして、一時的な支援はもちろん、長期的な支援活動の基盤となる運動とは何だろうか、彼らと話し合っている。まだまだ分からないが、社会の在りよう、産業政策や科学の在りようを問い直し続けることが、犠牲者への償いかもしれない。そんな作業へ繋げていきたいと思う。
 水は生命の始原であり基本だが、押し寄せる津波となって生命を奪うこともある。また、アラル海の干上がりのように、遠ざかることで漁民や地域を滅ぼすこともある。明日から、干上がった旧湖底沙漠で植林活動をするために渡航するが、水と人間、自然と人間との関係をもっと深めて考える機会にしたい。2週間後の帰国時に、原発はどうなっているのだろうか。被災者と被災地はどうなっているのだろうか。
(石田紀郎)


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