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アソシ研リレーエッセイ
一緒に取り組みをするために

二年ほど前になるが、同年代の友人の手紙を読んで考えさせられた。これまで積極的な意見を言っていたのに、急に保身的な書き方になっていた。私はその文章から、今後の人生設計を考え、これまでのように自ら進んで新しいことに取り組むことはやめ、定年まで会社が安泰で家族を守っていければそれが最良だ、と言っているように感じ取れた。友人は遅くに結婚したので、子どももまだ小さいから、なおさらかもしれない。
 新たなことに取り組む、また現状の取り組みを持続させていくことは、年を重ねるごとに意欲が下降していくのだろうか。リレーエッセイとしてつないでいくなら、これも自分には自覚がないまま周りに迷惑を掛けているのだろうか。
 私の住んでいる大阪府能勢町は、少子化で学校の統廃合が議論されている。能勢町には小学校六校と中学校二校があるが、ここ数年は50人前後しか子どもが生まれていない。今年の一年生も70人だった。行政はクラス替え可能な学校にしたいと全てを廃校し、新設の小学校と中学校を建てる学校再編計画を出してきた。
 行政の住民説明会はたくさんの方が参加し、怒号が飛び交う場面もあったのだが、こちらが運動体を作ってもなかなか結集してこない。学校がなくなれば地域がどうなるのか、話し合う必要があるはずだが、思いだけで述べて終わっている。短絡的な私には、反対の意見を述べた人たちは、行政が強引に進めたためたという事実を作りたいだけなのかもしれない、その後の結果は行政に全て責任がある、と言いたげにも聞こえてきた。
 しかし、約二年にわたって情報を発信し、問題点を指摘してきたのにと、自らを擁護してきたが、それがこちらの押しつけで、自ら立ち向かおうとする思いを結集する仕掛けに問題があったのだと気がついた。
 内田樹氏の著書『街場の教育論』に「人は自分が学びたいときしか学ばない、自分が学べることしか学ばない、そして自分が学びたいと思った時しか学ばないんだ」と書いてあった。だから、教師は子どもたちに興味を持たせ、起動させることが求められている、と。
 今回の学校再編に対して、これまら直接請求による住民投票の実現を目指す運動を展開する予定である。みんなが行動を起こすことができるよう、大まかな資料をそろえて発信すると、関心を示し、何人もが一気に動き出した。
 すでに来年度の予算には学校建設の設計費などが計上され、そのまま三月議会で予算が承認されれば一気に閉塞的になるところだった。しかし、住民自ら立ち上がり動き出したこで、可能性を秘めた取り組みになることが期待できる。
(八木修:能勢町会議員)


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