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よつばの学校 全職員向け講座 報告②

人間労働の回復を求めて

「よつばの学校」全職員向け講座、2017年のテーマは「能勢農場・よつ葉の活動を通して、社会を考える」。よつ葉グループの第一線で長く活動してこられた津田道夫さんを講師に、能勢農場・よつ葉の40年以上にわたる実践をめぐって考えます。以下、5月12日に行われた第2回目、「全職員同一賃金の困難性」の概要および参加者の感想を掲載します。


再び「運動と事業」について

 まず、津田さんは前回のテーマについて、参加者の感想文を受けて補足をしたい、と切り出した。前回、もともと能勢農場は政治運動の一環として建設したこともあり、農場憲章には運動としての色合いが強く出ているのに対して、関西よつ葉連絡会は当初から経済事業として取り組んだため、よつ葉憲章にはそうした面が色濃いという話をした。しかし、それは表面的な違いでしかなく、運動と事業ははっきり区別できるものではない。この点が一番言いたかったことだという。その理由は次の通りだ。

 現在では事業といえば一般に、いかに効率よく収益を上げるか、どれだけ利潤を株主に還元するかが要点と考えられている。そのため、事業を通じて社会に働きかけ、社会を変えていく、といった考え方は見失われてしまっている。しかし、もともと事業をはじめる動機は決して利益の追求だけでなく、品物やサービスの生産や提供を通じてもっと過ごしやすい社会、もっと豊かな生活を実現するといった、社会的な問題意識があったのではなかろうか。

 つまり、政治運動が人々の“よりよい世の中にしたい”という要求を組織し、政治的な経路を通じて社会に訴えかけるのに対して、経済事業はそれを経済的な経路を通じて社会に訴えかける。その意味で、根本的なところで両者はつながっているのではないか、というわけだ。

 実際、いまでは能勢農場も事業の側面が拡大しており、逆によつ葉は事業だけをやっているわけではない。事業と運動は分かちがたく結びついており、どちらも「事業を通じて何を実現するのか」が問われていることに変わりはない。

 それゆえ、津田さんはこう強調する。事業がもっぱら利益追求のための活動になってしまった現代だからこそ、よつ葉のさまざまな事業の現場で、働く人々の間で、少しでも豊かな関係、よりよい関係をどう生み出すのか、利益追求だけではない事業の本源的な意味をどう取り戻すのか、それを通じて何を実現していくのか考えてほしい、と。

 それは、たとえば生産・加工したり取り扱ったりする品物の内容、生産者や会員との関わり方、仕事における働き方など、日々の営みに否応なく現れてくるものだと言える。ここが疎かになれば、いくら「事業と運動は車の両輪です」と言っても実際には絵に描いた餅に過ぎず、よつ葉の事業としての発展も望むことはできないだろう。



全職員同一賃金について

 今回のテーマ「全職員同一賃金の困難性」にある「全職員同一賃金」とは、能勢農場で採用されている賃金体系である。読んで字のごとく、社長から勤続10年のベテラン、入社したての職員まで賃金はすべて同じというものだ。ちなみに現在の額は月9万円。設立当初は2万円だった(もっとも、職員はすべて農場に住み込みなので、食費、住居費、光熱費といった基本的な生活費は不要である)。なぜ、こうした特異な賃金体系がとられているのか、そこにはどんな意味があるのか。それが今回の内容となる。

 津田さんは冒頭、今回の話をするにあたって一つの出来事を紹介した。少し前に一時帰国していたネパールの藤井君(本誌で連載中)と会った際に交わした、彼がよつ葉にいたときに関わった人々の消息をめぐるやりとりだ。「よつ葉の職場を離れると、人間関係も切れてしまうのですかね?」という彼の言葉をきっかけにアレコレ考えたという。

 そこから敷衍して、いまの世の中では、基本的に仕事の時間と生活の時間がはっきり分かれているが、少し前までは生活することと働くことが一体化していることも少なくなかった、と振り返る。勤め人の場合でも、仕事と生活がはっきりと区別されず、職場での人間関係がプライベートな生活領域にも及んでいた。現在では仕事と生活は別ものとなり、仕事はもっぱら賃金もらうこととなったわけだ。

 津田さんによれば、能勢農場を設立した当時は、牛の世話、農作業、牛乳配達、食肉加工など能勢農場ですべてを担っており、そこで働く人々にとって生きることと働くことは一体だったという。全職員同一賃金という考え方が打ち出されてきたのは、そんな実態と無縁ではないだろう。

 しかし、その後、農作業は北摂協同農場(1989年)、牛乳配達は能勢産直(1994年)、食肉加工は食肉センター(1998年)という形で分社化し、各社は差額賃金体系をとるようになっていった。必要に迫られてのことだ。

 たとえば食肉センターの場合、分社化する当時、カタログ『ライフ』のカラー化などでよつ葉の会員が増加し、食肉の注文も拡大していた。ところが、それに対して農場の食肉加工部門では人員や技術の面で対応できない状態であり、早急に職人が必要とされた。ただ、職人を雇おうとすれば、全職員同一賃金では困難だし、世間の賃金水準も考慮しなくてはならない。


賃金体系をめぐる反応

 そうした事情から、分社化した各社では、世間並みの賃金体系や技能や役職に伴う手当などが新たに加わる一方、農場は現在に至るまで全職員同一賃金を続けている。

 世間から見れば、全職員同一賃金は特異なものに違いない。ただ、津田さんによれば、これまで明確な反応を経験したのは二例に過ぎないという。

 一つは北摂協同農場の坂本さんから。坂本さんはパートで時給計算だが、場合によっては月収が9万円を超え、農場職員を上回る場合もある。農場の事情を知るに連れて心苦しく感じた模様で、「9万円を越えたらカットして下さい」と言われたという。

 もう一つは、職員の寺山さん(故人)。もともと土木系の現場仕事を経験してきたため、技術やノウハウを持っていた。また、仕事になると集中して手を抜かなかった。ある時、自分よりも技術や集中力に欠けた職員を例に挙げ、「ワシとあいつが同じ給料ちゅうのは納得できん」と言われたという。

 いずれも農場やその周辺での出来事であり、それ以上の範囲に波及したものではない。

 しかし、能勢農場の設立から20年にわたる歴史をまとめた『流れに逆らって』(新泉社、1997年)を見ると、それ以前に賃金体系をめぐって別の二つの事件があったことが分かる。

 一つは1985年、新たな職員から能力に応じた差額賃金体系が提起されたことである。ただし、一般企業のような複雑なものではなく、実務の中心メンバーと補助的なメンバーとの間で区分して賃金格差をつける簡素な内容である。その背景には、人間の私利私欲を頭から否定したり抑圧したりするのは不自然であり、ユートピアに閉じこもることで現実の社会に対して働きかける視点を失う、といった問題意識があったらしい。当初、農場職員の多くは賛同に傾いたが、創設メンバーを中心に多くの関係者から、「分業の否定」や「絶対平等」といった理念を捨て去るものとして強い批判を受け、最終的に撤回されることになった。

 もう一つは1987年末、それまで慢性的に赤字が続いていた農場の経営状態が好転したことを受け、その春に5万円だった給料を6万円に引き上げたのに続き、再び1万円昇給の話が持ち上がったことに対して、やはり周囲の関係者から強い批判を浴びることとなった。

 批判の主な論点は、農場が設立時から多くの人々の有形無形の協力によって運営されてきたのに現常駐者だけの力量によるものと勘違いしているのではないか、「世間並みの賃金」を前提に考えては農場の存在意義が失われる、といったものだったらしい。再昇給の明確な根拠がなかったこともあり、ほどなく撤回に至ったという。



「労働=賃金」を問う

 ところで、農場の賃金体系を目にすると、大方は賃金が低いことに注目しがちである(実際、参加者の感想文でも、この点に触れ、「家族がいるので…」「自分には難しい…」などと言及したものが少なからず見られた)。しかし津田さんによれば、重要なのは賃金の多寡ではなく、能力や経験年数を問わず全員が同じ賃金だということである。

 ただ、それは「正しい」からそうしているわけではない。むしろ、世間一般からすればとうてい受け入れられない賃金体系を通じて、なぜこうなっているのか、どんな意味があるのか、農場で働く人に考えてほしいという、一種の問題提起である。

 というのも、現在の世の中では、働くこと(労働)の目的とは、もっぱら賃金を得ることだとの常識が支配しているからだ。さらに進めると、賃金の多寡そのものが人間に対する価値判断の基準となる。つまり「賃金の多い人間=有能な人間」であり、その逆もまたしかり。当の本人がそれを内面化し、自己認識や尊厳の根拠になっている場合も少なくない。

 しかし、それは本当に常識なのだろうか。あるいは、現在は常識だとしても、これまでずっとそうだったのだろうか。

 こうした疑問に対して明確に答えているのが、能勢農場の「農場憲章」だ。冒頭にある「人間解放をめざす」との設立目的に続く「めざすべき人間解放」には、「②働くことが喜びとなる人間労働の回復をはかること」と明記されている。いまの時代、人間労働が非常に歪んだものになっているとの危機感を背景に、本来あるべき人間労働を回復すべきだという方向性が打ち出されている。

 その際、人間労働の歪みを自覚するための一つの手段として、世間的には違和感のある賃金体系が役割を発揮していると言えるだろう。

 人の一生の中で働く時間は非常に多くを占める。もしも、働くことの目的が賃金だけだというなら、能勢農場で働くことはまったく非効率で成果が少ない。しかし、それだけに、そんな条件の中でなぜ自分は働いているのか、考えることを通じて、そもそも労働とは何なのか、人間にとって働くことの意味はどういうことか、見えてくるのではないか。津田さんは、そう強調する。

 もっとも、最近の農場では職員からとくに不平不満も聞かれない模様で、「それでいいのか?」という気分になるらしい。後の質疑応答でも、この点をめぐって少し議論になったが、おおむね、誰もが同じ給料であることに疑問を感じることはあるが、すでにそうなっていることを表立って「おかしい」とも言えず、どうにか消化しているとのことだ。

 ちなみに、配送センターでは、さすがに同一賃金ではないものの、社長も含めて基本的に勤続年数のみに基づく平板な賃金体系が採用されている。能勢農場の影響であることは言うまでもない。


人間労働の回復へ

 さて、では回復されるべき人間労働とは、どんなものか。津田さんは、その根源的なあり方として、①自然に働きかけることを通じて何らかの価値を創造する、②対象に働きかけることによって自己形成を図る――という特徴を挙げた。言い換えれば、労働は人間が生活していく上での部分的な活動ではなく、生活活動そのものだということである。

 ここで津田さんは、「賃労働」という言葉を持ち出し、最近はあまり聞かないが、と振り返った。マルクスの『賃労働と資本』が有名だが、賃労働とは、人間が持つ労働能力を労働力という「商品」として売り買いする仕組みである。労働者は自分の労働力を一定の時間・価格によって雇用主=資本家に売り、資本家はそれを使って生産活動を行い、得た利益の一部を賃金として労働者に支払う。一見すると自由で平等な取り引きのように見えながら、労働者は自分の能力を切り売りしなければ生きていけず、主導権は資本家に握られている。つまり、資本主義の最も根幹に位置するのが賃労働なのだ。

 賃労働が形成されて以降、人間労働の意味は見失われていく。その結果、いまでは労働を通じて見出されるべき、①対象としての自然、②労働過程を通じた人間関係(協同)、③全体性(労働とその結果、諸関係)――という要点が見失われてしまった。これらを再び見出し、人間労働の意味を実感することこそ、能勢農場を建設する大きな動機だったという。

 もっとも、残念ながら人間労働の回復は容易ではない。それどころか、いまや賃労働は疑問の余地のない前提とされ、労働現場では二極化が進んでいる。資本・役職・学歴を持つ者は事業の目的や全体性を握る主体となるが、それ以外は限定された範囲や役割の中で与えられた仕事をこなす客体とならざるを得ない。それがいやなら、競争社会の中で勝ち抜くしかない。そんな状況であればこそ、必然的に労働以外で自己実現を求めざるを得なくなるわけだ。

 津田さんによれば、こうした傾向がますます進んでいるが、自分の労働は本来自分のものであり、自分が主導権を持って主体的に発揮すべきものにもかかわらず、道具のように扱われ、働くことの意味が賃金だけになってしまうのは悲しすぎるという。

 その上で、だからこそ、少なくともよつ葉の中でそうならないようにするにはどうしたらいいのか、そうした現状をどう変えていけるのか、事業の責任者からそうした発想が出てこなければ、よつ葉憲章は「絵に描いた餅に」なると指摘する。

 世間が受け入れ難いにもかかわらず、能勢農場が全職員同一賃金を採り続けるのは、農場で働く人たちはもちろん、よつ葉で働く人たちが労働のあり方について考えるきっかけにしてほしいからだ。津田さんはそう重ねて強調し、本題の締めくくりとした。

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 最後に、本題とは別に時事関連の話題として、折からの北朝鮮情勢を受け、戦争と平和をめぐる問題が取り上げられた。

 きっかけは、本屋で見かけた暉峻淑子『対話する社会へ』(岩波新書)の帯に「戦争・暴力の反対語は、平和ではなく対話です」とあり、統合失調症患者の臨床医療に尽力した精神科医・中井久夫の文章「戦争と平和についての観察」(『樹をみつめて』みすず書房、2006年所収)を想起したことだという。

 中井によれば、戦争と平和は決して対称的な概念ではない。戦争は進行していく「過程」であり「はっきりしている」が、平和は揺らぎを持つ「状態」であり「ぼんやりしている」。戦争は「過程」なので、引っ張っていく指導者が現れ、庶民は巻き込まれたり、支持したりして「過程」を推し進めていく。それに対して、平和は、なくなってはじめてありがたさを感じられるような「状態」なので、維持するには個々人の大きな努力が必要だとする。

 中井によれば、その努力こそ対話である。人間はそれぞれ異質なので必ず対立は生じる。だから、その対立を対話を通じて平和な状態に押しとどめることが重要となる。それは1人1人が生活の中で行うしかないのである。

 これを受けて津田さんは、自分の周りで異質な人と意見や利害が対立したとき、対話することで乗り越えていく、その積み重ねが平和。それを断念したときに戦争の「過程」が進んでいくと指摘した。

 その上で、僕らは力も金もないから何もできないと思ってはいけない。戦争へ向かう動きが色濃く感じられる時代の中で何ができるのか、読んで考えてほしい、と訴えた。



参加者の感想と講師の応答


自分の顔で働ける場所づくりを

 先日、15年以上支えてきてくれた会員さんが辞めました。理由は「よつ葉(京滋センター)は配送員をないがしろにしている」ということらしかった(担当からの又聞き)。ここ数年、人の入れ替わりが激しい時期もあったので、たびたび辞めていった担当の不満や疑問を耳にしていたのでは、と心配になったのですが、話を聞くと、まったくそういうことではありませんでした。

 「京滋センターの配送員の顔がこわかった」と言われました。一生懸命なのは分かるが、その必死さに何かを見失っているように見えるという意味のことを言われました。僕はかなりこたえています。

 今日の話を聞いて、そのことを強く思い返しました。

 たしかにやらなきゃいけないこと、考えなければならないことはあるが、果たして本当に自分のやりたいこと、考えたいことに結びつけられるのか。この会員さんの指摘は、まさに「人間労働」のことだったのかなと改めて考えています。頑張ることと無理することは違う。

 津田さんは、ある程度のキャリアに来たとき、給料が上がらない絶望によって人が去っているのでは、と問いかけられましたが、僕はむしろ自分の顔を忘れてしまうことが大きな理由ではないかと思います。気がつけば、(たとえば)よつ葉の顔となり、よつ葉の手足となってしまったとき、疲れ果てるのではないでしょうか。

 自分の顔で、自分の手足で働くこと、働ける場所づくりを大切にしたいです。そのとき、賃金を乗り越えられるのか、少しずつ考えます。

                                     (光久健太郎:よつ葉ホームデリバリー京滋)

【津田】なかなか深い話です。組織の中で真面目に頑張る人ほど皆同じ顔つきになってしまうというのを、僕は何度も経験しました。よつ葉がそうならないためにどうすればいいのか、自己解放と人間解放の関係について、もっと考えなければいけないと僕も思います。


大事なところは受け継がれている

 同じ敷地内にありながら同一賃金ではなかった食肉センター元職員、さらに中途採用でしたので、なんとも書きづらいところですが、同じ作業場内で働く工場というのは、ともすれば人の仕事の力量がすぐ目につき、また仕上がり等での差異もすぐ明らかになります。

 食肉センターにいた頃、仕事のできない人間に対して一悶着あったとき、師匠の八木さんが「そんなもんできる奴がやったらええ」と言い放ったのをよく覚えています。

 こちらが一方的に手伝いしなければならない状態が続いた折りなど、この言葉が出てきて、釈然とはしませんが、“そういう所やしなぁ”と思い至ります。

 元職場の話ばかりになりますが、入社当時、一番驚いたのが、下山さん、板谷さんはじめ(いわゆる)上の方も一緒になって後片付けしていたことでした。“なんかエエトコやなぁ”と思ったことを記憶しています。役職名で呼ばなくてよいところもですが、賃金体系は違っても大事なところは受け継がれているのではないでしょうか。

                                                   (内海猛之:産地直送センター)

【津田】農場、食肉の職場を経験して、よつ葉の配送現場で働いている内海さんの経験は産地直送センターの中でも貴重なもの。今後ともよろしく。


「常識」への違和感を持ち続けるのは大変だ

 マルクスは『ゴータ綱領批判』で、共産主義の低い段階では「各人は能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」のに対して、高次の段階では「各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」と述べている。それに先立つ資本主義段階では「各人は必要に応じて(窮乏に迫られて)働き、能力(労働時間)に応じて受け取る」状態だろう。

 ちなみに、高次の段階のイメージは、分業への従属や精神労働と肉体労働の差別がなくなり、労働が手段から目的となったような状況と捉えられている。その背後には、アソシエイテッドな労働によって社会的な富の独占が解消され、それが人々にまんべんなく行き渡るという展望があるらしいが…。

 こうした中で、能勢農場の完全同一賃金制はどんな位置にあるのだろうか。労働の動機という点では「必要に応じて」と「能力に応じて」の間にあるように思う。それに対して受け取りの部分では「能力に応じて」でも「必要に応じて」でもないだろう。いわば、無理やりにでも世間の「労働=賃金」という観念にクサビを打ち込み、転倒している「常識」への違和感を生み出そうとするものだと思う。

 しかし、人間は違和感にも容易に慣れてしまう。「そんなものだ」と思えば、よほどのことがない限り受け入れた方が楽だからだ。とくに現状のように、農場職員の能力にそれほどバラツキがない状態では、よけいにそうなりがちではなかろうか。

 仮に「労働=賃金」に対して恒常的に違和感を持たせる賃金体系があるとすれば、各人が自らの取り分を決めるというものだろう。これは恣意的なものではない。経営状態や他者の働き、自分の真の必要性を判断するのは非常に辛いものだと思う。むしろ経営権力の決定を認め、それに不満をぶつけている方が楽なのかもしれない。

                                                 (山口協:研究所代表)

【津田】このシステムを最初に構想した人たちの意図は指摘の通りだと思います。そして、おっしゃるように、そこで働いている若い人たちには違和感すらなくなっているのかもしれません。僕にはそのシステムがいいものだという気もあまりないのですが、そのことをめぐってもっとちゃんと論議する土壌が不可欠だと考えています。




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