狼と太陽


どこまでも続く真っ白な雪野原のまん中に、三匹の狼の子が生まれました。
それはそれは美しい狼でした。
毛並みは雪のように白く、波のようにまばらにきらめき、鼻を寄せるといつも太陽の匂いがしました。
魂の底まで透けて見えるような瞳は、空を吸い取ったように青く、いつも新しいものを見つけては、くるくるとまわりました。
三匹は毎日、雪野原を駆け回り、世界に生まれて来た喜びに打ち震えては吠えました。
その声は山を五つも越えた村にまで轟き、村人はため息をつきながら、美しく逞しい声の主に思い焦がれました。

 ある日一番下の弟狼が言いました。
兄さん、あの美しい黄金の塊はどこへ落ちてゆくのだろうか。
弟狼は白い尾をぴんと立て、沈んでゆく夕日を見つめていました。
それはおまえ、世界の終わりの崖っぷちに落ち込んでゆくのだろうさ。
一番上の兄狼が言いました。
世界の終わりの崖っぷちだって?
まん中に生まれた狼は、目をくるくるさせました。
そんなところに落ち込んでしまったら、もう二度と取り戻すことはできないだろうなあ。
一番下の弟は、喉の奥を震わせました。
どうにかしてあの黄金を捕まえることはできないだろうか。
三匹は夕日に向かい、灰色だった空が端から金色に染まってゆく様を、身動きもせずに見ていました。
そのあまりのまばゆさに、涙がこぼれ落ちました。
兄さん、僕はあの黄金がほしい。
弟狼が、後ろ足で雪を蹴り上げて吠えました。
まん中の狼は、真っ白な牙をむいて低く唸ると、地平線に向かって身構えました。
兄狼も背を屈め、太陽に向かって身を引き絞りました。
その時、沈みかけた夕日が、ひときわ眩しく輝いたような気がしました。
三匹は体中の力を振り絞って後ろ足を蹴りつけ、太陽に向かって駆け出しました。
その姿はさながら、渾身の力で放たれた銀の矢のようでした。

 三匹は落ちてゆく太陽を追いかけて、どこまでもどこまでも駆けました。
見慣れた雪原を後ろに、深い森をすり抜け、何日も駆けました。
 ある時は、象牙色に枯れた砂漠の上を駆けました。
背中からは、闇を薄めたような紺色の星空が追いかけて来ていました。
夕焼けの色と、夜の紺色が天上で混じりあうのを見て、こんなにも美しいものは見たことがないと兄狼は思いました。
 ある時は、何千何万とそびえ立つビルの合間を駆け抜けました。
鉄の味のする風を切り裂きながら、固い地面を蹴りました。
大きな鉄の塊が轟音を響かせてはすれ違い、色とりどりの光が河のように流れて行きます。
まん中の狼は、その音と光に目をまわしそうでした。
 ある時は、海に駈けられた大きな橋の上を駆けました。
そこからは、遠くの国で人が撃ち合っているのが見えました。
荒れ狂う嵐を越えてゆく渡り鳥の群れも見えました。
小さな女の子が書いた手紙をぶらさげた、真っ赤な風船が飛んで行くのも、ミサイルを抱えたジェット機が、空を真っ二つに切り込んでゆくのも見えました。
弟狼は、地面を後ろに蹴り飛ばしながら、天へ駆け上がってゆくような気がしました。
 三匹が駆けて行く足音は、まるで大きな太鼓のようでした。
その音を聞いた世界一のドラマーが、うんざりしたように、スティックを放り出しました。

 何日も何日も、休むことなく三匹は駆け続けました。
足が擦り剥けても、喉が乾いても止まりませんでした。
体中の骨が軋み、心臓は風を受けてすっかり冷たくなりました。
それでも太陽に追いつくことはできません。
地平線にとどまった太陽は、今にも向こう側へ落ちてしまいそうです。

 最初に走ることをやめたのは、まん中の狼でした。
美しい雌狼に出会ってしまったからです。
まん中の狼にとっては、落ちてゆく太陽よりも美しいものだったのです。
まん中の狼は、兄弟と別れることになりました。
まん中の狼は雌狼と寄り添いながら、駆けてゆく兄弟の後ろ姿を見送りました。
寂しさに身が千切れそうでした。
いつかのように身動きもせずに、落ちてゆく夕日を見ていました。
やがてまん中の狼の上に、ゆっくりと夜が追いつきました。

 二番目に走ることができなくなったのは、弟狼でした。
休みなく駆け続けたおかげで、体中の骨がばらばらに砕けてしまったのです。
兄狼はどうすることもできずに、弟狼のまわりをぐるぐるまわりながら泣きました。
弟狼の青い目は、それでもまだ落ちてゆく太陽を見据えていました。
弟狼は言いました。
はやくゆきなよ兄さん、黄金が落ちてしまうよ。
兄狼は鼻先を天に向けて、ひとつ鳴きました。
そして弟狼を置いて、再び太陽に向かって駆け出しました。
弟狼は、その姿をじっと見ていました。
やがて弟狼の上にも夜が追いつきました。
弟狼は静かに目を閉じました。

 兄狼はとうとう独りぼっちになってしまいました。
涙が遠く、後ろへと千切れ飛んでゆきました。
何もかもが遥か後ろへと吹き飛んでゆきました。
もう後ろから追いかけて来る夜も、いく千の光の塔も、空を切り裂くジェット機も、目に入りませんでした。
ただ瞳の中には、赤く膨れた太陽だけがありました。
 体がばらばらになりそうでした。
向い風が、手足を切り飛ばしてゆきそうな勢いで吹き付けました。
 目を上げると、太陽はついに兄狼を飲み込みそうな程に近づいていました。
空全体が燃え上がっているようでした。
 兄狼は最後の力を振り絞り、体が砕ける程の勢いで大地を蹴りました。
体中の骨がびりびりと震えました。
兄狼は、狂おしく輝く黄金の真ん中に飛び込みました。

 その瞬間、目も開けていられない程の真っ白な光の中で、兄狼の体は足先から燃え上がりました。
突き上げて来る熱い塊を吐き出すように、兄狼は吠えました。
その声は、世界中に轟き渡りました。
鞭のようにしなやかな尾も、空を映したような真っ青な瞳も、力強い後ろ足も、あっという間に灰になって砕けました。

 灰になった兄狼は、少しの曖昧さもないほどの、どこまでも白い光の中に、混じりあって溶けました。
太陽は兄狼を飲み込んだまま、ゆっくりと音もなく、世界の淵に沈んでゆきました。

























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