四月

3日『ヒトラーのためのソナタ』アレクサンドル・ソクーロフ、ロシア

『日陽は静かに発酵し…』アレクサンドル・ソクーロフ、ロシア/カラー

『マリア』アレクサンドル・ソクーロフ、ロシア

『ペテルブルク・エレジー』アレクサンドル・ソクーロフ、ロシア

『孤独な声』アレクサンドル・ソクーロフ、ロシア(BOX東中野)

4日『アリックスの写真』ジャン・ユスターシュ、フランス

『ぼくの小さな恋人たち』ジャン・ユスターシュ、フランス(ユーロスペース)

『ザ・セル』出演:ジェニファー・ロペス(渋谷松竹セントラル)

5日『静かなる一頁』アレクサンドル・ソクーロフ、ロシア/モノクロ

『エレジー』アレクサンドル・ソクーロフ、ロシア/モノクロ

『ロシアン・エレジー』アレクサンドル・ソクーロフ、ロシア/カラー(BOX東中野)

6日『ダンサー・イン・ザ・ダーク』ラース・フォン・トリアー、出演:ビョーク/カトリーヌ・ドヌーヴ/ジャン=マルク・バール(銀座東劇)

7日『精神の声』アレクサンドル・ソクーロフ、ロシア/カラー/ビデオ(BOX東中野)

『スピード』(TV) ヤン・デ・ボン、アメリカ、出演:キアヌ・リーブス/サンドラ・ブロック/デニス・ホッパー

8日『エレジー』アレクサンドル・ソクーロフ、ロシア/モノクロ

『ロシアン・エレジー』アレクサンドル・ソクーロフ、ロシア/カラー(BOX東中野)

『刺青一代』鈴木清順、日活/カラー、出演:高橋英樹/和泉雅子(テアトル新宿)

9日『静かなる一頁』アレクサンドル・ソクーロフ、ロシア/モノクロ

『ストーン』アレクサンドル・ソクーロフ、ロシア/モノクロ(BOX東中野)

『四畳半襖の裏張り』神代辰巳、日活、(銀座シネパトス)

17日『ハンニバル』リドリー・スコット、2000年アメリカ、出演:アンソニー・ホプキンス/ジュリアン・ムーア(ミラノ座)

20日『野獣の青春』鈴木清順、日活、出演:宍戸錠(テアトル新宿)

21日『地獄の警備員』黒沢清、出演:松重豊/長谷川初範/洞口依子/内藤剛士/緒形幹太

『CURE』黒沢清、出演:役所広司/萩原聖人/うじきつよし/

『蛇の道』黒沢清、出演:哀川翔/香川照之

『蜘蛛の瞳』黒沢清、出演:哀川翔/大杉蓮/ダンカン(新文芸座)

25日『わるい仲間』ジャン・ユスターシュ、フランス/モノクロ(ユーロスペース)

『サンタクロースの眼は青い』ジャン・ユスターシュ、フランス/モノクロ、出演:ジャン=ピエール・レオー(ユーロスペース)

『不愉快な話』ジャン・ユスターシュ、フランス/カラー(ユーロスペース)

26日『がんばっていきまっしょい』、出演:田中麗菜/真野きりな/松尾れい子/白竜/中嶋朋子/ベンガル(新文芸座)

『ナビィの恋』中江裕司、日本/カラー、出演:西田尚美/村上淳/登り川誠仁/平良トミ(新文芸座)

『探偵事務所23・くたばれ悪党ども』鈴木清順、日活/カラー、出演:宍戸錠(テアトル新宿)

29日『乾いた花』(V) 篠田正浩、出演:加賀マリコ

30日『ニューヨーク・ラブストーリー』(V) ハル・ハートリー、1990年アメリカ/カラー、 出演:エイドリアン・シェリー/

 

5月

2日『ユリイカ』青山真治、1999年/サンセント・シネマワークス/220分、製作:仙頭武則、撮影:田村正毅、出演:役所公司/宮崎あおい/宮崎将/斉藤陽一郎/三石研/松茂豊/利重剛/国生さゆり/塩見三省/真行司君枝/椎名英姫(中野武蔵野ホール)

7日『モレク神』アレクサンドル・ソクーロフ監督、1999年/ロシア=ドイツ=日本/カラー/108分(ラピュタ阿佐ヶ谷)

『東京流れ者』鈴木清順監督、出演:渡哲也/二谷英明(テアトル新宿)

9日『ツィゴネルワイゼン』鈴木清順監督、1979年、出演:藤田敏八/原田芳雄/大谷直子/大楠道代/麿赤児(シネセゾン渋谷)

11日『オリエンタル・エレジー(ロシアバージョン)』アレクサンドル・ソクーロフ監督

『穏やかな生活』アレクサンドル・ソクーロフ監督

『ドルチェ・優しく』アレクサンドル・ソクーロフ監督、2000年、出演:島尾ミホ/島尾マヤ(BOX東中野)

15日『見知らぬ乗客』(DVD)アルフレッド・ヒッチコック監督

16日『陽炎座』鈴木清順監督、1981年、原作:泉鏡花、出演:松田優作/大楠道代/中村嘉津雄/大友柳太郎/楠田恵利子/麿赤児/原田芳雄(シネセゾン渋谷)

17日『トラフィック』スティーブン・ソダーバーグ監督、2000年アメリカ/ヘラルド/148分、出演:マイケル・ダグラス/ベニチオ・デル・トロ/キャサリン・ゼタ・ジョーンズ/ドン・チードル/デニス・クェイド(渋谷東急2)

マイケル・ダグラスの青、キャサリン・ゼタ・ジョーンズの白、トロの黄色の絡み合いがいい。

31日『夢二』鈴木清順監督、1991年、出演:沢田研二/宮崎満純/大楠道代/原田芳雄/麿赤児/広田玲央名/毬谷友子/余貴美子(シネセゾン渋谷)

6月

6日『ショコラ』ラッセ・ハルストレム監督、出演:ジュリエット・ビノシュ/レナ・オリン/キャリー=アン・モス/ジョニー・デップ/ペーター・ストーメア(渋谷松竹セントラル)

キャプラを思わせる展開。自分の信念を貫く主人公が因習にとらわれている村人たちを目覚めさせ、幸福な結末にいたる。その過程にはいろいろと困難な障害が立ちはだかるのだが、そんなことには決して挫けないものの、終盤に訪れる決定的なダメージが全てをダメにするかと思われた時に、感動的な仕組みが仕掛けられている。肝心なのはその中心となるのが主人公をはじめ、女性達であり、この中では男達は彼女達を助ける補助的な役割を担わされている。単に関係が逆転しているだけではなく、あるべき立場が保持されたままである。男は男の女は女の立場でありながら、力関係が入れ代わっているのは、男性的な理想的フェミニズムなのだろうか。

9日『DISTANCE』是枝裕和監督、2000年 、出演:浅野忠信/寺島進/夏川結衣/ARATA/りょう(シネマライズ渋谷)

あえて手持ちカメラの乱雑さにこだわったのか、自然さを装ったぎこちない会話を取り入れたのか、音楽は入れなかったのか、そうした試みが意図的であることが分かりはするものの、全てがうまく働いていない。手持ちだからといって済まされない程に揺れまくり、そのうえ、無意味にだらだらと続く山道の場面は、疲労感と登場人物達が押し込まれている吐き気をもよおすほどに歪んだ現実を感じさせることには成功している。冒頭で夏川結い衣がコンピュータ上でさかなを育てたり、若い男の内の一人が画面上で擬似的な家族写真を作ったりしているところに、何か期待を抱かされたけど、それきりで何も関連性のない単なるギミックに過ぎなかった。

11日『誘拐犯』(the way of gun)アメリカ、出演:ベニチオ・デル・トロ/ライアン・フィリップス/ジュリエット・ルイス/(丸の内ルーブル)

『クレーヴの奥方』(LA LETTRE) マノエル・デ・オリヴェイラ、1999/ポルトガル=フランス=スペイン/107分/カラー、原作:ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』、製作:パウロ・ブランコ、出演:キアラ・マストロヤンニ/ペドロ・アブルニョーザ/レオノール・シルヴェイラ/アントワーヌ・シャペー/スタニスラス・メラール/フランソワーズ・ファビアン/アニー・ロマン/ルイシュ・ミゲル・シントラ(テアトル銀座)

徹底して視線にこだわった映画だと思う。冒頭で初めてカトリーヌとクレーヴ伯が出会う場面。彼女を見つめるクレーヴ伯の視線に、彼女は気付く。(それがかざされた首飾り越しに行われるのは、オリヴェイラの老練な手練である)ここで一瞬見つめあう二人がいることは明らかだが、画面で二人が同時に現れることはない。マリア・ジョアン・ピルシュがシューベルトを弾くグルベキヤン文化センターでの演奏会。カトリーヌの母親と友人が、やがて結婚する二人について話し合う時、彼女たちの視線から、カトリーヌが浮かび上がる。

このはじまりの時点で、観客は視線を追うように観ることが要求されていることを悟る。映画の修辞法からすれば、視線によって、スクリーン外の不可視なものを読み取ることは決して冒険的なことでも、画期的なことでもない。むしろ、それは映画史のはじめから既に確立された揺るぐことのない技法である。 なのになぜ今さらのように、ことさらそれを強調したはじまりを持たせたのだろう。全てが明白に与えられる、テレビメディア以降の環境に飼いならされた観客に、映画の修辞学の復習を迫っているのだろうか。(そうした一面がないとも言えない−アブルニョーザが事故に遭ったことを知る場面では、クレーヴ夫妻と友人夫妻が経済問題について語りながらも、視線はニュース番組を発信し続けるテレビに向けられている)むしろこの宣言にもかかわらず、この映画には一つの重要な視線が欠けていることに、冒頭の視線への執着の意味があるのではないだろうか。

この欠けた視線とは、言うまでもなくアブルニョーザの視線である。彼が決してはずすことのない黒いサングラスは、彼の目の動きを隠すだけでなく、彼の視線そのものを消し去れるほどに濃いものである。映画の修辞法を再確認した観客は彼の視線の不在を、その対象となるべき存在が提示されることで、可逆的に補うことができるかも知れない。が、そのように補われた視線は、いかに辻褄の合うものであっても、想像的なものであると言う曖昧さから、一抹の不安を拭い去ることはできない代物である。その不安定さを決定づけているのは、彼の(想像的)視線が相互的なものではないと言う事実である。この映画には、人物以外の視線も同時に数多く存在している。それは公園に置かれた彫像のものであったり、修道院の彫像、絵画の視線である。カトリーヌは度々こうした非生物と視線をあわせている。彼女が見つめる対象が、必ず彼女の方に視線を向けているのに対して、アブルニョーザが見る、非生物的対象は決して彼と目をあわすことはない。根本的な不在性から帰納された彼の(想像的)視線には、現実的な対象が存在しないという不条理が伴っている。視線が奪い去られること(これを象徴的去勢とラカン的に言い換えることもできるだろう)によって、穴を穿たれてしまった空間を想像力によって作られた視線で擬似的に埋め合わせるようにされながら、そうしてつなぎあわされた空間の先には到達すべき対象が存在しないという不整合性に、観るものは戸惑いを感じずにはいられない。アブルニョーザの、つまり我々の視線はとどまるべき場所を、空しく追い求め揺らぎ続けるのである。

(あるいはカトリーヌの力強い視線に同調しているのだという人もいるかも知れない。だが、オリヴェイラの誘導によって、アブルニョーザの視線を恣意的につくり出した時点で、観客は対象のない(想像的)視線と同化している)

この彷徨する視線は映画のはじまりで既に示唆されている。コンサートのステージに向かったアブルニョーザのいなくなった楽屋を、キャメラは写し続ける。そこにはスタッフクレジットが現れることで、巧妙に細工されてはいるものの、隠された意図である不安定な視線があることは明らかである。

『ロボコップ』(TV)ポール・バーホーベン、出演:ピーター・ウェラー/ナンシー・アレン/ミゲル・フェラー

マーフィーがデトロイト市警南署から東署へ転属になったのは、オムニ社のロボコップ計画の最重要過程として、隠された陰謀めいた意図がはじめからあった。ロボコップの母体となれるような候補者が、殉職率の極めて高い東署へ送り込まれる。正義のヒーローとして機械化されることは、マーフィー自身の意思とは関わりなく、オムニ社の構想するモデル的な治安都市を実現するために、必然的な事態であった。重要な点は、彼を殺害する犯罪者が、ほかならぬオムニ社の重役ジョーンズと癒着しているクラレンスであることだ。理想(オムニ社という個の膨張した全体にとっての)の実現を担うことになるロボコップの誕生の端緒となる一つの事件(マーフィー巡査の殉職)は、オムニ社の内部から引き起こされたものであり、全てはその内部で行われていることには気付かないまま、架空の外部との戦いに明け暮れている。最終的には、その内部に巣食う悪(正義を生み出した)を駆逐することで、正義は完遂されたことになるという、非常に皮肉な映画である。

12日『ロボコップ2』(TV)アービン・カーシュナー、1990/アメリカ/オライオン・ピクチャーズ、出演:ピーター・ウェラー/ナンシー・アレン

14日『セシル・B・シネマウォーズ』ジョン・ウォーターズ、出演:メラニー・グリフィス/スティーヴン・ドーフ(シネアミューズWEST)

 

6月後半〜7月

『ジーザスの日々』ブリュノ・デモン(BOX東中野)

『ロスト・ソウルズ』出演:ウィノナ・ライダー(新宿武蔵野館)

『めまい』(V)アルフレッド・ヒッチコック、出演:ジェームス・ステュアート/キム・ノヴァック

『パズル』音楽:アレハンドロ・アメナバール、出演:エドゥアルド・ノリエガ(シネ・ラ・セット)

『ニュー・イヤーズ・デイ/約束の日』(シネスイッチ銀座)

『レクイエム・フォー・ドリーム』ダーレン・アロノフスキー、出演:ジェニファー・コネリー/ジャレッド・レト(シネセゾン渋谷)

『姉のいた夏、いない夏』出演:キャメロン・ディアス(有楽町スバル座)

 6日(金)『ミリオンダラー・ホテル』ヴィム・ヴェンダース、出演:ミラ・ジョヴォヴィッチ/メル・ギブソン/ティム・ロス(シャンテ・シネ)

19日(木)『ベンゴ』トニー・ガトリフ、出演:(シネマライズ)

23日(月)『ダイヤルMを廻せ』(V)アルフレッド・ヒッチコック

 

八月

一日(水)

『千と千尋の神隠し』宮崎駿(新宿)

十三日(月)

『メキシコ万歳』セルゲイ・エイゼンシュテイン、1934/メキシコ映画トラスト(1979編集)/88分(三百人劇場)

十四日(火)

『全線』セルゲイ・エイゼンシュテイン、1930/ソフキノ(サイレント版)/90分(三百人劇場)

『ストライキ』セルゲイ・エイゼンシュテイン、1925/ゴスキノ第1工場=プロレトクリト(サウンド版1969)/80分(三百人劇場)

『アジアの嵐』フセヴォロド・プドフキン、1928/メジュラブポムフィルム(サウンド版1946)/90分(三百人劇場)

十五日(水)

『チャパーエフ』セルゲイ&ゲオルギー・ワシーリエフ、1934/レンフィルム/96分(三百人劇場)

『路地へ/中上健次の遺したフィルム』青山真治、2000(ユーロスペース)

十六日(木)

『母』フセヴォロド・プドフキン、1926/メジュラブポム・ルーシ(サウンド版1968)/90分(三百人劇場)

『シチョールス』アレクサンドル・ドヴジェンコ、1939/キエフスタジオ/118分(三百人劇場)

十七日(金)

『十月』セルゲイ・エイゼンシュテイン、1928/ソフキノ(サウンド版1968)/103分(三百人劇場)

『アレクサンドル・ネフスキー』セルゲイ・エイゼンシュテイン、1938/モスフィルム/108分(三百人劇場)

十八日(土)

『ストーカー』アンドレイ・タルコフスキー、1979/モスフィルム/163分(三百人劇場)

『アンドレイ・ルブリョフ』アンドレイ・タルコフスキー、1969/モスフィルム/182分(三百人劇場)

十九日(日)

『エレジー』アレクサンドル・ソクーロフ、1986/レニングラード記録映画スタジオ/30分(三百人劇場)

『ローラーとバイオリン』アンドレイ・タルコフスキー、1960/モスフィルム/46分(三百人劇場)

二十日(月)

『僕の村は戦場だった』アンドレイ・タルコフスキー、1962/モスフィルム/96分(三百人劇場)

『鏡』アンドレイ・タルコフスキー、1975/モスフィルム/110分(三百人劇場)

廿一日(火)

『恋の秋』エリック・ロメール、1998/112分(アテネ・フランセ)

『惑星ソラリス』アンドレイ・タルコフスキー、1972/モスフィルム/165分(三百人劇場)

廿四日(金)

『機会じかけのピアノのための未完成の戯曲』ニキータ・ミハルコフ、1977/モスフィルム/101分(三百人劇場)

雨の中やって来る男をガラス越しにとらえ、ピントが室内から見た窓へ移り、再び外へと目をやると野原をうなだれながら歩いていく農夫の姿が遠くに見える。ここが良かった。

『愛の奴隷』ニキータ・ミハルコフ、1976/モスフィルム/93分(三百人劇場)

廿六日(日)

『アエリータ』ヤーコフ・プロタザーロフ、1924/メジュラブポム・ルーシ/90分

『宇宙飛行』ヴァシリー・ジュラヴリョフ、脚本:アレクサンドル・フィリモーノフ、撮影:アレクサンドル・ガリペリン、音楽:B・クルチーニン、録音:A・ザパデンスキー、美術:A・ウトキン/M・チウモフ/Ю・シヴェツ、顧問:コンスタンチン・ツィオルコフスキー、出演:セルゲイ・コマロフ/ヴァシリー・コヴリキン/ニコライ・フェオクチストフ

『火を噴く惑星』パーヴェル・クルシャンツェフ、1961/カラー/83分、原作・脚本:アレクサンドル・カザンツェフ、出演:ウラジーミル・エメリヤノフ/ゲオルギー・ジジョーノフ/ゲンナージー・ヴェルノフ(三百人劇場)

廿七日(月)

『階段通りの人々』マノエル・デ・オリヴェイラ、1994/カラー/93分、制作:パウロ・ブランコ、出演:ルイシュ・ミゲル・シントラ/ベアトリス・バダルダ(アテネ・フランセ)

リスボンの階段通りに暮らす人々の一日。始めから終わりまでこの中でだけ全てが進行する。外には現代の大通りが走り、朝には外界から通勤のために通り抜ける人々がいるのに、ここでは物乞いとして公認される小さな黒い箱をめぐって、ささやかではあるけど人間の本性をあからさまにする悲劇が展開される。

廿八日(歌)

『EUREKA』青山真治(アテネフランセ)

『路地へ』を観た後なので、新たに気付かされたことがある。風景の描かれ方がいつもガラスを通して行われている。バスの窓から、部屋の窓から外の世界はガラスに隔てられて存在している。そこから考えるとガラスのない場面でも、画面の中には見えない仕切りが存在していて、手前と奥の不和とでも言うものが感じられる。そして何かがその仕切りを乗り越えていく。視線。あるいは人物が。沢井が土木作業員として働き始めたとき(2回目のBGMとして軽快な音楽が流れ出す場面)、トラックの荷台に土が落とされている隙に沢井は手前から奥へと切り込んでいる。

卅日(木)

『アブラハム渓谷』マノエル・デ・オリヴェイラ、1993/ポルトガル/カラー/189分、出演:レオノラ・シルヴェイラ/ルイス・ミゲル・シントラ(BOX東中野)

 

9月

2日(日)

『シベリア物語』イワン・プィリエフ、1947/モスフィルム/100分/モノクロ(三百人劇場)

戦争で左手を負傷してピアニストへの道を断たれたアレクサンドルは師匠と恋人の下を去り、建設現場で働くかたわら居酒屋でアコーディオンの弾き語りをし、労働者達の素朴な心に感動を与えていた。そこの居酒屋には偶然戦争の仲間の軍曹が二人いたのだが、救護班の軍曹で今は女給をしている娘はアレクサンドルに恋心を抱き、バスの運転手となっている熊男はこの娘に好意を寄せていたので、ここに三角関係が生じる。

ある日かつての楽団仲間を乗せた飛行機が霧のため近くに不時着し、アレクサンドルのいる居酒屋へやって来る。歌手のナターシェンカは彼の恋人であり、安否を気遣っていたのだが、アレクサンドルを華麗なリストの演奏で失意の底に落とし込んだピアニストは、彼の失踪を利用してナターシェンカに云い寄っていた。ついに五角関係へと発展する。女給は彼が歌手と親しくするのを見てショックを受けるが、熊男は優しく慰める。結構いいやつなのである。

盛大に俄演奏会が催された翌朝、楽団員たちはアメリカ公演のために出発しなければならなかったが、歌手は残ってアレクサンドルと暮らすと言い出した。ピアニストは自分のしあわせのため、歌手としての華やかな道が開けているというのにここで彼女がしあわせになれるはずがないというもっともらしい理由でもってアレクサンドルを諦めさせようとする。一方熊男は自分が恋する娘がしあわせになれるようにと、ナターシェンカを説得して旅立たせる。一行を乗せると熊男は急いでバスを飛行機の下へ走らせたのだった。

アレクサンドルは再び放浪の旅に出てしまい、娘は(恐らく熊男の感情に気付いてもいたのだろう)自分のためにアレクサンドルが不幸になったことを嘆き、帰ってきた熊男は自分の浅薄さを知り、バスで探しに行こうとするが、運命のいたずら、いつものように古釘が刺さってタイヤがパンクしてしまっていた(助手のミーチカが直している)。

一年か二年後、歌手は公演旅行の合間に居酒屋を訪ねると、彼がまたいなくなっていることを知らされる。そこへもうじき結婚を控えた熊男と娘が橇に乗ってやってき、アレクサンドルを探しに出かける。一人の男の消息をつかむのが困難であっても、あの音を追って行けばすぐに見つかるのだ。

その頃アレクサンドルはシベリアの奥地で故郷の古唄をモチーフにした大交響詩を作曲していた。モスクワ、ナターシェンカとピアニストは口論になり、自分の演奏は芸術ではないとなじられたことに腹を立てピアニストは縁を切る。そこへ楽団仲間がアレクサンドルから曲が届いたと喜びながら入ってくる。かくして彼の交響詩『シベリア物語』は大盛況をもって迎えられるのであった。

『陽気な連中』グリゴーリー・アレクサンドロフ、1934/モスクワ・キノコンビナート/95分

<澄んだ泉牧場>で働く牧童のイワンは笛で動物達を手なずける。ある日バイオリンの手ほどきを受けた後、海へ泳ぎに行く。この避暑地には名指揮者が来ていた。彼に近づこうと令嬢が彼の立っていた辺りに来るとちょうど入れ替わりでイワンが浜に上がってきたので、彼女は彼を指揮者と勘違いしてホテルへ招待する。

晩に彼は山から下りてくるが、動物達もついてきてしまう。パーティー会場で何か一曲と頼まれ、イワンは笛を吹くと、それに引き寄せられて動物達がホテルへ闖入してきて大騒動が巻き起こる。

牧童であることが知られ、怒った令嬢に追い出され傷ついたイワンが海岸で歌を歌っていると、彼の写真を返しに下女がやってくるのだが、実は彼女は密かにイワンに恋していた。彼女達はすぐに帰っていってしまった。

一月後イワンは街へ出て例の指揮者のでる会場の前をうろついていると、花屋に花を運ばされる。会場にまぎれこんだ彼がまた騒ぎを起こし、追っかけっこが始まる。気が付くとイワンは壇上に上がっていた。客席に令嬢がいるのを見つけ、彼女に向かって何か手振りで伝えようとするのに合わせて、オーケストラは演奏をするのだが、それが非常に受けてしまう。ここでも結局ばれてしまい、逃げ出すのだが、彼の才能を高く買った楽団員の仲間に迎えられる。

ボリショイ劇場で演奏できることになっていたが、練習ははかどらず、部屋をめちゃくちゃにしてしまい、そこではこれ以上練習ができなくなるのだが、イワンの提案で葬儀車の後をついて、街中で練習をする。同じころ令嬢は発声練習をしているのだが、てんで駄目なのに見かねた下女のアニュータが一声澄んだ張りのある歌声を披露してみせると、それに嫉妬した令嬢は彼女を追いだしてしまった。

雨の中路頭に迷っている彼女を見つけたイワンは楽団員たちを乗せた葬儀車に同乗させて劇場までやって来る。乱闘と大雨のために使えなくなった楽器を棄てて彼らはアカペラで演奏をする。そこへアニュータもやって来て、美しい歌を聴かせ、二人は結ばれてめでたしめでたし。

『モスクワは涙を信じない』ウラジーミル・メニショフ、1980/モスフィルム/150分(三百人劇場)

モスクワへ出てきた三人の女性カーチャ、リュドミラ、トーシャの物語。

3日(月)

『ワーニャ伯父さん』アンドレイ・コンチャロフスキー、1971/モスフィルム/104分

『小犬を連れた貴婦人』イォシフ・ヘイフィツ、1960/レンフィルム/90分(三百人劇場)

10日(月)

『ルナ・パパ』バフティヤル・フドイナザーロフ、1999/PRISMA FILM PRODUKTION Gmbn/107分

『少年、機関車に乗る』バフティヤル・フドイナザーロフ、1991/ソユーズテレフィルム/タジキスタン/100分

11日(火)

『孤独な声』アレクサンドル・ソクーロフ、1978/レンフィルム/86分

「死ぬということは、他県に引っ越すようなものだ。ただその行き先が水の中なだけだ。魚は素晴らしい。生と死の狭間に生きているんだ。だから魚には表情がないし、口もきかない。」(河に入って死の淵を覗こうとした男の話)

「もう大丈夫。幸せになることを恐れたりはしないよ」(主人公が妻リューバの下に帰ってきて云う言葉)

『コシュ・バ・コシュ 恋はロープウェイに乗って』バフティヤル・フドイナザーロフ、1991/VYSSフィルム・プロダクション/タジキスタン/90分

17日(月)

『こねこ』イワン・ポポフ、1996/モスフィルム/84分

『ムムー』ユーリー・グルィモフ、1998/ロシアテレビ/101分

『アクスアット』セリック・アプリモフ、1999/カザフスタン=日本/94分、製作:佐野伸寿、撮影:ボリス・トロシェフ、音楽:カズベック・ウスパーノフ、編集:ティナ・ベルスグーロバ、録音:アンドレイ・ウラズネフ、美術:サビト・クルマンベコフ、出演:サビト・クルマンベコフ/イネッサ・ラディオノヴァ

『ロシアン・ブラザー』アレクセイ・バラバノフ、1997/ロシア/95分、脚本:アレクセイ・バラバノフ、音楽:スラヴァ・ブツソフ、撮影:セルゲイ・アスタホフ/ウラジミール・カルタショフ、編集:マリーナ・リパルチア、録音:マキシム・ベロヴォロフ、メイクアップ:タマーラ・ドリド、製作総指揮:マキシム・ヴォロジン、出演:セルゲイ・ボドロフ・ジュニア/ヴィクトル・スホルコフ/スヴェトラーナ・ピスミチェンコ/ユーリー・クズネツォフ/マリア・ジェコワ(三百人劇場)

18日(火)

『火の馬』セルゲイ・パラジャーノフ、1964/キエフスタジオ/95分

『ピロスマニのアラベスク』セルゲイ・パラジャーノフ、1986/グルジア記録映画スタジオ/20分(三百人劇場)

19日(水)

『落葉』オタール・イオセリアーニ、1966/グルジアフィルム/96分

頭が良くて(ワイン工場で醸造技師として働いている)生まじめな青年ニコの青春。髭の濃いウィノナ・ライダーと言った風情のマリーナに恋したりする。とても良かった。

『あの娘と自転車に乗って』アクタン・アブディガリコフ、1998/キルギス/キルギスフィルム=NOE PRODUCTIONS 98(France)/81分(三百人劇場)

もらわれ子の哀しみと、思春期の始めのほほ笑ましい恋物語というごくシンプルな設定なのに、惹きつけられるのは、キルギスという土地そのものを映画の装置として活かしているからだろう。埃っぽい大地、突如表れる牛の群れ、蛇行する河、魚獲りの風景、民族衣装に身を包んだ女達が祈りを捧げる、絨毯を編む、パオで行われる葬儀、そのような中央アジア的なものをキャメラに収めるだけで、映画になることを知らされる。しかし、そうした中にウォトカやサモワールと言ったロシア的なものが顔をのぞかせ、それが日常であるにもかかわらず、外からの視線に晒されたときにある種の異化効果となっている。

『贅沢な骨』行定勲、2000/mouchette、出演:麻生久美子/つぐみ/永瀬正敏/光石研(テアトル新宿)

売春婦と同居人と客の話。お洒落なロマンポルノ。でも意外と良かった。

落下運動が鍵となっているのに、それがただ落下するだけのように見えて、偶然そうなったのか、意図的なものなのか判然としない。とにかく落ちる。つぐみが落ちる。綿毛が落ちる。携帯、ワイングラス、雷、等々。画面に直接表れるものもあれば、画面の外で見られることなく落ちるものもある。それが沈潜していく三人の心を示唆するものであれば、少し安直な気もしないでもない。落ちたものは位置エネルギーを失っているのだから、それを取り返すことは出来ないのかもしれないが、反動する力として、上昇するものがあれば釈然としない気持ちを幾分かなだめることも出来たろうか。でも、それではこの映画のコンセプトを覆すことになってしまうのだろう。煙突から昇る煙がそうと言えなくもない。

それとは関係なくつぐみは『月光の囁き』に続いて、またしてもギプスをはめられ、『風花』でも使われた東中野の陸橋が再びスクリーンに表れた、映画的記憶を変に喚起させられた。

22日(土)

『日陽はしづかに発酵し・・・』アレクサンドル・ソクーロフ

23日(日)

『罪と罰』

『カラマーゾフの兄弟』

29日(土)

『チャック&バック』

10月

3日(水)

『ドリブン』レニー・ハーリン、脚本・主演:シルヴェスター・スタローン、出演:キップ・パルデュー/エステラ・ウォーレン/バート・レイノルズ/ジーナ・ガーション

『キッド』監督・脚本・音楽・美術・主演:チャーリー・チャップリン

『ゴルフ狂時代』監督・脚本・音楽・美術・主演:チャーリー・チャップリン

『街の灯』監督・脚本・音楽・美術・主演:チャーリー・チャップリン

21日(日)

『COWBOY BEBOP・天国の扉』

23日(火)

『スキゾポリス』スティーブン・ソダーバーグ

28日(日)

『不思議惑星キン・ザ・ザ』