ご あ い さ つ   (2004年3月28日)


                         自然を守り育むいすみ地域団体
                房総の自然環境をただす会
                     代表   森谷 香取



千葉県は、房総という名の巨大な半島である。東京からJR外房線に乗ると、 車窓は里山や おおむねなだらかな 風景がしばらくが続いてゆくが、やがて太平洋が見え隠れしてくる。その潮風が、 浜辺に沿う入江を渡ってくるこの地では、 早春にウグイスが清々しい声で鳴きはじめ、それは夏を過ぎ初秋まで続いている。 かの文豪森鴎外の別荘跡は、文学散歩に訪れる人たちに往時を偲ぶよすがを残し、明治以来多くの 文人墨客が、手つかずの豊かな自然にひかれ 其処此処に足しげく来て、多くの作品を残したことが つとに知られている。

私共のささやかな老後の暮らしも、この自然の恩恵に預かれる筈だった。しかし、なんたることか、 半世紀前のレーチェル・カーソン「沈黙の春」の警告が無視されたままの地域である。
   ここは、 世界的絶滅危惧種アカウミガメが産卵・孵化する浜辺が4キロメートル続き、 海岸に沿って20ヘクタールの松林が広がる、南房総国定公園と 千葉県鳥獣保護区の二重規制地域であり、隣接して今も昔も人間の住む数多の住居がある。 それにもかかわらず、毎年6月になると、松くい虫防除の高濃度殺虫剤がヘリコプターにより 空中散布がされる恐怖の地域となっている。

あの狂乱のバブルの後に、僅かに残った貴重な自然環境の保全が余りにも杜撰(ずさん)なのである。 高濃度の殺虫剤を空から撒く、ゴミは川・海・他人の土地に捨て放題、 国定公園の境界標識を海岸寄りに移設し 国有地を宅地として開発してしまう等々。 心無い人間の仕業を矯(ただ)さなくてはならない。 恵まれた自然は昔からあるため さしてありがたみを感じず、 ほっておいても大丈夫と思うのか 無関心でいる原住民にも問題がある。 この現実に直面し、見てみぬ振りをする傍観者には、断じてなりたくないという気概をもって、 声をあげ立ち上がった次第である。


年をとると 関わり合いになるのは面倒だといって、はっきり発言しなくなる。行動を起こさなくなる。いい年をして、長いものには巻かれる。 臭いものには蓋をするのでは情けない。また老後の時代に出来うる社会貢献は何かなどと問われているが、 まず自分の身辺や近隣の自然を守り育むことだろう。 ちょっとゴミを拾うことだって、誰に気兼ねがいらない環境保全活動の一歩となっている。 何のかのと 今どきの若い者や他人のせいにしていては、いつまで経っても、世界中どこもよくなりはしない。

食の安全が、昨今とみに叫ばれているが、源を考えれば、当然ながらよき自然環境の中から生れ育ち、 与えられるものである。今、自分の吸っている大気や飲む水、自分の歩いている大地、 自分の見る・聞く・触れることのできる かけがえのない自然を、守り育み、そして次の世代に引き渡してゆくことができないとしたら、 今までさんざそのやっかいになって生きてきた人間としての甲斐もない。自然も人間も有限なのだから、 循環しなければならない。

太古から受け継がれて来た 大いなる自然の恩恵を使い放題 粗末にした報いが来て、 次から次へと試練ばかり招くに至っている。今の今、ただしてゆかなくてはならない。 責務は人間だけにある。数ある星の中でこの地球に、 しかも人間として生れたことはありがたいと思う。 おかげ様で老人になるまで命ながらえた、その恩返しに 環境問題をしっかりやりたい。 皆が、自分の属している地域に対して、誇りと責任を持って欲しい。必らずや、次世代がついて来てくれる。 引き継いでくれる と信じている。地球上どこへ行ったって、こういう社会が当たり前の筈である。


よって、「房総の自然環境をただす会」は、房総半島における自然生態系を維持、育成。 心ない開発により破壊された環境の復活と保全の活動を進める。 この地から発信し、分野を問わず多くの人々と交流の輪を広げ 文化活動や話合いをしながら、 たゆまず続けてゆきたい。



松くい虫の防除については、 私どものたゆまぬ努力に対し関係機関が重い腰を上げ、2007年度からやっと化学薬品の空中散布を止めました。 地上散布に変わりましたが、現在他の地域では松林の保護は農薬を使用しない方法に切り換え、 成果を上げています。これは本文で紹介します。


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