川端茅舎
   Kawabata Bousha 
   
俳人川端茅舎と思い出の中の親族 森谷香取(川端)
Moriya Katori



@ [はじめに]


川端茅舎(Bousha)は、日本画家川端龍子(Ryushi)の異母弟として、明治30年に東京・日本橋に生まれた。 私にとって、龍子は祖父、茅舎は大叔父にあたる。龍子、茅舎、龍子の長男 清に夫 渕を加えると、酉年生まれの男たちが揃っていて、因縁に思えてくる。
   さて、私の父である清は、叔父茅舎をことのほか親身に感じていた。そして、 生涯独身で病に苦しんでいた茅舎は、甥の清を頼りにもしていた。茅舎の身辺にあったことなど、 父の生前よく聞かされていた。
   第3句集「白痴」には、序として、「新婚の清を祝福して贈る 白痴茅舎」と記されている。昭和16年7月14日に、上梓されたばかりのその句集は茅舎の枕元に届き、 7月17日に没した俳人茅舎(44歳11ヶ月)の最期を飾った。その夏、 父龍子よりも心の通いあっていた茅舎叔父を失った清には、年の暮れに長女香取が誕生する。


晩年期の茅舎 茅舎墓の傍らの句碑


来る年も来る年も、開花を待ちつづけていた庭の朴の花が、その年になって初めて咲いたというが、 その散る花と共に、茅舎の魂は風に舞い、いずこかへ旅立っていった。

    朴散華即ちしれぬ行方かな     茅舎

師の高浜虚子は、弔句を霊前に供えた。

   示寂すといふ言葉あり朴散華     虚子

   高浜虚子は、花鳥諷詠詩を自ら実践したが、愛弟子の川端茅舎の上に、その感嘆すべき開花を見出し、 「花鳥諷詠真骨頂漢」と絶賛したことで知られている。

   茅舎、清、龍子と亡くなり、彼らは伊豆修善寺の山の墓に眠っている。龍子は、弟茅舎に「青露院茅舎居士」の戒名をおくり、自ら墓碑に筆を取りそれを彫らせ、墓の傍らには茅舎の書で、句碑も建てた。

   ひろびろと露曼陀羅の芭蕉かな     茅舎


                         - つづく -



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