アイラ通信:Ileach Japanについて

アイラ通信:Ileach Japan3周年

Ileach Ltd Japanese Correspondent / Ileach Japan 翻訳編集員 茂木 毅
Sep 2006

アイラ通信の配信を始めてすでに3年以上を経過しました。その間にも数多くの変化が島にもあり、かつてのアイラとは微妙な違いが現れています。幸いなのはスコットランドのウィスキー産業が隆盛を極めていること。島の蒸留所もひとつ増え、おまけにビール工場まで建って、その製品は日本にも出荷されています。
ウィスキーの島として名声を博する島ですが、ウィスキー以外の記事を意欲的に翻訳するよう心がけてきました。アイラという島が、多くの人の住む地域社会であることを実感していただければと考えました。島の生活は、日本でも似たような問題がありますが、容易ではありません。物価は本土より高く、職を得るのは容易ではありません。それでも、多くの人は、できれば島での生活を続けたいと考えています。
数々の変化の中で、変わらないのはアイラの人々です。もちろん、まったく変わらないとはいえません。アイラは人気の高い観光地で、別荘を立てる人も増え、英国各地から、EC諸国からアイラに住む人が次第に増えています。インド人シェフのカレー屋さんもできましたし、ポーランドの人がパブでビールを注いだりしています。ブリューイヒラディー蒸留所では、さまざまな地方、国の人たちがウィスキー製造の秘法を学んでいます。それでも、島の人々の優しさは、ほとんど変わらないように思います。
そのような、素敵な人たちの住む、素敵な島のことを日本に伝えることが今の私の喜びです。これからもアイラ通信をご愛読ください。そして、できればアイラ島においで下さい。






アイラ通信:Ileach Japanについて

Ileach Ltd Japanese Correspondent / Ileach Japan 翻訳編集員 茂木 毅
May 2003

イーラハはアイラの地方新聞です。 ゲール語で「アイラの人」を意味するこの新聞社はアイラの首都、 ボウモアのメインストリートにあり、建物の右側には受付と応接室が、左手には編集室があり、ブライアン・パーマーがマッキントッシュを駆使してイーラハの紙面を編集しています。
イーラハの創刊は 1973年で、当時は1部3ペンスでした。現在は2週に1回発行されており、価格は50ペンス、近年はインターネットにも進出し、WEB上で記事の一部が読めるほか、様々な島の情報を世界に発信し、カラー版の配信も行っています。
私はこの新聞を1995年の夏から購読しており、その間に島では、その平和さに変わりはないが、様々な変化がありました。アイラ・ウォーターやアイラ・チーズの閉鎖、アードベックやブリューイクラディーの再開、波力発電と電気バスの運行開始と停滞、ゲール語大学の設立など。さらに年中行事である農業祭やスポーツ祭、音楽祭のMOD Ile、アイラ・フェスティバルはモルトと音楽の祭典として毎年さまざまなイベントが企画され、ウィスキー造りで有名な伝統の島が、いつまでも同じではないと実感することも少なくありません。
単なる読者だった私にイーラハとの新しい関係が生まれたのは2001年のウィスキー・マガジン・ライブでした。アイラの蒸留所から多くの関係者がプロモーションのため、このイベントに参加し、私はその多くをカメラに収め、E-mailでイーラハの編集部に送りました。この写真はイーラハの本誌には掲載されませんでしたが、WEB上のIleach Onlineに特報として掲載されました。2002年の同イベントではイーラハからあらかじめ依頼があり、はるかに多くの写真を撮影し、その日のうちにE-mailで送り届けたのです。そのすべてがIleach Onlineで掲載され、そのうち1枚は後日イーラハ本誌の第1面を飾ることになりました。そして、これを機会に、私はイーラハの日本通信員として、イーラハにことあるごとに写真と記事を送るようになったのです。

さて、このアイラ通信:Ileach Japanは、土屋 守氏の提案で始まりました。これに先立ち、スコッチ文化研究所の会報「スコッチ通信」で私はスコットランドの音楽などについてあれこれと書いていましたが、そのひとつ、イーラハについての紹介文がアイラ通信へと発展したと考えてよいでしょう。土屋氏にとってもアイラは愛着のある土地であり、その地方紙を一部分でも日本で紹介できることは極めて魅力的であり、読者にも有意義で興味深く思われたようです。しかし、私はなかなかその気にならず、一応引き受け、ブライアン・パーマーからアイラ通信についての許可をとりつけてからも、しばらく手付かずで放置していました。2週に1回発行されるイーラハの記事を、一部とはいえ翻訳することが容易には思えなかったのは当然のことでした。
実際に手をつけたのは、アイラ通信の最初の記事である、5月17日の14号からでした。この号でポート・エレンの記事が載り、かつての姿でポート・エレンが記事になるのは最後と思い、思い切って訳し始めたのです。併せて、救急空輸サービスの記事も自分には思いで深いものでした。この記事冒頭の故アレキサンダー・キャンベル医師とは知り合いで、会ったこともあり、しばらく文通をした仲だったからです。

こうして、私はアイラのIleach Onlineの翻訳版を日本で提供することになりました。スコッチ文化研究所のホームページの一部として存在しているが、翻訳、デザインはすべて私が責任を持って行っています。できる限り早く翻訳し、楽しく読んでいただけるよう努力していますが、時間的制約などから不明瞭な点や誤訳もあろうかと思われます。あまりに不明瞭な場合は、ご一報ください。
なお、アイラで出版されている本誌ならびにE-mail版のIleachにはWEB上には掲載されない様々な情報が掲載されており、極めて興味深いものがあります。年間購読料20ポンドは決してた高くないので、ぜひ購読を検討ください。
また、私個人が開いているIsle of Islay Home Pageではアイラ全般の情報を網羅しており、特にアイラ訪問を予定している人には役立つと思います。
以上、このページについて簡単にご紹介しました。なにより、このアイラ通信を読んでアイラに愛着を持ち、さらに訪問を検討していただけるなら本望です。




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