私の東京交遊記

ここのページは、私が東京へ何をしに行っているのかを紹介していきたいと思います。
 平成10年12月20日頃 静岡・浜松の同業者であるはんこ屋の○○さんと会い、東京の篆刻作家
 鈴木般山先生の所へ弟子入りの前に、先生の様子や勉強方法・謝礼などを詳しく教えていただきに
 わざわざ行ったことから、東京へ上京するきっかけとなりました。
前日までに、私のはんこ屋の師匠である大阪の二階堂先生のもとで、色々と私の今後の方向について
相談に行きました。「山下・・わしは、はんこ屋として教えることはだいたい教えたので後はおまえが考えて
これからの人生を自分で考えろ・・・」先生私はもう少し習いたいことがたくさんあるのですか・・・もう指導は
いただけないのですか・・・心配するな、困った時は相談になってあげるが、もうわしは年なので山下の思って
いることを教えることは出来ない
・・・それでは仕方がない・・どなたか先生を紹介してください・・・・・・・・
うーん・・・・わしはくわしく知らんが、東京の小林先生が一番いいのだが・・そこは年なので長く指導を受けることは
無理だろうし・・そこのお弟子さんの鈴木般山先生がこれからの日本の篆刻界の方向を行く方だと思うので
イイと思うのだが・・・何しろ芸術の世界は、お金がかかるしなあ〜・・・二階堂先生、私にできるでしょうか・・・
うーん・・・・わしはおまえを指導して18年になるがわしが教えた弟子の中で特に、かわいがっている5人の
中でおまえが一番上手ではないが、勉強するところは一番よくしているのを知っているから・習うだけのお金と
時間があり、一番若いので習う時間が他の人より得なので・・・山下ならきっと出きるだろう・・しかし行って
すぐにやめてわしの顔を泥塗ることだけはするなよ・・・・・・やっぱり関西ではだめなのですか・・・あかん・・・
やるなら、日本一の篆刻作家になるぐらいの気持ちで行かんとこの世界はつぶされるから・・・先のある先生に
習うほうが、後々自分のためになるから・・・わしが電話してお願いしてやるから言って来い・・・・・・・・
仕方がない・・・お金がかかるが、京都のため、関西のはんこ屋の業界のため行ってくるか・・約束してください
二階堂先生・・私が結果を出すのに時間がかかると思うが、一応目標として日展入選するまで長生きして
ください・・・・・・あまり長く待たせるな・・・もうわしも年やし・・期待しているからなあ〜・・・・
 平成11年1月6日頃 篆刻の先輩の○○さんと会い、東京の篆刻作家 鈴木般山先生の所へ弟子入りの
お願いに行きました・・・・・鈴木般山先生・・・私は、京都のはんこ屋の山下弥寿男ですこれから篆刻の勉強を
先生のもとで指導・勉強したいのですが・・・・・いきなり・・・○○さんから聞いたが・・こちらに何しに来たのか・・・
といわれてしまって・・・私は・・・・困って・・・実は、大阪の二階堂先生の所にいた弟子のものですが、先生より
篆刻を習うなら、東京の鈴木般山先生に習えといわれたので・・・私としては、これから関西の他の人たちを
敵に回して篆刻の世界へ入っていくのですから、そのつもりで来たのですが・・・・するとにこっとして・・・
よく来たなあ・・一緒に来た○○君と仲良くがんばってくれ・・・・これから杯を交わすので・・これからがんばらんと
だめだよ・・・・・私は、このとき・・・これで後戻り出来なくなったなあ・・・と思い・・怖い先生だ・・・覚悟を決めました
 平成12年3月20日頃 篆刻の先生が、不慮の事故のためお亡くなった・・・・・・・・・これからどうするんだ
京都 山下弥寿男

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