東京U笠原情報誌    MAIL版   <No.98>  2005年4月27日

 

                                発行:笠原町美濃焼振興協議会

                                   0572-43-3131

                                発信:笠原町東京情報局

                                   03-5330-1686

                                                                                                                                             

 


2004年度「笠原政経塾」  〜地域経済の活性化を目指して〜

座談会 『タイルコーディネーターの役割とは、何か?』 

今井秀明氏、太田吉雄氏を囲んで

 

第二部の座談会は、タイルコーディネーター・セラミアートの太田吉雄さんに加わっていただき、今井秀明先生、太田吉雄氏を囲んでの座談会が開催されました。

(先生方からお話いただいた内容をご紹介します。)

 

●タイルコーディネーターについて(セラミアートの太田吉雄氏より説明)

(太田) 建物のタイルの復元と再生という役割の中で、非常に大きな思いをしめていて、その当時の建物の状況から環境とか物を作られた時の建築家、施主の気持ちの原点に立ち返って、それを持ち帰ってそのタイルという素材から思いが起こり、今回これを再生する時にどなたとパートナーを組もうかという時につなぐ、橋をかけるコーディネーターとしての役割がある。たくさん工場があるわけですが、自分の知っている範疇の中でこのタイルについては、ここの工場と心中をしようというくらいの気持ちで持ち込むわけです。古いタイルの復元と再生はまさしくいまの現時点における工場に対して、もの作りの協働パートナーとしてのコーディネーターの役割があるわけです。そういう形に作っていただくための資料提供も当然必要ですが、建物そのもの、設計者の使命を十分に理解してタイルの型、素材の土選び、自分自身が参画していくという気持ちが大事です。仕事をスムースに発展させるコンダクターの役割もあるわけです。

物づくりはただ単にできたものを売るだけではなくて、現在も仕事の中でやっていけているのは、70歳代、80歳代の我々の先輩が心意気を持ってタイル製作に係わっていた遺産があるわけで、タイルメーカーにしても、サブコンにしても、サブコンさんのゼネコンさんに対する営業も、焼物という伝統的で近代的なタイルを世の中に広めたいというそういう思いでぶつかっておられたと思います。ただ残念ながらこれから十年先、二十年先を見渡した時に、まず我々のポジショニングの確保・獲得と一緒に、どういう物づくりをしたらいいのかというその思いが皆さんの中にはあると思います。今日も工場を見せていただいた中で本当に感じたのは、その中でタイルの情報と文化をこれからは設計事務所さんの方へは掛け橋として繋いでいく。そしてその方々を工場の方へ招き寄せて、一緒に物づくりをしていって、それなりの付加価値、タイルは他にない素材だという良さがものすごくあるわけですから、自信を持って販売提供していきたく思います。タイルコーディネーターの役割は、施主、設計事務所の使い手の視点より作り手のメーカーへの提案など、コミュニケーション能力が一番大切であると考えられます。笠原は世界で見渡してもここほどモザイクというインテリア商品として魅力がある商品を供給できる地域はありません。外壁なんかも、今回、私自身も笠原のメーカーで京都で使う外壁タイルにプールに張る丸モザイクを裏アシをつけて外壁タイルに使用できるように挑戦しようかなと思っています。今日は私自身も楽しみにしていますし、忌憚なく、次の世代へ引き渡していけるようにディスカッションができたらいいなと思っています。21世紀、タイルは新時代、そのような思いです。

 

(発言) セールストークは、建築家の先生のどこに触れるのが効果的なのか?

 

(今井) むかし泰山が京都の九条の登り窯で焼いて、窯から出して、使える物と使えない物の選別をしながら破棄している時に、建築家の村野藤吾が来て、「焼きあがったこれは良いでしょう」と泰山の言葉を無視して、村野は「落ちているこれが、この色がいい。これを10平米すぐそろえてくれる」という話は良く聞くのですね。

作っているほうはなぜかわからないところですが、工場を今日見せてもって、生産ラインを見せてもらっても、申し訳ないのですがあまり心には響かないのですが、片隅の役物などが収まって並んでいるのを見るととても綺麗です。そこから、これをそのまま使ったら床に使えるのではないのとか? 壁にしたら?とか、どんどんイメージが広がっていって、今度ある長さで接着できないかとか、そういう話の方へ今日は進んだのですね。それは決して新しいものではなくて、ただの役物が並んでいるだけです。でも、私にとっては非常に宝物であるし、もうひとつは作られたものを見に行って、実は返品で帰ってくるもの、湿式の場合かな重なって積まれている物が美しくてしょうがない。彼らにとっては潰して素材に戻すだけだというのですが、あの塊が僕にとってはものすごく美しい。一度そういう塊の物を、ある長さで焼けないかとか、これはまだ実現しませんけれども、いくらなのと聞いたことがありますけれども。どうしてもコストが合わなければこちらでトラックを用意するから、それだけ運んで帰るからこれとこれが欲しいと、それでもいい。

そういうところで、突然いいなぁと思うことは良くあるのです。

ですから、どの部分でどうこうではないというのが先ずひとつと、もうひとつは、人によって全然違うのですけれども、私なんかは天邪鬼だからカタログを見せられて「どうですか?」といわれても全然閃かない。なぜかいうと、カタログを見ていいものがあれば良いなと思うけども、ない時にじゃこれしかできないのという話になってきます。基本的にはゼロから出発するわけだから、ある部分で努力してできるものもあれば、できないものもあるわけですから、ないものに対する挑戦、コストをコントロールしながらないものを挑戦していく。無限大にお金があってどんどんやるものではないから、有限の中でどこまでみんなが努力できるかの二つがあると思う。

その辺の素材のときにあれもこれもというよりは、あそこで使っているのはたまたまだけど色出しをしていいものが出た。そのノウハウがあるから次の時にはそのまま使っていこう、たしかあの時使ったものを組み合わせていこう。例えば、ひとつだけラスターだけは、前の45モザイクでもこれにラスターをかけてもらえるかと言えば、このグレーにラスターをかけて作る場合がある。

基本的に新しく作る場合と、あるものに対してもう一度違う発想からやってもらう、そういう組み合わせなのですね。だから、限られた中からもう一度新しい物を作るというのもあるだろう。

もうひとつはやはり固定観念が強くって、その人その人によってどうしても向いている方向が異なる。同じ方向を向いても違う方向から見ているから、だから工場へ行きたいというのは、こちらからではわからないいろんなものがある場合もあるし、普段から見ている人にはただの物ですよね。別に何もないものだけれども、実はこちらから見ればもっといい場合もあるし、こちらがいいなぁと思ったことも、向こうから見れば単なることである場合もある。こちらが全然良くないなと思うものが、向こうにとってはものすごくいいものなのだけどな、という場合がある。

生産のほうはわからないですけれども私の持論は、どういう需要があるのかなと狙いながらやるべきではないと、思っています。

これだろうと、市場調査してたぶんこれが当たるだろうといってやるものはろくな事がなくって、そうじゃないもっと純粋な中から一刻作っているものの中から、実はそれが本物になっていくものがある。

実は気を付けなければならないのは、本物になった時に皆が右にならえでそこへ行ってしまう。それが今までの日本の状況なのですね。そうでなくって、自分達の足元を踏みしめながらも、そういうものを見定めながらも、ヒットを狙う商品を開発するのも大事だけれども、その前に我々と共にもう一度地道なものを作り上げていく作業が実はものすごい市場の広がる可能性というのがものすごくあるのですね。

その辺のことも新しい物を作ると同時にもう一度見直しながら、こういう私のような人間は結構いますから、そういう人間とコンタクトを取りながら、作っていく間にやはり大当たりしていくことも図りながら両輪でいかれることがいいと思います。

 

(発言) タイルを使用して欲しくない面に、なぜタイルを使うのか? タイルを使う意味があるのかとも思うのですが、先生は極力、面としての存在で一個一個のタイルは主張して欲しくないと言います。メーカーが、主張して欲しくない面としてのタイルはこれですよと営業するのは難しいと思う。先生の方は感じ取ってくださるのであって、我々から作れというのは難しいと感じました。

 

(今井) 素材というのは、実は無限大に使い方があるのですね。さっき言った役物が役物ではなくなる場合があるわけです。それが立体になる場合もありますし、その使い方というのは実は一面だけではなくっていろいろな面で可能性がある。だから、普段陥るのは、それを役物・役物・役物と作っていると実は役物しかないけれど、逆から言えばそれは、全然違う素材・素材・素材になることだってある。ということは役物というのは存在がないわけです。角のところに使ったりするけれども、実は存在というのはないはずです。だから一見すると存在感が出てきたりする。人間が陥る事というのがあるのですが、むかしのフランシス・ベーコンという哲学者が語っているように、人間の罪というか間違いというのがあって、それはイドラ(偶像)だと言っているのですが、例えば洞窟のイドラとか言われますが、井の中の蛙と一緒で、洞窟の中からある物を見て、世界の中であるものはそれしかないと思ってしまう。劇場のイドラというのも、劇場である人が演じているとそれがあたかも正しいかのように思ってしまう間違い。これは安いよ、安いよと聞いている間に本当に安いかのように思ってしまう事にだんだん陥ってしまう市場のイドラなどがある。

私なんかは、同じようになんでこうなのとか? ほんとうに? 変なところから見たりといろいろなことをするのです。

たぶん、作られる方々ももう一度普段作っているものは、これはこうだと決め付けるものではなく、もっと違う視野で作っていったらおもしろい物に繋がっていく可能性というのは山ほどあります。だから生産者側はいろいろなものを見てもらいたい。タイルの使い方だっていろいろな使い方があります。

ベネチアを中心に活躍していたカルロ・スカルパという建築家がいた。ベネチア大学の学長までやった建築家で、非常にローテックで地道に作っていくから、ひとつの作品に十年がかかったりする場合がある。彼はカンナテッロという職人がいるところ(木工所、ガラスモザイク、小さな工場があるところ)にふらふら行っては、見て、「これはこうできないの」とか、「これはいいな」と持って帰る。彼の作品は手工芸的なものを使いながら、非常に綺麗な作品を、彼の一生の中でたくさんは作っていないのですが、作っています。

彼の動きは、フランスではルコルビジェをはじめ華々しくやっている時代に、イタリアの一部でゆっくりとした時間の流れの中で作っていた。学生が「先生の創られる建物は本物ですか?」と尋ねると彼は、「本物だったらその内綺麗な花がさきますよ」と答えました。実はものすごく綺麗な花が咲き、いまでも建築を学ぶ学生がたえず彼の作品をもとめて世界各地から訪れています。

今でも学生は彼の作ったところを巡礼のように歩いていく、そのような建築になっている。本当に伝統のガラスモザイクを使ったり、伝統であったスタッコ(漆喰)を50年以上前に廃れたのをもう一度作り上げて彼のデザインの中で使った。作り上げたら20年後に日本でイタリアンスタッコとして紹介され、世界に広がり今でも多くのデザイナーが使っています。そういう素材を作り手がいろいろな視点で見ると、いっぱい工場に転がっているのです。日々いろいろな角度から見ていくとたぶんいっぱいあるでしょう。

 

(太田) いま一番生産量も多くて、生産額も上げている45角、45ニ丁という形状のモザイクタイルがあるでしょう。我々はトラウマみたいなもので、確かにあれを作っていると今の45角、45ニ丁の大量生産のものは、市場で行けば材工で2,600円、2,700円で3千円を切っている。将来45角、45ニ丁のゾーンが儲かるゾーンになり得ないのかというと、グループの部分で僕はなり得るじゃないかと思う。今のどこの工場のものを見せていただいても、あのままのレベルで値段をつけろと言われると、今の状況はゼネコンさんサイズのエアポケットの部分で納得せざるを得ない。物づくりをしている工場の物というのは、悔しいけれど一緒に並べた時にその違いが一発でわかる。よっぽどものを見極める人は別にして、施主でもいい服、いい素材、色も、発色も含めて、同一レベルで並べた時に、45角、45ニ丁の系図がどこの工場の物でもそれぞれの個性、特徴があれば、例えば千円、二千円高く出しても施主は出すと思う。出さないのはゼネコンが言うようなものを他所で作らせても同じような物が出来てくる。そのレベルだから市場性がないのであると思います。

工場の特色がある。釉薬だけでも特色がある。他所に変えられないそのような物づくりが必要です。

この間も アメリカに出すというタイルは4回もぼかしもかけている。土物系の2色配土系は高いから、それについてはやはり化粧で持ってくるという。それに対して若干値段を1,000円、2,000円上げても、そのタイルに個性と魅力があればそのゾーンというのはあるのじゃないかと思うのですが、どう思われます? 

これは切り返された時に、自分が納得しているから返せない。「こんなん、どこでもできるやろ」という思いが、自分のなかでもどこでもできるなという思いなのですね。その時点でやっぱり勝負に負けている。

それは相手も知っていてわかっています。そういう時に、やはり笠原の工場を、できるとしたらこの工場、これとこれはこの工場というように、工場の条件に付加価値があるじゃないですか、そうしたら対相手にもっと強気に出られます。マンションがモザイクを選択しているというのは、タイルだから建物が良く見えてメンテナンスがかからないというひとつの条件です。はっきり言って他の素材にタイルに勝る素材はないじゃないですか。他の素材にしたとしても10年経ったらメンテナンスで足場をかけて塗り直す。また何千マンとお金がかかる。それであれば初期投資のところで最初からタイルにお金をかけられるはずなのだけれども、デベロッパーさんが利益のところでそこだけが儲かっている。我々は、体の良い犠牲者です。せっかくいいものを供給しているのに、材工3千円で引き受けられないのであれば、競合したときに勝てるものは、45ニ丁の世界でもあるのではないかなと思っていますし、設計事務所もピンからキリまであります。我々からすると、設計事務所の物作りに対する力が落ちている事務所も多い。今井先生みたいな人もおられますけれどもパーセンテージからすれば少数です。聞かれたときに相手に対してなぜタイルを使用するのかそこまでの説得ができる方が減っていることは事実ですから、素材というもので、もう一回勝負をかける必要性があるのではないか、またできるのではないかと思います。

どう思われています。あのタイルから逃げられる事はできない。今の状況からすると一番大きな市場を占めている45角、45ニ丁モザイクタイル、そこで1,000円でも高く売ろうという努力をみんなでやっていく必要があり、やれば売れますよ。ゼネコンさんが材工3,000円を切る価格で何千平米も張るとすると現状ではリスク負担が多すぎる。サブコンさんが安い値段で取っているけど、彼らは自分達で責任を持ってホローはできませんよ。できないから工場に言ってくる。あんな安い値段で、1か月でも早く終えなければならないという工程の現場を持っているときに、彼らはタイルの弱い部分を知っていますから職人を投入します。元々が安い値段ですから職人の応援を頼めば儲かるわけがないです。それをどこに吹っかけていくかというとゼネコンではなく価値あるタイル素材を生み出す工場にです。最低でも儲からない単価を維持するためにも、私は1,000円上げ値段で交渉すればいいのに、それをすることができる人はどこにもいない。本当にリスク負担を抱えて45角、45ニ丁が張られているのがマンション現場です。安い見積りをサブコンさんは出しながら、明日はないなという顔をしています。これでは職人さんはタイルを張っても張っても未来に繋がる夢がないじゃないですか。本来は職人の経験、施工レベルによって施工の手間代は違うはずです。心有る技術者の養生に対して、何か側面よりサポートする事も大切な視点です。我々の大先輩で当時のタイル職人さんは万博の頃で月100万持って帰れた人が、いまモザイクを張って一日7,8平米で1平米辺り1,200円、1,300円持って帰ると月に25万ですから、職人になりたい人なんていません。そういうことも考えて、タイルというもの作りは施工されてから商品として完結しますから、底上げをやっていかないと駄目だと思います。今はそれぞれのセクションで、施工は施工のセクショナリズム、作るものは作るものの立場でバラバラに動いています。情報ネットを働かせて、職人さんもこういった場に入ってもらってもいいのです。元々職人、タイルの施工店は我々の方の味方なのですが残念ながら、今はゼネコンさんしかお金をもらうすべがないものですからとても弱い立場にいます。でも、本心はそうではないのであって、1,000円でも2,000円でも高い施工代がもらえる力強い物を作ってくださいという思いは持っています。昔を懐かしむ。30年代、40年代の工場というのは、それぞれの工場の特徴があったから、各自の工場それぞれが個性のある競争ができたのですが、いまゼネコンさんは、こんなのできるやろ。こんなのできますよという特徴のない営業の片棒を担いでいるというのは情けない。明日に繋がる特徴と魅力のある製品作りができる、そういう努力を業界が一体となってしようでありませんかと私は言いたいです。

40代、30代の方が、20年後、30年後のより良いタイル作りの環境への道づくりをしていかなければならない世代で、笠原のアイデンティティは世界に誇るアイデンティティであることを知り、モザイクの個性を生かしてほしい。今日も玉川窯業の社長がモザイク工房の企画をされている事に感銘を受けましたし、日本だけでなく世界に対して目を向けることは今の時代ならできるはずなのです。しかしスケールが小さくなっているから、それさえ越させない。なんかタイルという素材にかかわりながら、その魅力ある素材を生かすために、自分達が努力しているのかなと言えばしていないのかもしれない。現在の状況はそのように思います。

今ネットーワークという言葉がありますが、ネットワークの組み合わせ方によって、1足す1が3になり、4になる。コーディネーターの役割の巧拙によって、一緒にもの作りをしていく橋渡しをしていく選択だってものすごく多い。タイル商工組合のタイルエッセイで板倉建築研究所の故西沢先生が書いていましたが、単に物を売る営業をするということよりは、設計の方々は常に工場へ行くわけには行かないので、間に入ってくれる人がやっぱり設計のもの作りに対する一目を狙い、工場からその力を引き出してくれる役割が私は欲しいと思います。と書いていました。タイルコーディネーターの役割がここにあります。設計の方々が思っておられる感性と同じ感性を共有するように建物を見なければいけないですし、共有できるようにそのトレーニングは必要だと思いますが、ただものを持って営業に行く時代は終わっていますが、まさしく営業マンはタイルの文化とそこにお金になる情報を一緒にひっくるめて、使う側と作る側とを一本の絆で結び付けていけば、物づくりに対して値段は取れます、そう思います。基本的に材工3,000円を下回る仕事は基本的に私はしていません。大きい声でやってきたとは言えませんけれども、できるだけ極力高いけれども、付加価値を付けて工場のものを供給していきたいという思いはあります。その思いがないと良きパートナーとして工場が努力をされていることに対して価値を付けて、思いを込めて売れないです。私は、モザイクで100円切ったモザイクは、本当にどれだけの努力と、ローコストの努力維持と燃料を使いながら、片や倍以上で売れるものとの違いは、燃料が高いといってもどうしてそれだけの差があるのか良く理解できない。でも、見せ方やプレゼンの仕方によっては可能ですね。ただ人は、太田君これは形状に問題があるのではとも言う。けっして45角、45ニ丁でも決してモジュール寸法としてはいわゆる問題になる寸法ではない。

 

(今井) 形状は問題ない。普通にモザイクを使っていますから形状は問題ない。形状は嫌いなわけではないから、だから使うのです。

同じものでも、質量を感じさせる。ぼくはよくは分からないのですけれども、こういったものは思いというものが入れば入るほど、本当に跳ね返ると思います。不思議な世界で、感覚の話しかないのですけど、ともかく突っ込んで突っ込んでいく。私の事務所というのは、突っ込んでなければ私が後ろから頭をたたきます。というのはなぜかと言えば、問われたときに、あなたはこれを見た? 確認した? どうしてこうなっているの? と聞いたときに、そこにいた事務所の担当者が、わからない。見ていません。と言う。見ていないことを相手に指示するなということが基本なのです。だから、自分の目で見て、何があっても行って来い。行って、見て、自分の目で見ておかしいと思えば何がおかしいかをきっちり見た目で言え、そういう思いをどんどん突っ込んでいくと、これは不思議なもので、建物というのはものすごい存在感を持ってくるのですね。不思議に・・・。

ひとつの理想は、長野に宮本忠長さんという方がおられて、あの方が建物を作られた時、竣工の前の日に、型枠業者さんとかいろんな業者の方が来て、自分らで出しあったお金があるので何か記念になるものを作って欲しいと来られたのですね。彼はわかりましたと言って記念誌を作られ、それを竣工の前の日に、いろんなところに散らばっている業者や関係者が家族を連れてきて、これは自分がここを貼ったのだよ、ここを作ったのだよと家族に見せた。小冊子を記念に持ちまたそれぞれの生活にもどっていく。次の現場に行って、また竣工の時に小冊子をと、作ったものに対する誇りを持っていく。実績として納めましたというのもいいのですが、そうではなくて誇りをどんどん持って、設計者の意図、作ったものが本当に良かったのか皆で考え、突っ込んでいくと不思議なもので生きてくる。そういう設計をしたいと思います。

 

(太田) そうですね。タイル単体を売っているわけではなくて、タイルの場合目地があるから、その繋ぎの部分の目地は、化粧目地といって色までも超えてしまう。タイルは目地次第でよくも見えるし、悪くも見えますから、自分でシュミレーションしながら思い悩む訳です。心配する事もありますが、サンプルを出す時に成功率が高くなる。僕なんかは教えていただきましたが、神戸女学院のウィリアム・ヴォーリズなどは指2本分ぐらいある目地を取っています。泰山で作ったタイルの2丁掛施釉タイルで選ぶのでが、タイルの使い方が非常に上手いものですから建物全体が重くない。全面にタイルを張らないです、腰高の3分の2ぐらいまでタイルを張り、あとは塗り壁的な手法です。タイルの表現のときに、なぜ目地を二重に太く取るのか? あの方々は化粧目地の使い方が上手い、今タイルで化粧目地を太くすることがありますが、我々は村野藤吾さんなどの先人の真似をさせていただいているのです。礎石像からくる目地ではなくて、意匠としての化粧目地である。化粧目地でするときは目地の色はグレーであっていいという方法だけはない。ただグレーにするのは基本的にニュートラルな色だから、対相手の色が正直に出るからグレーにしているだけで、そのグレーが正解でない時もあります。でも、このタイルに対してはこれでいこう、荒さもこれでいこうと、このぐらいまで質感を進めていくとタイルというのはレベルが上がってきます。白のタイルがありますが、質感で勝負する場合は、例えば普通の硅砂の7号、8号の目地を使用する場合と荒目地を使用する時とでは、また見え方が違う。だからその時の素材の見え方というのは目地という脇役との相性もあるし、なんでも全面に張ったらいいわけでもない。モザイクタイルがインテリアとしての新鮮味があると思うのは、いまの設計の若手がモザイクに対しては異常に反応を示し、使いたがります。自分でデザインできる範疇の素材なのです。自分でやるのだという意思がインテリアデザインのそういった世界にある。モザイクはもう1回売れます。いまその兆しは来ています。レトロモダンみたいなもの、売れますね。その中に私も入れていただきたい。モザイクは懐かしくて、そして新鮮な建築素材なのです。その事が伝統的で新しい素材なのです

 

(発言) 原点に戻って、セラミックのいいところをもっと活かせるように、私達が個性を持つ。これを差別化というのか、個性化というのか、自分達の独特な表現の出し方を、それぞれのメーカーさんが自分で考えてやっていけば、今おしゃっていることが繋がっていくものだなと思います。そのためには、実業家の思いを我々工房、工場がそれぞれ個性のある作り手だと考え方をして、それを原点に戻っていくことを反省しています。今後いろいろな発展があればと思います。ありがとうございました。

 

今井 秀明(いまい しゅうめい)氏 1952年京都生まれ

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       TEL.03−3791−2223 FAX.03−3791−2224

ホームページ http://www.ne.jp/asahi/imai-architect/partners/

 

太田吉雄(おおた よしお)氏 1948年滋賀県生まれ

≪プロフィール≫

立命館大学文学部地理学科卒業 

タイル、陶壁を中心に大正、昭和の近代建築の再生にも取り組む。

有限会社セラミアート 代表取締役  ヴォーリズ建築保存再生運動一粒の会 理事

・最近の主要現場 大阪府こども自立支援センタ− 明石医療看護専門学校

・タイル復元・再生 神戸女学院・シオノギ製薬中央研究所

≪連絡先≫  〒524−0022

       滋賀県守山市守山6−10−4

       TEL.077−582−8308 FAX.077−582−8309

 

取材場所:笠原町中央公民館にて

取材日時:2005年3月29日