サン=テグジュペリ


僕は、サン=テグジュペリの『星の王子さま』は小学生の時に読みました。何年生だったかは覚えてはいないけれど、最後のところで胸がキュンッとなったのを今でも覚えています。その後、ちまたで“星の王子さま症候群”などと取りざたされたことがあり、大人になってから再度、その話題をきっかけに読み返しました。僕がその時感じたのは、“大人になりきれていない大人”という定義よりも、“社会の歪み”というものを強く感じました。
この本では、「物事は心で見なければならない」「無駄もまたひとつの価値である」「責任を果たさなければならない」「弱いものを護らなければならない」「約束を守らなければならない」という僕たちにとって本当に大切なことを、理屈抜きで語りかけてくれます。
僕は逆に、――なるほど、現代の社会では、「物事を心で見ない」「無駄を無価値とし安易に切り捨てる」「責任を果たさない」「弱いものを護らない」「約束を守らない」そういう人々をどうやら“大人”と呼ぶらしい。――と、思わざるを得ないのです。
また、こうも考えてしまいます。――人間が、心の中に潜む“少年”や“少女”を自ら否定し切り捨ててしまう社会とは、一体どんな社会だろうか?――と・・・・・・。――とある日、僕が買い物を済ませようとコンビニエンスストアーのレジで並んで待っていた時のこと、前で八十歳ぐらいだろうか白髪の女性が、いかにも恥ずかしそうに一個の大福もちを買うのを目にしました。それはもう老人とは思えない、まるで少女のようなしぐさでした。彼女の素行と心の中には一人の少女が生きているのです。彼女の心の中に生きている少女を弾圧し殺してしまうような排他的風潮が社会に蔓延してしまったら、一体どんなどんな社会になってしまうのだろうか?――と・・・・・・。答えは簡単です。今僕たちは目にしているのですから。事実、本物の少年少女たちが夢や希望を失いかけています。社会環境が子供たちの心に住む少年少女を排除しようとしているのですから・・・・・・、悲しむべきことです。
この本は、“星の王子さま症候群”という言葉で簡単に片付けてしまうには、余りにももったいない本です。
成人した方にこそ、再度読み返しいろいろと思いを巡らせていただきたい、そんな本です。


「星の王子さま」(内藤濯訳/岩波書店)

『星の王子さま』から抜粋

 「じゃあ、さよなら」と、王子さまはいいました。
 「さよなら」と、キツネがいいました。「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」
 「かんじんなことは、目にはみえない」と、王子さまは、忘れないようにくりかえしました。
 「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、そのバラの花のために、時間をむだにしたからだよ」
 「ぼくが、ぼくのバラの花を、とてもたいせつに思ってるのは・・・・・・」と、王子さまは、忘れないようにいいました。
 「人間っていうものは、このたいせつなことを忘れてるんだよ。だけど、あんたはこのことを忘れちゃいけない。めんどうみたあいてには、いつまでも責任があるんだ。まもらなけりゃならないんだよ、バラの花との約束をね・・・・・・」と、キツネがいいました。
 「ぼくは、あのバラの花との約束をまもらなけりゃいけない・・・・・・」と、王子さまは、忘れないようにくりかえしました。


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