ギリシア・ローマ神話
紀元前8世紀頃にホメロスが『イリアス』や『オデュッセイア』を記したというのは、大変驚くべきことです。そういったことを念頭に置き、現代人が紀元前の人間よりも優れているだろうか?と問うと、その答えは明白です。ですから、僕たち現代人が、たかだか数百年前の人間よりも優れていると勘違いをすることは、大変な驕りだと思います。彼らは確かにインターネットは手にしていなかった、しかし人間としての“心”や“創造力”は僕たちよりも数段卓越したものを持っていたように思います。そういった認識のうえに立ち、僕たちにできることを考えると、遠い過去の諸作品に対し、謙虚にそして誠意を持って接し、そして新たな創造へのチャレンジをすることではないでしょうか?
さあ! それでは、ギリシア・ローマ神話の世界に行きましょう!
オウィディウス「変身物語」(中村善也訳/岩波文庫)
『ダイダロスとイカロス』
そうするうちにも、ダイダロスは、クレタと、長い亡命生活とにいや気がさし、しきりに郷愁を誘われてはいたが、いかんせん、海に閉じ込められている。「陸と海とを封鎖することはミノスにもできようが、少なくとも空だけは開放されている。そこを通って脱出するとしよう。王には、すべてを領有できようとも、空だけはそうはいかぬ」こういうと、未知の技術に心をうちこんで、自然の法則を変えようとはかった。
というのは、こういうことだ。いちばん小さいものから始めて、羽根を順次に並べてゆく。つぎつぎに長いものをつけ足してゆくと、集まった羽根は、傾斜をなくして大きくなってゆくはずだ。むかしの田舎の葦笛が、大小不ぞろいな葦の茎を並べることで、しだいに長さを増していったのと、それは同じだった。つぎに、中央部を紐で、基底部を蝋で、つなぎあわせる。こうして出来上がったものを、少し彎曲させて、ほんものの鳥の翼に似せる。
少年イカロスも、父のそばに立ち、みずからの危険のたねをいじくっているとはつゆ知らずに、嬉しそうな顔で、気まぐれな風に吹き飛ばされた羽毛をつかまえたり、黄色っぽい蝋を親指でこねたりしては、おもしろ半分のふざけで父親のすばらしい仕事を邪魔していた。工匠ダイダロスは、仕事に最後の仕上げを加えると、みずから二枚の翼でからだの平均をとり、羽ばたきながら空中に浮びあがった。
息子にも指図を与えて、こういう。「よいかな、イカロス、なかほどの道を進むのだぞ。あまりに低く飛びすぎると、翼が海水で重くなる。高すぎると、太陽の光で焼かれるのだ。その両方の中間を飛ばねばならぬ。『牛飼い』や、『大熊』や、抜き身の剣をひらめかした『オリオン』などに目を向けるのではない! わたしのあとについて来るのだ!」飛び方の注意を与えながら、不慣れな未知の翼を肩につけてやる。仕事と忠告のあいまにも、ダイダロスの老いた頬は涙で濡れ、手も、父としての心づかいで震えていた。もう二度とはできないさだめの口づけを息子に与えると、翼で宙に浮きあがり、先に立って空を飛ぶが、あとからついて来る息子のことばかりが心配になる。高い梢の巣から、幼いひな鳥を大空へ連れ出した親鳥に、まるでそっくりだ。うしろについて来るよう励まし、命取りの災いな技術を教える。みずからの翼を動かしながらも、息子の翼のほうばかりをふり返っている。
この親子の姿を、しなやかな竿で魚を釣っている漁師の誰かや、杖をもった羊飼いや、鋤の柄によりかかった農夫が見つけて、仰天した。空を飛ぶことができるのは、神々にちがいないと信じたからだ。
すでに、デロスとパロスの島々を通りすぎ、ユノーにゆかりのサモス島を左に、レビントスと、蜜に富むカリュムネの島を右手に見おろしていた。息子は、大胆な飛行を喜び始め、父の先導を離れる。天空へのあこがれから、あまりに高いところを飛びすぎた。間近に迫った強烈な太陽の光で、羽をとめているかぐわしい蝋がゆるみ始める。とおもうまに、蝋はすっかり溶けてしまった。少年は、むき出しになった腕をばたばたと動かすが、翼がないために、空気をつかむことができない。しきりに父の名を呼びながら、紺碧の海に突っこんだ。この海が、彼の名をとって、イカリア海と呼ばれている。
いっぽう、哀れな父親は――もう父親ではなくなっているわけだが――「イカロスよ、イカロスよ、どこにいるのだ?」と叫ぶ。「ああ、どこにおまえを探したらよいのだ? イカロスよ!」そういいつづけているうちに、波間に翼を発見した。われとわが技術を呪い、遺骸を墓に葬ったが、その島は被葬者の名によってイカリア島と呼ばれている。
ブルフィンチ「ギリシア・ローマ神話」(野上弥生子訳/岩波文庫)
『オルペウスとエウリュディケ』
オルペウスは、アポロンとムーサの女神の一人なるカリオペのあいだの息子でありました。彼は父から一つの竪琴をもらいました。そうしてそれを奏でるわざを教わって、なにものもその音楽の魅力には敵することができないほどの妙境に達しました。ただ人間のみならず、いろんな野獣までが美妙な音律に心を和らげました。彼らは柔順にオルペウスの周囲に集まり、その音に聴き入って、恍惚として立っていました。樹や岩のようなものさえ、魅力を感じました。樹は彼のまわりにさし寄って来ました。岩はその調べのために持ち前の冷酷をやや和らげました。オルペウスはエウリュディケと結婚した時、それを祝ってもらうために婚姻の神ヒュメンをも招待しました。ところがヒュメンは列席はしたけれども、幸福の前兆を一つも持って来ませんでした。彼のいつも持っている婚礼の炬火はいぶって、二人の眼に涙を出させました。この前兆はついに当たりました。エウリュディケは結婚して間もなく、友だちのニンペたちとそぞろ歩きをしているところを、アリスタイオスと呼ぶ牧者から見られました。その男はエウリュディケの美しさに心を打たれ、彼女をめがけて進んで来ました。彼女は逃げました。逃げる時に草の中で蛇を踏みつけて、足を噛まれて死にました。オルペウスはその悲しみを歌って、神にも、人にも、この世で息をするほどの者にはみんなに訴えましたが、なんの甲斐もなかったので、この上は死の領へ行って妻を探そうと決心しました。彼はタイナロンの岬の側面にある一つの洞穴から降って、よみの国へ着きました。そうして幽霊の群れを通り抜けてハデスとプロセピナの玉座の前へ進みました。その時、彼はこんな言葉を竪琴にあわせながら歌いました。『われら生ある者のことごとく来べきさだめなる下界の神々よ。わが言葉を聞きたまえ。それは真実なり。わが来しはタントロス(下界)の秘密をうかがわんためならず。またその門を守る蛇髪三頭の犬にわが力を試みんとするにもあらず。毒蛇の牙にまだしき終わりをとげしわが妻を求めんためなり。愛はわれをここに導きぬ。地上に住めるわれらには愛こそすべての力なる神なれ。もし古き物語に偽りなくば、ここにも愛は乏しからじ。これら怖れの棲み家、沈黙と未生の物の領土にかけて乞う。願わくば再びエウリュディケの玉の緒を結びたまえ。われらの運命はおん身にかかれり。はやくも遅くも、おん身の領土を過ぎではかなわざるなり。彼女とても命尽きぬれば、まさしくおん身の物たるべし。さあれ願わくば来ん日までわれに許したまえ。よしやこばみたもうとも、われ一人は得帰らじ。二人ながらの死におん身は栄えん。』
彼がこんなやさしい調子で歌うと、幽霊たちはみな涙を流しました。タンタロスは咽喉がかわくにもかかわらず、瞬時のあいだ水を飲もうとするのをやめました(タンタロスはリュディアの王であったが、地獄の池中に置かれ、いくら水を飲もうとしても、水が逃げて行って永久にかわいているとされています。これがTantalising(見せびらかし)という語の語源であります)。イクシオンの車も静かにとまりました(イクシオンはテッサリアの王でありましたが、ゼウスが天に連れて行って、神々の饗宴に連ならせた時、ヘラに恋したので、ゼウスから地獄へ追い落とされ、永久に止まることなき車に結びつけられているのであります)。兀鷹も巨人の肝臓を裂くのをやめました。ダナオスの娘たちは篩で水を汲む仕事を休みました(これはアルゴス王の娘たちで、父はその婿たちに殺されるだろうという神託を受けたので、結婚するとすぐ良人を殺すようにと娘たちにいいつけました。娘たちはみんな殺しましたが、ただ一人ヒルムネストラだけが良人を救いました)。そうしてシシュポスも岩の上に坐ってその歌を聴きました(これはコリントスの王で地獄に落ち、山の上まで岩を転がしているのであります。その岩はいくら転がしても、永久に転がり返ります)。復習の女神たちの頬が涙にぬれたのはその時が初めてだと伝えられています。ペルセポネもこばむことができなくなるし、ハデスもついにその願いをいれました。エウリュディケは呼び出されました。彼女は近ごろ着いた幽霊の中から、傷ついた足でびっこを引きながらまいりました。オルペウスは彼女を連れて行ってもよいと許されましたが、それには二人が地上に帰り着くまで彼女をふりむいてはならぬ、という条件がついていました。こんな約束で二人は出かけました。オルペウスが先に立つと、エウリュディケはしたがいました。どちらも黙ったまま、ある暗いけわしい小道を通って、とうとう晴れ晴れした地上の世界の出口へ着くばかりになりました。その時オルペウスはつい約束を忘れて、彼女がまだついて来ているかどうかと一目ふり返りました。するとたちまち彼女は後へ連れ返されました。二人は腕を伸ばして抱きあおうとしましたが、ただただ空をつかむばかりでありました。エウリュディケはまた死んで行きながらも、良人を責めることはできませんでした。自分を見たいばかりに早まったのを、どうしてとがめられましょう。『さようなら』と彼女は申しました。『これきりです。さようなら。』・・・・・・そうしてその声が聞きとれなかったほどに急いで去りました。
オルペウスはいっしょについて行って、彼女がもう一度帰れるように願おうとしました。けれども荒けない三途の川の渡し守がこばんで、渡してくれませんでした。七日間彼は食べず眠らずで、河岸をさまよいました。その時烈しく地獄の力の残酷なことをとがめながら、その憂愁を岩や山に歌いますと、虎は心を和らげ、樫の樹も感動してところを移しました。以後オルペウスはたえず悲しい回想の中に住んで、女というものをさけていました。トラキアの処女たちは彼をとりこにしようと手を尽くしましたが、そばにも寄せつけませんでした。処女たちはできるだけその侮辱を忍んでいました。けれどもある日、彼がディオニュソスの儀式で興奮して、われを忘れているのを見つけると、彼らの一人が、『あすこに私たちを馬鹿にする人がいる。』と叫んで手槍を投げつけました。けれども、オルペウスの弾いている竪琴の音の聞こえるところまで来ると、武器はなんの害もしないで足もとに落ちました。石を投げれば石もまたその通りになりました。すると女たちはいっせいに叫び声をあげて物の音を消してしまったから、その時矢が来て傷つけました。狂乱の人々はついにオルペウスの手足を裂いて、頭と竪琴をばヘブルス河へ投げ込みました。この二つが悲しい音楽を囁きながらその砂浜に漂って行くと、岸辺がそれに答えて哀れな階調をつくりました。ムーサの女神たちは、きれぎれの身体を集めてリベトラに葬りました。それ故リベトラでは、鶯がギリシアじゅうのどこにもないような美しい声でその墓の上に啼いているといわれています。竪琴はゼウスから星のなかに置かれました。幽霊となった彼は再びよみの国へ行って、エウリュディケを尋ねだして熱心にかき抱きました。二人は今や極楽の野を相伴ってさまようています。オルペウスはもはやうっかりした一瞥のために罰を受けるようなことのないのがわかっているので、思いのまま彼女を眺めています。