リトルターン
ブルックニューマン作 五木寛之訳  集英社 1400円


アジサシという鳥の真の本質は、思うがままに空を飛翔する能力にあり、また、惑星のかなたに描かれた見えない真理を悟る直感力を持つ点にある。

                                           

 ある日突然、すべてが変わってしまった。僕は飛ぶことができなくなり、僕の生活は劇的に変化したのである。最初は何か外側が壊れているのだろうかと僕は考えた。しかし、そうではなかった。そこで僕は考えた。外部ではなく、ひょっとして内面に問題があるのかもしれいないと。飛ぶための信念や本性が失われたのかも。


 結局、僕は自分の内面が壊れとの結論に達したのだ。そう考えた瞬間、僕はただかガッカリした。僕の仲間は、どうして飛ばないのかと質問した。僕はまだ自分で十分に納得できないでいる事実をありのままに伝える代わりに、手の込んだ言い訳をでっち上げた。
 僕の生涯のこの時期、すべてが失われた。僕が知っているあらゆる物、友だち、空、飛行、自分の生き方など何もかもが消え去った。僕にあるのは、自分が立っている場所だけだった。目の前のすべてが完全に謎だった。そんなわけで僕は自然に、海岸に存在する物のある種のコレクターになった。


 飛ぶ能力を持たない自分でも、まだ鳥と呼べるのかどうかをややうろたえながら自分に問いかけた。もし、自分が鳥でないなら、いったい自分は何なのだろう?
僕は毎日、様々なことが起きるのを注意深く見守った。そうする内に、やがてモノトーンと見えるものの中に、鮮やかないくつもの色が見えてきたのだ。僕は気づいた。それまで僕が生きてきたモノトーンの中で、自分は本当のものを何一つ見ていなかったのだと。僕は、味、香り、肌さわり、言葉、夢、それに考えなどを心の中に集め、画家が描く風景に自分の感覚と感受性を混ぜ合わせるように、それらを混ぜ合わせた。それは、自分だけの万華鏡となり、僕の昼や夜ははるかに優しくなった。

                  


 しばらくすると、僕は友達が欲しくなった。友情は一瞬にして生まれるものではない。僕は辛抱強く待たなければならなかった。それは、つらく、慣れないことだった。お互いの行動を毎日毎日観察しあった。日が経つにつれ、僕らは無言のままお互いを認めあった。


 カニの友人は言った。「君は、自分の知っていることに慣れすぎているんだよ。君はこれから、自分が知らないことを知る必要がある。君は飛ぶ能力を失ったんじゃない。ただどこかに置き忘れただけだ。物をなくすって事は、それが消滅することだ。しかし、置き忘れるって言うことは、消えることじゃない。探し出すには、丹念に注意を払って、気づかなかったことに気づくことだよ。」「君が集めているものの中で、何が本当に重要で、何がそうでないかに気づかなくちゃ。


 ある朝、太陽が昇って海岸の上に輝くと、僕は自分の影が僕のすぐそばにあることに気づいた。以前から影はあったんだろうけど、その朝まで、そんなことに僕は気づいたことがなかったのだ。物がそこにありながら、全くそれに気づかないと言うのは、なんと奇妙なことだろう。


 僕は影のことを考えた。飛んでいる鳥のそばに影がないことを考えた。着地したときにだけ、鳥は自分の長く伸びた黒い存在を思い起こすことができる。影は、そこにはなくとも存在する物を思い起こさせるのだ。鳥は、その羽や翼がどれだけの価値があり、すばらしいかを知らなければ、本当に飛ぶことはできないのだ。高い空を飛ぶために、鳥は翼の下にあるすべての本質を見る必要がある。そうでないと、惑星の上を無目的に飛んでいるだけに過ぎない。

                       
 やっと自分の影を見いだした鳥として、僕は今再び空に戻ろうとしていた。生きると言うことは、こうして、空を守るために必要な智慧を鳥に授けてくれるのだ。