身も心もついには骨までも
「80代女性が処右大たい骨を骨折し、約5日後に転送先病院で出血などにより死亡したが、処置が悪かったのではないかと訴えられている。」との記事があった。
私も、老人病院に勤めていますが、同じようにおむつを交換しただけでも「おむつ骨折」は 起こりますし、乱暴に扱ったわけではないと思います。家族には、骨粗鬆症による「病的骨折」と説明し、「骨が折れてしまうぐらいに全身が弱っている」と言い添えています。
老衰という言葉で一つ思い出しました。最近どうも「死」という言葉を治療者が使うことはタブーであるような風潮が見られます。
「医学」としては、生存の可能性を最後まで捨てないことが求められます。
しかし、「医療」としては、特に平均寿命の迫った人を前にしては異なった対応が必要と思います。心肺肝腎機能・筋力や平行バランスなどの身体機能などもどんどん悪くなっていって、認知症などもすすみ、とうとう骨までもやられてしまったのです。まさに、 「身」も「心」も ついには「骨」までも弱くなってしまったのです。あとは死を待つのみです。
病院で出来ることは、「幾らかこのスピードを遅らせることと幾ばしか残っている機能を維持すること」だけです。
この当たり前のことがお互いに理解できていない。治療者は説明を避けるし、家族も聞こうとする耳を持たないから事態は複雑になってマスコミや司法の餌食になるのです。
このことは、お産についても当てはまります。妊婦さんが死ぬことは以前よくありました。死産することや出生直後に亡くなることも普通にありました。それが、出生前に超音波 診断などするものだから「うまく生まれてくるのが当たり前だ」と治療者も妊婦側も疑わなくなったところから悲劇は起こるのです。
「生きている」だけでも十分幸せなのに。その実感がみんなから失われていることに危機感を覚えます。
生と死は裏腹です。「死」をしっかりと見つめることで患者の「生」を扱えるのではないでしょうか。精神科中心の老人病院で整形外科をやっていてつくづく思いました。