彼女は一人、砂浜に座って空を眺めていた。
満月の光は波のうねりに僅かに反射してきらきらと輝くいる。
彼女はまとめていた髪を解く。
弱く浜から海に吹く風に乗って髪がゆらゆらと舞った。
小さくため息をつく彼女。
その視線は水平線に向けられている。
波が打ち寄せる音。
潮の香り。
灯台の瞬き。
空に輝く星。
でも、彼女の心は他のことに捕われていた。
今日の昼間に見てしまったもの。
見たくはなかったもの。
それを彼女は見てしまった。
 
 
 
 

「知らなければ良かったのに」

Written by TIME/2000
 
 
 

彼女はそっと寝床から起きあがった。
予想はしていたのだが、やはり寝つけなかった。
同室のヒカリはすうすうと安らか寝息を立てている。
と、部屋に入ってくる風が風鈴を鳴らす。
どきりとして彼女は身を震わせるが、ヒカリは起きる気配はないようだった。
彼女はほっとため息をつき、そろそろと立ち上がる。
焚いている蚊取り線香の匂いを嗅ぎ、彼女は何となく懐かしい気分になった。
玄関で自分のサンダルをはく。
ドアに鍵は掛かっていなかった。
外に出ると、彼女は大きく背伸びをする。
満月が頭上に輝き、辺りを照らしている。
懐中電灯なしでも歩きまわれそうだ。
彼女は道路を挟んで向かいにある砂浜に行く事にした。
道路を渡り堤防を越え、砂浜に下りる。
砂浜をゆっくりと波打ち際に向かって歩く。
一歩ごとにさくさくと砂が鳴く。
サンダルなので、足に細かい砂がまとわりつく。
しかし、彼女はそんなことを気にせずにゆっくりと歩いていく。
波打ち際に近づくに連れ、打ち寄せる波の音が大きくなる。
きらりと何かが光った。
彼女はそちらに視線を向ける。
そこには灯台があるはずだった。
少し待つと、光の筋がこちらに向かってくるのが見て取れた。
しばらく、腰を下ろして、海をじっと見つめる。
どれくらいそうしていたのだろうか、彼女は立ち上がり、波打ち際に沿って歩き出した。
自身では気づいていなかったが、彼女は考え事をする時にはあたりを歩き回る癖があった。
ゆっくりと波しぶきがかからないようなところを歩いていく。
湿っている砂浜は歩きやすかった。
あの時…
アタシは見てしまった。
シンジと…
レイが…
きゅっと目を閉じるアスカ。
どうして…
どうして、見てしまったのだろう?
二人がキスをするところを…
見てしまったのだろう?

あの時どうして、あの場所に行ったのだろう?
どうして、引き返さなかったのか?
そうすれば、こんな思いをしなくて済んだのに。
胸が痛いよ。
どうして、こんなに痛いの?
アタシはシンジのことなんか…

シンジのことなんか…



アスカは小さく息をつく。
そう…
アタシは…
アタシは…
シンジのこと…


それなのに…


それなのに…


シンジは…


アタシより…

レイを…
あの子を…
選んだんだ…





どうして?
だったら、どうしてあんなにアタシに優しくしてくれるの?
今日の夕方だって、夕食だって、花火をする時も。
どうしてアタシにあんなに…


優しくしてくれたの?
アタシの傍にいてくれたの?
どうして?
どうして?


アスカの瞳に涙が溜まる。
そして、頬を伝って落ちて行く。
涙は砂浜に小さな染みを作ったが、すぐに染み込んでいき分からなくなる。


見なければよかったのに。
そうすれば、シンジを好きなままでいられたのに。
知らなければよかったのに。
そうすれば、シンジの優しさを疑うことはなかったのに。



好きにならなければよかったのに。
そうすれば、シンジのことでこんなに苦しまずに済んだのに。
ただの友達だったら良かったのに。
そうすれば、二人のこと認めてあげられたのに。



でも…


アタシは…
シンジを好きなんだ…
こんなにも…
両肘を抱くように抱えて、アスカは立ち止まる。
だって、こんなにも心が痛いんだもの。
シンジを好きなアタシが叫んでるもの。
このままじゃ、駄目になっちゃうって。
壊れちゃうって。



でも、シンジはレイを選んだんだよ。
アタシじゃないんだ…



どうすればいい?
この思いはどうすればいい?
全て忘れられるの?
すべて忘れてなかったことにするの?


そんなことできないよ。
忘れられないよ。
この思い。
忘れることなんて…
できないよ…



助けて…

誰か…
助けて…
このままじゃ、アタシ…
壊れちゃうよ。



アスカはその場に座りこむ。
このままじゃ…

このままじゃ…



アタシは…




その時、ある声がアスカの名前を呼ぶ。
その声はずっと聞いていたいと思っていた人の声。
でも、今は一番聞きたくない声。

「シンジ…」

アスカはゆっくりと振りかえる。
砂浜をこちらに向かってゆっくりと歩いてくる影。
その姿を見間違えるはずも無い。

「アスカ…」

しかし、アスカは立ちあがると駆け出した。
何故そうしたのか、自分でもわからなかったが、とにかく今は顔を合せたくなかった。

「アスカ?」

戸惑ったようなシンジの声。
しかし、アスカは無視して走った。
シンジもアスカを追いかけて走り始めた。
どれくらい走りつづけただろうか?
二人の競争はシンジが追いついてアスカの腕をひっぱて立ち止まらせたところで終わった。

「アスカ…どうしたの?いきなり走り出して。」

肩で息をつきながらシンジがそう尋ねる。
しかし、アスカはそっぽを向いたまま肩を振るわせる。

「ねぇ、今日のアスカ変だよ?夕方から何か変だった。」

その問いにアスカは肩を震わせる。
なによ…
アタシが変だって?
そりゃ、変にもなるわよ…
あんなもの見ちゃったんだもの…
もう、すごく胸が痛いんだよ。
どうして、こんな時でも、痛くて苦しくなるの?

「アスカ、何か僕のこと避けてない?」

避けてる…って…
だって…
だって…
あんなもの見せられたら…


きゅっと瞳を閉じる。
駄目…
泣いたら駄目…
こんな時に…

「どうしたの?いつものアスカらしくないよ。」

いつものアタシ…



アスカはくるりと振り向くとシンジを睨みつける。
シンジはアスカの瞳が涙で潤んでいるのを見てうろたえる。
しかし、すぐアスカはシンジに食ってかかった。

「なによ。なによ。私の気持ちも知らないで。勝手なこと言わないでよ。」

あまりの剣幕にシンジは驚いて、アスカを止めようとする。

「ちょ、ちょっとアスカ。」

アスカは差すような視線でシンジを見つめる。
しかし、アスカの瞳に魅入られるようにシンジはアスカを見つめ返す。

「見たわよ。今日、レイとキスしてたでしょ?」

「え?き、キス?」

「良かったわね。彼女ができて。」

「アスカ…」

「どうせ、アタシはレイみたいに
可愛くないし、素直じゃないし、料理も下手だし、口より先に手が出ますよ〜
だ。」

そこまで一気に告げるとアスカはふんとそっぽを向いた。
そのアスカの顔を覗きこむようにしてシンジは話しかける。

「あの…アスカ?」

「ふん、知らない。」

シンジはちいさくため息をつくと、ある事を告げた。

「あの、たぶん、それ、アスカの勘違いだと思うんだけど…」

「へ?」

シンジの言葉を聞きアスカは固まった。
腕を組んで考え込むようにして、シンジは言葉を続ける。

「たぶん、それってコンタクトずれちゃった時の事だと思うんだけど。」

「コンタクト〜?」

大きな声を上げて、シンジに掴みかかるアスカ。
シンジはそのアスカから逃れようとしながら、答える。

「そう、ついうっかり外すの忘れてて、外そうとしたらずれちゃって、レイに見てもらってたんだ。」

「そ、それ…本当?」

シンジを開放し、アスカは放心したように呟く。

「うん。なんだったら、洞木さんに聞いてもらっても良いよ。彼女もそこにいたから。」

「え、え〜?」

しょ、しょんな〜。
って、ことは全て、私の勘違い?
一人で勝手に勘違いした挙句、突っ走っちゃたの〜。
あんな思いしたのに…
すごく、すごく辛かったのに…

全部、勘違い?






はぁ…
何かものすごく、疲れちゃったよ。
ぺたんと砂浜に座りこむアスカ。
うつむき、小さくため息をつく。
でも…
良かった…
ほんとに良かったよ〜。
涙が頬を伝って落ちて行くが本人はそれに気づいていない。

「アスカ…?」

その言葉にはっと我に返るアスカ。
しまった…
シンジに見られちゃったよ…
慌てて、涙をぬぐう。
さすがにシンジでも分かっちゃったよね。
アタシが…
シンジを好きだって…
どうしよう?
恥ずかしい。
顔を上げられないよ。
アスカは顔を伏せたままで答える。

「シンジ…」

「アスカ…もしかして?」

あ〜ん。
やっぱりシンジにバレちゃったよ。
ホントはシンジから告白させるつもりだったのに…
どうしよ。
どうしよ。

「レイと僕がキスしてると思って?」

「う…」

こくりと頷くアスカ。
そのしぐさが子供のようで妙に可愛い。

「さっき何かいろいろ口走ってたような気がするけど…」

ここまでくると、さすがにどうしようもないと悟ったのか、アスカは開き直って告げた。

「そうよ、アタシはシンジが好き。何か文句がある?」

そうよ。
アタシはシンジが好きだよ。
もう、あんな思いはしたくない。
誰かに先を越される、ぐらいだったら、先手必勝よ!
しかし、その言葉を聞き、シンジは驚いて声を上げる。

「え、え〜?

『え〜?』って、何よ。
どうして、そんなに驚くのよ?

って、もしかして?
シンジの態度を見てアスカは首をかしげた尋ねる。

「って、もしかしてシンジ気づいてなかったの?」

「う、うん。どうしてレイと比べたのかなぁって。」

沈黙。


まったく…
この男、ほんっとうに鈍いわね!






じゃあ、何?
もしかしてまた…

アタシ、勝手に勘違いしちゃったの〜?





ため息をついて、顔を上げると、シンジと視線が合う。

「あ、アスカ。本当に…なの?」

シンジはまだ先ほどのアスカの言葉が信じられないようで聞き返してくる。
頬を染めてアスカは頷く。

「もう、恥ずかしいこと何回も言わせないでよ。」

「そうなんだ…」

そんなに嬉しそうな顔しないでよ。
そんな顔されると…

そんなに嬉しそうにされると…

すごく嬉しくなっちゃうじゃない…
と、そこでアスカは重大な事に気づいた。

でも、アタシ、まだシンジの返事聞いてない…

そこでシンジを見つめて告げる。

「で、シンジ…はどうなの?」

いつもとは違う上目がちに自分を見るアスカの表情と、
甘えたような可愛い口調にどぎまぎしてしまうシンジ。

「え?」

少しだけ首をかしげてシンジを見つめるアスカ。

「アタシのこと…好き?」

「ぼ、僕は…」

浜から吹く風がシンジのTシャツの裾をそよがせる。
アスカの髪が月光で天使の輪のように輝く。
シンジは小さく息をついて…
 
 
 
 
 
 

Fin.
 
 
 
 
 

あとがき

どもTIMEと申します。

「知らなければ良かったのに」いかがでしたか?

かなり以前から怪作さんからは感想メールを何通も頂いていて、
御返しに何か投稿できればと思っていたので、
やっと今回、投稿できて良かったです。

お話的には前半シリアス、後半ラブコメ(らしきもの)と雰囲気を変えてみました。
前半も後半も壊れているアスカちゃんですが、
恋する女の子は周りが見えないんですよねぇ。
シンジくん大変そう…

では、またどこかでお会いしましょー。
 


 TIMEさんから、はじめチョロチョロ、中パッパ‥‥な小説をいただきました。

 勘違いして自爆するアスカ、そしてにぶちんのシンちゃん‥‥。
 綾波さんとシンジがくっついているんじゃないかぁ‥‥なんて、烏賊にも ありそうな(揺れる乙女の心の中では)光景ですから無理も無いのかもしれませんが。
 でも、シンジも、鈍さ爆発で凄いです(^^)

「どうせ、アタシはレイみたいに
可愛くないし、素直じゃないし、料理も下手だし、口より先に手が出ますよ〜 だ。」

「う、うん。どうしてレイと比べたのかなぁって。」

 それでも、最後にはいい雰囲気になれたようで‥‥やはり愛は強い?ですねぇ。
 シンジの本当の想い‥‥それは「知らなければ良い」ものじゃないですよね。アスカにとっては「知って良かった」と思えるものなのですよね。

 恋する二人の作り出す、例のアレな世界‥‥素晴らしいです。
 素晴らしすぎて対処のしようもありません!(謎)

 お読みになられたみなさん、ぜひTIMEさんに感想をおくってください〜。

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