冷却期間



作者:タヌキさん

「キモチワルイ」
 アスカは日本語で呟くと席を立った。
「どうされたのですか、ミス・ラングレー」
 流暢なドイツ語でアスカの向かいに座っている男が訊く。
「フランスから呼び寄せた世界一のシェフの料理ですが、お気に召しませんでしたか? 」
 男は、ネルフドイツ支部司令の息子だ。金髪碧眼、やたら長ったらしい名前と総合ドイ
ツ大学首席卒業、硬式テニスでは学生ヨーロッパチャンピオンの経験もある、世間で言う
ところの好男子である。
 もっとも、アスカに言わせると家柄を鼻先にぶら下げたボケ息子でしかない。
「馬鹿という値打ちもないわ」
 出張という名目で訪ねてきた元保護者にアスカはそう評したことがある。
「ごめんなさい、ちょっと気分が優れないから。失礼します」
 アスカは出された料理に口一つつけず、出口に向かう。
「待って下さい、ミス・ラングレー」
 背中にボケ息子の声がかかるが、止まる気などさらさらない。
 ボケ息子につけられているガードが、さりげなく扉の前に身を出してアスカの動きを遮
ろうとするが、アスカに睨み付けられて下がっていく。
 世界を救ったセカンドチルドレンの存在は、圧倒的なのだ。
 星が5つ着いていることが自慢のホテル最上階、アスカはエレベーターを待たずに非常
階段で降りていく。エレベーターホールで待っていてボケ息子にまとわりつかれるのがう
っとうしかったのだ。
「舐めるんじゃないわよ」
 アスカは左手の小指の爪に目を落とす。他の爪と明らかに違う色に染まっていた。
「三回目の食事会で、しかも会場がホテルの個室。やってくるかなと思ったら案の定。リ
ツコ特製の検知液を塗っておいてよかった。この惣流・アスカ・ラングレーさまを眠らせて
モノにしようなんて1億年早い」
 アスカの顔に嘲笑が浮かぶ。
「ネルフドイツ支部は信用できないのはわかっていたけど、ここまで露骨にやってくれる
とはねえ。ドイツ支部に所属しているのが恥ずかしくなるわ」
 
 人類という種を一度滅ぼしたサードインパクトから2年が経った。16歳になったアス
カはドイツに帰国している。
 LCLに溶けた人々の復帰は早かった。特にサードインパクトの中心となったネルフ本
部は、シンジに首を絞められたアスカが一度回復した意識を失ってすぐに機能を取り戻し
た。
 総司令であった碇ゲンドウだけが、還ってこなかったが、冬月コウゾウを始め、葛城ミ
サト、赤木リツコ、加持リョウジと主要な人物の復帰が、その後の世界を抑えるに有利に
働いた。MAGIによる逆ハッキングと情報戦。無抵抗な人間を殺戮する映像は、圧倒的
な威力を持って人の心を動かした。
 最後の戦いで本部に反旗を翻した支部は、抵抗することも出来ずに支配され、国連さえ
もネルフの前に膝を屈した。
 世界人類はネルフ本部を支持したのである。
 そして、オリジナルMAGIのハッキング、量産型エヴァの派兵を行った各支部は、人
民の迫害におびえる羽目となった。
 特にゼーレに忠誠を誓い、アスカの精神にトラウマを植え付け、量産型エヴァを2機も
差し出したドイツ支部への風当たりはすさまじかった。石を投げられるとか、物を売って
もらえないとかのレベルではない。銃弾が撃ちこまれ、手榴弾が投げつけられる毎日。警
察も軍隊も見て見ぬふりをする有様で、ドイツ支部は瀕死状態になった。
 逆に英雄となったのがチルドレンである。ファーストチルドレン綾波レイ、セカンドチ
ルドレン惣流・アスカ・ラングレーの二人は、歓呼の声を持って讃えられた。
 度重なる未確認生物の侵略を防ぎ、人類補完計画という集団自殺計画を破綻させた二人
の美少女。世界中の人々は熱狂した。
「このままでは、私刑にあって全員が殺されてしまう。是非セカンドチルドレンを返して
欲しい。ドイツ支部2000人を助けると思って許可してくれ」
 入院していたアスカの体調が回復したのを見計らって、ドイツ支部司令が涙を流しなが
ら頼みこんできた。アスカの名声を利用してドイツ支部の生き残りをはかったのだ。
「どうするかね? 君が望むなら日本国籍を所得してここに永住することも出来るが」
 冬月の言葉にアスカはドイツ帰還を望み、退院するなりその足で空港へ行き帰国した。
 英雄アスカがドイツ支部に所属することで、ネルフドイツ支部はようやく世間から許さ
れた。
 そして2年。美しく成長した惣流・アスカ・ラングレーはかつてほど騒がれはしないが、
その政治的な価値は下がることなく、ヨーロッパやアメリカが争奪戦を繰り広げていた。
 アスカの一言は世界を動かす。同じ救世主として日本にいる綾波レイは表にほとんどで
ない。アスカを握る国が世界を制する。
 フランスはアスカに「自由の女神」の称号とフランス国内での無制限の自由と権力を認
めると誘いかけ、アメリカは1億ドルの年金とハリウッド、フロリダ、ニューヨークに豪
邸を与えると言い、イギリスは公爵の地位とそれに伴う領地をと伝えて来ている。
 アスカが所属していることにあぐらを掻いていたネルフドイツ支部は、ここにきて焦っ
てきていた。それが、先ほどの行為となって現れている。ドイツはアスカを男で縛ろうと
したのだ。その相手として自分の息子を指名したドイツ支部司令はなかなかの策士であっ
たが、一向に息子になびく気配のないアスカを見て、非常手段に出てきた。食事に睡眠薬
をいれ、アスカを手に入れようとしたのだ。
「こんなこと総本部が許すはず無いのに、馬鹿じゃないの」
 アスカはうっとうしくなったハイヒールを脱ぎ捨てると素足で階段を駆け下りる。
「どうしたんです? 随分早いですが」
 アスカ専属としてつけられているドイツ支部保安部のガードが、アスカの姿を見て目を
見張った。
「車を出して、帰るわ」
「ですが、司令のご子息との……」
「うるさい。アタシに何をしようとしたのかマスコミにばらされたいの? 」
 アスカのガードが今回の計画を知らないはずはない。
「……わかりました」
 ガードはアスカの前に立ってホテル玄関前に止めてある車に案内する。
「こんどおかしなまねしたら、ドイツ支部を見捨てるからね」
 アスカは走りだした車の中で携帯電話を使い支部司令を脅した。

「お腹空いた」
 マンションに戻ったアスカはドレスが皺になるのもかまわずソファに身を沈める。ドイ
ツ支部司令が買ってくれたものである。クリーニングに出すことなく捨てることが決定し
ていた。
「買い置きはなんかあったかなあ? 」
 のろのろと冷蔵庫を開ける。中にあるのはヴァイスブルストとチーズだけ。アスカはド
レスのまま湯を沸かしてヴァイスブルストをゆで、チーズを切る。黒パンにオリーブオイ
ルを垂らしチーズを挟んでサンドイッチを造り、ヴァイスブルストと共に食べる。未だに
料理はほとんど出来ない。
 食べ終わってドレスを脱ぎ散らかしたアスカは、テレビをつけた。
 誰との同居も拒んだアスカには、独り言を言う癖が付いている。
「またこの映画のCM。飽きたわね」
 テレビでは使徒戦役を描いたハリウッド映画の宣伝を流している。主人公はアスカ。
「アタシよりちょっとブスだけど、まあ見れるかしらね」
 アスカ役の少女がプラグスーツ姿でりりしく登場してくる。
 続いてレイ役の少女が包帯を巻いたプラグスーツ姿でストレッチャーで運ばれてくる。 
最後に出てくるのがシンジ役の少年。第一中学校の制服姿を着て現れ る。
「ふん、シンジのことを何も知らないからそう言うミスキャストをやってのけるのよ」
 シンジ役の少年はアメリカ人である。黒髪に碧眼、背も高い。ストーリー上では、戦い
の中でアスカと恋をはぐくみ、最後の戦いでアスカを庇って戦死する。制作がアメリカだ
からアメリカ人がキャストされるのは仕方ないだろうが、アスカにふさわしい男にしたか
ったのか、12歳でMIT卒業、14歳でプロアメリカンフットボールのクォーターバッ
クというのは、あまりに違いすぎる。
「シンジがそんなにかっこいいわけ無いじゃない」
 アスカは寂しそうに呟く。
 世界を救った英雄は二人の少女。サードチルドレンだった碇シンジの名前はない。
「碇シンジ君については、戦死と言うことにする。名前も顔も公表しない」
 ネルフが情報戦争に勝利したとき、冬月はそう宣した。その映像はネルフの人間全員が
見られるようにと配慮され、病室のアスカの元にも届けられている。
 情報戦は諸刃の剣、ゼーレに止めを刺すためには、こちらも骨を切られる覚悟がいる。
冬月はその骨に碇ゲンドウを使った。
「ゼーレとの繋がりを隠すことは出来ないなら、死んでしまった碇ゲンドウに背負って貰
うしかない。碇は、ゼーレに命じられてサードインパクトを起こそうとしていた。それを
我々は彼女たちチルドレンの活躍で阻止したと言うことにする」
「副司令、シンジくんはどうするんですか? 」
 ミサトの問いに
「今後、碇の名前は、世界中に犯罪者として記憶されていくことになる。可愛そうだがシ
ンジくんには、名前を変えて身を隠して貰うしかない。表向きは最終戦争での戦死と言う
ことでな」
 そう冬月は答えた。
 名前を変えたところで英雄として世間に顔をさらしていれば、どこからか情報は漏れる。
シンジが三鷹にいた頃の同級生、第一中学校の同級生、全員を隔離することや洗脳するこ
とは不可能である。
「意見はないようだな。では、国連へ行って来る」
 シンジを拒否した自分に発言する権利はない。冬月が去っていくのをアスカはただ見送
るしかできなかった。
 碇ゲンドウ、碇シンジの死によって達成された和解は、その日が2016年2月14日
だったことからバレンタインメモリアルと称されることになった。
 今、シンジは新しい戸籍をもって日本のどこかで高校生活をおくっている。アスカはあ
えてそれを聞いてはいない。
 アスカはテレビを切ってベッドに潜りこむ。エアコンがほどよく効いているにもかかわ
らず身震いをする。
「冷たいな」
 アスカは自分の肩を抱く。
 今のアスカは世界的な英雄として賛辞され、何処へ行っても最高の栄誉を持って対応さ
れる。移動は全て専用機、空港には国家元首が出迎え、迎賓館で歓迎行事、超一流ホテル
での宿泊、警察に先導させたリムジンでお出かけし、会話を交わす相手もVIPばかり。
 使徒戦役の頃のアスカが、夢見ていた待遇である。だが、アスカは一度足りとても満足
に思ったことがない。
 ベッドに一人はいる度に、灯りを消すたびに華やかな風景が色を失う。空虚な気持ちを
抱くだけ。
 もちろんアスカは今まで他人をベッドに入れたことはない。アスカを誘う人間は多い。
フランス貴族の末裔、海底油田王と呼ばれるイギリスの大富豪、ハリウッドの有名俳優な
ど金と名誉と見た目に不自由していない連中である。
 だが、アスカはキスさえ許さない。その国の習慣だからと頬にキスを迫るものもいたが、
アタシの習慣ではないと断る。
「あの頃は、嫌なことばかりだったけど充実してたわ」
 思い出すのは半年ほどしかいなかった第三新東京でのこと。
 戦闘、学校、友人、訓練……同乗、同居、喧嘩、憎しみ、崩壊……キス
 最後に残るのはアスカが最後に他人と一次接触した光景。
「なんでアンタがいつも最後に出てくるのよ」
 脳裏に浮かんだシンジの情けなく笑う顔にアスカは憎しみをぶつける。
 サードインパクトの後再び意識を失ったアスカが、ネルフ総合医療センター303号室
で目を覚ましたとき、最初に見たのがその顔だった。
「よかったね、アスカ」
 使徒の精神攻撃を受けて帰ってきたアスカにかけられたシンジの言葉。同じ科白を投げ
られたアスカの中に激情が起こる。
「どっか行きなさいよ。意識のない女の首を絞めるような男と一緒の部屋に入れるわけ無
いじゃない。出て行け」
 アスカの感情の発露を受けて、全身を震わせながらシンジは病室から去った。
 これがアスカとシンジ最後の邂逅である。
 失った体力と壊された精神の再構成、アスカの入院は3ヶ月に及んだ。リハビリとカウ
ンセリング。合わせても3時間ほどしか埋まらないスケジュール。シンジはもちろん、ミ
サト、リツコ、マヤの見舞いも拒否したアスカに一人の時間は腐るほど合った。
『アンタとだけは死んでも嫌』
『アンタの全てがアタシのものにならないのなら、なんにも要らない』
『抱きしめてもくれないくせに』
『キモチワルイ』
 相反する二つの感情。 
 サードインパクトを経て、他人の心など理解出来るはずがないと悟ったアスカに残され
た問題は自分の内側の解明。
 嫌悪、渇望、失望。アスカの中でせめぎ合う三つの感情を整理するには、経験が足り無
すぎた。愛情を与えないように意図されて育てられた少女には、重すぎる命題。
「もう、退院しても大丈夫ですよ」
(このままシンジの顔を見れば、何をしでかすかわからない) 
 医師にそう言われた日、アスカは日本を去ることに決めた。

 アスカは忙しいスケジュールの合間を縫って心理学を学んだ。そして得たものは結局、
「人の心はわからない」ということ。
 恒例となったベッドの中での思索、三つの感情のせめぎ合いの確認作業に移ったアスカ
は、テーブルの上に放り出されたモバイル端末が点滅していることに気が付いた。メール
着信である。
「ボケ息子か」
 アスカは露骨に嫌な顔をした。企みがばれたことへの謝罪か、僕は知らなかったとしら
ばっくれるつもりか。無視してやろうかと思ったアスカだったが、ベッドの冷たさが、ア
スカを眠りへと誘ってはくれない。
「面倒なやつ」
 退屈しのぎにはなるかとモバイルを開く。未読メールにある差出人のところには、ただ
「1」とあった。
「ファースト? 珍しいこともあるわね」
 アスカは驚きの声をあげる。
 ファーストこと綾波レイとアスカは疎遠どころではない。使徒戦役中もほとんど話をし
なかったし、サードインパクト後は一度も顔さえ会わしていない。
『人形』『シンジと恋仲』『あんな女に助けられるなんて』『死ねといわれたら死ぬんでし
ょ』
 アスカの中に忘れていた感傷が蘇る。
 メールを開く。
(弐号機パイロット、元気? 今年のメモリアルデーには来るの? 綾波レイ)
 たった一行のメールはアスカをあきれさせながら、なにかほっとするものを与えた。
 そこには媚びがない。アスカに気に入られようとか、睨まれないようにとかの。
「メモリアルデーか」
 使徒戦役の終了と戦死者の慰霊を兼ねたイベントが毎年第三新東京のネルフ本部で行わ
れている。毎年招待状は来るが、一度も参加したことはない。
「中身のない慰霊碑に花を供える気はないわ」
 慰霊碑にはアスカにとって重要な人物の名前が刻まれている。
 惣流・キョウコ・ツェッペリンと碇シンジ。
 アスカの母キョウコの肉体は、ここから車で30分ほど離れた教会の墓地にあり、その
魂を閉じこめたエヴァンゲリオン弐号機のコアはジオフロントに保管されている。
「シンジは生きているしね」
 アスカは今年も参加する気はない。
「せっかくだから返事ぐらいは出してやるか」
 レイ宛のメールを書き始めたとき、ふと疑問が湧いた。
「シンジは毎年参加しているの? 」
 アスカはメールにそのことを記して送る。
 5分もしないうちに返事が来る。
(碇くんは来ていない。どころか、今どうしているかも知らない)
「反応早いわね。そうか、こっちが夜中と言うことは、日本は朝ね」
 アスカはここで一生を決める行動に出た。綾波レイの端末に電話をかけたのだ。
「はい」
「ファースト、アタシ」
「弐号機パイロット? どうしたの? 」
「どうしたのじゃないでしょ。メール送ってきたのはアンタよ」
「そうね。で、なにか用? 」
「ちょっと訊きたいことがあるの。この回線を秘匿してくれる? 」
 ドイツ支部はアスカを自由にさせていると見せながら、生活全てに監視している。
「いいわ。MAGIを通すからちょっと待って」
 一瞬音声が途切れ、静謐が訪れるが、すぐに繋がる。
「もう大丈夫。で、なに? 」
 レイの声が再び聞こえる。
「シンジのことだけど、アンタ本当になにも知らないの? 」
「ええ。碇くんのことは、冬月司令の専管事項。葛城二佐も報されていない」
「そう」
「弐号機パイロット、碇くんのことなどどうでもいいのではなかったの? 」
 沈んだアスカの声にレイが尋ねる。
「ファースト、アンタ、シンジのことが好きなんでしょ? 」
 それには答えずアスカは問い返す。
「碇くんのことを好きだったのは、二人目と三人目、私は四人目だから」
「相変わらず訳のわからないことを。なんなのよ、その二人目とか三人目とか」
 アスカはいらつく。いつものはぐらかしてと思ったのだ。
「弐号機パイロット、あなた知らないのね。碇くんから聞いてない? 」
「なにも聞いてないわよ、馬鹿シンジから」
 アスカはレイの言うことがわからない。
「そう。じゃ、教えてあげる」
 そこからレイの言ったことをアスカは生涯忘れることは出来ないだろう。
「アンタが、シンジのママのクローンで第二使徒リリスの魂を持ったものですって。死ん
でも変わりがいて、サードインパクトでシンジと一つになって人類保管計画を発動させた
……」
「ええ」
 端末を通すレイの声からも震えが感じられる。
「碇くんは、崩れていくしかない私の魂を救ってくれた。私は破壊された器のかわりとし
て、ダミープラグに使用されたクローンを使い、復活した」
「あのトウジの参号機を破壊したときのダミープラグね」
「ええ」
「よくシンジが許したわね」
「碇くんは優しい。悪いのは父さんだから、綾波には罪はないって」
 戦友が人ではなく使徒であった。面と向かってそう言われたなら、アスカは逃げだして
いたか、攻撃しただろう。端末越しというのが、アスカに非現実的な感触を与え、事実の
受け入れを容易くしていた。
「馬鹿シンジのやつ、アタシに隠し事なんて百年早い」
 アスカの怒りは隠していたシンジに向かう。
「碇くんと話をしなかったのは、あなた。碇くんは悪くない」
「うっ、うっさいわねえ」
「で、なぜ今になって碇くんのことを気にするの? あなたには名声も富も手に入ったは
ず、全てを失った碇くんに何のようなの? 」
 レイがもう一度訊いてきた。
「けりをつけたいのよ。エヴァに載っていたアタシにね」
「先へ進めないのね」
「…………」
 的確に指摘されてアスカは絶句する。
「あなたが壊れている間に有ったことを全て教えてあげる。逃げてきた記憶と向き合って」
 レイが端末の向こうから淡々と話を始めた。
 精神攻撃、二人目のレイの自爆、シンジとの軋轢、ミサトへの不信感、洞木ヒカリの疎
開。これらによって心が壊れたアスカが、戦略自衛隊の攻撃で目覚めるまでに有ったこと、
17使徒渚カヲルの登場、シンジとの交流、弐号機を使ったカヲルの侵攻、そして殲滅。
「そう、そんなことがあったの」
 アスカは愕然とした。エヴァに乗れなくなったことがどれだけ恵まれていたか、アスカ
は、自分がヒカリを殺さなければならなくなったことに置き換えてほっとする。
「弐号機パイロット、わたしはあなたの心の傷も知っているわ」
「別に良いわよ。ミサトも知っているし、リツコも知っているでしょ。15使徒にも知ら
れたことだしね。今更一人や二人知っている人間が増えてもどってことないわ」
 アスカは気にしていないという振りをした。
「無理しなくて良い。でも、碇くんも同じ」
 シンジの生い立ちの話をレイが始める。
「アイツも一緒だったのね」
 アスカは妙に納得していた。どこかでシンジと自分が同じだと感じていたからだろう。
「で、整理はついたの? 」
 レイが不意に問うた。
「…………」
 アスカは沈黙した。
『アンタの全てがアタシのものにならないのなら、なんにも要らない』
『抱きしめてもくれないくせに』
 この二つが同じものであることは分かっている。
『アタシだけを見て、アタシを愛して』
 二つはこの裏返しでしかない。それは心理学を勉強し始めてすぐに気づいた。
『アンタとだけは死んでも嫌』
 これも簡単だった。アタシを愛してくれないアンタは嫌いということで、言い換えれば、
あたしを愛してくれるシンジは好きとなる。
 問題は最後の言葉だ。
 あの赤い海岸でシンジに首を絞められてるとき、アスカは不思議と穏やかな気持ちだっ
た。血走った目をしたシンジの顔を見ながら『辛かったんだよね』と手を伸ばして頬に触
れた。そしてシンジが首を絞めるのを止めて、泣き崩れてきたとき、アスカは呟いた。
『キモチワルイ』と。
 これだけが分からないのだ。
「アンタはどう思う? 」
 アスカはレイに尋ねてみた。
「私に弐号機パイロットの気持ちは分からない。でも、その言葉、本当に碇君へ向かって
のものなの? 」
「えっ? 」
 アスカはレイの一言に不意に目の前が明るくなった気がした。
「そうか。これってアタシ自信に向かって出されたものだわ」
 アスカは気づいた。
「シンジのことが好きなアタシと、シンジのことを憎んでいるアタシ。わがままを言い、
シンジを追いつめた罪の意識から殺されても良いと思った気持ちと、アタシの居場所を奪
おうとしたシンジから殺されかけたという恐怖と憎悪、相反する二つの感情が、アタシの
中で渦巻き有って、アタシを混乱させた。それがキモチワルイという言葉となって口から
出たのね」
 無くしていたジグゾーパズルの最後の一片が見つかったような達成感。
「他人の気持ちどころか、自分の気持ちさえ分からないものね。人間って不便だわ」
「その弊害が争いごとを産む。それを無くすために人と人を隔てているATフィールドを
無くし、壁を取り払おうとしたのが人類保管計画」
 レイが告げた。
「でも、碇くんは、それよりもあなたを望んだわ。人とふれあい傷つく恐怖よりも、素の
ままのあなたと触れあいたいと」
「やっぱり馬鹿シンジよね。だったら、サードインパクトなんか起こさなきゃ良いのに」
「碇くんは馬鹿じゃない」
 端末の向こうでレイがむっとしている。
「馬鹿で良いのよ。アタシも馬鹿なんだから。こんなことに気づくまで2年もかかるなん
て。大馬鹿よ。馬鹿同士お似合いなのよ」
 アスカは久しぶりに心から笑った。
「で、馬鹿アスカ、メモリアルに参加するの? 」
「行くわ。で、ファースト、頼みがあるんだけど」
「碇くんの住所を調べるのね」
 レイはアスカの言いたいことを分かっている。
「アリガト。で、もう一つお願いが……」
「それは却下」
 きっぱりとレイが拒否する。
「なにも言ってないじゃない」
「言わなくてもわかる。チョコレートを買っておけというつもりね」
「分かっているなら良いじゃない。こっちはドイツ支部から逃げだすのが精一杯で買いに
行っている暇がないのよ。だから、ね」
「これ以上敵に塩を贈る気はないわ」
 アスカの必死の頼みもレイはあっさりと断る。
「けち」
「切るわ」
「待ちなさいよ。ファースト」
「なに、忙しいの。そろそろ登校の時間」
 レイの声から感情が消えていつもの口調に戻っている。
「アリガト」
 アスカは小さな声で礼を言う。
「サヨナラ」
 レイの最後の声に照れを感じたのはアスカのひが目か。
 一人に戻ったアスカは、端末を置いて腕を組む。
「さて、どうやってドイツ支部から逃げるかよね」
 アスカという政治的なカードをドイツ支部がすんなり手放してくれるはずはない。
「アメリカ支部を使うか。アタシがアメリカ国籍だというのをさんざん表に出して、移籍
を要求してきているから、それに載る振りをして……あとはフランスあたりにドイツを牽
制させれば……」
 アスカの中で、考えはまとまった。
「それよりも問題はシンジよね。どうしてあの時アタシの首を絞めたのか聞き出さなきゃ。
返事によってはお仕置きね。でもチョコレートは渡さないとね。どうやらファーストもシ
ンジを狙って居るみたいだし」
 16歳の乙女の戦いは始まったばかりであった。 




後書き
 いつもいつも怪作さまから感想をいただき感謝しております。お礼にもなりませんが、まあ、バレンタインと言うことでお許しを………

タヌキさんからバレンタイン記念のお話をいただきました。
シンジ君は登場してこないですけど、アスカの手にかかればすぐに捕捉できるでしょうね(笑

きっとバレンタインデーには二人はらぶらぶですね。

素敵なお話でありました。皆様も読み終えたあとにはぜひタヌキさんへの感想メールをお願いします。

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