月は陽の輝きを受けて輝く


 拙作「OO期間」の設定を使っております。そちらからお読みいただけると幸いです。

タヌキ
 
「はあ」
 碇シンジ、いや、筏シンジは大きなため息をついた。
「平穏無事って言う言葉は、僕にはもう関係ないのかなあ」
「無いわね、4年前から。そして死ぬまでね」
 シンジのため息に突っこんだのは、惣流・アスカ・ラングレーである。
 二人がいる場所は、第三新東京市に設立された私立神無学園高等学校3年1組の教室で
あり、時間は昼休みである。
 アスカは、シンジの隣に机を寄せて、シンジが作った弁当を食べている。そのアスカの
隣には、やはりシンジの作った弁当を手に綾波レイが座っていた。
 アスカはシンジに顔を向けっぱなしで喋る。レイの瞳はそんなアスカに氷の視線を送っ
ていた。
 そして、周囲の眼差しはシンジを刺しそうなほど鋭い。

 受験生である3年になって転校してきたシンジは、初日からいろいろな洗礼を受けた。
学期中の転校ではないから、教壇に立たされて自己紹介する必要はなかったことは救いで
ある。
 しかし、チルドレンである綾波レイの高校進学に合わせてネルフが創立した学園の入学
資格は厳しく、中途入学は皆無だったことが、シンジをそっとしておいてくれなかった。
 見慣れない顔は結局目立つ。
「えっと……君、転校生? 」
 指定された席に座って、異邦人の気分を味わっていたシンジに声をかけたのは、一人の
男子生徒だった。
「そうですが……」
 もともと人付き合いのうまい方でないシンジは、小さな声でうなずく。
「珍しいね。どこから来たの? ここはまず途中入学は取らないのに」
「第二新東京からなんだ。保護者の都合でこっちに来ることになって。その人が編入の手
続きを全部やってくれたから、くわしいことは知らないんだ」
「じゃ、君の保護者ってネルフ関係者」
「う、うん」
 シンジはうなずいた。

 冬月コウゾウネルフ顧問がシンジの保護者になっている。元々は葛城ミサトだったのだ
が、さすがに多忙なネルフ総司令に保護者をさせるわけにもいかず、一線を引いた冬月が
シンジたちチルドレンの保護者を引き受けたのだ。
「やっぱりね。で、君、えっと……」
「筏、筏シンジ」
 シンジは名のった。
「筏君か。僕は相沢タカシ。よろしく」
「こちらこそ」
 シンジは、頭をさげた。
「で、言いかけた話だけど……」
 タカシが声を潜める。
「このクラスには、あのチルドレン、綾波レイさんと惣流・アスカ・ラングレーさんがい
るんだ……筏君は今年入学だから知らないと思うけど。彼女たちには決められたご学友以
外は近づいてはいけないことになっているんだ。ほら、見ればわかるだろ? 女子生徒に
囲まれて二つの席が空いているのが。あそこに世界を救った紅と蒼の女神が座るんだ。う
かつに近づいたら、ご学友の彼女たちから手痛い目に遭わされるだけじゃなく、ネルフか
ら呼びだされることになるから、気をつけなよ」
 タカシが告げた。
 公開組織になったとはいえ、第三新東京市でのネルフの名前は重い。
「ありがとう」
 シンジが、タカシの好意に礼を述べたとき、騒動は始まった。
「おはよう」
 高らかな声をあげてアスカが教室に入ってきたのだ。つづいてレイも現れる。
 あちこちであがる返事の挨拶に笑顔で応じながら、アスカは自分の席に鞄を置いた。そ
して教室を見まわし、シンジと目が合うとにやりと笑った。
 シンジは、覚悟してきたこととはいえ、背筋に冷たいものを感じた。
 つかつかとアスカがシンジのところへやってきた。今まで男子のそばに近づいたり、近
寄せたりしなかったアスカの、いつもとちがう行動に教室中の生徒がざわめく。
「一人で先に行かなくてもいいじゃない」
 アスカの口調は、少しすねているようだが、目は笑っている。
 今日学校でのシンジのお披露目について、アスカが全部シナリオを書いているのだ。シ
ンジはそれに従うしかない。
 アスカ曰く、シンジがアタシのものだと言うのを見せつけ、さらにアスカが売約済みで
あることを示し、その上、レイにシンジが学校の中でだけとはいえアスカに占有されるこ
とを見せつけて嫉妬を始めいろいろな感情というものを教えていこうという一石三鳥の計
画なのだそうだ。
「ごめん。初めての学校だからちょっと早めに来ていろいろと見ておきたかったんだ」
 シンジは、謝る。
 クラス中が聞き耳をたてているのがわかる。シンジは背中に汗をかいた。
「そんなことなら、アタシが案内したのに」
 アスカが甘い声を出す。
 厳しくとがった声しか聞いたことのない男子生徒たちが、驚きを隠せないで居る。
「でも、アスカも忙しいだろうから」
 シンジがアスカの名前を呼び捨てにしたことで、より大きなどよめきがあがった。
 アスカの学友達が大急ぎで駆けよってきた。
「ちょ、ちょっとあなた。惣流さんを呼び捨てにするとは、どういうこと? 」
 女生徒達の顔色はきびしい。いまにもシンジをつるし上げかねない勢いである。
「惣流さんとどういう関係があるの? 」
「どういう関係って……」
 シンジは、そっとアスカの顔をみる。アスカはすっと眼を逸らした。
「ううっ……」
 昨晩アスカから命じられていたとはいえ、ここまで他の生徒に詰め寄られる……とは思
っていなかったシンジは、一瞬恨めしい視線をアスカに送ったが、使徒に向かって拳銃を
撃つほどの効果もない。
 シンジはあきらめたようにアスカから目を離して、詰め寄っていた女生徒に顔を向けた。
「僕とアスカは、婚約しているんだ」
「へっ? 」
 学友のリーダーらしい女生徒が、間の抜けた表情を浮かべる。教室も水を打ったように
静かになった。
 呆然とする級友の中で、ただ綾波レイの紅い瞳だけが、きびしくシンジを射ている。 
「えええええええ」
 我に返った一人が悲鳴をあげた。あとは、大騒動である。

 結局もみくちゃにされたシンジを助け出したアスカが、教壇にならんで婚約宣言するこ
とになった。
「今年のバレンタインメモリアルで、アタシが言っていた婚約者が、こいつ。筏シンジ。
まあ、そんな子供みたいなことをするのがこのクラスにいるとは思わないけど、陰でなに
かしたら、アタシを敵にまわすと思いなさいよ」
 首根っこを掴まれたシンジは、黙って頭をさげるしかない。
「それから、二人のなれそめとか、いつ婚約したかなどは、ネルフの機密だからね。手出
しすると命がないわよ」
 アスカはクラスの人間を脅すだけ脅して、質問を受けることなく会見を終わらせた。
「そうそう。言い忘れていたけど」
 席に戻ったアスカが、もう一度声を張りあげる。
「シンジのことを外で喋ったやつがいたら、転校して貰うだけじゃ済まないからね」
 使徒戦役の終焉を記念したバレンタインメモリアルで、世界の救世主の一人アスカの婚
約が発表された。相手は一般人なので一切のプロフィールは明らかにされなかったことが、
かえってマスコミの刺激を誘い、アスカの周囲はパパラッチに見張られている。
 アスカの婚約者の写真となれば、数十万円でもマスコミは喜んで払うだろう。
 同時に綾波レイと謎とされてきたサードチルドレン碇シンジの婚約も整っていたが、こ
ちらも碇シンジが表に出てこないために、世界中の注目の的となっている。
 碇シンジの写真と来れば、百万円でも安いとマスコミは言うだろう。

「まあ、アタシと同様によろしくね」
 こうして筏シンジはアスカの婚約者として、級友達に認識され、敬遠され、そして睨ま
れることとなった。

 筏シンジと碇シンジは同一人物である。サードインパクトのキーとなった碇シンジが、
世の中の悪意から身を守るために、筏シンジとなって巷間に隠れていた。
 つまり、碇シンジと筏シンジの二人の人間が誕生したことになる。
 これを利用してシンジはアスカとレイの二人と婚約したのだ。ただ、学校に来ている間
は筏シンジなので、アスカは甘えることができても、レイはそうはいかない。
 レイの寂しそうな視線はシンジとアスカを苛んだが、これは二人の決めたことであった。

 話は、ホワイトデーにさかのぼる


 三月十四日はホワイトデー。バレンタインデーの成功に味を占めたお菓子業界が、二匹
目のドジョウねらいで、キャンデーやマシュマロなどを売りさばこうと画策して作りあげ
たものだ。
 だが、実際は、エビでタイを釣ることをもくろんだ女性陣たちが、そんなお菓子だけで
満足するはずもなく、豪華な食事に高いプレゼントなどを男に強いる日となっている。
 セカンドインパクト、サードインパクトが有っても、かわることはなく習慣は続いてい
た。
 二月十四日に凱歌をあげた男たちもこの日ばかりは、補給路を断たれたナポレオンのロ
シア遠征軍よろしく、寒くなった懐に悲鳴をあげなければならない。
 そんな中に筏シンジもいた。

 筏シンジは、元エヴァンゲリオン初号機専属パイロット碇シンジの世を忍ぶ仮の姿であ
る。
 サードインパクトの真相を隠し、ネルフを護るため戦死したことにされ、ネルフから切
り捨てられていた碇シンジの隠れ蓑。
 だが、その隠れ蓑も破れかけていた。

 使徒戦役が終わって三年目の二〇一八年二月十四日、偽の戸籍を与えられ、第二新東京
で一人暮らしをしていたシンジの元へ、アスカとレイがやってきたのだ。
 世間よりちょっと貧乏な高校生でしかなかったシンジの安寧は終わりを告げた。

 二年という月日は、三人に自分の気持ちを整理させるに十分であり、アスカもレイもシ
ンジへの好意を隠さなかった。
 ただ、シンジだけが決断できなかった。
 そこで紅の戦乙女こと惣流・アスカ・ラングレーは筏シンジと、蒼の守護天使こと綾波
レイは碇シンジと婚約という形を取り、チルドレンたちはネルフから解放された。
 いま、復活したサードチルドレンこと碇シンジ、ファーストチルドレン綾波レイ、セカ
ンドチルドレン惣流・アスカ・ラングレーの三人は、表向き第三新東京に用意されたマン
ションでそれぞれ生活していることになっている。
 その実、碇シンジこと筏シンジは再び第二新東京の安アパートに戻り、今までどおり高
校に通っていた。

「ホワイトデー、忘れてくれないよなあ」
 六畳一間、風呂無し台所トイレ付きのアパートで、シンジはため息をついた。
 高校二年生の最後を飾る期末試験も終わった。実質的な授業はもう無い。
「はああ」
 クラスの女子五人がくれたチョコレートへのお返しは、手作りのクッキーにした。シン
ジに金がないことを知っている彼女たちは、それで許してくれるだろう。
「義理はこれで済むんだけど」
 シンジは気づいていない。同級生がくれたチョコレートが、どれもどこそこ王室御用達
という高級品であったことを。
 口にしていないから当然といえば当然なのだが。
 バレンタイン当日、シンジの保証人となっている冬月コウゾウから与えられた合い鍵で、
アパートに侵入したアスカとレイは、机の上に置かれていたチョコレートをあっと言う間
に殲滅した。
 食べてしまったのだ。
「味見ぐらいさせてよ」
 シンジの嘆願はアスカの冷気をたたえた蒼い瞳と、レイの怒りに燃える紅い瞳に、あっ
さりと黙殺された。
「アンタは、アタシが二年ほど留守にしただけで、こんなたくさんの女に手出しをするよ
うになったのね。さすがは、無敵のシンジさま」
 アスカの頬がゆがみ、
「碇くん、わたしのすべてを捧げたのに。悲しいの。そう、悲しいときも涙がでるのね」
 レイの肩が震える。
 紅きゼルエル、蒼きラミエルに挟まれたシンジの顔色は、初号機よろしく紫になってい
く。シンジは、命の危険にさらされていた。
 やめておけばいいのに、シンジは無駄な抵抗をする。
「だって、アスカは、僕に二度と顔を見せるなって言ったじゃないかあ。それにドイツに
さっさと帰ったし」
「アンタ馬鹿ぁ? アタシとあんだけ一緒にいながら、アタシの性格をまだわかってなか
ったの? アタシが素直じゃないことぐらいわかっているでしょうが。それに、恋愛は男
が主導するものなの。第一、行くなって言ってくれなかったじゃない……」
 アスカの語尾は消えそうなほど細い。
「えっ、えっ、ええ」
 しおらしく俯くアスカにシンジは戸惑いを隠せなかった。
 慌てて矛先を変える。
「綾波は、僕のことおぼえていなかったし」
「碇くんが去ったとき、わたしはまだ記憶が定着していなかったわ。だから、なにも言え
なかっただけなのに。もうちょっと待っていてくれたら、それはそれは気持ちのいいこと
になったはず。都合のいいことに弐号機パイロットはちょうどいなかった」
 レイは一心にシンジを見つめた。
「綾波……」
 顔を染めるレイにシンジも紅くなる。
「こぉのどすけべシンジ、なんで、アタシのときに紅くなんないのよ」
 シンジの頬をアスカが引っぱたく。
「痛いよ、アスカ」
「アンタは、口で言ってもわかんないでしょうが。身体でおぼえさすしかないの」
「犬じゃないんだけど……」
 シンジが、頬をすりながぼやく。
「と、いうわけで、アンタは、アタシのものなんだから、こんなどこの馬の骨ともわから
ない女のチョコレートなんか、食べさせるものですか」
「碇くんは、私の碇くんなの。他の異性体を、側に寄せては駄目」
 あっという間にチョコレートは無くなり、美しく飾られた箱は無惨な残骸となりはてた。

「食べてもいないもののお返しというのも辛いけど、アスカとレイへのお返しが厳しいよ
なあ」
 シンジは、できあがったクッキーの味見をしながらぼやいた。
 手ぶらでシンジのもとへ来たアスカとレイだったが、シンジ宛のチョコレートに刺激さ
れたのか、その夕方、同じチョコレートをくれていた。リボンの色が違うだけのそれは、
アスカとレイの協定の結果である。
 それだけではない。ご丁寧に食べさせてまでくれたのだ。世に言う「あああん」という
やつであった。
 それなりに大きなチョコレートを二箱分……思春期真っ盛りのシンジが鼻血を垂らした
のは当然の帰結であり、両鼻に脱脂綿を詰めながら、E計画責任者からいつものセリフを
投げかけられたのもシンジには痛い想い出である。

「とりあえず、明日のホワイトデーは、水曜日だからアスカもレイも来ないはず。土曜日
に僕が、第三新東京へ行く約束だから」
 シンジが第二新東京へ戻ってきたのは、学年の途中で転校する不自然さをさけたためで
ある。
 バレンタインにネルフが発表したサードチルドレン碇シンジの復活と、アスカとレイ、
二人の婚約は、世界中を興奮のるつぼに落とし込んだ。
 冬月による報道機関への要請が利いているので、表だっての取材合戦は控えられている
が、裏では碇シンジの写真、アスカの婚約者の情報をもとめて熾烈な戦いが拡げられてい
る。
 シンジが第三新東京にいると、どうしても目立つ、なんせ、紅と蒼の女神が側から離さ
ないのだ。
 チルドレン達は世界の救世主であると同時に、狂信者から見れば神の御使いを殺した悪
魔の手先なのだ。テロの対象となっていておかしくはない。第三新東京市をチルドレンの
聖地として整備するまで、シンジの正体を隠す。それが最大の防御とネルフは判断した。
 そこで、シンジは高校二年生を終えるまで第二新東京で過ごすことになったのだ。
「浮気したら、コロス。死ぬまでコロス」
「こんなときどうしたらいいの? 碇くんが、わたし以外の異性体に触れられたりしたら
……わたしは、リリスと一つになってアダムに触れ、新しい世界をつくるの。そして、新
世界では、碇くんとわたししかいないの」
 二人の女神の殺意のこもった眼差しに送られてシンジは、一人第二新東京に戻り、週末
に第三新東京へやってくるという二重生活を送らされることになった。

「あの二人だから、やりかねないものなあ」
 シンジは盛大なため息をついた。衝撃的なバレンタインメモリアルから一ヶ月、アスカ
を傀儡にしようとしたネルフドイツは解体され、司令以下ほとんどの職員が、国際軍事法
廷で罪を裁かれた。無罪放免となったものはいない。
 世界の救世主たるチルドレンを、レイプという手段で従属させようとした彼らに世論は
きびしかった。
 すべてを計画したネルフドイツ司令、ゲオルグ・フォン・ニーゲルデン一佐は終身刑、
息子で実行犯のアルベルト・フォン・ニーゲルデン二尉は、去勢の上、終身刑が科せられ
ている。もっとも息子は、去勢されるまでもなく、アスカによって子孫繁栄の不可能な身
体にされていたが。
「綾波はなにをあげても喜んでくれそうだけど、アスカは、気に入らないと怒るからなあ」
 シンジは、頭を抱える。貧乏は変わっていない。シンジの口座に残っている現金は、数
万円しかない。そして、これを使ってしまうと28日のバイト給料日まで無一文になるの
だ。
「考えてもしかたないか。もう、寝よう」
 まじめなシンジは、手作りクッキーを包み、翌日の予習をすませ、1日を終えた。

「おはよう、シンジ」
「えっ、アスカ? なんで、ここに」
 翌朝、目覚めたシンジは、驚きで目を丸くする。
 シンジの部屋のテーブルに、アスカが座っていた。
「また、合い鍵使ったね」
 シンジは、肩を落とした。保証人になっている冬月コウゾウが持っていた合い鍵を、ア
スカは手に入れている。
「プライバシーって言う言葉、知ってる? 」
 シンジは一応訊いた。
「もちろん、知っているわ。アンタには無いってこともね」
 アスカがきっぱりと口にする。
「はあ。で、今日はなにしにきたの? 」
 シンジは、脱力しながら訊いた。
「決まってんじゃない。アンタを見張るためよ」
 アスカがにやりと笑った。
「見張るって? 」
 シンジが、怪訝そうな顔をした。
「アンタが、他の女に手出ししないかどうかをね」
 アスカがにたりと笑った。
「ひょっとして、ホワイトデーのお返しを見張りに来たの? 」
 シンジはあきれる。
「よくわかったじゃない。チョコレートもらったまま、知らん顔できるタイプじゃないも
のね、アンタ。だから監視するのよ。アンタ貧乏だからね。僕には返すものがないから、
身体で返すよなんてことになったら……」
「なったら……」
 シンジが、唾を飲みこんだ。
「浅間山にもう一回飛びこんで貰うから。EVA無しでね」
 アスカが、真顔で告げた。
 シンジは、思わず腰を引いた。
「さあ、出して。ホワイトデーのお返しを見せてご覧なさい」
 アスカが、姉が弟を諭すように優しい声で言った。
 シンジは、その声の裏に白熱し始めたプログナイフの存在を感じていた。
「こ、これっ」
 シンジは、震えながら鞄から手作りのクッキーをだした。
「ホームメイドクッキーか、シンジらしいわね。包みを開けなさい」
「へっ、なんで? 」
 シンジは、アスカの命令に戸惑った。
「中に手紙でも忍ばせているんじゃないの? 放課後校舎裏に来て下さいとか書いた」
「そんなことしないよ」
 シンジは、必死で否定する。命がかかっているのだ。
「だったら、見せれるわよねえ」
 アスカの追求は終わらなかった。
 結局シンジは、全部の包みを開けさせられたうえに、アスカの付き添いでホワイトデー
のお返しを配ることになった。
 いつもより30分早くアパートを出たシンジは、校門でチョコレートを呉れた女生徒た
ちを待つ。
「これっ、ありがとう」
 シンジから手作りのクッキーを返された女生徒たちは、そろって顔を赤らめて受け取る。
花が咲いたように喜色を浮かべる女生徒たちの顔色は、一分も持たない。シンジの背後に
ついていたアスカが、顔を出すからだ。
「うちのシンジがお世話になりました。ありがとうございます」
 アスカは、一応変装していた。髪の毛を黒く染めたうえに、ポニーテールにまとめ、
目にはブラウンのカラーコンタクトを入れている。
 ストレートの金髪、海のような碧眼がトレードマークのセカンドチルドレン、惣流・ア
スカ・ラングレーとは、見抜かれていないようだが、その美貌は際だっている。
「あなたは? 」
 女生徒が、アスカに問う。
「シンジのフィアンセですの」
 アスカはそう言って、掌を裏返して唇を隠しながら上品に笑ってみせる。
「そうですか……」
 ほとんどの女生徒はそれで撃退されるが、なかには強者もいる。
「本当なの? 筏くん」
 確認してくる。
「う、うん。そうなんだ。あははははは」
 シンジは、うつろな笑い声をあげてうなずくしかない。
 つきあいの深いシンジでないと気づかないオーラが、アスカの身体から吹き上がってい
る。否定の言葉は、シンジを間違いなく殺す。
「まだ、筏君は16歳でしょ。婚約なんかできるはず無いわ」
 一人シンジにご執心な女生徒が、食い下がる。
「18歳でなければできないのは、結婚よ。婚約はいくつでもできるわ。それにね、あな
たは知らないでしょうが、アタシとシンジには、切ることのできない絆があるの」
 アスカが、勝ち誇ったように言った。
 やはりシンジだけしか気がつかなかっただろう。アスカの声がわずかに震えている。
 シンジがもっともよく知っている、アスカの心のもろさ。その前兆が、現れたのだ。
 アスカの言う二人の絆は、サードインパクト直後一回切れていた。それもアスカが断ち
切ったのだ。
「うそよ、だって、筏くん、昨日までそんなことを言ってもなかったわ」
 女生徒の声は、すがるようであった。
「恥ずかしいからね」
 しっかりとした声でシンジは、応える。
 シンジは、アスカを支えると決めた。
「それに個人的なことだから」
「本当に、本当なの? 」
 女生徒が、否定を期待した目でシンジを見る。
「うん。僕は、彼女と一生を共にするって、決めたんだ」
 きっぱりとシンジが口にした。
「シンジ……」
 アスカの声から震えが消える。
「そう、おめでとう、筏君」
 女生徒が哀しそうな顔で去っていった。

 お返しを配り終わったシンジは、ほっと一息ついた。
「じゃ、帰るわよ」
 アスカがシンジの手を掴む。
「へっ? 今から授業なんだけど」
 シンジは、きょとんとした顔をする。
「自主休校よ。さあ、デートに行くわよ」
「デートって、僕お金持ってないよ」
 シンジは、慌ててアスカに告げた。
「はい、これ」
 アスカがポシェットから、カードを出した。
「冬月司令、じゃなくて、もう、冬月顧問だっけ。から預かってきたわ」
 ネルフ再生を成し遂げた冬月コウゾウは、先月末で司令を引退、現在は顧問としてネル
フの改革の手助けをしている。
「なに、これ? 」
 シンジはカードに自分の名前が入っていることに驚いた。
「アンタのチルドレン期間中の給与と退職手当。それとこの三年間に支払われるはずだっ
た給与がはいっているわ。もっともこの三年間は、休職扱いになったから、本給の六割し
かないけどね」
 アスカが説明する。
「給与もらえるんだ」
 シンジは純粋に驚いている。
「あったりまえじゃない。命がけで戦ったのよ。ボランティアじゃあるまいし」
 アスカが、あきれている。
「えっ、でも、ミサトさん、人類を救えるのは、僕だけだって」
 シンジの頭に人類を救うヒーローは、無償奉仕という前提がある。ウルトOマンや仮面
ラOダーや、なんとかレンジャーで給料とか報酬を貰っているシーンを見たことがないか
らだった。
「本当に、アンタは扱いやすいわね。将来就職してからが心配だわ。やっぱりアタシが、
ちゃんとお金も含めて管理しないと駄目ね」
 アスカがため息をつく。
「知らなかったんだから、仕方ないだろ」
 シンジはちょっと膨れながら、カードをアスカから奪った。
 携帯のICチップをカードに近づける。
「ちなみに、暗証番号は、アタシの誕生日だから。覚えているわよね。絶対に忘れないで
しょ。忘れるはず無いわよね。忘れたらどういうことになるか、わかっているわよね」
 声がだんだん低くなっていく。
 がくがくとうなずきながら、シンジは、携帯に暗証番号を打ちこんだ。
「えっ、こんなに」
 シンジは、息をのんだ。そこには、数千万円を越える金額が表示されていた。
「それでもアンタはチルドレンでは、一番少ないのよ。期間が短いからね。アタシやレイ
は、その5倍以上、桁一つ上」
 アスカが自慢げに胸を張る。豊かな膨らみが強調され、シンジの目が吸い寄せられる。
「エッチ、スケベ、変態。って、昔なら騒ぐところだけど、よしよし、ちゃんと健全な青
年に育っているな。シンジは昔からおっぱい好きだものねえ」
 アスカが、うんうんと首肯している。どうやら、アスカの中でシンジがかつて病室でし
た行為は、昇華されているようであった。
「……ごめん」
 シンジが思いだして暗くなる。
「馬鹿ねえ。シンジがアタシの身体に興味を持っている証拠でしょ。身体だけだったらは
り倒すけど、その前にアンタはアタシの心を満たしてくれたわ」
「…………」
 シンジが、アスカの顔を見あげた。
「だから、アタシはうれしいのよ」
 アスカが誇らしげに笑った。

 通学とは逆の方向へ歩いていく二人を同級生たちが、呆然と見送っている。
 その中の一人が、シンジに声をかける。
「筏、どこへいくんだ。学校始まっちゃうぞ」
「今日、自主休校」
「そうか、その隣の美人は誰だ? えっ、惣流さん? いや別人か、目と髪の色がちがう」
 級友は、アスカに見とれる。
「初めまして、シンジの恋人の匿名希望です。今からシンジと三年ぶりのデートなんです。
だから、学校は休ませます。じゃ」
 アスカは、シンジの腕を引っ張った。

 朝の通学時間が終わったのか、やがて人通りが無くなる。
 シンジが、アスカを公園に誘った。
「人気のないところに誘うなんて、シンジも大人になったわねえ。ファーストキスのやり
直し? それとももっと先まで行っちゃうわけ? 」
 アスカが茶化す。だが、その声に隠れているものをシンジは、見のがさなかった。
「ごまかさないでよ。アスカ」
 シンジは、アスカの目を見た。
「そろそろ、今日来た目的を聞かせて貰いたいんだけど」
「はあ。やっぱり、アンタ、この三年で変わったわね」
 アスカがため息をついた。
「ちゃんと人の裏に気づくようになったんだ」
 アスカが、まじめな顔をする。
「綾波が来ていないのは、動きがとれないから? 」
 シンジの科白にアスカが心から驚いてみせる。
「そこまで読んでいるとは思わなかったわ。動けないというより、ファーストに聞かせた
くなかったのよ。いまごろ、第三東京で角だしているんじゃない? 」
 アスカの予想は大当たりであったが、数十キロ離れたここまでは、さすがに届かない。
「綾波に聞かせたくないって……どういうこと? 」
 シンジが問う。
 アスカの顔からすっと微笑みが消える。
「いつまでも鈍い振りでごまかせると思っているの? 」
 アスカがきびしい言葉をぶつける。
「それともアタシが側にいなかった二年の間に、鬼畜男に変わったんじゃないでしょうね
え。金髪クオーター美人とアルピノの美少女。二人の味比べをしようなんて考えていたら、
いい死に方はしないわよ。いえ、させないわよ」
 アスカの物言いに棘が含まれた。
「はあ。わかったよ。降参。アスカには勝てないや」
 シンジは諸手をあげて降伏した。
「当たり前でしょ、神話の時代から男は女に勝てないって決まっているのよ。ましてや、
アンタの女は、この惣流・アスカ・ラングレーさまなのよ。ごまかせると思うなんて、大
間違い」
 アスカが勝ち誇ったように、両手を腰に当てて胸を張った。
「さあ、白状しなさい」
 アスカに迫られてシンジは、口を開く。
「綾波に、女の子に成ってほしかったんだ」
「はあ? わけのわからないことを言うんじゃないわよ。ファーストのどこが男だって言
うの? 一昨日も一緒にお風呂入ったけど、しっかりと女だったわよ」
 アスカが焦点のずれたことを言う。
「まさか、日本独特の言い回し、女にしてやるじゃないでしょうねえ。ま、まあ、碇シン
ジが婚約者の綾波レイをどうしようが、合意の上なら文句ないけど、アタシのシンジがそ
んなことをするのは許さないわよ」
 アスカが怒る。
「あのね、そう言うことじゃなくてね……」
 シンジは、頭を抱えた。アスカの頭脳が優秀なことは論を待たないが、ときどき思いこ
みの激しさからはずれたことを口にするのだ。
「ねえ、アスカは、綾波があのままでいいと思う? 」
「なるほど。そう言うことか。思わないわね。ファーストは、あの頃に比べれば随分まし
になったけど、まだ人形だわ」
「アスカ」
 シンジは、人形と言ったアスカをとがめた。
「わかっているわよ。ファーストの前では、絶対に口にしない」
「信じてるよ」
 アスカの謝罪をシンジは受ける。
「君は、アスカは知っているよね、綾波が……」
 シンジは、そこで口籠もった。自分の口から語って良いことだとは思えなかった。
「ええ。本人から聞いたわ。ファーストがリリスのかけらだったってこと」
 アスカが、シンジの消えた言葉を引き継いだ。
「綾波は、父さんによってリリス覚醒の引き金となり、父さんの思い通りのサードインパ
クトを起こすように、人としての愛情を一切与えられずに育てられた。でも綾波は最後の
最後で父さんではなく、僕を選んでくれた」
 シンジはそこで声を止めた。
「でも、僕は綾波を選ばなかった」
 シンジの声が沈む。
「アタシを選んでくれた」
 アスカが、小さな声で言う。
「たった一人の男の都合で産み出され、育てるんじゃなく成長させられただけの存在。そ
の綾波が、命を、自分のすべて使って僕の思いを遂げさせようとしてくれた。その世界は、
僕にのぞまれなかった者は在ることさえ許されない。父さんもゼーレもだから居ない。そ
して、僕は綾波を選ばなかった……」
「シンジ……」
 アスカが顔色の変わったシンジを気づかうように名前を呼ぶ。
「綾波は選ばれなかったことで、崩れ去るしかなかった……でも、僕は、それは嫌だった。
綾波には生きていてほしかった。だから、僕は綾波に手を伸ばした」
 シンジの声は消えるようだった。
「綾波は、僕の願いをきいて、人として復活してくれた」
 シンジは、少し声を高くする。
「だったら、なぜ側にいてあげなかったのよ。あんたが面倒見てあげれば、ファーストだ
って喜んだでしょうが。それを二年も逃げて……アンタはいつも肝腎なときに逃げだすの
よ」
 アスカが、詰問する。
「だって、仕方ないじゃないか」
 シンジはアスカの非難をさえぎるように、大きな声を出した。
「なによ」
 アスカが驚く。
「だって、僕は、失恋したんだよ。命をすり減らして、一度は死んで、神様に祭りあげら
れて、世界に君臨できる誘惑を受けて……そのすべてを乗りこえて、ただ、アスカと共に
居たいと願ったのに……」
 シンジは涙を流す。
「二度と顔をだすなって、アスカに振られて……そのうえ、アスカはドイツに帰っちゃう
し……。近くにさえ居てくれなかったくせに」
 シンジは、俯いた。
「アンタ、アタシに振られたショックで逃げだしたの? 」
 アスカが、問いつめる。
「だって、初恋だったんだ。生まれて始めて真剣に異性を好きになったのに。第一、僕ま
だ十四歳だったんだよ。そんな状態で選ばなかった綾波の側に居れるわけないじゃないか」
 シンジは、涙を流したまま言い返す。
「はあ、この根性無し」
 罵りながらもアスカの顔は弛んだ。
「世界の神様とあろうものが、人間の女に振られたぐらいで……馬ぁ鹿」
 アスカの声がちょっと甘くなる。
「でも当然よねえ。これだけの美少女とアンタが知りあう確率は、それこそオーナインシ
ステムだから。人生一度かぎりのチャンスに破れたとなったら、がっくりくるのも無理無
いわ」
「そこまで少なくないと思うけど………」
 シンジは小声で抗議する。
「うっさいわねえ。アタシがそうだといったら、そうなの」
「アスカ、横暴だよ」
「なに言っているの。アンタはこの地球で一番偉い神様になれたのよ。それを捨ててシン
ジが選んだのは、アタシ。なら、アタシは地球よりも価値がある。だから、なにを言って
もなにをしても許されるの」
 アスカがうれしそうに笑う。
「オーケー」
 アスカが立ちあがった。
「これでシンジの罪のすべてを許してあげるわ。ファーストキスのとき抱きしめてくれな
かったことも、家出したアタシを探しにきてくれなかったことも、病室でアタシの胸をお
かずにしたことも、量産機戦にまにあわなかったことも、サードインパクトでアタシの首
を絞めたことも、二年間もドイツにアタシを放りっぱなしにしたことも、ひっくるめてチ
ャラにしたげる」
「それ、全部僕の罪? 」
 シンジは、頭を抱えた。少なくとも半分はアスカが原因だ。
「ほう、わかってないようね。今言った罪の一つでもなくなっていたら、アタシはドイツ
なんかに帰らなかったわよ。まったく、鈍いにもほどがあるわ。あのね、女の子がね、命
を救われてなんの感情も抱かないはずないでしょ」
 アスカが、シンジの鼻先に指を突きつけた。
「それって、浅間山のこと? 」
「そうよ。アタシはあのときから、シンジのことが好きだったていうのに、このにぶちん
は……」
 アスカが嘆息する。
「アタシに素直さがたりなかったことは認めるわ。だから、その分を情状酌量して……」
 アスカがじっとシンジの瞳を覗きこむ。
「して? 」
「シンジの罪の償いは、アタシを一生涯通じて大事にすること。他の女には絶対さわらな
い、匂いもかがない、目もくれない」
「断れないね」
 シンジは、承知した。
「さて、そうなったらファーストよねえ。どうするつもり? 」
 アスカが、問う。
「取り敢えずは、綾波とアスカに対する僕の態度の違いを感じ取ってもらおうかなって」
「そうねえ。それぐらいから始めなきゃ駄目かもね」
 アスカも首肯する。
「今の綾波の精神年齢は小学校に行きかけたぐらいの年齢なんだよ。本気でパパとか兄さ
んとか、小学校の先生と結婚できると思っている時代だね。そう、アスカが加持さんに憧
れていたのと一緒なんだと思う」
「失礼ねえ。アタシは、そんな子供じゃなかったわよ」
 アスカがむくれる。シンジはそれを無視した。
「まずは、綾波に愛情には男女のもの、兄妹のもの、親子のものなど何種類もあるんだと
言うことを知ってもらいたいんだ。そこから、始めたい」
 シンジは、告げた。
「わかったわ。要するに、ファーストの前でシンジとアタシがいちゃつけばいいわけね。
アタシがシンジにキスしてもらったら、シンジはファーストの頭を撫でる。アタシがシン
ジにシテもらったら、ファーストは手をつないでもらえると差別化を図ればいい」
「なんか、ちがうような気がするんだけど……」
「大丈夫。アタシに任せなさい。なんと言ってもアタシは、天才美少女惣流・アスカ・ラ
ングレーなんだからね。アタシに附いているかぎり、シンジ、アンタの一生は安泰よ」
 アスカが、元気よく立ちあがる。ベンチに座ったままのシンジの腕を引っ張る。
「ファーストが待っているわ。ちゃんとホワイトデーのお返しをしないと。もちろん、ア
タシにもね」
 満面の笑みをアスカが浮かべた。
「アスカに話してよかったのかなあ? 」
 シンジが首を小さく振る。
「当たり前よ。アンタとアタシは一心同体。アタシたちのユニゾンにかかれば、成し遂げ
られないことなんかないわ」
 アスカが力強く言う。
「さあ、そうとなったら、アタシも覚悟決めなきゃね」
「覚悟? 」
 シンジが、首をかしげる。
「恥ずかしがらず素直にシンジのことが好きだって態度で表す覚悟よ。そうしないとファ
ーストに伝わらないでしょ。あいつは、あんたに似て鈍いから」
「あははははは」
 シンジは、言いしれぬ不安に襲われた。
「さあ、いくわよ。アタシたちの手でファーストを育てに」
 アスカが高らかに宣言した。


後書き
 お読みいただき感謝しております。
 期間シリーズの続編です。あの後の話を読んでみたいとおっしゃってくださった方がおられたので、図に乗りました。
 レイの成長を書いていければと思います。

タヌキさんから「〜〜期間」シリーズの後継作品をいただきました。

今後の展開が気になる方は、ぜひタヌキさんにメールを送って続きを書いていただきましょう。

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