脱却期間



作者:タヌキさん

「あなたは、なにを望むの? 」

 綾波レイは訊いた。
「ですから、もう少し詳しいお話をですね、お聞かせ願えないかと……」
 レイの紅い瞳でじっと見つけられた記者が、目をそらしながら応える。
 ネルフで行われたファーストチルドレン記者会見の席上である。

 サードインパクトを防ぐことは出来なかったが、ゼーレによる人類補完計画を阻止し、
地球の歴史を護った二人の美少女、ファーストチルドレン綾波レイ、セカンドチルドレン
惣流・アスカ・ラングレーは、世界の英雄としてたたえられた。

 ネルフ総本部と国連、日本政府の和睦を記念して創立されたバレンタインメモリアルデ
ーも、まもなく3回目を迎える。それに合わせてハリウッドで製作された使徒戦役を題材
にした映画「紅と蒼の戦乙女」が完成した。今日の記者会見は、その完成を受けて、報道
各社からの要請で設けられたものだ。

「お体の調子はいかがですか? 」
 記者会見は、日本の某放送局記者による質問で幕を開けた。
「悪くないわ」
「あの死闘からもう丸2年が経ちましたが、振り返ってどうでしょうか? 」
「わからない」
「高校生活は楽しいですか? 」
「ええ」
「今度の映画についてはいかがですか? 」
「見てないから」
「綾波さんの役柄をされている期待の若手女優、ミツエ・バーグリッドさんをどう思われ
ますか? 」
「会ったことないから、わからない」
「では、戦死された少年チルドレン役のジャック・ボマーさんについては? 」
「似てないわ」
「未だにオープンにされないサードチルドレンとジャック・ボマーさんが、どのように違
うと? 」
「言えない」
「では、質問を変えます。今の生活に不満はありませんか? 」
「あるわ」
「それは、どのような不満でしょうか? 」
「会えない」
「誰に? 」
「言えない」
「これでは記者会見になりませんよ」
 レイの答えにあきれる記者たち。
「そう,よかったわね」
「…………」
 記者たちは絶句するしかない。
 そして話は冒頭に続く。

「あなたはなにを望むの? 」
「ですから、もう少し詳しいお話をですね、お聞かせ願えないかと……ドイツのセカンド
チルドレンほど喋ってくれなくていいですけど」
「そう、弐号機パイロットは相変わらず、うるさいのね」
 レイが感情のこもらない声で言う。
「セカンドチルドレンは、ネルフドイツ司令のご子息と熱愛が報じられていますけど、そ
れについて、一言」
 記者が、食いついたとばかりに訊く。
「真実じゃないもの」
「どういうことですか? なにかご存じなんですか? 」
 記者がたたみかける。
「知らないわ。でも、弐号機パイロットが、満足しているはず無いもの」
「それは、ドイツ支部司令の息子さんが、たいしたことないと……」
「わからないわ」
 レイがふっと眼を逸らした。
「では、綾波さんについてお伺いします。気になる男性は、いらっしゃいませんか」
 話をレイに戻したのは、お昼3時からやっているワイドショーのレポーターだ。
「居るわ」
 会場がどよめいた。
「どなたですか? 同級生ですか? それともネルフの方ですか? 」
 一斉に質問が飛んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください」
 ネルフ広報部に異動している青葉シゲルが、必死になって止めようとするが、今までプ
ライベートな話をしたことのないレイの異性問題である。おさまるはずもない。
「あなた達には関係ないわ」
 騒ぐ記者連中にレイの冷たい言葉が刺さった。
「名前は良いですから、せめてどのような人かだけでも」
「いや」
 レイの拒絶は短いが絶対であった。
「この話を続けられるなら、記者会見を打ちきります」
 シゲルの一言も効いたのだろう。記者たちが沈静した。

「では、質問を変えさせて頂きます」
 別の記者が立った。
「セカンドチルドレンとは、今でも連絡を取り合っておられるんでしょうか? 」
「取ってないわ。いえ、今の私は話したことさえない」
 レイが小さな笑いを浮かべる。
「話したことさえないって、一緒に戦っていたんでしょ? 仲が悪かったんですか? だ
ったら問題ですよ。地球の命運を握る戦士のコミュニケーションが、出来ていなかったな
んて。一つ間違えば人類は絶滅したかも知れないじゃないですか」
 記者が、鬼の首を取ったように騒ぎだす。
「人は滅びなかった。仮定の話は意味がない」
「そう言う問題ではないでしょう。選ばれた限りは、個人の感情など無にして尽くすのが
当然じゃないですか。そんないい加減なことをしていたなんて、私たちはあなた達を糾弾
しますよ」
「ならそうすれば」
 レイは冷たく応える。
「あなたは、あのときここにいたわけではない。命を賭けて戦ったわけでもない。そんな
あなたは、私たち三人の間に入ることはできない」
「うっ………」
 一瞬詰まった記者だったが、すぐに気を取り直した。
「しかし、私たちの命に関わったことです。知る権利はある」
「なぜ、私しがあなたたちの質問に答えなければいけないの? 」
「世界の英雄,チルドレンことを人々は知りたいと思っているからです。そして私たちマ
スコミはそれを報道する義務があります。あなたは自分のことを話すべきなのです」
 記者の代表が立ちあがる。
「そう、でも私にはなにもないもの」
 それだけ言い残してレイは、会場を去った。

 記者会見会場から出たレイは、第3新東京市に与えられているマンションの一室に帰っ
た。かつて第3新東京市の片隅にあった壊れかけたアパートと違い、セキュリティも完備
された快適な所だ。
 レイは、着ていたブラウスと下着を脱ぐとシャワーを浴びた。
 変わらないショートの髪からしたたる水を首にかけたバスタオルで受けながら、ショー
ツだけでレイは部屋の中をうろつく。
 身体を締め付けるものを苦手としているのは、2人目のころと変わっていない。
「碇くん……」
 レイは、今日の記者会見の質問のおかげで思い出した少年の面影に呟いた。
 第3使徒の迎撃に失敗し、大けがを負ったレイをもう一度戦場へ送りださないために、
恐怖を克服してエヴァンゲリオン初号機に乗った少年。
 碇ゲンドウとの関係だけが絆だと思っていたレイに、新しい絆をくれた少年。
 感情を持たなかったレイに笑うことを教えてくれた少年。
 弐号機パイロットと三人で奇跡をおこしたり、停電の暗闇を一緒にさまよったり、一年
に満たない時間だったが、レイという物を人に変えてくれた日々をくれた少年。

 人として始めて抱いた好きという気持ち。それを守るために2人目のレイは命さえも捨
てた。
 だが、2人目の想いを引き継がなかった3人目になったとき、レイと少年の関係にひび
が生じた。それはついにサードインパクトを招いた。

 紅い海と黒い月だけの世界での会話。
「また、他人の恐怖が始まる」
 リリスと同化したレイの忠告。
「それでも僕はみんなと一緒にいたい。この気持ちは本当だと思うから」
 きっぱりとした口調で答える少年。
「あなたはなにを望むの? 」
「アスカを。アスカと生きたい」
 しかし、その願いは適えられなかった。
「きもちわるい」
 少年がすべての代わりにとまで望んだ少女は、少年を拒絶した。そして、世間も少年の
存在を許さなかった。
「碇シンジくんには名前を変えて貰う。そしてネルフとは関わりのない生活をしてもらう」
 争いを集結させ、特権を失ったネルフを存続させるために、少年は消えなければならな
い。少年は愛した少女から拒否され、大人たちによって使うだけ使われて、捨てられた。
 レイは、濡れた髪をタオルで乾かしながら、少年に思いをはせる。
 万一の情報漏れを危惧したネルフのおかげで、シンジの写真さえ、レイには残されてい
ない。
「すべては心の中にある。今はそれでいい」
 昔ならその言葉は絶対だった。だが、今は違う。レイは思い出のシンジの姿が、時と共
に変化していくのを恐れている。
「碇くんを過去にしたくない」
 二年前よりは、確実に女に近づいた身体は、2人目、3人目から受け継いだ感覚を思い
出している。
 光の使徒を倒した直後、火傷も気にせず、動かなくなったエヴァ零号機のエントリープ
ラグ、熱くなったそれから助け出してくれた少年の手、その力強さも思い出せる。
 偶然の事故とはいえ、強く掴まれた乳房からは、少年のまだ柔らかい掌の感触が鮮やか
に蘇る。
「それだけ……」
 レイは、いつも視界の隅でその存在を主張する膨らみを見て愕然とする。そこから先の
思い出の少なさに。

 レイが全幅の信頼を置いていた碇ゲンドウネルフ総司令。少年の父親であった男は、ネ
ルフの黒幕であったゼーレの人類補完計画をひそかに変えようとしていた。エヴァンゲリ
オン初号機に取りこまれた妻との再会。その為には、妻の忘れ形見である少年をよりしろ
としたサードインパクトを興さなければならない。
 よりしろとなる人間は、弱い心で精神を破壊されていなければならない。自我を保って
いては思い通りにできない。
 親に捨てられ、4歳から他人の中で過ごしてきた少年は、人を愛すると言うことを知ら
ない。思春期の少年にそれを教えるのは簡単である。魅力的な同年代の少女をあてがえば
いい。その最初の生け贄となったのがレイだ。
 少年を戦場に送りだすために、勝てないと知っていて初号機で出撃させ、大けがを負わ
せて、その傷を見せつけた。
「碇くんが、出てくれなければ、わたしは、あの時に3人目に移行していた」
 レイが自分の肩を抱く。死んでも代わりはあったが、それでも生物が本能として保つ死
への恐怖は深い。
 本部への通行証であるIDをレイに渡し忘れたのもそうだ。IDはネルフへの入場証も
兼ねている。それがなければ、使徒が攻めてきてもパイロットがエヴァの所に行けない。
なにがあっても忘れるはずのないそれを、少年に届けさせたのは、その居住環境の劣悪さ
を見せつけ、同情を呼び覚まし、うまくいけば一時的な接触をさせるため。
「碇くんに押し倒されて、胸を掴まれた。あの時は、それがなにを意味するかも判らなか
った。でも、今なら……」
 レイが頬を染める。
 光の使徒との戦いでは、わざと少年に最初の一撃を経験させ、過粒子砲の威力を思い知
らさせて、防御に回ったレイの危険さを知らせ、二人の間に戦友としてのシンパシーを起
こさせた。
「初めてわたしは、自分の意志で笑った。あれから、2人目のわたしは、碇くんに恋をし
た」
 加熱したエントリープラグの扉を、火傷しながらも開けてくれた少年にレイはぎこちな
い笑みを贈れた。

「その後、弐号機パイロットが来た」
 惣流・アスカ・ラングレー。レイとは正反対のエヴァ弐号機専属パイロット。
「あの人が来てから、碇くんは、わたしよりもあの人を見ていた」
 不必要なまでにうるさく、無駄に元気で、どうしようもないほどプライドの高い少女。
 彼女は、あっさりと少年の心の中に住み始めたレイを押しのけて居座った。それすらも
大人の都合でしかなかったが。

 二人で一つのエヴァに載り、二人で一つの使徒を倒し、二人で一緒に住んだ。
 小さな音は大きな音の前では消えるしかない。
 少年の恋心は、上書きされた。
「でも、彼女も少年を壊す存在でしかなかった」
 同世代の男なら誰でも憧れる容姿。無防備な少女と同居した少年が、異性を意識したの
は当然。そして、少女が口にする大人の男の存在。感情の中でもっとも醜い嫉妬を湧かせ
ることで少年を焦らせる。それは少女に少年を意識させたが、同時に情けない言動は卑下
を招いた。
 わずかながらかみ合い始めていた少年と少女の歯車が狂いだしたのは、デイラックの海
から。
 エヴァで一番。
 自分のよりどころを奪った少年に、生まれ始めていた愛情を捨て、憎悪のまなざしを向
ける少女。雪崩のように二人の仲は崩れ、少女は精神を壊し、少年は内に籠もった。
「支えるべきわたしも、自爆してしまった」
 少年を狙った使徒を倒すために、2人目のレイは自爆した。それは3人目のレイを目覚
めさせた。が、記憶の定着がうまくいかず、3人目のレイは少年を無視してしまった。
「記憶が落ち着くまで、わたしを入院させてくれれば良かっただけなのに」
 レイは、気づいていた。あれも少年を壊すために為されたことだと。
 止めは、第17使徒。人と同じ姿をした使徒は、少年の心の傷を癒す振りをしながら、
その実、鋭くえぐった。
 少年の心は、ひび割れた。
「碇くんは、まだ頑張っていたわ」
 レイは、普通ならとっくに壊れているはずの心を、少年がかろうじて保っているのを見
ていた。
「さらにそれに拍車をかけたのが、わたしの姉妹たち」
 赤木リツコによって、レイが人と使徒との混合体であることを報された少年は、異形へ
の先天的な怖れから、レイを拒否した。

「最後の一押しとなったのは、弐号機パイロットだった」
 ゼーレの書いたシナリオは、使徒殲滅の後、ネルフ本部を急襲し、初号機をもってサー
ドインパクトを発動させることだった。
 襲い来る戦略自衛隊と量産型エヴァンゲリオン。
 精神崩壊から一時的に立ち直った少女が立ち向かったが、抵抗むなしく敗北。
 自閉状態からようやく脱した少年が加勢に出たとき、少女の乗る機体は、量産型エヴァ
ンゲリオンによって陵辱されていた。
「こうしてサードインパクトは、ゼーレの予定通り始まった。それは碇ゲンドウの思惑で
もあった。でも私は、それを拒絶した」
 第弐使徒リリスとして覚醒し、ゲンドウの腕に移植されていたアダムと融合するはずだ
ったレイは、ゲンドウを拒絶。レイはシンジを選んだ。
「2人目の記憶は映画のようだった。けど、その淡い色は感情をもたされなかった3人目
を魅了した」
 こうして、すべては少年、碇シンジに託された。
 少年は、壊れていながらも、優しさを失ってはいなかった。
「碇くんは、人の歴史を紡ぎ続けることを望んだ」
 そしてサードインパクトは、人類を神にすることなく終わった。

「わたしを人として存在させてくれた」
 使徒と完全に融合したレイを、少年はすくい上げた。崩壊するだけのレイの魂を、唯一
残っていたダミープラグの中の4人目に入れてくれた。
「だけど、碇くんの望みだけが適えられなかった。すべてを知り、すべてを許したのに、
碇くんの願いは、拒まれた。弐号機パイロットの無駄なプライドのために」
 レイの眼が紅く光る。
 少年、碇シンジは皆の前から姿を消した。

「碇くんを救いたい。いえ、碇くんに救われたい」
 レイは、世界救世の女神と崇められたが、それは望んでいないことだ。レイの願いは、
碇シンジの側で普通の少女として過ごすことだけ。
 シンジ以外の誰もレイのことを普通の少女として扱ってくれない。
 高校には行っているが、レイの周囲はご学友と呼ばれるネルフ関係の子弟で固められ、
一般の生徒と話をすることも出来ない。部活動など論外である。買い物さえ、レイが行く
ときには、店を貸しきりにする。セキュリティの問題だと言われれば、文句も言えない。
 確かにチルドレンたちはテロの対象である。
 こんな人間に誰が親近感を抱いてくれるというのだ。
 蒼銀の髪、真紅の瞳。人に有らざる色を身にまとう。それだけでも壁が出来るというの
に。

「私を見てくれるのは、碇くんだけ」
 サードインパクトの時、シンジはレイを人として蘇らせた。
「綾波、君はもう一人の人として、いや、女の子として生きて。しあわせにね」
 ネルフを去るときにシンジが残した言葉、シンジを大きく傷つけたダミープラグだった
4人目のレイを拒むことなく、そっと抱きしめてくれた、その記憶だけが、レイを現世に
つなぎ止めている。
「私の幸せは、ここにはない」
 レイは、ショーツの上にブラウスだけという刺激的な姿で、ベッドに横たわる。かつて
のように殺風景ではないが、女子高生の部屋というには色彩に欠ける。
「でも、碇くんは私だけでは駄目。求めれば、きっと私を救おうとはしてくれる。でも碇
くんは救われない。碇くんの幸せには彼女が……」
 レイは、意思の籠もった眼で呟いた。
「碇くんを取り戻すには、弐号機パイロットの力が必要。でも、負けない」
 レイは、まずアスカのことを調べ始めた。

 シンジを捨ててドイツに帰ったアスカは、篭の鳥状態である。アスカの来訪を望む国へ
行くことはあっても、その周囲をドイツ支部の人間が固め、自由な行動は出来ない。
「こんなの、弐号機パイロットではないわ」
 レイはすぐに気がついた。アスカはドイツで物扱いされていると。ネルフドイツ支部に
近い高級マンションの最上階に住み、専用メイド、執事、運転手、ボディガードを与えら
れているが、自由を失っている。
「弐号機パイロットが、いつまでもこの状態で我慢できるわけないわ」
 2人目、3人目のレイはアスカと関わりを持っていた。その時の記憶がレイに教えてく
れる。
「バレンタインメモリアルを利用するのがよさそう」
 レイはアスカへメールをうった。

 無視されるか、よくても数日はほったらかしにされると思っていたメールが、すぐに帰
ってきた。それはシンジがメモリアルに参加するかどうかという質問だった。
 否定の言葉を短く返す。それへの返答は、鳴った電話。
「ファースト、アタシ」
「弐号機パイロット? どうしたの? 」
 受話器から聞こえる声にレイは、妙な親近感を覚える。
「どうしたのじゃないでしょ。メール送ってきたのはアンタよ」
「そうね。で、なにか用? 」
「ちょっと訊きたいことがあるの。この回線を秘匿してくれる? 」
 ドイツ支部はアスカを自由にさせていると見せながら、生活全てに監視している。
「いいわ。MAGIを通すから、ちょっと待って」
 ネルフ本部もレイを監視しているが、プライバシーへの侵害はしない。それにレイには、
赤木リツコからMAGIへの高位アクセスが与えられている。これぐらいのことは出来る。
「もう大丈夫。で、なに? 」
「シンジのことだけど、アンタ本当になにも知らないの? 」
「ええ。碇くんのことは、冬月司令の専管事項。葛城二佐も報されていない」
「そう」
 心なしかアスカの声が沈んだように聞こえる。
「弐号機パイロット、碇くんのことなどどうでもいいのではなかったの? 」
 レイは尋ねる。
「ファースト、アンタ、シンジのことが好きなんでしょ? 」
 アスカは卑怯にも答えることなく問い返してきた。
「碇くんのことを好きだったのは、2人目と3人目、私は4人目だから」
 レイは、本心を隠して告げる。
「相変わらず訳のわからないことを。なんなのよ、その2人目とか3人目とか」
 いつものはぐらかしてと思ったアスカの声がいらつく。
「弐号機パイロット、あなた知らないのね。碇くんから聞いてない? 」
「なにも聞いてないわよ、馬鹿シンジから」
 久しぶりに聞くシンジの呼称に懐かしいものを覚え、さらにレイは嬉しくなった。
 シンジが、レイの正体をアスカに話していなかったことに。
 レイは、ここでもシンジに護られていると感じて歓びに震えた。
「私が護るはずだったのに」
 レイのささやきは小さすぎてアスカには聞こえなかった。
「なんとか、言いなさいよ、聞いてる? 」
 電話の向こうでアスカが怒っているのさえ、レイには楽しい。
「聞いてくれる? 私のこと」
 レイは、自分がシンジの母ユイのクローンとして産み出され、サードインパクトのとき、
碇ゲンドウの思い通りリリスをコントロールするために育てられていたことを告げた。
「ファースト、アンタ………」
 アスカの反応は意外に静かだった。化け物、おまえのせいで、死んでしまえ、ありとあ
らゆる罵詈雑言を浴びせられるかと覚悟していたのに、   
「馬鹿シンジのやつ、アタシに隠し事なんて百年早い」
 アスカの怒りが隠していたシンジに向かう。
「碇くんと話をしなかったのは、あなた。碇くんは悪くない」
 アスカはサードインパクトの後、見舞いに来たシンジを拒絶して以来、一度も会わずに
ドイツに帰った。
「うっ、うっさいわねえ」
 アスカの声から迫力が消える。
「で、なぜ今になって碇くんのことを気にするの? あなたには名声も富も手に入ったは
ず、全てを失った碇くんに何のようなの? 」
 レイはもう一度、アスカの心を試す。
「けりをつけたいのよ。エヴァに載っていたアタシにね」
「先へ進めないのね」
「…………」
 的を射たレイの言葉に、アスカが絶句する。
「あなたが壊れている間に有ったことを全て教えてあげる。逃げてきた記憶と向き合って」
 レイは、最後の賭に出た。これでもアスカがシンジを拒むなら、もうどうしようもない。
レイもシンジをあきらめて、人形のように生きていこうと決意した。
 精神攻撃、二人目のレイの自爆、シンジとの軋轢、ミサトへの不信感、洞木ヒカリの疎
開、用意されていたシナリオ。これによって心を壊されたアスカが、戦略自衛隊の攻撃で
目覚めるまでに有ったことを、レイは淡々と話した。
 17使徒渚カヲルの登場、シンジとの交流、弐号機を使ったカヲルの侵攻、そして殲滅。
「そう、そんなことがあったの」
 電話の向こうでアスカが愕然としているのがわかる。
「アイツ、良くそれで持ったわね」
 アスカの口から出たのは、シンジへの賛美に近い感嘆。
「弐号機パイロット、わたしはあなたの心の傷も知っているわ」
 レイはさらに話を辛いい方向へ持っていく。ここでアスカとシンジの亀裂を全部さらけ
出して補修しておかないと、上辺だけの和解はいつか潰れる。それは、間違いなくレイを
も巻きこむ。
「別に良いわよ。ミサトも知っているし、リツコも知っているでしょ。15使徒にも知ら
れたことだしね。今更一人や二人知っている人間が増えてもどってことないわ」
 アスカは気にしていないと強がる。
「無理しなくて良い。でも、碇くんも同じ」
 シンジの生い立ちの話を、レイは始めた。
「アイツも一緒だったのね」
 アスカが納得していた。どこかでシンジと自分が同じだと感じていたのか。

「で、整理はついたの? 」
 レイは、最後の質問に出た。
「アンタはどう思う? 」
 アスカがなにを問うているのか、レイにはわかった。
「きもちわるいも答えが出ていないのね」
「…………」
 図星だった。
「その言葉、碇くんに向けたものなの? 」
 レイはアスカに問いかけを投げ返した。3人目のレイはその場面を見ている。その記憶
からたぐっても、あの場面で『きもちわるい』という言葉はシンジへ向いたとは思えない。
 これが「コロシテヤル」「死んでしまえ」「このバカ」「卑怯者」「臆病者」「嫌い」
なら納得いく。十五使徒以降のアスカとシンジの関係は、それほど酷かった。
「あはははは、そうね。そうだわ。これってアタシのことだわ」
 アスカが笑う。
「あああ、アタシ、こんなしょうもないことで悩んでいたのね。本当にバカだわ」
「そう、あなたはバカアスカ」
 レイは、あまりに晴れ晴れとしたアスカに嫌みを言いたくなった。
「馬鹿で良いのよ。こんなことに気づくまで2年もかかるなんて。大馬鹿よ。でも、シン
ジも馬鹿なんだからちょうどいいか。馬鹿同士お似合いなのよ」
 アスカが楽しそうに笑っている。レイはむっとした。
「碇くんは、馬鹿じゃない」
「馬鹿よ、ちょっと嫌われたからって、いじけちゃってさ。好きなんだったら、命賭けて
もひきとめなさいよ。まったく、おかげで思い切り遠距離恋愛になったじゃな……」
 アスカの妄想が大きくなっていく。レイは、このままでは、話が終わらないと口を挟ん
だ。
「で、馬鹿アスカ、メモリアルに参加するの? 」
「行くわ。で、ファースト、頼みがあるんだけど」
 即答したアスカがレイに依頼してきた。。
「碇くんの住所を調べるのね」
 レイはアスカの言いたいことが分かっていた。
「アリガト。で、もう一つお願いが……」
「それは却下」
 きっぱりとレイは拒否する。
「なにも言ってないじゃない」
 アスカが膨れている。
「言わなくてもわかる。チョコレートを買っておけというつもりね」
「分かっているなら良いじゃない。こっちはドイツ支部から逃げだすのが精一杯で買いに
行っている暇がないのよ。だから、ね」
 海の彼方でアスカが甘えている。
「これ以上敵に塩を贈る気はないわ」
 アスカの必死の頼みもレイはあっさりと断った。いざシンジを取り返したら、二人は一
人の男を争うライバル同士なのだ。
「けち」
「切るわ」
 アスカの悪口を無視する。
「待ちなさいよ。ファースト」
「なに、忙しいの。そろそろ登校の時間」
 レイは、枕元の時計に目をやる。
「アリガト」
 アスカから初めて聞いた感謝の言葉。
「サヨナラ」
 レイは、ちょっと優しい声になった。

「いつ訊いてきてくれるかと、待っていたんだよ」
 シンジの居所を尋ねたレイに冬月コウゾウが、笑顔で答えた。
「もう、シンジ君を隠す理由も無くなった」
 世間の目は、すでにネルフの功績ではなく二人の美しき女神へと移っている。ゼーレの
支配下にあった国連も変わった。なにより日本政府が親ネルフになったのが大きい。
 まだ海外へ出れるほどではないが、国内ではシンジが碇ゲンドウの息子であるとばれて
も、命が危なくなる可能性は低い。
「その為のネルフだからな」
 冬月コウゾウ、加持リョウジらの2年間は、その為だけに費やされていた。
「シンジ君は、目立つのが嫌いだからな。表だってはなにも変わっていないように装って
いたのさ」
 天然記念物、ウワバミを妻に持つ無精髭の微笑みを、レイは初めて魅力的だと思った。

 バレンタインメモリアルデー前日、フランス、アメリカを利用してドイツから日本へ帰
国を果たしたアスカは、ホテルで夜這いに及んだドイツ支部司令のアホ息子を再起不能な
までにたたきのめし、その足でレイと合流。冬月から聞いたシンジのアパートに向かった。
「小汚いわね」
「ええ」
 アスカの言葉にレイも頷く。かつてレイが住んでいた壊れかけのマンションよりも古い。
ここでシンジは、チルドレン一の功績をもっていながら、誰にも認められることなく、褒
められることもなく、一人で生活している。
「今の碇くんの心のように、寒い」
 レイは、思わず自分の両肩を抱く。
「ふん、それも今日までよ。今日からは、アタシが暖めてあげるから」
 アスカが2年間で無駄に育った胸を反らす。
「だめ、碇くんは、大きな胸は嫌いなはず」
「どうしてそんなことが言えるのよ」
「葛城三佐と一緒に住んでいたのよ。胸の大きな女には懲りているはず」
「アタシは、あそこまで無駄に大きくないわ」
「私の胸は碇くんの掌にちょうど良いの」
「試したこと無いくせに」
「あるわ」
「なんですってえ」
 世界に冠たる二人の女神の争いは、今始まったばかりだった。


後書き
 お読み頂き感謝しております。
 冷却期間、忘却期間のレイバージョンです。
 

タヌキさんから「○○期間」シリーズのレイサイド編をいただきました。

レイがいかにもレイらしい感じがしますねぇ。記者との受け答えとかシンジへの想いとかが‥‥。

ラストシーンもいいですね。これからレイとアスカの二人に振り回される(もみくちゃにされる?)シンジが想像されて楽しいラストであります。

素敵なお話でありました。みなさまもぜひ読み終えた後はタヌキさんに感想メールをお願いします。

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