再会の価値 (アスカ誕生お祝いFF)



タヌキ


 今日も一日が過ぎた。
 碇シンジは、右手にコンビニの袋と左手に学生鞄を持って一人暮らしのアパートに帰っ
てきた。
「ただいま」
 返事する者がいないにも関わらず、シンジは習慣のように口にする。
 そして苦笑するのだ。
「一年ほどだったのに。癖になっちゃったな」
 
 サードインパクトは防げなかった。
 紅き瞳の少女を犠牲にし、蒼き瞳の少女を生け贄に、黒き瞳の少年が引き起こした地球
規模の災悪は、意図した者の思惑を大きくずれて終息した。
 全てを原始に返した赤い世界を経て、地球は再生した。
 それは、急激な進化であった。
 まず、植物が赤い海から還ってきた。翌日には魚が泳いでいた。三日目には両生類が、
姿を見せ、四日目に鳥が飛んだ。五日目に小さなほ乳類が現れ、六日目に大型ほ乳類が登
場し、七日目に人類が復活した。
 溶け合ったはずの人は、再びATフィールドを身にまとい、地上に戻ってきた。
 シンジの周囲にいた人々もそのほとんどが蘇っていた。サードインパクトより以前に死
んだはずの人さえも、存在した。
 還ってこなかった人も少なからずいた。
 人類補完計画を利用して神への階梯をあがろうとした11名の老人たち、老人たちに踊
らされて世界の派遣を手に入れられると信じた大国の元首たち、そして息子を道具として
まで死した妻との再会を望んだ孤独な男。
 新世界に彼らの姿は無かった。

 再開された世界は、少年碇シンジにやさしくはなかった。
 神にも等しい力を見せつけられた人類は、彼から力を奪った。ネルフからの解雇である。
エヴァンゲリオンさえなければ、ただのひ弱な少年でしかない碇シンジは、国連からの生
涯生活保障と引き替えに、第三新東京市を追放された。
 同じことは、もう一人のチルドレン、惣流・アスカ・ラングレーにも課せられた。
 彼女は、故郷であるドイツへ送還された。
 ネルフはそのまま存続したが、司令は国連の文官の出向となり、作戦部と諜報部は解体、
監察部は再編されて国連直轄とされた。
 そして最強の兵器、エヴァンゲリオン初号機と弐号機は、コアを抜き取られたあと、ジ
オフロント最下層に沈められた。
 碇シンジの母、碇ユイの魂の入った初号機のコア、惣流・アスカ・ラングレーの母、惣
流・キョウコ・ツエッペリンの魂が込められた弐号機のコアは、無情にも破壊された。
 パイロットの隔離、兵器の封印、コントロールシステムの破壊。
 人類はようやく安堵のため息をついた。

 シンジは、与えられたアパートの扉に鍵を突っこんで、首をかしげた。
「開いている。かけ忘れたかな」
 無気力を絵に描いたようなシンジは、夜間でも鍵をかけないで寝てしまうことが多々あ
った。自分の安全にさえ興味を失っているのだ。
「泥棒が入っているなら、入っているでいいや」
 警戒することなく、シンジは扉を開けて中に入った。

 碇シンジ、惣流・アスカ・ラングレーの名前は、秘匿されている。チルドレンの平穏な
生活を願ってのことではない。チルドレンの存在が明らかになることで、テロリストたち
に狙われることを危惧したのだ。
 もちろん、チルドレンの生命をではない。誘拐されて、戦いの道具にされることを怖れ
たのだ。
 すでに、世界にエヴァンゲリオンは現存していないが、作成の技術は残されている。ア
ダムと融合したリリスによって、オリジナルのアダムとリリスは消え去ったが、ダミープ
ラグの材料として作られたダブリスこと渚カヲルのコピーは、日本を除く有力国家に保存
されていた。そこからアダムの情報を抜きだし、生体を培養すれば量産型エヴァンゲリオ
ンなら作り出すことは可能である。
 S2機関の完成でエネルギーの心配が無くなった超大国にとって、エヴァンゲリオンを
産み出すことはさほどの難事ではない。
 一方、エヴァンゲリオン建造の技術を持たない国やテロリストにとって、エヴァの搭乗
経験のあるチルドレンは、貴重な資料である。
 それでいて碇シンジは放置されている。ドイツ支部に帰還したアスカが、支部からの外
出さえ禁じられているのに比べて大きな違いであった。
「なまじ、ガードなんかつけるから目立つのさ。フリーにしておけば、シンジ君ほど目立
たない人間もそういない」
 三重スパイをしていた男の言葉である。

「邪魔しているよ」
 玄関からリビングキッチンへ進んだシンジを迎えたのは、三重スパイだった。
「加持さん……」
 シンジは、驚いた。
 加持はアスカの随伴でドイツ支部へ転属になったはずだった。
 シンジの驚愕は、直ぐに消え、いつもの無気力な表情に戻る。
「どうかしたんですか? 」
 シンジは、コンビニの袋から弁当を取りだすと、加持を気にすることなく食べ始める。
「いや、なに近くまで来たもんでな」
 加持は、じっとシンジを観察している。
「そうですか」
 シンジは、気のない返事をする。
「いつ日本へ」
「ついさっきさ」
 加持は、シンジから目を離さない。
「ミサトさんには、会われたんですか」
「いやまだだ」
 加持が首を振る。
 チルドレンの情報をもっともよく知る葛城ミサトは、E計画担当者の赤木リツコ博士と
並んで誘拐対象のトップクラスである。ネルフ本部内から出ることはできない状態であっ
た。
「俺でも会うのに、三日ほど待たなきゃならん」
 加持は苦笑する。
「そうですか」
 シンジは、冷えきった唐揚げを飲みこむようにして咀嚼している。
「自炊はしないのかい? 」
 加持が問う。
 かつて、この少年は、家事能力に恵まれなかったミサトとアスカの代わりに、コンフォ
ートマンションでの生活を維持していた。
「好きじゃないんですよ、家事って」
 シンジは、小さな声で言った。
「あのころは、全部やっていたじゃないか」
「僕がやらなければ、誰もしてくれませんでしたからね」
 シンジが、小さく笑う。
 食べ終わるまで、二人の間に会話はなかった。
「シンジ君、アスカのことは訊かないのかい? 」
 食後のお茶を飲んでいるシンジに加持が問いかけた。
「元気なんですか? 惣流さんも」
 シンジは、いかにも義理といった口調で訊く。
「ふむ、俺は、思い違いをしていたようだ」
 それには答えず、加持は冷たい口調になった。
「思い違いですか」
 シンジはペットボトルのキャップを締める。
「君は、アスカのことが好きだと認識していたんだがな」
「僕が惣流さんのことをですか。ええ。好きでしたよ」
 シンジは過去形で話した。
「でも、手ひどく振られましたからね。振られた僕が、あまり惣流さんのことを気にする
のもおかしいでしょう。ストーカーじゃないですか、それじゃ」
 シンジが、苦笑する。
「そうか。アスカは、シンジ君にとって過去のことなんだな」
 加持が確認した。
「ええ。思い出ですよ、もう」
 シンジが、立ちあがって空になった弁当箱をゴミ箱に捨てに行く。
「良い思い出かい? 」
 シンジの背中に、加持が声を掛けた。
「はい。あれだけの美少女と一緒に住めたんですから」
 シンジは背中を向けたまま、応える。
「そうかい。良い思い出か」
 加持は、シンジの行動をじっと見つめた。
「コーヒーでいいですか? 」
 シンジはお湯を沸かしている。
 加持はたばこをくわえた。
「灰皿はあるかい? 」
「僕、未成年ですよ」
 シンジがインスタントコーヒーを二つ持ってきた。
「すまんね」
 加持は、早速口をつけた。
「うまいな」
「そうですか。インスタントですよ」
 シンジが、首をかしげる。
「ドイツ支部のコーヒーは、泥水よりひどいさ。あれなら葛城に淹れさせた方がましだよ」
「あはははは。そこまで酷いんですか? 」
 わざとらしい笑い声をシンジがあげる。
「なあ、シンジ君。もう一度訊く。アスカは、もう君にとって過ぎたことなんだな」
 加持が真剣な顔つきになる。
「言ったじゃないですか。僕は振られたって。それもかなりきつい言葉で」
 シンジが加持の顔を見た。
「加持さん、僕になにをさせたいんですか? 申し訳ないですが、僕はもうネルフに関わ
りたくありません。明日人類が滅ぶとしても、僕には関係有りません」
 シンジは、きっぱりと拒否した。
「……すまなかったな。まだ、君に期待をかけてしまった」
 加持は、たばこをポケットに戻した。
「これも無駄になったな」
 加持が、たばこの変わりにポケットから一枚の写真を出した。シンジの前に投げる。
「これは……えっ、まさか……アスカ」
 シンジは初めてアスカをファーストネームで呼んだ。
「この写真はなんですか? まるで幽霊じゃないですか。がりがりにやせて、ベッドで寝
て……なにをしたんです? 」
 シンジが加持に詰め寄った。
「アスカのことは関係なかったんじゃないかい。なんて皮肉は言わないよ。これが今のア
スカだ。この写真を撮ったのは、一週間前だから、今はもっと酷いだろうな」
 加持が告げる。
「どうしたんですか、アスカは」
「原因は、君だよ。シンジ君」
 加持がきびしい目を向ける。
「なんで、僕なんですか」
 シンジが、大きな声をだす。
「君と引き離された一年前、あれからずっとアスカは、生きようと努力するのを止めた」
「生きる努力ですか? 」
「ああ。食べ、飲み、眠り、排泄する。笑い、怒り、泣いて、喜ぶ。その全部をアスカは、
捨てた。無理やり栄養補給はしているがね。生きる意思を失ったらほとんど吸収されない
んだよ。その結果がこれだ。飢え死にだよ、アスカは。心の飢えで死ぬ」
「心の飢えって。どうして。アスカは、ネルフドイツで歓迎され、新しい世界で活躍して
いるとばっかり……」
 シンジが、呆然とする。
「なぜ、なぜなんですか? 」
 シンジは、強く問うた。
「アスカは、君のことが気になるんだよ。好意か憎悪か……とにかくアスカは感情をぶつ
ける相手を失って、死にかけている」
 加持が、応える。
「なにを馬鹿なことを。僕を振ったのは、捨てたのはアスカなんですよ」
「アスカのせりふを教えてくれるかい? シンジ君を振ったときの」
 加持が訊いた。
「アンタとだけは死んでも嫌……でした」
「そりゃあ、きついな」
 加持の表情が少し和らいだ。
「その前にアスカは何か言わなかったか? 」
 加持が重ねて問う。
「アンタの全部がアタシのものにならなければ、なんにもいらない。抱きしめてもくれな
いくせに……って」
 シンジは辛そうな顔で言う。
「やっぱりそうか。シンジ君。14歳ぐらいじゃ無理ないかもしれないけど、もう少し、
女心を勉強しなければいけないな。まあ、アスカも素直じゃないが」
 加持が、ほほえんだ。
「どういう意味ですか? 」 
 シンジは尋ねた。
「自分で訊けよ」
「無理ですよ。僕はアスカに会えませんから」
 シンジは首を振った。
「いい加減、自分にはなにもできないと思いこむのは止め止めた方がいい。アスカに一生
会えなくなってしまうぞ」
 加持が再び真剣な声を出す。
「…………」
 シンジはうつむいた。
「このままだとアスカの命はあと三日なんだ。12月4日、アスカ十六歳の誕生日にアス
カは死ぬ」
「なぜです? アスカにはドイツ支部の医療チームが付いているでしょう。少なくとも死
ぬ日がわかっていることなんてあるはずありません」
 シンジが、驚いて顔をあげる。
「ドイツ支部に殺されるのさ」
「馬鹿な……」
 加持の言葉をシンジは一蹴した。
 エヴァンゲリオン搭乗の経験あるチルドレンは、貴重である。世界の覇権をかけて量産
型エヴァが争ったとき、ダミープラグでは、とてもアスカやシンジの相手にならない。ド
イツが、重要なファクターであるアスカを殺すことなど考えられなかった。
「量産型エヴァンゲリオンが、イギリス、ドイツ、アメリカ、中国で完成したことは知っ
ているかい? 」
「いいえ。もうできたんですか? 」
 シンジは首を振る。
「ああ。で、どの国のエヴァンゲリオンが一番強いかわかるか? 」
「どれも同じでしょう」
「その通りだ。同じ設計図、同じ材料、そして同じダミー。戦っても決着はつかないだろ
うな」
 加持は、じっとアスカの写真を見た。
「そこへ、アスカの状態だ。このままなら遠からずアスカは使い物にならなくなる。なら、
生きている間にドイツのために役立ってもらおうと考えたやつが出た」
「まさか……アスカを」
 シンジが、絶句した。
「ああ。アスカをコアにしようと考えている。ドイツ支部は」
「ばかな……。まだ懲りていないのか。魂を飲み込んだエヴァは、人の扱えるものではな
いのに」
 シンジが苦いものをはき出すように言った。
「アスカを取り込めば、エヴァ量産機は変質する。量産機の姿をしたアスカになるからな。
間違いなく強くなる」
 加持は、シンジの様子を気にすることなく続ける。
「なんてことを……」
「それが国際政治というやつだ。一人の少女の命で国が栄えるなら安い。アスカも無駄に
死ぬより、お国の役に立てば満足だろう。ドイツが世界を把握したら、ベルリンにアスカ
の銅像ぐらい建ててくれるさ」
「ふざけるな。アスカは、もう、道具じゃない」
 シンジが怒鳴りあげる。
「問題は、アスカをコアにしたエヴァンゲリオンが、ダミープラグで稼働するかどうか。
稼働してもコントロールできるかわからない」
 加持は、シンジを無視してしゃべり続ける。
「人を飲み込んだエヴァンゲリオンのコントロールには人を使うしかない。初号機、弐号
機の例を見てもわかるようにな」
「聞いているんですか」
 シンジが大声を出すが、加持は無視する。
「そのためにはコアにいる人物とA-10神経を通じてシンクロできる人間が必要になる」
「加持さん」
 シンジががなる。
「おまえがパイロットをやれと言われたがね。俺では無理だって断ったんだよ。アスカも
俺を求めてないし、俺もアスカを愛してないからな」
「なんてことを。アスカは加持さんのことを……」
「あこがれで愛してるって言われても、困るんだよ」
 加持が手厳しく言った。
「…………」
 シンジは、反論することができなかった。
「でな、ドイツ支部長からアスカのそういう人物の心当たりはないかと聞かれてね。俺は、
シンジ君、君の名前を挙げた」
 加持がシンジの顔をじっと見た。
「僕なんか、無理に決まっているじゃないですか」
 シンジの怒りが消えて、頭をたれる。
「君を連れてきて、アスカの反応を見る。ドイツ支部長は、すぐにでも行われるはずだっ
たアスカのコア取り込みを、のばしてくれたよ。3日間だけだが」
「3日間ですか」
「ああ。実質アスカの命も限界だしな」
 加持が、さらりと口にする。
「さて、シンジ君。どうするかい。このままアスカを見殺しにしても、誰も君を責めはし
ない。君は、君の思うとおりにすればいい」
 加持が、シンジに言った。
「……加持さん、僕になにをさせたいんですか? 」
 シンジは、じっと加持を見つめた。
「後悔だけはしないようにな」
 加持は、ポケットから航空券を取り出して、机の上に置いた。
「明日の夕方の飛行機で、俺はドイツに戻る。アスカの臨終には立ち会ってやらないとな。
それぐらいは、兄貴分として当然だろ」
 加持が立ちあがった。
「僕、パスポート持ってませんよ」
 シンジがつぶやく。
「君の意志だけで良いんだ。あとは、大人の仕事さ。じゃあな。コーヒーごちそうさま」
 歩きだした加持を、シンジは見送りにたった。 
「一つ訊きたいんだが……」
 靴を履いた加持が、玄関で振り返った。
「シンジ君、君はちゃんとアスカに想いを伝えたのかい? 母親じゃ無いんだ。縋るだけ
じゃ、伝わらないぜ」
 加持の言葉を残して、ドアが閉まった。

「アスカが、僕のこと……」
 シンジは、唖然とした。加持が去ったあとも、シンジは玄関先で突っ立ったまま、1時
間も動かなかった。
 サードインパクトのあと、シンジはアスカの首を絞めた。
 なぜあんなことをしたかのか、シンジにもわかっていない。
 ただ、あの赤い世界がたまらなく寂しかった。
「これがアスカのはずはない……」
 加持がおいていった写真をもう一度シンジは見た。
 あのきらきらとまぶしいぐらいに輝いていた髪は、ぼさぼさで色も艶も失い、ひととき
らりとも止まることなく、興味深げに生き生きと動いていた瞳は、あの病室の時よりも生
気を失い、頬は骨が見えるほどこけ、リンゴのように紅くみずみずしかった唇は、赤黒く
ひび割れ、白くなめらかだった肌は、くすんで死人のようであった。
「どうしたって言うんだよ」
 シンジは、写真に問いかける。
「アスカの嫌いな僕はいないんだよ。君のプライドを傷つけた、君のことをいやらしい目
で見ていた、君を抱きしめる勇気さえない、君を助けに行くことさえできなかった臆病者
の僕は、君の目の前から消えたのに……」
 シンジは、涙を流した。

 翌日、シンジはいつものように登校した。
 第二新東京都立武蔵野第二高校1年生3組が、シンジの居場所の一つである。生きてい
ると言うだけのシンジに話しかけてくる生徒はいない。
 担任も出席だけを確認すると、あとは無視に近い。
 シンジは昨晩一睡もできなかった。アスカのことが気になって仕方がなかった。
 あきらめたような顔をしてながら、シンジはアスカをずっと好きだった。
 クラスの女の子や同級生に興味を向けようと努力したが、少しでも異性を感じると、脳
裏にアスカの姿が浮かんでしまうのだ。
 シンジにとって異性はアスカ一人だけ。そう気づいたシンジは、生涯を独身で過ごす決
意をして、女子たちを見ることはもしなくなった。
 男としての欲望がたまれば、アスカを思い出して処理する。AVやグラビアなどを見て
もなにも感じないのに、ふとアスカの無防備だった姿や、髪の毛の匂いなどを思い出した
ときは、痛いほどに興奮してしまう。
 そして、処理のあと、病室で自分がやった、思い出を裏切った行為がフラッシュバック
して、シンジは果てしない自己嫌悪に陥る。
 それでいて、これがもっともアスカのことを濃厚に思い出させてくれる。アスカの声も、
息づかいもそして匂いさえも、鮮烈に蘇ってくるのだ。
「加持さんは、僕をどう使うつもりなんだろうか」
 シンジもあのころの何も知らない少年ではない。その裏にあるものを見抜こうとしてい
た。
「ひょっとしたら、僕をコアに取り込ませて、アスカをパイロットにするつもりかもしれ
ない」
 シンジは、すぐにその考えを否定した。
「だめだな。アスカは僕を嫌っている。いや憎んでいる。負の感情でA-10神経はつなが
らない」
 シンジは、授業を聞かずに考え続ける。
「アスカをドイツから日本へ連れてくる気なんだろうか? 」
 シンジは首を振る。
「でも、エヴァンゲリオン弐号機のコアはもう無い。アスカを連れてきても乗機が無けれ
ば、意味がない。外交の切り札にもなりえない。ドイツと正面切って喧嘩するだけの力は、
ネルフ本部にもうない」
 アスカもシンジも貴重なエヴァンゲリオン搭乗者ではあるが、乗れる機体がなければ、
過去の栄光でしかなかった。
「何でも良いじゃないか。どうせこのまま生きていても、死んだも同然の人生を送るだけ。
だったら、このチャンスを使わない理由はない。想いを否定されてもいいさ。いや、アス
カにだったら殺されてもいい。もう一度彼女に会えるなら」
 シンジは、決意した。
 いつの間にか、昼休みも終わりに近づいている。
 シンジは、立ちあがった。

 飛行機の中で加持が待っていた。
「来てくれると信じていたよ」
「加持さん、なにを企んでいるんですか? 」
 シンジが訊く。
「シンジ君とアスカの幸せさ」
 加持はいけしゃあしゃあと言って笑う。
 シンジは、あきれてそれ以上追求するのを止めた。

 飛行機は八時間ほどでブランデンブルグ空港に着いた。加持は、迷うことなく玄関に横
付けされた車に乗り込み、シンジを誘った。
「直行するよ。ドイツ観光は、後で良いだろ? 」
「…………」
 シンジは、黙って加持の隣に座った。
 空港から一時間ほどで車は、ネルフドイツに滑り込んだ。
「君が、碇シンジか。アスカ・惣流の恋人だそうだな」
 ネルフドイツ司令は、シンジを上から下まで舐めるように見る。
「アスカ・惣流の好みがわからなくなりそうだが……」
「司令。シンジ君はエヴァンゲリオン初号機専属パイロットとして、使徒撃破スコアトッ
プの成績保持者ですよ」
 加持が、シンジのことをほめる。
「信じられんが……まあいい。リョウジが保証するのだから、それだけの値打ちはあるん
だろう。シンジ・碇。聞いていると思うが、アスカ・惣流の余命はもう無い。そこで、我
々ネルフドイツは、アスカ・惣流をエヴァンゲリオンのコアとすることに決定した。これ
は、魂の永久保存であり、使徒戦役の英雄アスカ・惣流の存在を永遠の物とするための行
為で、名誉なことである。アスカ・惣流は一刻の猶予もない状態だが、君たちの関係を鑑
みて、少しの猶予を与えよう。互いの愛情を確認し、今生の別れを告げてきたまえ。ああ、
君には、アスカ・惣流がコアとなったあかつきには、エントリープラグの中で特別にアス
カ・惣流と再会することを許すが、生きているうちに会わせるのは、ネルフドイツの格別
の計らいだということを忘れぬように」
 ネルフドイツ司令が、恩着せがましく言った。
「ご厚意に感謝します。アスカに会う前に彼女の終の棲家となるエヴァンゲリオンを見て
おきたいのですが。どのようなものか見ておけば、彼女に安心するようにと言ってあげら
れると思うのですが」
 シンジは、丁重に頼んだ。
「そうだな。見ていくが良い。リョウジ案内してやれ」
「わかりましたよ」
 加持が、シンジを促した。

 ネルフドイツの地下、11階建てのビルがすっぽり入るほどの空間にエヴァンゲリオン
量産型ドイツ仕様があった。いや、居た。
「あのときの白ウナギとはちょっと違うんですね」
 シンジは、エヴァンゲリオン量産型ドイツ仕様を見上げる。
「ああ。今度はゼーレの共通仕様に合わせることはないからな。アスカの弐号機で得たデ
ーターをフィードバックしてある。Gエヴァと呼んでいるが、他の量産型よりも正面装甲
を厚くし、近接戦闘、格闘戦に特化したタイプだ」
 加持が説明する。
 シンジは、じっとGエヴァを見つめる。アスカの実験が控えているためか、装甲の一
部がはずされ、胸部、みぞおちに当たる部分にあるコアがむき出しになっている。
「どうしたんだい? 」
 加持が、シンジの様子を気にする。
「…………」
 5分近くGエヴァを観察して、シンジは背中を向けた。
「アスカのところへ、連れて行ってください」
 シンジの顔には、決意が溢れていた。
「ああ」
 加持が、うなずいた。

 アスカは厳重な監視の元、ネルフ本部内に特設された医療室にいた。二カ所のロックさ
れたドアで世間と隔離され、部屋の前には屈強の保安部員が二名待機していた。
「ここだよ」
 加持が足を止めた。
 グレーの愛想のないドアーの中央に
「SORYU・ASUKA EVANGELION PILOT」
 ネームプレートが貼られている。
「さて、シンジ君。アスカに会う前に言っておくが、連れて逃げようなんて思わないこと
だ。ネルフドイツは、アスカを奪われるぐらいなら殺すことも厭わない。第一、アスカは
自力で歩ける状態じゃない。抱きかかえて銃弾の中をくぐり抜ける自信があるなら、やっ
てみてもいいが」
 加持が、保安部員の手に目をやる。シンジもつられて見た。
 保安部員が持っているのは、サブマシンガンである。一分間に1000発近い弾を撃ち
だすシャワーのような射撃は、敵の無力化ではなく殺害を意図したもので、保安部員がこ
れを持っているということは、アスカが人質になりえないことを表している。
「わかってます。アスカも僕と逃げようとは思いませんよ」
 首肯したシンジは、加持の開けたドアから中に入った。
「俺は遠慮しよう。二人きりがいいだろう。念のために言うが、この部屋はカメラで監視
されている。音声ももちろんな」
 そう告げて加持がドアに鍵をかけた。

 かつての303号室がそこに有った。
 装飾や家具など、人が生きていく上で必要なものが一切抜けおちた白い部屋。その中央
におかれたベッドの上でアスカは、コードに繋がれていた。
「アスカ……」
 シンジは、どう声をかけていいかわからない。ただ名前を口にするのが精一杯だった。
 じっと天井を見あげていたアスカが、シンジの声に反応した。
「……シンジ……」
 アスカがシンジに顔を向ける。無気力だった瞳に強い感情が浮かんだ。
「何しに来たのよ」
 アスカの声にすごみが加わるが、張りは弱い。
「ひょっとして、もう一度、この役立たずのアタシをおかずにしてくださるためにお出で
いただいたのかしら。無敵のシンジさまは、精神を壊しぼろぼろになった、人形のような
女でないと昂奮なさらないようですし」
 アスカが毒のある言葉でシンジを嘲笑した。
「よろしければ、お見せいたしますわ。乳房と呼べるほどの物ではございませんが、揉ま
れてもお吸いになられても結構ですわよ。お望みと有れば、下も脱ぎます。それとも、無
敵のシンジさまが、御脱がせくださいますのかしら」
「…………」
 シンジは辛そうな顔でアスカを見つめる。
「なんか言ったらどうなのよ。えっ、この変態。やりたいんなら、やらせてあげるわ」
 アスカが震える手で、パジャマの前を開いてがりがりに痩せた胸をさらした。
「悪いけど、胸のない女に興味はないんだ」
 表情を消して。シンジが冷たい声で言った。
「くっ……じゃ、何しに来たのよ。アタシを笑いに来たの? 」
 アスカが、シンジを鋭い目つきで見た。
「違うよ。かつての戦友の末期を看取りにきたんだ」
 シンジは、淡々としゃべる。
「なんですって? 」
「アスカは、今日死ぬんだろ。だから、最後に会っておこうかと思っただけだよ」
 シンジは、さらっと話した。
「アタシが今日死ぬ? もう長くないことぐらい、わかっているけど、どうして今日なの
よ」
「聞いてないのかい? アスカの肉体はもう役に立たないから、せめて魂だけでも使って
やろうってね。エヴァンゲリオンのコアになることに決まったんだよ」
 シンジが、嫌な言い方で教えた。
「アタシをママと同じ目に遭わせるというの? 」
「そうだよ。君は、新しいエヴァンゲリオンのコアになる。そして、僕がそのエヴァに載
るんだ」
 シンジが告げる。
「なんですって、アンタがアタシをコアにしたエヴァのパイロットになるですって。ふざ
けんじゃないわよ。誰がそんなことさせるものですか」
 アスカが激した。
「そんなことを言っても、コアに取りこまれてしまえば自我は無くなる。意思を失ったア
スカは、僕の思い通りに動くんだ」
 シンジは、たたみこんだ。
「お、おまえなんかの思い通りになんか死んでもなってやるものか。死んでやる。今死ん
でやる。そうすればコアに取りこまれることはないわ」
 アスカが、叫ぶ。
「そう。じゃ、死ねば。僕はこのあとも楽しく生きていくから。では、さようなら、惣流
さん。君のことは忘れないよ。残念だよ。君のことを高く評価していたんだけどね」
 シンジは背中をむける。
「高い評価、ふん、アタシのことをあの頃から、役立たずって笑っていたくせに」
 アスカが、わめき声を上げた。
「今まで、君のことを一度たりとても笑ったことはないよ。でも、それが、間違いだった
って今知ったけどね」
「どういう意味よ」
 アスカが、低い声で問う。
「僕が憎いんだろ? 殺したいんだろ? なら、どうして最後の最後までチャンスを待た
ない? 生きていれば機会はくるかもしれない。僕の知っている惣流・アスカ・ラングレ
ーは、最後まであきらめたりしなかった。君は、偽物だよ」
 シンジは、そのまま部屋を出ていこうとする。
「待ちなさいよ。アンタを生かしておくとろくでもないと言うことが、今更ながら確認で
きたわ。アタシ一人では死なない。アンタも道連れにしてやる」
 アスカが、怒りを抑えた声で言った。
「いいだろ。一年のつきあいに免じて、君が死ぬまで一緒にいて上げるよ」
 シンジは、アスカのベッドの隣の椅子に腰を下ろす。
「いつでも殺してくれていいよ。できるものならね」
 シンジが挑発する。
「チャンスを待つって、言ったでしょうが」
 殺せるぐらい強い視線を、アスカはシンジに送った。
 一時間ほど二人は無言で、睨みあった。

 ドアが開いて加持が入ってきた。
「見つめ合って、恋人同士のようじゃないか」
「…………」
「…………」
 加持のからかいにも二人は反応しない。
「やれやれ。余裕の無いのはよくないぜ」
 加持が手にしていたプラグスーツをアスカのベッドの上に置いた。
「着替えてくれ。事情はシンジ君から聞いたろ。拒否したら、麻酔を使わなきゃならん」
 加持が手にした注射器を見せる。
「わかったわ」
 アスカがうなずいた。
「一人じゃ無理だろ。看護婦を呼ぶから待ってくれ」
 加持が、インターホンに近づく。
「要らない。シンジにさせるから」
 アスカは、看護婦の手を拒否した。
「脱がせて」
 アスカが両手を上にした。
「わかったよ。加持さん、出ていって貰えますか」
 シンジがアスカに手を伸ばす。
「ああ。着替え終わったら呼んでくれ」
 ドアが再び閉まった。
「さっさとやって」
「ああ」
 プラグスーツは素裸に着る。シンジは、アスカの最後の一枚に手をかけた。
「腰を上げれる? 」
「無理よ。もう、何日も動いてないし」
「そう。じゃ」
 シンジは、アスカのショーツを脱がせる。
 そっと眼を逸らしたが、一瞬白い肌に鮮やかな金を見て、シンジの頬が染まった。
「えっ……」
 シンジの様子を窺っていたアスカが、小さな声をあげたが、シンジはアスカの着替えに
必死で気づいていない。
「両手を中に入れてくれる? 」
 減圧されていないプラグスーツは、だらりとしていて融通が利く。
「はっ」
 アスカは手の側に来たシンジの急所を拳で叩いたが、シンジは揺らぎもしない。
「そんな状態のパンチがきくわけないだろ」
 空気の抜けるような音がして、プラグスーツがアスカにフィットした。
 見計らったように加持が戻って来た。車いすを押している。
「それも要らない。シンジに運んでもらうから」
 アスカが、再び両手を拡げる。まるで初夜の翌朝、新郎に抱き起こしてくれとねだる新
婦の様であった。
 シンジは苦笑しながら、右手をアスカの太股の下に、左手を脇の辺りに通して、アスカ
を抱くために腰をかがめる。
 アスカのすぐ近くにまでシンジの身体が寄る。
「やっぱり……」
 アスカがシンジの耳が真っ赤になっていることに気づいた。
「どうかした? 」
 シンジが訊く。
「なんでもないわ。早くして」
「じゃいくよ」
 アスカに急かされて、シンジが力を入れるために一層アスカに近づく。
「…………」
 アスカが、急に首を動かしてシンジの喉に噛みついた。
「痛いなあ。落とすよ、下に」
 シンジは、軽く首を振るだけで、アスカの口を首から振りほどく。
「今の君じゃ、ナイフを持っていたって僕を殺せないよ。銃だって無理だろうねえ。
発射の反動に手が耐えられないから、当たらないよ。僕を殺すなら、それこそエヴァでも
使わないとね」
 シンジは、軽々とアスカを抱きかかえた。
「じゃ、行こうか」
 
 二人の周囲を武装した保安部員が囲む。
 テロリストの襲撃を怖れているのではない。保安部員の目が、ずっと自分たちに向いて
いるのをシンジは感じている。
 二十分ほどの距離をシンジは、一度もアスカを抱きなおすこともなく、しっかりとした
足取りでこなした。
「シンジ君、思い残すことのない様にな」
 エヴァンゲリオン格納庫に着いたシンジに、加持は声をかけて離れていった。
「ブリッジを伝って、エントリープラグまでアスカ・惣流を連れていきたまえ」
 ネルフドイツ指令が、碇シンジに命じる。
 人一人がようやく通れるほどの細い通路をシンジは進む。
 保安部員の銃口が、ずっとシンジをトレースする。
 搭乗口を開けているエントリープラグに到達したシンジは、アスカを抱いたまま上半身
を中に入れ、インテリアの上にそっとアスカを横たえた。
「エヴァに負けないで」
 アスカから離れ際にシンジが、アスカにだけ聞こえるような声で告げる。
 シンジが出たところで、エントリープラグの扉がゆっくりと閉まり始めた。
「さようなら、アスカ。元気でね」
 シンジの別れの言葉は、アスカの耳にしっかりと届いた。
「元気でね? 今からエヴァに喰われようとしているアタシに? それにアタシのファー
ストネームを呼んだ……」
 アスカはエントリープラグが挿入されるのを感じ取りながら、首をかしげた。

 シンジがブリッジを降りて、エヴァンゲリオンの正面に来るのを待っていたかのように、
シンクロの手順が始められた。
「LCL注水。チェックリスト読み上げ開始……チェックリストオールグリーン。神経接
続開始、シンクロ率上昇開始、シンクロ率最低起動指数を突破。23%……35%… …ハ
ーモニクスにぶれ。被験者は集中してください」
 スタッフにそう言われたが、アスカはそれどころではなかった。
 シンクロを開始するなり、アスカの中に入りこもうとするものがあった。
「なんなのよ。これが、エヴァなの。アタシの中を覗いている。そう、アンタ心が欲しい
のね。ふざけるんじゃないわよ。誰が、アンタなんかに喰われてやるものか」
 アスカは、力の入らない腕で操縦桿をしっかりと握る。
「シンクロ率急上昇止まりません。80%を突破、90,100,120……」
「やったぞ、成功だ。これでGエヴァは、世界最強になった」
 ネルフドイツ司令が、喜びの声をあげる。
「150……180……200… …えっ、シンクロ率上昇停止」
「どういうことだ? エヴァに喰われるには400%が必要なはずだ」
 ネルフドイツ司令が、焦る。
「人間さまを、惣流・アスカ・ラングレーさまを舐めるんじゃない。アンタなんか、アタ
シに従えばいいのよ。そうすれば、どうしたらいいのか教えてあげる。さあ、アタシの命
令を聞きなさい」
 アスカが叫んでいるのが、モニターから聞こえる。
「よせ、アスカ・惣流。エヴァに逆らうな。おまえは黙って喰われればいいのだ」
 ネルフドイツ司令が、怒鳴る。
「なあ、シンジ君。アスカは勝てるのか? 」
 加持が問うてきた。
「やっぱり、アスカを助けるためだったんですね、加持さん」
 シンジが、加持を見た。
「まあ、妹が殺されるのを黙ってみているわけにはいかないからな。もっとも、それだけ
じゃないんだがね」
 加持が、苦笑する。
「アスカは、大丈夫ですよ。アダムのコピーのコピーでしかない量産機に負けるはずはな
いですよ。アスカは、リリンとして覚醒した経験を持つ唯一の女なんですから」
 シンジはエヴァに向かって優しい顔をする。
「やっぱりな。そして、シンジ君、君がアダムか」
 加持が、真剣な表情で訊いた。
「さあ、どうでしょうか。そうだとしてもコピーでしかないですが」
 シンジが、小さく笑った。
「いい加減、しつこい。アンタなんかに負けてらんないのよ」
 アスカが大きく叫んだ。
「やめろ、アスカ・惣流。停止信号を送れ。エントリープラグ強制排出」
「駄目です、反応しません」
 ネルフドイツ司令の命令にスタッフが、首を振る。
「アスカが勝ちましたよ。加持さん、離れていた方がいいですよ。アスカは僕を殺しに来
ますから」
 シンジが、加持に告げる。
「逃げさせてもらおう。ああ、シンジ君。あまりいちゃついている暇はないぜ。そろそろ
世界中のエヴァが攻めてくるだろうからな」
「どうしてですか? 」
「なに、ちょっと教えたんだよ。ネルフドイツは、エヴァに人の魂を喰わせて、オリジナ
ルの弐号機の復活を計画しているってね」
 加持は、ウインクするとゆっくりとシンジから遠ざかっていった。
「相変わらず、裏の裏まで手を回してる」
 シンジは、加持の手回しの良さに呆れた。
「シンクロ率100%で固定しました。ハーモニクス誤差無し」
「喰えたのか? 」
「いえ。エントリープラグ内にセカンドチルドレンの反応を確認。ひっ。エヴァンゲリオ
ン、拘束具を自力で排除、動きます」
 Gエヴァが、両手を上にあげて拘束具をはじきとばし、LCLのプールから足を踏みだ
した。大きな音と衝撃が格納庫を襲う。
「ひいいい」
 スタッフが職場を放棄した。ネルフドイツ司令も慌てて逃げだす。 
 シンジは、Gエヴァの余波でLCLを頭からかぶったが、じっと立ったままの姿勢を続
ける。
「シンジ、殺してあげるわ」
 アスカの声がして、Gエヴァがシンジを右腕で掴んだ。
「ぐっ」
 肋骨がきしむ痛みに顔をゆがめながらも、シンジは逃げようとはしない。
「どうしたの? 恐怖で動けなくなった? 」
 アスカが暗い笑いを浮かべる。
「命乞いをしなさいよ。無様に泣いて謝ったら、助けてあげないこともないわよ」
「…………」
 シンジは、じっとGエヴァを見つめる。
「何とか言いなさいよ」
 アスカの怒りと共にGエヴァの腕が締まった。
「がはっ」
 シンジは、肋骨が一本折れた音を聞いた。
「あら、ごめんね。骨が折れたみたい。まだ、折る気無かったのよ。本当よ。信じてくれ
るわよねえ」
 アスカが、甘えるように言う。
「撃てっ」
 パニックから回復した保安部員が、サブマシンガンをGエヴァとシンジめがけて発射し
たが、赤い壁に全て防がれた。
「余計なコトするんじゃないわよ。こいつは、アタシが殺す。銃ぐらいで簡単に死なせて
たまるものですか」
 アスカは、開いている左手で、格納庫の壁を叩く。すさまじい振動に保安部員たちは、
慌てて散っていった。
「ねえ。シンジ。覚えてる? ユニゾンしたこと? ならアタシがいまどれだけ昂奮して
いるかわかるわよねえ」
 アスカが、使徒戦役ころの話をしだした。
「マグマに飛びこんでもくれたわよね。あのとき、ちょっとときめいたんだよ。でもね、
アンタは、アタシの居場所を奪った。キスまでさせてあげたのに、抱きしめてもくれなか
ったわ。アタシが壊れていくのを見ていながら、あの人形女に夢中だった。アタシが逃げ
だしたときもそうだった。アタシの行くところなんて決まっていたのに、アンタは探しに
も来てくれなかった」
 一度弛んだ締め付けが、ゆっくりときつくなっていく。シンジは息ができなかった。
「返事ぐらいしたら? それともアタシごときと話すことなんか無いって? 」
 アスカは、たまっていた毒を全部吐きだすかのように辛辣な言葉を続ける。
「…………」
 腹部を締め付けられ、血液の流れを止められたシンジは、視界が赤くなっていくのに合
わせて意識がもうろうとなっていく。
「もういいのかい? 」
 シンジは、幻覚を聞いた。
「カヲルくん……」
 シンジの口から、殺さねばならなかった親友の名前が漏れた。
「カヲル……フィフスのことね」
 アスカは罵りながらも冷静に、シンジの様子を窺っていた。
「シンジの親友となった使徒。アタシの弐号機を勝手に使ったやつ。そして、シンジによ
って握りつぶされた……握りつぶす。同じだわ」
 アスカは、ドイツに帰ってから記録を調べてカヲルのことを知っている。
「フィフスは、シンジのことを気に入っていたらしいと報告にあったわ。だから、シンジ
と戦ったけどわざと負けて殺された。自分が生き残れば、シンジが死ぬことになる。使徒
でありながら、カヲルはシンジのために死を選んだ。まさか……シンジも」
 アスカは、シンジの顔をじっと見る。
「カヲルくん……君が言っていた言葉が、ようやくわかったよ。生と死が等価値だって言
うことが。殺されることで、僕はずっとアスカの心の中で生き続けるんだ。カヲルくんが、
僕の心にずっと居たように」
「アタシの心の中に生き続ける? 」
 すでにシンジの言葉は譫言になっている。
「そっちに行けば、綾波に謝れるかな……一つになろうって誘ってくれたのに、僕はアス
カを選んで、綾波を死なせてしまった。ずっと謝りたかったんだ」
「アタシを選んだ……」
 アスカが、無意識につぶやく。
「もういいの? 」
 シンジの脳裏に綾波レイが浮かんだ。
「綾波……ごめんね」
 シンジの口から、血が垂れる。どうやら、折れた肋骨が肺を傷つけたらしい。
「僕が生まれて来たのが悪かったんだ。僕さえ生まれてなければ、母さんがエヴァに取り
こまれることもなかったし、綾波が創り出されることも、カヲル君が産み出されることも
無かった。死ぬために存在するなんて、有ってはいけなかったんだ。そして、僕さえいな
ければ、アスカが傷つくことは無かった」
 シンジの首がだらりとさがる。アスカの中の黒い物が薄れていく。
「…………」
 アスカは、シンジの一言も聞きのがすまいと身を乗り出す。
「ごめんね。アスカ。好きだ……」
 シンジの意識が落ちた。憎悪は好意の裏返しでしかない。アスカは、命をかけたシンジ
の想いを受けて、ようやく自分の想いに向き合った。
「このバカシンジ」
 アスカは、締めていた指をゆるめてシンジをGエヴァの手のひらに横たえた。
「言うのが遅いわよ」
 アスカが、険しかった表情をゆるめたとき、ネルフドイツ全体が震撼した。
「なにっ」
 アスカはシンジを落とすまいと慌てて手のひらをすぼめる。
「いい雰囲気のところ悪いんだけどな。エヴァ量産機が攻めてきたんだよ。全部で3機」
 加持が、格納庫の扉から顔だけだして、叫ぶ。
「エヴァ量産機が? 」
「ああ。ドイツのエヴァを破壊して、アスカを殺すつもりらしい。同じ武器を持っている
間は許せても、一人強くなることはお気に召さないんだと」
 加持は、肩をすくめる。
 また大きく揺れた。色々な物が天井から落ちてきた。
「シンジ君をエントリープラグに入れた方がいいな。でなきゃ、戦えないだろ」
「加持さんが、シンジを連れていってくれればいい」
「冗談。アスカだけが戦っているって目覚めたシンジ君が気づいたら、俺は殺されちまう
よ」
 加持は、首を振った。
「王子様の目覚めは、お姫様のキスって相場が決まっている。さっさとシンジ君を起こし
てくれ」
「逆じゃないの」
 アスカはそう言いながらもGエヴァの右手をエントリプラグのすぐ側まで上げ、プラグ
を排出させる。
「LCLのお陰でちょっと動けるようになったけど、シンジを抱きかかえるほどの力はな
いわね」
 アスカは、シンジの傍らに膝を突くと、シンジの折れた肋骨付近を軽く叩いた。肋骨の
折れた根本を叩くことで、肺に突きささっていた肋骨がてこの原理で抜ける。
「ぐえっ」
 気を失っていたシンジが、痛みで目覚める。
「えっ。アスカ? ここはもう天国? 」
「馬鹿。天国にはいずれ連れていってあげるけど、今はそんな時間はないの。敵が攻めて
きたのよ」
 アスカが、シンジを叱る。
「敵……、加持さんの言っていた量産機」
「そう。わかったら一緒に載る」
 アスカがエントリープラグを指さす。
「いいの? 」
「アンタのことは、あとでけりをつけるわ。今は生き残ることが最優先」
「わかったよ」
 シンジはアスカを抱えてエントリープラグに入った。
「あんたが座って、アタシを抱きかかえて」
「僕、怪我人だよ」
「うるさい。アタシは死にかかってるわ。どっちが重篤? わかれば、さっさとする」
「はい」
 アスカにすごまれて、シンジは言う通りにした。
「ドイツ語はできないんでしょ、相変わらず」
「うん。さすがにバームクーヘンの他にもいくつかは、知ってるけどね」
「明日からしっかり覚えるのよ。じゃ、日本語でフィックス。緊急起動。行くわよ、G」
 アスカの命令にGエヴァが吠えた。
「シンジ、アタシの手の上に重ねて」
「うん」
 シンジが手でアスカの手を包む。
「アタシに合わせて」
「わかっている」
「G、ウイングを展開」
 アスカの命令にGが二枚の翼を出す。そして飛翔した。
 
 地面を突き破って地上に出たアスカとシンジは、ネルフドイツの地上部分を破壊尽くし
ている三機の量産型エヴァを見つけた。
「…………」
 Gエヴァに気づいた量産型三機が、にやりといやらしく口をゆがめる。
「…………」
 三機が手にしていた両刃の大刀をGエヴァめがけて投げつけた。
「ふん」
 アスカはATフォールドを張った。
 大刀が二股の槍に変化する。
 かつて、アスカのATフィールドを突き破ったロンギヌスの槍は、赤い壁にぶつかって
むなしく折れた。
「オリジナルのロンギヌスの槍でも突破できないわよ。アタシとシンジ二人分の厚さよ」
 アスカが、自慢げに叫んだ。
 量産型が翼を出して飛び上がる。上空からの攻撃に切り替えた。
「馬鹿ね」
 アスカが、笑う。
「シンジ」
「うん」
 LCLのお陰で呼吸が楽になったシンジがうなずく。
「いけ、G」
 アスカのかけ声でGエヴァの背中に羽が増えた。全部で八枚。
 Gエヴァは、一瞬でおたつく量産機よりも高空に達した。
「アタシを殺そうとしたネルフドイツごと消し去ってやるわ。ATフィールドは、こうや
って使うのよ」
 Gエヴァの手からATフィールドが、放たれた。
 ATフィールドは、量産機を寸断したあと、地中深くまで突きささり、ネルフドイツを
完全に崩壊させた。
「あっけないわね」
 アスカが、拍子抜けしたように言う。
「必死の戦いはもう勘弁して欲しいよ」
 シンジがため息をつく。
「さて、シンジ。はっきりと言ってもらいましょうか」
「な、なにをだよ」
 いきなりアスカにせまられて、シンジはびくついた。
「もう、わかっているんだから。さっさと言っちゃいなさい」
「だから、なんだって言うのさ」
 シンジは、真剣に訊く。意識朦朧の状態であったのだ。覚えていない。
「アンタさっき口にしたことももう忘れたの? アタシのこと好きだって言ったでしょう
が」
「えっ」
 シンジは驚愕した。
「嘘なの? 助かりたいがためについた嘘? 」
 アスカの眼が曇る。
 シンジは、慌てた。もう、アスカの哀しい顔は見たくなかった。
「ち、違うよ。アスカに殺されるつもりだったから。生きていても仕方ないから、どうせ
なら、アスカに殺されたいと思っていたから」
「なんで、アタシに殺されたかったのよ」
「どうせ、死ぬなら好きな人の手にかかって……あっ」
 シンジが口を押さえた。
「聞いたわよ。G、今の録音したわよね」
 モニターに諾の文字が浮かぶ。
「まったく、さっさと告白しなさいよ。赤い海で言っておいてくれたら、こんなシンジに
可哀想な身体にならなくてすんだのに」
 アスカが、プラグスーツの余った胸を見て涙ぐむ。
「そんなことないよ。アスカは魅力的だよ。すぐに元に戻るって」
「本当に? 」
「うん」
「じゃ、まずは、腹ごしらえよ。シンジ、あんたなんか作りなさい」
 アスカが、シンジに命じる。
「無茶言わないでよ。この状態でどうやって料理するのさ」
「アンタのアパートには道具ある? 」
「有るけど材料がないよ」
「仕方ないわね。じゃ、ネルフ本部に行きましょ。あそこの食堂を使えばいいわ」
 アスカはGエヴァに目的地を入力した。
「お腹が一杯になったら、いろいろ問いつめてあげる。あのとき、アタシをおかずにした
こととか、赤い海でアタシの首を絞めたこととか、アタシをドイツにほったらかしにした
こととか。もちろん、アンタの今までの女遍歴も全部白状させるからね」
 アスカは楽しそうに笑った。

 ネルフドイツから少し離れた山の中で、加持が腰を下ろしていた。全身埃まみれである。
「アスカの奴、俺のことを忘れていたな。あやうく潰されるところだった。まあいいか」
 加持は携帯電話を出すと、メモリの一番を押した。
「俺だ。二人は、そっちに向かったよ。ああ。なんとか仲直りしたようだ。まったく盛大
な痴話げんかだったぜ。なあ、葛城、これで良かったんだろうか? あの子たちをまた戦
場に駆りだすことになるぞ。その心配はないだって? 確かにあの威力を見たら、逆らお
うという気にもならんだろうが……。まあ、そっちに行ったら面倒見てやってくれ。俺は
しばらく身を隠すわ。ネルフドイツの残党に命を狙われることになったからな。じゃ、こ
れが落ちついたら、あの時言えなかった言葉を言うよ」
 加持は、電話を切った。
 ポケットからしわくちゃになったたばこの箱を取りだし、折れた一本を加える。
「エヴァは無敵でも、あの子たちは普通の人間なんだぜ。撃たれれば死ぬ。エヴァを倒せ
ないならパイロットをと、ならなきゃいいけどな」
 加持がたばこに火をつけた。

終 わり

  

タヌキさんからアスカ誕生日祝いをいただきました。

本当はもうすこしはやくいただいていたのですが、掲載遅れて申し訳ない‥‥。

それはそうと、アスカとシンジの愛は一歩間違えれば危険な激しい愛ですよね。

そして最後はやはり愛が勝ちました。

素敵なお話でありました。皆様もぜひ読み終えたあとにはタヌキさんへの感想メールをお願いします。

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