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著者:Su-37


 

 

 ふぅ・・・

 波間を見る一人の青年。口から吐き出された紫煙が海風で拡散して消えていく。

「日本に帰るのも2年ぶりか。」

短めの髪と女性っぽさも混じる整った顔に、髭など見えない。彼は朝必ず電動ひげ剃りをあてるのを忘れないからだ。

 根本まで吸ったシェーファーを携帯灰皿に躙る。ドイツで覚えたこの味だが日本に帰ればなかなか手に入らないだろう。

「アスカ・・・もうじき会えるね。」

そう言いながら遠い目をする。美しく光る南十字星が目に心地いい。

 そこに現れる、黒髪の少女。年は日本で言う中学生くらいだろうか。その顔立ちといい十分以上美少女で通じるだろう。

「碇さん。また、アスカの事思い出してたの?」

彼は無言で頷いた。

「全くぅ。隣にこぉ〜んな美少女がいるってのに。」

「君は僕に何を期待しているんだい?」

少女はそっと隣に寄り添い、上体を転落防止用の柵に預ける。

「私はいつでもOKなのにぃ。」

「前にも言っただろ。僕が君に手を出せば間違い無く後ろに手が回る。それに・・・」

少女は知っていた。彼の心には自分が入り込む余地などない。

「アスカね。」

「当たり前だろ。僕が愛したただ一人の女性なんだから。」

「私は?」

優しく微笑むと、彼は少女の頭を静かに撫でた。

「大人として保護すべき存在。それ以上でもそれ以下でもない。」

当然と言えば当然の答えだった。それが少女には解りすぎる程解っていた。

「あ〜あ。振られちゃったなぁ。」

「君が僕をそういう風に見ていたのは知ってたよ。それに僕に父親を重ねていたのも。」

少女は黒い瞳で続きを要求した。

「女の子って初めての恋心を父親に抱く事もあるんだってね。でもそれは幼い頃に罹る熱病と同じようなもの。」

「多分・・・そうかもしれない。」

認めたくないが、認めざるを得ない。それだけの脳を少女は持っていた。

「それが悪い事なんて言わないよ。心が成長する時には必要だと思うからね。」

「私・・・成長したって?」

「うん。まだまだ大人にはなっていないけど、大人の入り口くらいにはきてる。」

「体はもう大人よ。」

彼は左頬を小さく吊り上げた。

「体と心は必ずしも、等しく成長していく訳じゃない。体は他の動物達と同じく勝手に成長していく。でも心を成長させるには経験が必要なんだ。大人に恋心を抱くのもその一つかな。」

少女は大学を出ていた。だが教養課程でもそれは習っていない。だから彼の言う事の半分は解らなかった。

「もっと解りやすく説明してよ。」

「知識じゃないんだ。沢山の人と出会って好きになったり嫌いになったりして得られる経験だよ。」

「経験かぁ・・・それがどの程度の意味を持つか解らないのよねぇ。」

青年は小さく笑う。

「それも経験だね。」

そして腕の時計を見た。夜光塗料で時間が解る。

「さっ、明日はサードと面会する日だ。初対面の相手に寝不足顔を見せるなんてレディーのする事じゃないぞ。」

「それも・・・経験?」

「大人からの忠告さ。」

 

 強い日差しの中、大型ヘリが20世紀末に建造された大型航空母艦の飛行甲板に着艦する。それに色とりどりのベストを着た男達が駆け寄っていく。

 それと入れ違いに姿を現す3人の少年達と一人の女性。代わり映えのしない少年達の格好とは対照的に、赤くカスタマイズされたNERV士官の制服を着ていた。

「ねえ、碇さん。サードって何処・・・?」

少女が脇にいる青年に顔を向けた時に、もうそこに姿は無かった。

「アスカ!」

声のする方を見ると濃紺の制服を着た青年は女性に向けて駆け出していた。

「シンジ!」

女性もまた、周囲の目など気にする風もなく青年に向けて走っていく。

「会いたかった!」

「アタシも!」

熱烈な抱擁、そして口づけ。

「い、碇さん。その男の人は?」

嫉妬した風を見せる短髪の眼鏡を掛けた少年の言葉に抱擁は中断された。だが女性は青年の腕を抱いて離れない。

「この人?アタシの旦那様よ♪」

「碇さんって結婚してたんですか??」

髪を長く伸ばした少年も信じられないものを見るような顔をしている。

「彼は碇シンジ。アタシと同じ名字でしょ。」

プラチナブロンドを艦が走る時に作り出される合成風に靡かせながら女性・・・碇アスカは今まで見せなかった最上級の微笑みを少年達に見せた。

「相変わらずね、アスカ。」

予想しえた展開に頭を抱えながら少女は二人に歩み寄る。

「久しぶり、ミサト♪背高くなったわねぇ。」

「あら解る?他の方も成長してるわよ。」

「それでアタシのシンジに迫ってたって?メールで見たわ。」

「こんなシーンを見せられたら、迫る気も失せちゃった。」

「なま言ってんじゃないの。」

アスカにでこピンされても、懐かしさからか笑みを絶やさない葛城ミサトは、暫くの後何かを探すような素振りをした。

「ところでサードは何処?」

「さて誰でしょう?」

う〜んと唸りながら三人の少年を見る。

「眼鏡の子?」

「ぶ〜。外れ。」

「じゃ、ロンゲ?」

「ぶ〜。」

髪を長く伸ばした少年、青葉シゲルは艶やかな黒髪の美少女への憧れをうち砕かれて引きつった笑いを浮かべた。

「この子よ。加持リョウジ君。」

野性的な雰囲気を持つそこそこの美形だが、明らかに人見知りしている雰囲気を漂わせていた。

「は、初めまして。加持リョウジです。」

「葛城ミサトです。一緒に頑張ろうね。」

「う・・・はい。葛城さん。」

ミサトと加持の初対面が、悪くないものだったと胸を撫で下ろすシンジとアスカ。これからの辛い戦いに光明が見える思いだった。

 

 実に上手くいったミサトの初陣。だが、数隻の護衛艦艇を失った太平洋艦隊はそのミサトが搭乗するエヴァ弐号機を輸送艦ではなく、旗艦である原子力空母に載せ新横須賀に入港した。

 そのままシンジとアスカはミサトを連れNERV本部へ。更にミサトをオペレーター士官の一人である洞木ヒカリ二尉に本部内の案内を兼ねて預けると司令室へと向かった。

「碇一尉です。碇三佐を同行して参りました!」

「はいはい。今開けるわね。」

インターフォン越しに女性の声が聞こえ、その直ぐ後に自動でドアが開いた。

 中に入ると、顔の前で手を組み大きな机を前にして座っている50絡みの男性と、その横に背筋を伸ばして立つ見た目30くらいの女性がいる。

「碇三佐。ただいま、ドイツ支部より帰還しました。」

「ふ・・・堅い挨拶は抜きだ、シンジ。」

「お帰りなさい、シンジ。」

そう言われれば、普通に返す方が自然だろう。

「ただ今、父さん、母さん。」

久しぶりに見る息子の姿に、ゲンドウもユイも目を細めていた。

「まあ二人とも座れ。」

場を司令室に置かれたソファーに移す。

「土産話は家で聞く。お前がドイツでどんな楽しい事をしていたとかな!」

「義父さん、どういう事です!シ〜ン〜ジ、アンタ向こうで女なんか作ってないわよね!!」

「アスカちゃんの事も後で話すわね♪色々あったから。」

「母さん、色々って何だよ!アスカこそ不倫なんかしてないだろうな!!」

煽って楽しむゲンドウ・ユイ夫妻。これでNERVの全てを預かる司令と副司令だというのだから、部下達の苦労も知れる。

「アタシに、とっての男はアンタだけよ!」

「僕も不倫なんかしてないよ!」

そんな小さな、痴話喧嘩を見るのも面白い。ゲンドウとユイは笑いながら見ていた。

「はいはい!続きは家でやってね。で・・・シンジ?」

「他の土産があるだろう?」

夫婦漫才を巧妙にやらされたシンジは憮然としながらも、紙袋を一つテーブルに上げた。

「ブランデーは父さん。化粧品は母さんに。」

「笑えないな。」

「もう一つの方よ。解ってるでしょ。」

そう言いながらも、紙袋を手にとって中身を確認するのもこの中年夫妻らしい。

「アスカ?」

「うん・・・。」

もう一つの『土産』はアスカがテーブルの上に寝かせて置いたスーツケース。

 それをシンジがロックを外し、ゲンドウとユイが見える方向に向けた。

「硬化ベークライトで固めてあるけど・・・死んではいないよ。」

シンジの顔にも緊張が見える。

「貴方・・・これが・・・」

「ああ。最初の人間・・・『アダム』だよ。」

ちなみにアダムというのは内部呼称でしかない。計画の元となる裏死海文書が2000年以上も前に写本された死海文書と対になるものという事で、その死海文書の元、旧約聖書内の創世記から名が取られたに過ぎないのだ。

「これが計画の要ですね、義父さん、義母さん。」

「ええ、そうよ。これなくして私達人間に勝利はないわ。」

「恐らく何処か遠くで生まれたものだろう。我々『霊長類』の先祖だ。」

アスカもまた、緊張した面もちで妊娠初期の胎児に似たものを見る。

「そして、今アタシ達が戦う怪物達の兄弟。」

「それを僕等は同族生存の為に利用する・・・罰当たりだけどね。」

「それこそが私達の生きる道なのよ。神だって仏だって利用してやるわ。」

「ああ。我々は神になどなれない。それにな・・・」

ゲンドウはテーブルの上に置かれた大きなガラスの灰皿をたぐり寄せた。100円ライターでマイルドセブンに火を灯すと大きくフィルターを通した煙を肺に入れる。

「うちには仏壇もあれば神棚もある。クリスマスツリーもな。シンジもレイも七五三に連れていった。諏訪神社の祭りがあれば寄付もする。」

「人間あっての神様よ。」

それを聞いてシンジもアスカも大きく笑った。

 

 その後辞令を受け取ったシンジはアスカを伴い、発令所へ顔を見せた。

 そこには既にヒカリに連れられたミサトが所在なく佇んでいる。

「ケンスケ、トウジ!久しぶりだな!」

コンソールに向かう旧友二人を見つけるとシンジは声を上げた。

「お?いつ戻ったんだ?」

「せや。真っ先にワイらの所に顔を出すっちゅうんが、筋やないか?」

「そう言うなよ。司令へ報告するのが先なんだからさ。」

「司令なん、シンジのおとんやないか。」

「そうだ。親父より貴重な友人の方を優先して貰いたいもんだな。」

「解った、解った。今度奢るからさ、勘弁してくれよ。」

笑いながら話が弾む三人を横目にアスカはヒカリに顔を向ける。

「加持君は?」

「レストルームで待機中よ。」

「ふぅ〜ん。あと、レイとリツコは?」

「直ぐ来るって・・・ああ、来たわ。」

ヒカリが視線を向けた先には、女性と少女の姿。

「レイ!シンジが帰ってきたわよ!」

栗色をしたショートカットが印象的な美女だが、ベージュの制服の上に着込む白衣で近寄りがたい雰囲気を醸し出すレイは顔を綻ばせた。

「え〜〜っ、お兄ちゃんいつ帰ったの?」

「本日ただ今。」

「あ〜〜っ、アスカ知ってたわねぇ。となると・・・お父さんもお母さんも・・・もおっ、私だけ除け者って訳ぇ!」

やたらとハイな感情表現だが、レイとの付き合いも長いアスカにしてみればいつもの事。

「違うわよ。お兄ちゃん子だったアンタを喜ばせたいだけなんだって。」

「本当に?お父さんとお母さんの事だから私の反応を見て面白がってるだけじゃない?」

それもあるかも、と司令室で笑い転げるゲンドウとユイを思い浮かべ、引きつった笑みになってしまう。

「ところで、アスカ。リッちゃんとミッちゃん、上手くやっていけると思う?」

レイは隣で量子物理学の本を熱心に開いている赤木リツコに目を向けた。

 父母は事故死、預けられた親戚の家でも継子扱いされてきたリツコは、感情を表す事がない。何かと言うと直ぐに本へ逃げてしまう。

「・・・難しいわね。ミサトも明るく振る舞ってるけど、心に傷を持ってる。」

リツコが髪を金髪に染め薄い化粧すらしているのは、一重に他人を寄せ付けないようにしているとも思えたからだ。

「リッちゃんに心を開かせる事。ミッちゃんの心を癒す事。これが不可欠よ。」

「加持君は?」

「彼の心も開かせないと。三人の為でもあるわ。」

「それはアタシ達の為でもある。子供達に頼らざるを得ない状況だからね。」

アスカもレイも感情を顔から消して俯いた。

「・・・どうしたんです、碇博士?」

リツコが本から顔を上げて、レイを見る。

「何でも無いわ。さて、アスカ。加持君を呼んできて頂戴。」

「私が行っては駄目ですか。」

そのリツコの顔が少し赤らんでいるのが解った。

「じゃあ、リッちゃんにお願いしようかしら?いいわね、アスカ。」

「ええ、頼むわリツコ。後で好きなもの奢ってあげるから。」

「はい、碇一尉。了解しました。」

「了解は必要無いわ。アタシ達からのお願いであって命令じゃないんだから。」

アスカは小さく微笑むと、リツコの頭を「良い子ね」と撫でた。

 

 リツコが加持を伴って発令所に戻ってくると、いつものメンバーで食堂へと移動する。大人の堅苦しい環境を子供達に強いるのはどうかと思われたからだ。

「みんな座ったかな?では僕から自己紹介させて貰うよ。」

薦められて上座に掛けるシンジは音をたてずに立ち上がる。

「碇シンジ三佐、ドイツから帰ってきたばかりです。この度作戦部から名を変えた戦闘攻撃群を預かる事になりました。みさなん、宜しくお願いします。」

「後言う事があるだろ、シンジ!」

ケンスケの言葉にキョトンとする。

「何?」

「何やない。惣流・・・碇の事や。」

「え〜!そこまで言うの?どうせみんな知ってるよ。」

「リッちゃんは知らないぞ。」

「せやせや。」

莫迦莫迦しいとは思いつつも、付け加える。

 「全く・・・アンタ達は中学から変わってないわねぇ。」

続いて、立ち上がったアスカは大きく溜息を付いた。

「碇アスカ一尉、今まで作戦本部長をやらせて貰ってました。今度からは戦闘攻撃群でエヴァの戦闘指揮を行う実戦統括隊の長となります。まっ、今までと大して変わらないと思うけどみんな宜しくね。」

「ねえアスカ。貴女も言わなくていいの?」

「もう、ヒカリまで!ジャージバカと付き合い始めて性格変わったんじゃない?」

照れ隠しにヒカリを一睨みしてから椅子に座った。

 「次は私ね。」

レイが立ち上がる。

「碇レイ・・・ちゃんでえ〜す!!」

アスカとヒカリからスリッパでつっこみを入れられたのはお約束か。ところでスリッパはNERV標準の個人装備にあるのだろうか・・・

「普通にしなさい、普通に!」

「はいはい、義姉さま!・・・ええっと、碇レイです。好きな物は・・・って冗談だって!解ったわよ簡潔にね、うん。んと、技術第1課の課長さんなんかしてます。碇シンジ三佐とは双子の兄妹の関係でっす。」

「似てへんな。」

「当然じゃない。二卵性だもん。」

一応つっこみが入るのはお約束らしい。

 レイが座るのと入れ違いに立ち上がったのはヒカリ。

「洞木ヒカリ。二尉です。」

「それだけ?」

アスカがそう言うと苦笑いを浮かべて徐に座ろうとした。

「ああ、ヒカリ。言い忘れてたけどアンタ、アタシの指揮下に入る事になってるから。」

「あんまり、こき使わないでね。」

「それと、お約束を忘れてるからね。」

「え〜〜!私も言うの!?」

「と〜ぜん!」

そんな引きつった笑いのままトウジとの関係を短く言った。

「じゃ、次はジャージ!」

「碇、きさんが仕切るんかい。」

「いいから。ああ、それとアンタもアタシの部下よ。」

「そうやないかと思おとったわ。」

ジャージという渾名にしては少し崩しているとは言えベージュの制服を着込むトウジが立ち上がる。

「鈴原トウジ二尉や。オペレーターをしとる。あんじょう頼むで。」

続いて、ケンスケ。

「相田ケンスケ二尉であります!小官は鈴原二等兵と同じく・・・」

「誰が二等兵や、誰が!」

「・・・オペレーターであります!写真偵察なら任せて下さい!!」

そこでお返しとばかりにシンジが口を開く。

「なら、次の使徒は是非写真偵察をしてきて貰おうかな。」

「嘘・・・だろ?」

「なんなら威力偵察でもいいけど。」

「・・・勘弁しろよ。」

 場が和んだところで、子供達の番となった。

「加持君ね。」

「は、はい、碇一尉。」

開襟シャツ姿の少年は居心地悪そうに席を立つ。

「エヴァ初号機パイロット、加持リョウジです。宜しくお願いします・・・」

「君は僕の父さんと母さんと一緒に住んでるんだって?」

「は、はい。碇一尉とも・・・」

「なら、今日から僕も一緒だ。宜しく!」

シンジから差し出された手をおずおずと握る。

「赤木リツコ。零号機搭乗員です・・・」

「赤木さんはレイと住んでるって?」

「はい・・・」

「緊張しなくていいよ。レイはNERVに寝泊まりする事が多いって聞くけど、そうなると食事やら大変だね。」

「あ・・・いいえ。一応一通り出来ますから。」

「うん、もしレイがいない時、面倒だと思ったらうちに来なさい。いいよね、アスカ?」

シンジはアスカに顔を向ける。

「賑やかになって、義父さんも義母さんも喜ぶわ。」

「と、言う訳で諸々宜しく頼むよ。」

「はい・・・こちらこそ。」

シンジの優しい気な笑顔に少し顔を赤くしてその握手に応えた。

「いいかしら?」

少し不機嫌そうなのはミサトだった。

「葛城ミサト。ドイツ支部から転属してきました。弐号機のパイロットをしています。」

「恋人はいるのかな?」

と、ケンスケ。男の癖にワイドショーなど結構好きだったりする本領発揮といったところか。妖しく縁無し眼鏡が光る。

「募集中って事にしておきます!」

不機嫌さが増したかもしれない。

 歓談の食事を済ませた時点で、子供達もそこそこの笑顔を見せるようになっていた。

「是非君達に聞いて貰いたいんだ。」

その後、シンジが子供達に何か語ったらしいが場所も場所であり記録は残っていない。しかしながら子供達が纏う空気が若干柔らかくなったという事だ。

 

 

 

 

 ミサトと加持を伴い家に帰ると、はしゃぎ出したのはミサトだった。

「碇さんの家って凄い!」

日本人の住居は兎小屋と言われて久しいが、シンジの実家である碇邸はかなり大きな面積を持っている。そのルーツは室町時代以前にまで遡れ、江戸や明治でも隠然とした権力を持っていた証左とも言えた。

「私、ここに住むの?」

「アタシ達とは違うけどね。」

「どういう事?」

「アタシとシンジが住むのは同じ敷地にある別邸。ミサトは義父さん達が住む本宅。」

他に、明治帝がお忍びで訪れた事もあるという来客用の別邸もある。

「加持君と一緒よ。」

「え〜〜っ!此奴と一緒ぉ?」

そこでアスカは仕舞ったと思った。それはミサトが同世代の少年達と学校なりで一緒に過ごした事がないというドイツ時代があったから。

「こんな無口な奴と一緒なんて嫌よ!」

やはり自分達が引き取るべきなのか?考えるより産むが易し、だが産みの苦しみは当然ある。

 二人の思考がまた最初に戻ってしまったところで、アスカは車を玄関前で止めた。

「お帰りなさいませ、坊ちゃま。若奥様。」

背広姿の年寄りが玄関前で深々と頭を下げる。

「久しぶりだね。草間さん。」

「はい、坊ちゃま。」

「坊ちゃまはやめてくれよ。これでも20代半ばなんだから。」

「いえいえ、幾つになっても坊ちゃまは坊ちゃまです。」

草間は碇家の執事。使用人達を統括する責任者でもある。イギリスで執事の教育を受け、とある貴族の家では絶賛されたエリート。その物腰に隙は見えない。

「草間さん。今度、この家に住む事になった葛城ミサトさんだ。宜しく頼むよ。」

「はい。ミサト様でらっしゃいますね。お話はお嬢様よりうかがっております。」

お嬢様・・・ユイの事である。ちなみに婿養子のゲンドウは『旦那様』で通っていた。

「は、初めまして。葛城ミサトです。よ、宜しくお願いします。」

家がこれほど大きいのだから、まさかとは思っていた。本当にこんな所が日本にあるとは考えてもみなかったが。

「ところで、坊ちゃま。お夕飯はこちらで頂かれますか?」

「今日はそのつもりだよ。積もる話もあるからね。」

そうそうと、シンジは赤いボルボのトランクから紙袋を一つ出す。

「お口に合うか解らないけど。」

「ほう・・・ワインですか。全くお気を使わせてしまって。」

 その袋を押し頂いた草間は三人を家の中に導く。シンジ、2年ぶりの帰宅だからだろうか。旅行番組の老舗旅館よろしく使用人が居並ぶ。

 これがシンジもアスカも苦手だ。シンジは慣れた上でだが、幼稚園以来の付き合いで何度もこの家に出入りしているアスカは何度やられても慣れない。

 ミサトはと言えば、唖然としている。何処かのお姫様にでもなった気分だ。

「わ、わた、私。このい、い、い、家で住むんですか?」

「得難い体験よ。」

そういうアスカも初めてお呼ばれした時など怖くなって泣いてしまった・・・と母キョウコから聞いた事がある。シンジと“おママごと”を始めてようやく泣きやんだらしい。

 更に驚きは続く。この家で普通に使われている居間は学校の教室ほどもあったのだ。

「ま、何処でもくつろいでて。」

「く、くつろぐような環境じゃないわよ。」

落ち着かない。

「加持君も早く着替えてきなさい。」

「は、はい。碇さん。」

更にシンジとアスカも着替えると言って部屋を離れると、だだっ広い部屋にミサトは一人取り残されてしまった。それが酷く心細い。

「葛城様。お茶で御座います。」

「あ、や、は・・・あ、有り難う御座います。」

メイドが出していった紅茶をじっと見つめる。漂う香りはとても良い。

「あれ?葛城さん一人?」

「え、ええそうよ。加持君。」

こざっぱりした格好の加持が再び顔を出すが、初対面でいくらもたっていないのでは会話が成立する筈もない。

「あ、貴方、こんなところで良く平気ね。」

「・・・最初来た時は驚いたよ。でもここの人は良くしてくれる。」

「ここに来る前より?」

加持はミサトに視線を向け、暫く見つめたあと息を小さくはいた。

「ここに来る前より。」

オウム返しのようだが、元々無口な彼が表現出来る最大級のものだ。加持の弟が生まれて間もなく父の不義で両親は離婚。父は弟を取り、自分は母に引き取られた。その後父とは全く疎遠になってしまい弟の近況も詳しく知らないが再婚した新しい母親とは上手くいっているらしい。それが逆に自分の惨めさを感じさせる。やはり再婚した母の新しい夫と加持は上手くいかずそればかりか余計者と見られ、母が病死したのを境に施設へ放り込まれてしまったのだ。以後その男性とは会っていない。

「ほらほら、何で暗くなっちゃうのよ。それほど私の質問が気に障った?」

「べ、別に。」

「“別に”っていう顔じゃないわね。」

ミサトから見て同い年の加持の表情は幼く見えた。確かにこの頃は少年よりも少女の方が早熟である。でもそればかりではないと彼女は感じた。

 それがミサトにとっての恋の始まり。

 そしてそれがもたらしたのは・・・加持が今まで持っていた女性観の変化だった。

 

 

 

 

 2年後、第三新東京都立富士見台高等学校生徒玄関。

「ハツミちゃ〜ん。待ってよ、待ってくれよ。お茶一杯でいいんだ。一杯だけでいいからさぁ。付き合ってくれよぉ!」

逃げる少女を後ろで伸ばした髪を縛った一見軟派風の少年が追いかける。

「ミサト、加持君あれでいいの?」

前よりずっと人好きのする感じに変わったリツコは隣のミサトに目をやった。

「良い訳無いじゃない!全く・・・何処でどう変わってしまったのかしら。」

黒髪を靡かせる美少女は憤怒の表情。割と人気があるとは言え、こんな時のミサトにはリツコ以外誰も話しかけられない。

「貴女が頑張り過ぎたのよ。」

「だ、だってぇ・・・あの時はリツコも狙ってたじゃない?だから逃げられないようにって。」

「今は貴女が逃げ出したいと思ってない?」

「そ、そ、そんな事無いわよ。」

それは本音の一つ。使徒戦の最中から付き合うようになった加持とミサトだが、その彼を獲得すべく教育し過ぎたのが問題だった。兎に角、可愛い子と見れば声を掛けまくるようになってしまった。その教育を施した当人自体が愛想を尽かす寸前というのが皮肉とも言える。

「我慢は良くないわよ。」

「と、言うと?」

「爆発して発散というのも有りという事よ。」

『爆発』にだけ感情を込めたのはレイの教育によるものか。今日あった物理の実験でも試験管を一つ『爆発』させていたし。

「ならいっちょ、爆発してみますか!!」

「加持君のお仕置きをするなら私も呼んで。新しい機械の実験をしたいの。」

「じ、実験ですか(汗)」

こんな少女達が身近にいるのだ。加持が女性に走る気持ちも解らないでもない。

 

 同時刻、NERV戦闘攻撃群発令所。

「義父さん、加持君に何教えたの?」

缶紅茶を片手にアスカは書類をパラパラとめくる。

「何が?」

「シンジも聞いてるでしょ。加持君の女癖よ。」

「ああ、あれか・・・」

苦笑いをするシンジ。真相を知っているが故だ。

「あれかって何よ。」

「実はね、父さんはミサトに頼まれて夜の街にしょっちゅう連れ回したらしいんだ。」

「はぁ?中学生を??」

「我が親ながら何を考えてたのか。」

そんなシンジに意味ありげな視線をアスカは向ける。

「アンタは大丈夫でしょうねぇ。」

「えっ??何が?」

戸惑う風もなく、不思議そうな顔をした。

「そんな反応ならアタシ以外知らないんでしょうね。」

「・・・その事か。うん、僕は君しか知らないよ。」

「あんな“初めて”だもんね。安心したわ。」

「あんなは酷いなぁ。僕なりに頑張ったんだからさ。」

「解ってるわよ。ホント嬉しかったんだから。」

わざとらしく、口元を吊り上げて笑って見せるシンジが面白く、アスカは吹き出してしまった。

「僕等が初めてしたのも、二人と同じくらいだったかな。」

「中学2年のアタシの誕生日。ハッキリ憶えてるわ。加持君と違ってアタシだけを見てくれたのは違うけどね。」

「でも、加持君はミサト以外抱いてないよ。」

あれ程他の少女に声を掛けてデートなどしている加持の意外な一面。

「本人に聞いたんだ。」

「それじゃあ信憑性に欠けるわね。」

「自分なりの愛情表現なんだって。どんな女の子と付き合ってもミサトがいい、そう言いたいんだろうね。」

「ミサトはそれを知らないわよ。ただの浮気性だと思ってる。」

「ははは・・・まあそう見えない事もないけど。」

目尻をつり上げ、シンジにきつい視線を向ける。

「アタシから見てもそうとしか見えないわ!いつ余所様のお嬢さんに手を出すかと思うと・・・これは義父さんに責任をとって貰わないと!」

「責任?父さんにどう取らすのさ。」

「義母さんにしっかりお灸を据えて貰うのよ!!」

ゲンドウが最も恐れるモノ、ユイに掛かればぐうの音も出ないだろう。

「それはそうと・・・」

「何よ。」

明らかに御機嫌斜めの彼女、そのお腹を見つめる。

「怒りすぎは良くない。お腹の子供に障るよ。」

赤い制服では無く、ピンクのマタニティーを着ているアスカは顔を綻ばせ愛おしそうに服の上から撫でる。

「それを言われちゃあ、敵わないわね。」

慈母の微笑みに見とれていながらも、シンジは耳を膨らんだ腹部に当てた。

「あっ、蹴った!」

 

 

 


 

後書き

 や、書き始めとは違いドンドン話しが違う方向に行ってしまいました(^^;

 しかも人間関係の入れ替えだけに済んでいませんし・・・さてどうしたものか。

 言い訳はこの辺りにしておきましょう(爆)

 それでは(^^)


Su-37さんから立場入れ替えモノをいただきました。

うーむ、何だか加持とミサトはシンジとアスカを指導するより指導された方がちょうどいいようですねw

なんだかより立場が逆転している方がより幸せな気がするのです。

素敵なお話を執筆してくださったSu-37さんに是非感想メールを送りましょう!

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